高世仁の「諸悪莫作」日記

2018-06-28 ワールドカップをみながら

 安倍政権支持率が上がっているようだが、どうしたことか。安倍首相昭恵夫人モリカケに「関係している」証拠は次々に出ているのに。テレビがサッカー一色になっていることは一つ大きな要因だろう。

 ワールドカップは形を変えた戦争、とも言われ、「国家」が前面に出る。そこを、ジャーナリスト安田菜津紀さんは、19日「W杯で盛り上がる今だからこそ、対戦した国のことをより知っていく機会にもできるのではないでしょうか。国内避難民が最も多いのはコロンビア」とツイートしていた。6月20日、世界難民の日を前に、タイムリーなメッセージだった。

https://twitter.com/NatsukiYasuda/status/1009260769169436672

 世界難民の日を前に、UNHCR国連難民高等弁務官事務所)がレポートを出しました。実は国内で避難生活を送っている国内避難民が最も多いのはこのコロンビアです。半世紀に渡り続いた内戦での死者、行方不明者は約30万人にものぼった他、今月17日に実施された大統領選により、平和合意が覆される恐れが出てきました。

 国外に逃れている人々が最も多いのはシリアです。(略)スポーツは、心の国境を越える力を持っているはずです。サッカーではコロンビアだけではなく、シリアチームとも度々対戦してきました。少しでも相手チームに興味を持った皆さんは、想像してみて下さい。

 今、自分が最も大切だと感じている人々や場所のこと。人はそれを、理由なく手放さないはずです。最初から「難民」と呼ばれていた人はいません。彼ら、彼女たちが置かれている「非日常」は、私たちと同じように過ごしていた「日常」と地続きなのです。どうかこのW杯が、サッカーの対戦ということだけに留まらず、それぞれが思いを馳せ合う契機にもなりますように。」安田菜津紀さん)https://comemo.io/entries/8384

 そうか、コロンビアがそんな状況だとは知らなかった。

 ただの政争ではなく、大規模な暴力で命の危険のある国が世界にはたくさんあるのだなとあらためて気づかされる。酎ハイ片手にテレビでサッカーを観ることができることはありがたいのだ。

 いま、対ポーランド戦、試合終了。1−0で負けたが、最後はボールを回して時間が過ぎるのを待つという展開。フェアプレーポイントで決勝進出したというが、そもそも、これがフェアプレーなのか。釈然としない。子どもに、「なんで攻めないの?」と聞かれた親は、何て説明したんだろう。

2018-06-26 石川文洋さんと再会して

 ベトナムの戦場を撮ったことで知られるカメラマンの石川文洋さんと、きょう、十数年ぶりにお会いした。

 うちの若手ディレクターO君が、文洋さんを主人公に番組を企画したいというので、一緒に自宅のある長野県上諏訪に出かけたのだった。駅の改札に出迎えていただき、喫茶店で3時間お話した。

 文洋さんは80歳。12年前、心筋梗塞で心筋が壊死して44%しか動いていないそうだ。さらに今年4月と5月にも心臓の手術をしたという。その文洋さんが、来月9日から徒歩で日本縦断の旅に出る。北海道宗谷岬を出発し、故郷の那覇市に着くのは来年2月末。「最後まで歩きとおせるかどうか、わからないが挑戦したい」と意気軒高だった。

 文洋さんは65歳の時にもやはり日本縦断をしており、その紀行は本にもなっている。その時は日本海側を歩いたが、今回は太平洋側をたどる予定。東北では大震災被災地も訪ねる。週一で共同通信に紀行エッセイを書くそうだ。無事に完遂できますように。

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(『戦場カメラマン』を手に、旅を支援するモンベルから贈られた「戦争のない世界を」のワッペン付きリュックと)

 仕事もかなり入れているようで、今月はちくま文庫から『戦場カメラマン』が出版された。これは1986年に朝日文庫から出たものの復刻。古典といっていい。せっかくなのでサインしてもらった。

 Oディレクターは、文洋さんに会うためにしこたま本を買い込んで読みまくっていたが、そのうちの一冊に『ベトナム最前線』という文洋さんにとって初めての本があった。出版は1967年で半世紀前。その前書きを見て仰天した。「石川君の黒い瞳」と題するまえがきを、なんとあの石原慎太郎氏が書いていたのだ。

 石原氏が「週刊読売」からベトナム派遣されたさい、文洋さんが各地を案内して親しくなったのだという。石原氏はいったいどんなことを書いたのか、紹介しよう。

 ベトナム戦線Dゾーンのチャンバンの砲兵陣地で、訪れた我々日本人記者団に向って、試みに大砲の引き金を引いてみないかと副官にすすめられたことがある。かつて戦闘経験のあるM記者が簡単に鉄兜をかぶって砲座に入り引き金を引いた後、番が私に廻って来そうになった時、同行していた石川カメラマンがおだやかな微笑だったが、顔色だけは変えて、

「石原さん、引いてはいけません。引くべきでない。あなたに、この向うにいるかも知れない人間たちを殺す理由は何もない筈です」

 といった。

 躊躇している私に、陽気な副官は鉄兜をさし出し、

 “Kill fifteen V.C.!”

 と叫んだが、幸か不幸か突然射撃中止の命令が入り、その時間の砲撃は止んでしまった。

 私は今でもその時の石川君の、私を覗くように見つめていた黒いつぶらな瞳を忘れない。童顔の、あどけないほどのこの若いカメラマンの顔に、私はその時、なんともいえず悲しい影を見たのだ。

 彼がもし強く咎めていたら、私は天邪鬼にその後まで待って引き金を引いていたかも知れない。

 沖縄という、祖国の中で唯一、特殊な状況にある故郷を持った彼が、あの邪悪な戦争を見る眼は、確かに我々内地の人間とは違っているに違いない。

 しかし彼はそれを決して叫んだり、饒舌に語ったりはしない。カメラという非情の眼を通しながらも、彼は静謐に敵味方、彼我を超えた、地獄に置かれた人間の悲しき惨めさを撮りまくっている。それは、ジャーナリストという立場を超えた、一人の人間としての祈りの態度にも似ている。

 昨今、在ベトナムの日本人カメラマンは多いが、彼ほど長い期間にわたって、各地をくまなく巡り歩いているカメラマンは他にいないだろう。

 私が初めて会った時、彼は前線でかかったマラリアと、ベトコンのしかけた戦槍(ランセット)の陥し穴に落ちて受けた傷が癒され切れずに、青ざめた半病人の姿で現れた。その彼が新しい取材のためとなると、三十八、九度の熱をものともせずに夜に日をついで行動するのに驚かされた。

