サハリン残留邦人の共同墓地ができた


 今がちょうど旬のミヤコワスレ

 承久の乱佐渡に流された順徳天皇が都をなつかしんだといわれる。
 その中でも紫の強いこれはエドムラサキ。
 同じ植物でも、ブタクサ、イヌフグリなど酷い命名もあるなか、優雅な名前で得をしている花である。

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 東京五輪招致の「コンサル料」問題。「正当な支払い」で押し通す方針らしい。
 テレビで、スポーツ評論家のT氏は「問題ない。他の国もみなやってる。過去ではなくこれからのことを考えよう」などとコメントしていた。「みなやってる」ならいいのか。
 シンガポールの事務所がペーパーカンパニーだったり、ドーピング問題で逮捕されている「黒い」人物が登場したり、コンサル契約書は見せられないと隠したり(もしかして、ないんじゃないか?)いかにも怪しげだ。国会でしっかり追及してほしい。
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 先週、サハリン残留日本人の墓地がやっとできた。

 《戦後、樺太(現ロシア・サハリン)残留を強いられた邦人らを祖国で供養しようと、NPO法人「日本サハリン協会」(東京)などは14日、札幌市南区の藤野聖山園に共同墓所を建立し、落成式典と慰霊祭を行った。残留邦人らでつくる「サハリン日本人会(北海道人会)」の会員ら約120人が参列し、赤いカーネーションを献花した。
 共同墓所は当初、経済的理由で墓を持てないサハリンからの永住帰国者のために計画。その後、帰国がかなわず亡くなった残留邦人の家族らが「樺太関係者の魂の集まる場所にしたい」などと要望し、残留邦人も含めた共同墓所とした。建設費400万円は寄付金で賄った。》(毎日新聞)
http://mainichi.jp/articles/20160515/k00/00m/040/114000c
 
 1989年から戦後処理の取材のためサハリン(樺太)に通った。残留邦人の里帰りと残留朝鮮人が韓国の留守家族と日本で再会する事業が実現しはじめていた。
(残留朝鮮人については、新井佐和子『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年』が詳しい)
残留邦人がどこに何人いるのかを調べにサハリンの各地を回って日本人や朝鮮人を訪れ、「戦後初めて本土の日本人に会った!」と大歓迎された思い出がある。毎晩、家に呼ばれて宴会になり、当時亡くなったばかりの美空ひばりの歌を一緒に歌ったものだ。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100508

 報道も里帰りの動きを後押しして、一時訪問から永住帰国へとすすみ、現在は、134世帯303人が永住帰国している。
 共同墓所は、日本とサハリンに見立てた高さ約2メートルの墓石2本を並べ、両国の自由な往来を象徴してカモメを彫ったという。私も少額だが寄付させていただいた。
 サハリンに通うなかでテレビでは初めてとなる北方領土(クナシリ)の取材にも発展し、本当に実り多い時期だった。そこでは朝鮮併合、戦後責任、領土問題と大問題が複合しており、勉強させられた。また、ソ連崩壊の直前でもあり、社会主義はこういうふうにしてダメになっていくのだな、と実感できたのも収穫だった。
 お墓ができ、とりあえず永住者に安心していただいてよかった。