高世仁の「諸悪莫作」日記

2016-09-02 オリンピックに出てよかったという吉田沙保里

 いま2日の深夜12時すぎ、ETV特集で「むのたけじ100歳の不屈」を再放送している。

 斎藤隆夫の反軍演説が流れ、それを目撃したむの氏が語る。歴史的なシーンである。明日のETV特集は「関東大震災朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」。面白い番組をやってるなNHK。

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 最近観た番組で印象に残っているのが8月28日(日)の「情熱大陸」の吉田沙保里

 主将として4連覇の重い期待のなかのまさかの敗戦。マットに突っ伏して泣く姿に心から同情した。そのあと彼女はどうなったのか。

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 その彼女を帰国直後、8月24日にインタビューした映像が番組で流れた。意外にも表情が明るい。どこか吹っ切れた感じが漂っている。吉田沙保里は、銀メダルをカメラに見せながら、こう語った。

 《新鮮でしょ。いつも金を見ているから、けっこう好きっすけどね。

 金メダル獲った人見ていると、金っていいなって思いますけど、その後ろには、銀とか銅とかそれ以外の入賞者とかがいて、その人たちのことを、勝ったときはあまり考えたことがなかったので。戦える人がいるから順位もつくし競い合える。

 負けた人の気持ちが本当によく分かった大会でした。》

 そして《いやあ、良いオリンピックでしたね。出てよかったです》ときっぱり言い切ったのだった。

 ああよかった。これを観て安心したし、吉田沙保里がこんな境地になれたことに感動した。成長を続ける彼女にエールを送りたいと思う。

 4日の夜まで番組のサイトで無料で全編を見られます。http://www.mbs.jp/jounetsu/の「見逃し配信」。

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 オリンピックについて書かれた面白い文章に出会った。

 http://www.imishin.jp/peter-norman/?ref=fb

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 これは1968年メキシコオリンピックで黒人差別に抗議した有名な写真だ。

 《男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位に輝いたジョン・カーロスが、アメリカ合衆国国歌流れ星条旗が掲揚される間、壇上で首を垂れ、黒い手袋をはめた拳を突き上げたのです。2人が見せたこのブラックパワー・サリュートアメリカ公民権運動で黒人が拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為)は、近代オリンピックの歴史において、もっとも有名な政治行為として知られています。2人は黒人の貧困象徴するため、シューズを履かず黒いソックスを履き、スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを、カーロスは白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するためロザリオを身につけていました。》

 左にいるのは2位になったオーストラリアのピーター・ノーマン選手。実は、彼もスミスとカーロスの両選手の意図に共鳴して2人の隣に立っていたのだった。たしかに彼も左胸に、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(略称:OPHR)」のバッジをつけていた。スミスとカーロスはのちに「英雄」となるが、ノーマンには非常に苛酷な仕打ちが待っていた。

 《当時のオーストラリアには、アメリカと類似した白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策が存在していました。実際、南アフリカアパルトヘイトは、オーストラリア先住民に対する差別政策を見習って作られたものだと言われています。1905年から1969年にかけて、「先住民族の保護」「文明化」という名目で約10万人の先住民族であるアボリジニの子どもを強制的に親元から引き離し、白人家庭や寄宿舎で養育するという政策も行われていました。そのため、この時代に白人オーストラリア人のノーマンが黒人やその他の少数民族と接触を持つ、公民権運動に同調するというのは、本国では彼の人生を破壊しかねなない非常に危険性の高い行為だったのです。》

 オーストラリアでは、ノーマンは歴史から抹消されたかのような扱いを受けました。1972年ミュンヘンオリンピックでも、選抜で出場資格を得たにもかかわらず、オリンピックオーストラリア代表から除外され、ノーマンはスポーツ界を引退。その後は、体育の教師や肉屋などの職を転々としていたそうです。白人中心のオーストラリア社会でノーマンは、あの事件がきっかけで、家族ともども疎外されてしまったのです。その後、怪我により壊疽も患い、除け者にされ、無視された存在となった元アスリートは、アルコール中毒うつ病に苦しみました。ジョン・カーロスはノーマンのことをこう言います。「ピーターはたった一人で、国全体に立ち向かって戦っていたんだ」》

 ノーマンの葬儀では、スミスとカーロスが棺を担いだ。

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 死後6年もたってから、彼は名誉回復された。

 《2012年、ノーマンはオーストラリア政府から正式な死後謝罪を受けました。政府は、ピーター・ノーマンに対し、「・・・何度も予選を勝っていたにもかかわらず、1972年ミュンヘンオリンピックに代表として送らなかったオーストラリアの過ちと、ピーター・ノーマンの人種間の平等を推し進めた力強い役割への認識に時間がかかったこと」を謝罪しています。》

 ほんとうのドラマはこういうことだ。

 オーストラリアがこれほど差別主義的な国だったことは意外だった。一方で、きちんと名誉回復して政府謝罪していることに感心した。ここは日本政府は見習うべきだ。