 私が風土病下痢に倒れて寝ている時、看病に、ホテルに泊ってくれた彼の方が、実は私よりも高熱を出していたりしていたものだ。

そうした病いと傷だらけの彼と会って話しているだけで、私はあの戦争の深部にあるものを理解出来たような気がした。それほど彼の語る言葉は、虚飾なく、むしろ、いつも大層控え目に、ことの真実を明してくれた。

 好漢、日本で数ヶ月の保養の後、今三度、ベトナムの地に戻って活躍中だが、私は一人の共感厚き同世代のこの友人に、ただ、どうか生きて帰って来てくれと願う言葉しかない。》

 ほう、若き日の石原氏が、ベトコン支配地区に向いている大砲を試し撃ちしかかったのを文洋さんが止めたのか。象徴的なシーンである。

(つづく)

2018-06-25 最後の鷹匠、松原英俊さん

f:id:takase22:20180619182103j:image:w280:left 先週19日、武蔵野美術大学で、すばらしい講演を聴いた。

 講演したのは、クマタカを使う日本最後の鷹匠松原英俊さん。いま、山形県天童市の田舎に住んでいる。

 彼以外にも鷹匠はいるが、より小型のオオタカハヤブサを使う、かつての殿様の狩りを受け継ぐもので、カモやキジなどを獲る。一方、東北地方には、昔から大型のクマタカで、キツネやタヌキ、ウサギを捕まえ、毛皮をとって生活の糧にする鷹狩が行なわれてきた。

 松原さんは、青森県出身で、子どもの時から自然や生き物が大好きだった。その好きさかげんは我々の常識を超えるもので、例えば、学生時代、下宿の3畳間に青大将など7匹の蛇を放し飼いにして、夏、裸で寝ていると蛇が体の上を這いまわるのが涼しくて気持ちよかったというほど。また、新聞配達の途中、車にはねられたトラネコの死体を見つけ、持ち帰って下宿で料理して美味しく食べた、など、おそらく200人はいただろう教室の学生たちを驚かせる話が次々と披露された。山登りも好きで、海外の山にも遠征しているし、日本の未踏峰に登り、キノコの新種も発見した、本格派でもある。

 そして、この松原さん、慶應ボーイだったというのだから、おもしろい。大学卒業後は、自然と関わって生きていきたいと思った。マタギは鉄砲で殺すが、自分は動物を生き物として捕まえる鷹匠がいいと、山形県にいた師匠に弟子入りを志願する。師匠からは「食っていけないぞ」と断わられ続けた。7回目に「食えなくてもいい。弟子にしてもらえるまで、近くの小学校に野宿して待ちます」と談判して「そこまでいうなら」と弟子入りが認められた。

 そこからは地獄の日々が待っていたのだが、クマタカの調教の厳しさ、むずかしさなど含め、詳しくは友人のジャーナリスト、樫田秀樹さんのFBを参照されたい。https://www.facebook.com/hideki.kashida/posts/1693626210720782

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(松原さんはこのワシミミズクを入れて、クマタカイヌワシなど7頭の猛禽を飼っている)

 初めて自分のクマタタカ「加無(かぶ)号」がウサギを獲ったのは、修行を初めて4年半たった1979年2月13日だった。

 《毎日、自分の腕から飛んでいったタカが獲物を手にすることだけを何万回も夢に描いてきた。何百回もの失敗を繰り返し、いつかいつかと思っていたその夢がついに目の前で現実の光景として展開されている。

 泣いていた。ワー、ワーと叫び、雪原に立ち尽くしながらただただ泣いていた。

「あの瞬間、私は世界一幸せな人間だったと思います」

 28歳の冬だった。》

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 いま松原さんは68歳。2年前、左目を事故で失明した。それでもなお、松原さんは鷹匠を続ける。講演会できっぱりとこう言った。

 《「私には最後の夢があります。それは、70、80と老いぼれて、ヨボヨボになっても、それでもなおタカをこの腕に乗せて、どんなにゆっくりでもいいから、雪の山を一歩一歩と歩いていきたい。私がずっと追いかけなければならないのは、タカと共に生きる自由なんです」

 実際、片目では山での雪の表面の起伏が分かりづらく、以前よりもゆっくりと歩くという。

 そして、今年の冬に撮れた獲物は、タヌキ1頭とウサギが2羽だけ。山に動物そのものが減っているということだが、獲物が取れなくても雪山を歩き続けることこそが自身を鷹匠足らしめている

 こんなにも自分に正直に生きる人は滅多にいない。》(樫田さんのFBより)

 話自体も感動的だったが、何より感銘を受けたのは、松原さんの眼差しの優しさだった。こんなに目がきれいな人がいたのか!そして、話しぶりの誠実なこと。すぐに松原さんという人間にすっかり惹きこまれていた。真にかっこいい人である。

 こういう人はもう二度と現れないだろう。弟子入り希望者は何人かいたが、みな覚悟が足りずに続かなかったそうだ。「狂気に近いものがないと」と松原さん。今は毛皮の需要などないから、山のガイドや農業をして年収は100万円に届いたことがないという。後継者はおらず、松原さんが亡くなったら、日本からクマタカ鷹匠はいなくなる。

 この講演会を主催したのは、グレートジャーニーの関野吉晴さんだ。最後に学生に今後の進路を考える上で贈る言葉をお願いしますと言われた松原さん。こう締めくくった。

 「私は若者に『耐えろ』と言いたい。大きな夢であるほど壁も高い。乗り越えるためには我慢して生きていく。誰のためでもなく、自らの夢のために耐えろと言いたい」。

 私は若者ではないけれど、心して聴いた。

 心が洗われるような講演会だった。勇気づけられました。

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(講演が終わって学生たちに囲まれる松原さん)

2018-06-22 国際報道写真展を観にいく

 今週あたま、山形の友人から桜桃さくらんぼ)が届いた。ありがたい。故郷からの初夏の便りである。

 暦はもう夏至。陽射しが強い。

 21日から初候「乃東枯」(なつかれくさ、かるる)、27日からが次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)。末候の「半夏生」(はんげ、しょうず)が7月2日からだ。

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 なつかれくさとはウツボグサのことで、この時期花が咲いて枯れ、それを干したのが夏枯草(かごそう)という生薬になるそうだ。そういえばこの花、よく見ているような気がする。

 それから末候の「半夏」とはカラスビシャクという植物で、これが生えると田植えを終える目安だという。

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 夏至が1年で一番日が長いのは知っていたが、どのくらい違うかというと、冬至と比べて5時間も昼が長いのだそうだ。恵比寿東京都写真美術館を7時半ごろ出たら、まだ空は明るくて、きれいに赤く染まった雲が浮かんでいた。

 写真美術館に行ったのは、開催中の「国際報道写真展2018」を観るため。125の国と地域から4,548人のフォトグラファーが参加し、約7万点の応募があったなかから、22カ国42人の受賞作が展示されている。

