南スーダンが一番怖かった!

 うちの会社は11月が期末で、税理士との打合せやらお金にかかわる用事が増える。きょうも融資の返済条件の変更で、ある金融機関に出かけてきた。
 いま、会社はじまって以来最大のプロジェクトに着手している。こう書くと景気がよさそうなのだが、取材経費が巨額で、資金繰りが追いつかず非常に苦しいのである。また月末が近くなって困ったな。
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 先週金曜日、渋谷でMSF(国境なき医師団)の看護師、白川優子さんと常岡浩介さんを囲む会があった。常岡さんは今回、イラクで活動中の白川さんに会っており、一時帰国したのを機に一緒にご飯を、となった。
【右から私、白川さん、共同通信の原田さん、常岡さん、舘さん】
 この白川さんという人の派遣歴がすごい。シリア2回、イエメン3回、ガザ(パレスチナ)、南スーダンパキスタン、フィリピン、ネパール、スリランカなど、戦場か被災地ばかり。これから4回目のイエメン行きだという。この日は常岡さんと白川さんのご苦労さん会兼白川さんの壮行会だったのだ。イエメンといえば「崩壊国家」のナンバーワンにランクされる国である。とにかく頭が下がります。
 こういう厳しい任務に志願するMSFスタッフだが、最初の1年間は、医師、看護師、経理、職種にかかわらず一律月給1500ドル(約15万円)。任期1年を過ぎると少しづつ給料はアップするが、緊急支援など1ヶ月で終わる短い任期の場合もあり、「任期1年間」が過ぎるのに3〜4年かかることも。お金目当てではなく意気に感じて危険地に飛び込む人たちである。
 白川さんが、この間までイラクにいたのは、モスル奪還作戦に対応するためだ。MSFは状況への対応が非常にはやい。作戦開始時点で、モスルのすぐ近くにいた日本人は常岡さんと彼女の二人だったのだ。11月7日のFBにはこんな記述が;
《今日は朝からいつにない激しい空爆。モスルへと続く砂漠の一本道はひっきりなしに前線へと向かうペシュメルガの戦闘車両と救急車。頭上には低空で過ぎていくヘリコプターと米軍機。これらの音に耐えきれず吐き気と戦う誕生日。
おめでとう、わたし (泣)

https://www.facebook.com/yuko.shirakawa.77/about
 こんなことがサラッと書かれているのだ。
 MSF広報の舘さんによると、日本からの派遣は1年にのべ150人にのぼるという。(複数回派遣される人がいるので実数は100人くらいだという。白川さんは今度のイエメン行きが今年4回目の派遣!)意外に多い。頼もしいじゃないかMSFジャパン。

 白川さんに、「これまで行ったところで一番危険を感じたのはどこですか?」と聞く。
 答えは「ダントツで、南スーダンです。あんなに酷いところはこれまで見たことなかったです」。
 彼女がいたのはマラカルという地方都市で、赴任中、大きな戦闘、虐殺が起きたところだ。山のような死体というのをはじめて見たという。食べ物もないまま住民の救援活動に追いまくられ、体重が一気に8キロ減ったとか。そのときの奮闘記「戦闘下の南スーダンで見た過酷な現実」をぜひお読みください。http://www.msf.or.jp/work/workers/detail/nurse_1873.html
 
 さて、新たな任務を付与された自衛隊の先発隊が南スーダンの首都ジュバにきのう着いた。 
 南スーダンへの自衛隊派遣に詳しい布施祐仁さんがツイートで分かりやすい写真を紹介していたので転載する。

 11月15日《朝日新聞の三浦記者のツイートに出てくる、7月に「200人と400人が2日間バンバン自動小銃やロケットランチャーを撃ちまくった」という現場と自衛隊宿営地、ジュバ空港の位置関係。宿営地に流れ弾が飛んできたのは当然。隊員たちは自分たちが「戦場」にいることを実感したことだろう。》
【赤丸が宿営地、緑丸が戦闘現場】
 11月19日《これを見ても、戦闘現場となったビルは自衛隊の宿営地の目と鼻の先、というかすぐ隣り。7月の武力衝突で砲撃を受けた南スーダン首都ジュバのビル。手前はPKO参加の陸上自衛隊員=8日(代表撮影・共同)》
【後ろのビルの右端に砲撃跡が】

 首都ジュバは安定しているなどと現実を見ないふりするのはやめよう。