 2018年の大賞は、ベネズエラでのデモを描いたロナルド・シュミットベネズエラAFP通信)の作品。題材にはロヒンギャ難民イラクのモスル奪還作戦、南米の麻薬密売の抗争、米国の銃乱射事件など、世界は多種多様な苦しみ、悲しみでいっぱいだとあらためて思う。

 印象に残ったのは、ナイジェリアで過激派組織ボコハラムに村が襲われ、誘拐された少女の写真。

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 ボコハラムは少女たちを自爆テロ要員にした。《「人を殺すならば、自分が死んだ方がいい」。その一心で、アイシャ(14)は「標的」とされた兵士たちに近づくと、素早くガウンをまくった。現れたのは、爆弾がついたベルト。兵士たちは銃の引き金を引くかわりにベルトを取り外し、アイシャは生き延びた。おそらく家族でただ一人。》

 報復の危険があるなか、アイシャは勇敢にも被写体になることを承諾した。撮影したオーストラリア人写真家アダム・ファーガソン(39)は《「あれだけの体験をしながらまっすぐカメラの前に立つ、並外れた気丈さと勇気に圧倒された」。写真とは、撮る人のまなざしを通して物語を伝える方法だと思う。だからこそ、「被害者という既視感のある姿ではなく、肖像写真でその力強さと美しさを表し、彼女をたたえたかった」。》

 顔を出さずに、こういう表現ができるのか・・・。

 どの写真にも、取材者の志を感じる。残念なのは、世界各国の写真家が競作するなかで、日本人の作品が一つも入賞していないことだ。日本のジャーナリストにも、ぜひがんばってほしいものだが。

 フリーランス安田純平さんが、シリアで行方不明になって明日23日でまる3年である。

2018-06-19 生ききりたい

 「地平線会議」の仲間、長野淳子さんが危篤だと聞き、きのう夕方、お宅にお見舞いにいった。3月13日には、お宅におじゃまして、5~6人で楽しく飲み会をやり、淳子さんもニコニコしながら一緒に卓を囲んでいた。あれから3カ月でお別れとは予想していなかったので、私は動揺していた。9月1日に淳子さんの還暦の誕生日のお祝いをしようと、友人たちが計画し始めたところだった。

 ベッドの上の淳子さんは、もう1週間前から危篤状態が続き、目も口もあいたままで、臨終が近いことは明らかだったが、かみさんが手をさすって話しかけると、かすかにうなづいてくれた。がんの末期で、本人の希望で、点滴など延命措置は採らずに自宅で最期を迎えることにしたという。もう半月、固形物は摂っていないそうで、さすがにやせ細っていた。ベッドの上にアオザイがつるしてある。淳子さんが死装束として希望したのだという。夫婦でハノイに行ったときに仕立てたお気に入りのものだそうだ。

 3月には、夫婦で舞鶴に最後の旅行をしたと、夫の亮之介さんが写真を見せてくれた。海岸で二人が手をつないで、カメラにうれしそうに微笑んでいる。近い死を覚悟して毎日を深く生きていたのだろう。帰りにかみさんが大きな声で「淳子さん、さよなら」と声をかけると、淳子さんはお腹の上に置いていた右手の手首の上をあげてはっきりバイバイと手を振った。亮之介さんが「信じられない」とびっくりしていた。帰宅して、淳子さんが、去年11月の「地平線通信」に書いた文章「生ききりたい」をあらためて読み直した。

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生ききりたい

 私はIV期の虫垂ガンで、肝臓と腹膜とリンパ節に切除不能転移を抱えています。「余命半年」「残念です」という言葉を聞いた日から、「生きること」は切実な問題となって私の前に降りてきました。それまでの私は快眠快便、なんでもおいしく食べ、よく働きよく遊び、健康であることに何の疑いもありませんでした。

 平均寿命くらいまでは普通に生きるだろう。いやむしろ長生きしすぎてぼけたらどうしよう。80歳を過ぎて認知症を患った父親を8年間介護した経験から、不安があるとしたら、長い老後生活を想像したときにふと感じるもの、それだって何十年も先の話でしかなかった。世界ではテロが横行し、日本では東日本大震災で何万人もの方々が亡くなられ、原発によって土地を追われる現実を目の当たりにしたときに、明日どうなるかわからないと強く感じたはずなのに、それでも自分の死はずっと遠くにあって、リアルに考えたことなどまったくなかったのです。

 明日が来るのは自明のことで、当たり前のように今日を生き明日を生きるのだと思っていました。いやあ本当に愚かですよね、あんなにニコニコして油断していたなんて。全然当たり前なんかじゃないのに。

 3月3日に大腸原発巣と卵巣を摘出し、今は命の時間を少しでも延ばすべく抗ガン剤治療をしています。日々の暮らしは穏やかな夫と8匹の猫たち、家族や友人達に支えられ静かに過ぎていきますが、過酷な治療にはしばしば心が折れそうになります。

 ガンという病の恐ろしさは、身体を蝕むものが外から侵入した細菌ウイルスの異物ではなく、自分自身の細胞そのものだということです。私の身体の小宇宙で何かが起こっているのか全く自覚のないまま、それは深く静かに変異していたという感じ。いい子に育っていると信じていた我が子が、ある日突然盗んだバイクで夜の学校に乗り込み窓ガラスを割って暴れ回るようなもので、母としては子どもの小さな変化に気づかなかった自分の鈍感さを呪い、「これ以上暴れないでおくれ、よしお〜」と取りすがって泣く訳です。でも一度グレてしまった彼はどんどん不良仲間を増やして悪さを繰り返す。陳腐なたとえですが、ガンとはそんな病気だと思います。

 現代のガン治療のスタンダードは、手術・抗ガン剤・放射線の3本柱です。「今はすごく科学が進歩してて、色々な治療法が生まれているからね。絶対よくなるよ」病気になってから何度か聞いた言葉です。iPS細胞を始めとして、確かに科学の進歩は目覚ましく、暴走するガン細胞初期化して元に戻すことができる日が来るかもしれない。保険のきかない先進医療も実際にたくさん行われているし、私自身一回何百万もする治療を勧められたこともあります。

 ただそれらの治療はエビデンスがないと言われるし、何より経済的に継続不可能です。ガンはできた箇所、進行のステージ、年齢などで治療法が異なる、本当にパーソナルなもので、選択肢は限られています。その中で抗ガン剤は、グレまくる子どもたちを叩いて叩いてなんとかおとなしくさせる先生みたいなものです。でも実はこの先生、どの子がグレていてどの子がいい子なのか見分けることができないのです。見境なく攻撃してしまうので、ガン細胞だけでなく正常細胞も相当なダメージを受けることになります。いわゆる抗ガン剤の副作用です。「過酷な治療に心が折れる」と言ったのはこのことです。

 私は今、2週間に一度50時間連続で抗ガン剤の点滴を受けています。そのために胸に円盤状のポートを埋め込みました。そこに画鋲のような針を刺し、直接静脈に薬を流し入れるのですが、その日が来るたびにドMの女王になったような気がします。朝の満員電車で病院に行き、検査・診察を経て、午後から副作用止めの5種類ほどの薬を4時間かけて入れます。それが終わるとバルーンに入った抗ガン剤が取り付けられて、針を刺したまま夜のラッシュに揉まれながら家に帰ります。

 針が取れるのは2日後の夜。その間は寝返りも打てず熟睡はできません。点滴につながれて生活する3日間が辛いのはもちろんですが、その後は激しい疲労と下痢に苦しめられます。自在にコントロールできていた排便が困難になり、何度も繰り返し下痢をするので、お尻はただれいつもズキズキと脈打つように痛みます。当然主治医に訴えるのですが、先生は「そういう副作用があるんですよ」と言って大量の下痢止めと座薬を出してくださるわけです。副作用は他にも様々経験しています。手足がしびれ爪が割れる、口角炎、舌の味蕾がおかしくなって食事がまずくなる。髪の毛がなくなる寂しさも味わっています。「副作用」の一言で片付けられるたびに、「仕方ないでしょ。だってあなたガンなんだから!」と言われているような気持ちになるのです。「抗ガン剤で殺される」と主張する本がバイブルになる一方で、トンデモ本として激しく批判されてもいます。

 胸に針刺して生活するよりも、枇杷葉の上にコンニャクのせてお腹をあっためる方がずっと癒されるのは確かです。でも命を弄ぶような事件が毎日報じられるにつけ、私は最期が来るまで出来るだけのことをして生ききりたい。私のハゲ頭を撫でて「オランウータンの赤ちゃんみたいだね」と笑う能天気な夫(褒めてます)と一日一日を積み重ねて生きたいと思います。(長野淳子)

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 これだけ冷静に、ときにはユーモアさえまじえて自分の近づく死を書けるとは。その覚悟には気負いも斜に構えたところもまったくない。彼女の死の迎え方の見事さに感動した。淳子さん、ありがとうございます。

 昨夜、23時8分、淳子さんは永眠した。私たちがお宅を辞して4時間後。亡くなる前にお別れできたのは幸運だった。

 淳子さんをしっかり支え続け、きのう一日だけで私たちを入れて21人もの人に、淳子さんとのお別れをさせてくれた亮之介さんにも深く感謝したい。

 これが病院であれば、面会謝絶になるところだ。在宅での死のあり方をふくめ、さまざまなことを考えさせられた。

 淳子さんのご冥福を心よりお祈りします。

2018-06-17 恵谷治氏「日本にミサイルは飛んでこない」

f:id:takase22:20180618021728p:image:w260:left 土本典昭監督の没後10年特別企画をポレポレ東中野でやっている。きのう17日上映された代表作『水俣 患者さんとその世界』を観に行く。

 私はこれを高校3年のときに観てショックを受け、社会悪と闘う弁護士になると決意、大学は法学部に進むことを決めた。結局、弁護士にはならなかったものの、人生を変えた映画で、自分の原点を振り返ってみたくなったのだ。

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 半世紀前に観たきりで、どのシーンも新鮮だったのだが、患者たちが東京チッソ本社の株主総会の壇上に押し寄せる場面は感動的だった。薄笑いを浮かべる江頭豊社長に詰め寄り恨みをぶつける母親の姿が圧巻だ。これを暴力というのなら、暴力は肯定されると思う。近年、こういう感情むき出しの抗議はとんと見なくなった。なぜだろうと考えながら観ていた。

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 北朝鮮に関する論評がさまざま出てきて、そもそものところから、かの国についておさらいしたいと思う。米朝会談トランプ大統領金正恩の「国際的正統性を引き上げた」(CNNの表現)こともあり、北朝鮮体制への甘すぎる評価、期待が目につく。

 最も説得力があると私が思うのは、先日亡くなったジャーナリストの恵谷治さんの見立てだ。ちょっと古いが、手元にある2013年発行の本『光射せ!』(第11号)から紹介しよう。

1)核開発の目的

 何のためにこのような核ミサイルを作ろうとしているかといえば、北朝鮮金日成以来まったくその国家目的を変えていません。それは朝鮮半島の赤化統一、南進武力統一です。核ミサイルはそのために作ろうとしていて、それは国民が何百万人死のうとも推進する、これを民主基地論(編注=金日成北朝鮮民主基地とし、のちに全朝鮮を解放するという「民主基地」論を唱えた)からはじめてずっと目指しています。そして、この統一を成就するためには、在韓米軍を無力化する、撤退させる、もしくはアメリカ本土に届くだけのミサイルを開発して、米国世論を反戦世論に変えていく。つまり統一を阻むアメリカ軍事力に対抗できるようにする、これが核開発の目的です。

 他のアメリカとの交渉とか国内の引き締めとか、あるいは結果的に中国から一定の自立を得るとか、それはすべて附属的な結果に過ぎません。ここを見誤るととんでもないことになります。

2)日本と核ミサイル

 日本にとって重要なことは、北朝鮮が今回横須賀という地名を出したことです。これはある意味、横須賀に撃つぞというのは本気なんです。彼らは日本を攻撃する理由はないのに、なぜノドンミサイルを開発したかといえば、在日米軍を攻撃したいからです。

 よく私は日本のマスコミとかで、北朝鮮と日本が戦争になるのではとか、ミサイルが飛んでくるのではないかとか聞かれますが、基本的にはありえません、と言います。現在の六者協議参加国の中で、日本だけが唯一“金づる”なわけです。他の国は北朝鮮への大規模な経済支援などは全く考えていません。しかし日本だけは、仮に拉致問題解決して国交正常化がなされたうえならば、多分国民のほとんどが経済支援に賛成するんじゃないでしょうか。

 これだけひどい関係でも、拉致被害者さえ帰ってくれば、お金を出す姿勢が日本には政府にも国民にもあります。その国と北朝鮮が戦争をするなんてありえない。それが、実は気づかないうちに日本の安全保障になっている。ですから、日本に北のミサイルが降ってくるなどという人の分析は、基本的におかしい。

 ただし、仮に朝鮮半島で南進統一の戦争が起きたときには、横須賀、三沢、岩国などの米軍基地は、確かに攻撃される危険性はある。この意識を日本人はもたなければならないでしょう。

 そして、北朝鮮は絶対に核を放棄しません。南進統一のためには必要不可欠な武器ですから。ですから個人的な見解ですが、もうあの体制は倒す以外に核をなくす手段はない。

3)南北朝鮮の連邦制の危険性

 仮に、南北両国が同数の議員を出して連邦議会を作り、朝鮮半島をめぐるすべての案件をここで話し合って決めましょうといっても、北朝鮮側の議員は全員すべての問題で意見一致ですよ。そして韓国側に一人でも北朝鮮側と同じ意見の議員がいたら多数決ですべて北側の意見が通る。こんな馬鹿馬鹿しいことを、金大中盧武鉉がやろうとしたのです。これならば北朝鮮武力を使わなくても優位に統一できるわけです。

4)韓国のなすべきこと

 日本では、そして韓国でも、今はこういう考えは絶対に認められないかもしれないけれど、戦争はいけない、平和が正しいと言っても、93年、94年の第一朝鮮半島危機のとき、確かに戦争になれば数十万人の人が命を失ったかもしれない、しかし逆に言えば、平和は保たれたかもしれないけれども、その後北朝鮮では独裁政権が続いたせいで、餓死者が300万人出たともいわれるわけです。それを考えたら、韓国よ、もし今行動しなかったら、北朝鮮のあの狂った政権を今倒さなかったら、未来の時代にあなたたちは同胞を見捨て、独裁者にほしいままに殺させた責任を問われるのですよ、と言いたいのです。

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 テレビでコメントする「専門家」とはかなり違う分析なので、驚いた方もいるだろうが、全体主義の本質をついた議論だと思っている。

(つづく)

2018-06-16 こだまでしょうか

 アメリカ米韓軍事演習をやめるというニュースが波紋を呼んでいる。

 米朝首脳会談の直後、トランプ大統領記者会見でこんなことを言っていた。

 「大統領選挙戦でも言ったように、在韓米軍を撤退させたい。米韓軍事演習は非常に金がかかる。やめれば莫大な金額を節約できる。韓国も負担しているが100%ではない。今後の交渉課題だ。グアムから6時間半もかけて爆撃機を飛ばして演習するのは恐ろしく金がかかる。こんなのはやりたくない。」「北朝鮮の非核化のコストは、韓国と日本が出す用意があるはずだ。北朝鮮に近いのだから。」

https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/press-conference-president-trump/

 トランプ氏の「アメリカファースト」というのは、目先の損得勘定中心のきわめて狭い「国益」のとらえ方にもとづくことがよく分かる。もともと、アメリカからはるか離れた朝鮮半島情勢には関心がない。核搭載ミサイルアメリカに飛んでこなければそれでいい。北朝鮮の非核化も、近い国がコストの面倒を見るべきでアメリカは関係ないと言っているのだ。

 日本の進むべき道を、こういう政権に「お任せ」するのが危険であることはいうまでもない。

 先週末、周防大島で知り合いになった人のFBを見ていて笑ってしまった。

「全ての選択肢はテーブルの上」といえば「全ての選択肢はテーブルの上」という

米朝会談の中止」を言えば「米朝会談の中止」という

米朝会談を行う」と言えば「米朝会談を行う」という

「最大限の圧力という言葉は使いたくない」と言えば「最大限の圧力という言葉は使いたくない」という。・・・

こだまでしょうか

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 先週のこと。カナダ先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、日本と米国だけが、深刻化する海のプラスチックごみを減らすための数値目標を盛り込んだ文書署名を拒否した。環境団体からは「恥ずべきことだ」などと批判が相次いでいる。(共同)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3392536.html

 また、こだまが聞こえる。

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(年間700万トンもが投棄されているというプラスチックごみは早急な対策が求められる)

 さて、対北朝鮮では、米朝会談に押される形で、いよいよ日本が独自に対応しなければならないところにきている。拉致被害者家族はじめ期待が高まっている。しかし、

 ラヂオプレスによれば、北朝鮮の国営ラジオ平壌放送は15日夜、日本人拉致問題に触れて、「日本はすでに解決された拉致問題を引き続き持ち出し、自らの利益を得ようと画策した」と伝えた。日本政府の対応について「無謀な北朝鮮強硬政策にしがみついている」とも主張した。》朝日新聞

 今後の具体的な交渉には、根本的な困難がいくつも待ち受けている。

(つづく)

2018-06-15 「土佐源氏」を周防大島で観る

 10日(日)は、かみさんと、周防大島で、俳優、坂本長利さんの一人芝居「土佐源氏」を観て来た。

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 土佐源氏」は民俗学者、故宮本常一が1941年に高知県梼原町で聞き取った、盲目の元馬喰(ばくろう、馬・牛の仲買人)の老人の一代記で、『忘れられた日本人』に収められている。これをもとに坂本さんが独自にオリジナルの一人芝居として完成させた。会場の大島文化センターは満席。1本のロウソクが灯っているだけの舞台で、坂本さんの鬼気迫る熱演に引き込まれた。宮本の故郷の周防大島での公演とあって、坂本さんも特別の思いで演じたようで、上演後はさすがにぐったりしていた。上演後、あるお寺での打上げにもお招きいただき、そのまま翌朝まで坂本さんとご一緒させていただいた。(写真は青柳健二さん撮影)

 今回、いい機会なので、芝居を見るに先立ち、その元馬喰がいた梼原町も回ってきた。行程は、成田空港からLCCで松山へ、ここからレンタカー梼原へ、一泊して松山へ戻り、フェリーで周防大島へ渡った。時々雨にも降られたが、とても印象に残る旅だった。

 かみさんは若いころ、宮本常一設立した「観光文化研究所」(近畿日本ツーリスト資金を出した)が出す雑誌『あるく みる きく』の愛読者となり、さらには研究所の事務局で働くことになった。研究所には、大学の探検部関係や冒険家研究者が出入りしていて、その中にはグレートジャーニーの関野吉晴さん、先日亡くなった恵谷治さんなどもいたという。研究所を母体に、「地平線会議」という冒険・探検をめざす会ができる。私はボルネオ島の熱帯林伐採の取材をきっかけに「会議」に顔を出すようになり、月例報告会で報告したりするうち、かみさんと知り合って結婚することになった。

 そういう因縁もあり、宮本常一ゆかりの土地に二人で旅をすることになったのだった。ちなみに「土佐源氏」公演の10日が結婚記念日だった。

 さて、「土佐源氏」だが、中身は老人の色恋話が中心だ。忘れることのできない女性たちとの逢瀬が性描写を交えて語られる。その赤裸々な告白には、庶民の喜び、哀しみが正直に現れている。宮本の代表作の一つだ。

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 坂本さんがこれを読んだのは、20代半ばで、大きな感動を受けたという。小劇場運動を牽引していた1967年、新宿のストリップ小屋の幕間狂言をやらないかと声をかけられた。色事の話がよいだろうと「土佐源氏」を一人芝居でやってみることに。自らの演出で30分の幕間狂言に仕立て、昼夜3〜4回のステージをつとめた。坂本さん、38歳の時のことである。幕間芝居など客は見向きもしなかったが、踊り子たちがファンになった。次第に評判を呼び、坂本さんの芝居を目当てに来る客も現れた。

 ストリップ小屋の仕事が終わったあと、坂本さんは「土佐源氏」を70分に仕立て直す。あの芝居をもう一度観たいという声にこたえ、あちこちに出かけて演じるようになる。噂が噂を呼んで、別のところからお呼びがかかる。こうして「出前芝居」というスタイルができた。劇場だけでなく、神社個人宅、喫茶店、さらには浜辺や極寒の雪の中で上演したこともある。更にポーランドスウェーデンドイツオランダペルーブラジルデンマーク韓国と海外にも招かれて上演し、大きな反響を呼んだ。

 坂本さんはいま88歳だ。2011年の胃ガン手術後も精力的に「出前芝居」を続けている。

 坂本さんはこう語っている。

 「30歳代には30代の、50歳代には50代の演技があり、80歳になってみれば80歳の演技があるものだ、と思いました。先日上演したときのこと、演技している自分の体に変化がありました。余計な力みがなくなっていたのです。飄々として、かろやかな老人が観客を前に自然体でうごめいていました。年をとってみなければ、わからないことがあるもんだな、と思いました。テクニックやひらめきだけでなく、そして1000回演じてもつかめずにいたことが、体で自覚できたことは、役者としてうれしく楽しいことでした」

 「ひとつの演劇のキャラクターを最も長い期間演じる俳優」として、ギネスブック登録申請中だそうだ。

 1967年の初演から演じ続けて半世紀、この夏、1200回目の公演を迎える。

 坂本さんを見習わなくては。「もう歳だ・・」なんて言っていられないな。

2018-06-12 トランプのドヤ顔とシンガポールの夜景

f:id:takase22:20180613023300j:image:w250:left 米朝首脳会談では、トランプが金正恩を「いいやつだ」と褒めまくり、「非核化するようがんばります」というただの努力目標のような宣言をしたうえで、それがあたかもすごい成果のように演出する・・・こうなるんじゃないかなと思っていた通りの展開だった。トランプのドヤ顔ばかりが印象に残った。政治ショーの演出にしか関心がないようだ。

 トランプは会談後の会見で、金正恩を「才能がある。(権力掌握時)26歳で、タフに運営してきた人物はほとんどいない。1万人に1人だろう」とまで褒め上げた。金正恩がどれほど酷く国内の人民を虐げてきたかをまったく気にしていない。

 トランプは会談拉致問題も提起したなどと言っているが、たぶん「拉致もよろしく」と挨拶程度だろう。安倍首相はいつもトランプを持ち上げるが、トランプという人は支持者の人気取りと短期的な利害、名声を目指して感情的に動く人なので、すぐに掌を返すだろう。

 《非核化を巡る交渉の長期化が予想される中、トランプ氏が難題を先送りし、朝鮮戦争の終戦宣言合意のように「歴史的偉業」として目に見える成果を優先させる可能性が高まる。(略)会談結果は、圧力一辺倒だった日本の対北朝鮮政策を左右する。拉致問題への取り組みも含め、日本の外交は正念場を迎える》東京新聞12日夕刊、城内記者)この辺が妥当な評価ではないか。

 

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 今回の首脳会談で、「おや」と思ったのは北朝鮮メディアの報じ方だった。

 正恩氏ら一行は11日夜、宿泊先のセントレジスホテルを出て、シンガポール外相の案内で2時間、屋上にプールがあることで有名な「マリーナ・ベイ・サンズ」や、植物園「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」などを訪問した。この様子を労働新聞は12日朝、写真14枚つきの1面トップで伝えた。

ウェブサイトに掲載されたのは7時過ぎ。過去に北朝鮮が深夜に行ったミサイル発射を労働新聞が報じるのは24時間以上後だったことを考えると、これまでにない速報ぶりだ。

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 記事の内容も異例だ。正恩氏は今回の観光スポット訪問で「シンガポールの社会・経済的発展について学んだ」といい、(略)正恩氏の発言を「マリーナ・ベイ・サンズの展望台から市内の夜景を楽しみながら、これまで聞いていたように、シンガポールが清潔で美しく、すべての建物がスタイリッシュだと述べた。さらに、今後様々な分野で、シンガポールの立派な知識や経験から多くを学びたい、と述べた」などと伝えた。正恩氏は「今回の視察を通じて、シンガポール経済的潜在性と発展についてよく知ることができた。シンガポールについて良い印象を持つようになった」とも述べたという。北朝鮮メディア資本主義国の経済について肯定的に伝えるのもきわめて珍しい。》

 たしかに、華やかなシンガポールの夜景と停電の多い北朝鮮の都市では大きな差がある。北朝鮮が国民に、資本主義社会の優位を見せることは過去にはなかった。これは全体主義体制の維持にとってどんな意味を持つのか。

 共産圏の崩壊は、ソ連共産党の中枢にゴルバチョフという全く異質なリーダーが出現して自ら共産党を破壊してしまったのがきっかけになった。金正恩北朝鮮ゴルバチョフになるとはにわかに信じられないが、今後の北朝鮮体制の変化を注視したい。

2018-06-06 谷川俊太郎氏が劉霞氏へ連帯の詩

 再発の防止は簡単安倍辞任 (東京都 鈴木了一 朝日川柳より)

 首相が辞任となれば、大変なことだと誰もが分かり、これからは絶対やっちゃいけないな、とみんな気をつけるようになります。

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 関東地方もきょうから梅雨入り。一日雨だった。

 月は水無月、節気は芒種(ぼうしゅ)。芒(のぎ)とは稲などの先にある突起の部分で、芒種とはそうした穀物の種を蒔くころのことだそうだ。麦の刈りいれが終わって田植えをして、梅干しづくりがはじまって、と農家は大忙し。

 きょう6日から初候の「螳螂生」(かまきり、しょうず)、11日からが次候「腐草為蛍」(くされたるくさ、ほたるとなる)、16日からが末候「梅子黄」(うめのみ、きばむ)となる。去年はかみさんが梅シロップを作ったが、今年は梅酒にしてもらおうか。

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 東京新聞の夕刊一面に「軟禁の君に 友情の詩」の大見出し。

 ノーベル平和賞を受賞した中国民主活動家・故劉暁波(りゅうぎょうは)さんの妻で、中国当局に軟禁されている劉霞(りゅうか)さん(57)の詩集に、詩人谷川俊太郎さん(86)が一編の詩で応えた。》という記事だ。

《劉霞さんの詩集「毒薬」は三月、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)(福岡市)から翻訳出版された。中には、軟禁中の悲痛な心境を表現した詩がある。

 <もううんざり 見えるだけで歩けない道/もううんざり 汚れた青空/もううんざり 涙を流すこと>(「無題−谷川俊太郎ならい−」)

末尾には二〇一六年九月の日付。ドイツ在住の作家、廖亦武(りょうえきぶ)さんの元に知人を介して届いたもので、学習ノートを切り取った紙に手書きで記されていた。

 谷川さんの詩「無題」を踏まえて作られた作品だ。谷川さんの詩は中国でも評価が高く、一一年に詩歌の民間最高賞「中坤(ちゅうこん)国際詩歌賞」を受賞している。劉霞さんも作品に親しんでいたとみられる。

 出版元が谷川さんに詩集を贈ると、お礼の言葉と共に「劉霞に」と題する詩がファクスで届いた。

 谷川さんの詩は、劉霞さんの詩を翻訳した在日中国人作家の劉燕子(りゅうえんし)さんが中国語に訳し、自身のフェイスブックで公開しているが、劉霞さんが目にしているかどうかは分からない。

 谷川さんは「(劉霞さんの詩からは)緊張感が伝わってきました。僕も詩を書いたのは、詩人友情から。自分の詩が中国で伝わっていることへの感謝の思いもありました」。劉霞さんのことは報道で知っていたが、軟禁されている苦境は「詩集を読んで具体的に知りました」と語っている。》


 二人を結ぶことになった出版元、侃侃房の田島安江さんがブログ「つれづれkankanbou」でこの事情を語っている。http://kankanbou.hatenablog.com/entry/2018/03/28/180358

 以下はそのブログより引用。

 谷川俊太郎さんに劉暁波詩集『独り大海原に向かって』と劉霞詩集『毒薬』をお送りした。『毒薬』に「無題―谷川俊太郎にならって―」という作品があったからだ。

 そうしたら、思いがけなく、谷川さんから「劉霞に」という素晴らしい詩が届いた。

 この詩集を読んですぐ書いてくださったのだ。

 劉霞さんがこの詩を読まれたら、きっと涙を流して喜ばれるだろう。

 いつか、そんな日が来ることを心から願っている。

 春霞を眺めながら、しみじみと、二人の詩を読んだ。

「無題―谷川俊太郎にならって―」(劉霞)

うんざり

もううんざり 見えるだけで歩けない道

もううんざり 汚れた青空

もううんざり 涙を流すこと

もううんざり いわゆるちり一つない生活

もううんざり 偽りのディスクール

もううんざり 植物が萎むのも

もううんざり 眠れぬ夜も

もううんざり 空っぽのレターボックスも

もううんざり すべての非難

もううんざり 言葉の失われた歳月も

もううんざり 鳥かごも

もううんざり 私の愛も

もううんざり 身についた「緋文字」も もう

もううんざり

            (2016年9月)

「劉霞に」(谷川俊太郎

言葉で慰めることも

励ますこともできないから

私は君を音楽でくるんでやりたい

どこからか飛んで来た小鳥の君は

大笑いしながら怒りを囀り

大泣きしながら世界に酔って

自分にひそむ美辞麗句を嘲笑い

見も知らぬ私の「無題」に

君の「無題」で返信してくれた

そうさ詩には題名なんてなくていい

生きることがいつもどこでも詩の題名

一度も行ったことのないところ

これからも行くことはないところ

国でもなければ社会でもない

そんな何処かがいつまでも懐かしい

茶碗や箸や布団や下着

言い訳やら噓やら決まり文句

そんなものにも詩は泡立っている

君のまだ死なない場所と

私のまだ死んでいない場所は

沈黙の音楽に満ちて

同じ一つの宇宙の中にある

              (2018年3月)

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 われわれはみな、「同じ一つの宇宙の中にある」ことを気づかされ、連帯の気持ちがわいてくる。

 ところで、この侃侃房(かんかんぼう)という福岡の書店、おもしろそうだ。同じ福岡には渡辺京二の本を出している葦書房があり、山口県周防大島には宮本常一の本を手掛けるみずのわ出版がある。地方のユニークながんばっている出版社を応援したい。

2018-06-05 組織的じゃないのに処分20人

f:id:takase22:20180603143406j:image:w280:right 週末、武蔵国分寺公園で「てのわ市」が開催された。青空に恵まれ、子どもを連れた家族が草の上に寝転んだり、思い思いに和やかな時間を楽しんでいた。行政主導でやるマルシェもあるのだが、これは民間主導で今年はじめて開かれたもの。全然雰囲気が違う。来年もぜひやってほしい。

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組織的じゃないのに処分20人 (長崎県 張本雅文;朝日川柳5日より)

 森友文書改ざんで20人も処分しといて、「組織的ではない」(麻生財務相)というのだから、常識が通じない。

 首相答弁契機に改ざん 森友文書財務省報告」(4日、中日新聞

 財務省政権との関係でデメリット」 共産党文書公表」(5日、朝日新聞

 次々に出て来る事実は、誰もが想像していたシナリオ、つまり安倍夫妻が「起点」で森友の事態が動いていったことを裏付けている。それでも蛙のツラになんとかで、内閣が責任をとろうとしない。

 森友文書改ざんの原因を問われると「それが分かりゃ苦労せんのですよ」麻生財務相)。いやはや。

 東京新聞・望月記者「300ヶ所の改ざんが罪に問われないとなると、あらゆる公文書で偽造や変造が起こり、国民が検証できなくなる。今回の様な事案が罪に問える様な公文書管理法が必要だという認識は?」

 官房長官「いずれにしろ、検察の判断」

 もう、常識が通じないだけでなく、日本語が通じない状況である。こうなると野党側ももっと「毒」をもった言動で追及してもよいのでは。

 山本太郎議員総理、『責任を感じる、丁寧に説明する、膿を出しきる』と言葉だけ踊らせて貴方は何にもやってない。更に文書が出てきた。谷さんが女帝、昭惠様に粉骨砕身つくしてる事が解る文書。昭惠様の命を受け、昭惠様のお友達の為に財務省に問い合わせた」

https://twitter.com/umekichkun/status/1003275677070602240

 よくまあ、「女帝、昭恵」「昭惠様」と言ったものだ。私はこのブログで以前、山本太郎議員批判したが、見直した。このくらいの激しさがないと。

 山本氏については、もう一つエピソードがある、私も参加した上野公園の集会「主権者が政治を変える!さくら祭り」(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180405)で、市民団体が昭恵氏を刑事告発する準備をしていたのだが、それを山本太郎議員がわざわざ集会にまで来てやめさせた。

 「(刑事告発して昭恵夫人に)逃げ道を与えてしまったら、最悪のパターン。市民がもっと賢くならなければならない」。山本議員はステージから呼びかけたのだ。というのは、刑事告発すれば、昭恵夫人側は証人喚問を拒否する口実に刑事告発を持ち出してくる。かりに証人喚問に応じたとしても、刑事告発を理由に証言拒否で押し通すことは想像に難くない。山本議員がそれをやめさせようと市民団体を説得したのだった。

 今後の展開を見据えて、市民団体にきちんと説得する行動力を見て、彼に対する以前の評価を変えたのだった。今後もいてほしい議員である。

2018-06-03 五感をフル出動させた人間関係

 この週末、多摩地区古墳をいくつか自転車で巡ってきた。古墳といえば西日本が本場だが、実は多摩川に沿っても古墳が多く、東西にベルト状に密集している。4世紀末には下流域の大田区世田谷区前方後円墳や円墳が造られ、5世紀末から6世紀になるとより上流の府中市周辺にも小さな円墳が造られてくる。浸食作用でできた崖線(ハケと呼ばれる)には湧水もあって暮らしやすかっただろうと想像する。

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 立派に復元された「武蔵府中熊野神社古墳」。7世紀中頃で、この地域では末期のもの。珍しい上円下方墳(上が丸くて下は四角)。そばに展示館や石室の模型もあって勉強になる。

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 「高倉塚古墳」。住宅に取り囲まれて中庭みたいだ。6世紀前半のものと推定されている。

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 「御嶽塚古墳」の頂上。ここは西府(にしふ)駅前の公園の遊び場になっている。子どもが走り回っていて心和む古墳だ。

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 石塚古墳」。地下レーダー調査で1993年古墳と確認されたという。住宅や道路でだいぶ面積が削り取られ、かろうじて古墳と分かる。

 ほとんどの古墳は、その上に建物が建ったり、畑になったりしていて、見た目に古墳と分かるのはごく少数。それでも3時間ほどで9つをめぐった。1500年前の人びとが何を考えて暮らしていたのかを想像しながら、いい時間を過ごした。

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 孤食」の話のつづき。

 山極寿一さんによると―人間は類人猿の対面コミュニケーション継承しながら、相手と対面し見つめ合って「共感力」を高め、安心を得てきた。人間だけ白目があるのは、視線のわずかな動きをとらえ、相手の気持ちをよりつかめるように進化した結果だ。脳の大きさは組織する集団の人数に比例し、集団の構成人数が多いほど高まる社会的複雑性に脳が対応した。現代人と同じ脳の大きさになったのが60万年前。言葉を得たのは7万年前だから、言葉なしでも信頼関係を構築できたのだった。

 現代はどうなっているかについて、山極さんはこうも言っている。

 《直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティを生み出しました。人間の歴史の中にない集団のつくり方です。嗜好や時間に応じ、出入り自由なサイバー空間で「いいね!」と言い合い、安心しあう。現実世界であまりにもコミュニティと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかもしれません。でも、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。

 クリスマスを一人で過ごす若者の中に「一生懸命働いた自分へのご褒美」に、自分に高級レストランを予約する人もいると聞いて考え込んでしまいます。人間は他人から規定される存在です。褒められることで安心するのであって、自分で自分を褒めるという精神構造をずっと持たなかった。それがいま、少なからぬ人々の共感を呼んでいる。やはり人間関係が基礎部分から崩れていると感じます。

 土地とも人とも切り離され、社会の中で個人孤立している時代です。人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学が必要とされているのでしょう。》

 《人々が信頼をつむぎ、安心を得るために必要なことはただ一つ。ともに時間を過ごすことです。その時間は「目的的」であってはなりません。

 目的的とは「価値を得られるように過ごす」こと。いまは短時間でより多く価値を増やすことが求められますが、安心を得るのに必要なのは、見返りを求めず、ただともに過ごすこと。互いに相手に時間を捧げる。赤ちゃんに対するお母さんの時間がよい例です。》

 グローバル化で社会が均一化すると、逆に人々の価値観は多様化する方向に向かいます。個人が複数の価値観を備え、自分が属する複数の集団でそれぞれのアイデンティティーを持つようになります。そうした時代には、五感をフル出動させた人間関係のつくり方がさらに重要になるでしょう。》朝日新聞2017年1月1日「私たちはどこにいるのか」より)

 五感をフル出動させた人間関係とは?これから考えてみたいテーマである。

2018-06-01 言葉より古い「目」によるコミュニケーション

f:id:takase22:20180601105847j:image:w280:left 雨が続いていたが、きょうは青空が見えた。用事があって武蔵境駅前の「武蔵野プレイス」へ。ここはゆったりとしたスペースが好評の市立図書館やレストラン、市民活動のための施設などがあって居心地がいい。お茶を飲みながら本が読めるし、卓球台やボルダリングの壁など中高生などが放課後遊べる場所もある。この施設があるからと、武蔵野市に引っ越す若者がいると聞いたことがある。建物の前には広場とたくさんの椅子があり、お年寄りがのんびりとくつろいでいた。

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 6月、水無月に入った。山形では田植えがそろそろ終わるころだろうか。水無月と書くが、無(な)はいまの助詞の「の」にあたり、「水の月」という意味だという。陰暦6月は、田んぼに水を引く時期だった。

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 このごろ、得体のしれない文明のなかにいる感じがする。とことん効率をめざして走らされ、あげくAIとやらが人間にとってかわる時代に突入するらしい。隣にどんな人が住んでいるかも知らず、どこで誰が作ったかわからないものを食べ、誰とも話をせずに一日を終える。これでいいのか。

時代は過ぎて、さまざまな文明を通過しても、人間は動物としての「ヒト」から離れるわけにはいかない。そんなことを最近しきりに思う。

 ゴリラ研究の山極寿一さん(京大総長)によると、類人猿とヒトの脳のサイズの比較から、ヒトには集団規模とコミュニケーションの関係が決まっているという。

10人~15人  共鳴集団:スポーツの1チームの人数。言葉は要らずに身体の同調で動ける。

30人~50人 一致して動ける集団:顔と性格を熟知。1学級、軍隊では中隊の規模。誰かがいないとすぐわかる。一人の統率で一致して動ける。

100人~150人 信頼できる仲間:顔と名前が一致。狩猟採集民の1集落の人数。年賀状を書くとき思い浮かべられる関係。

 これは1月24日にあった山極さんとグレートジャーニーの関野吉晴さんの対談で聞いた話。これに関野さんが反応して、南米先住民ヤノマミの集落もだいたい100人から150人で、これより大きくなると集団に緊張関係が出てきて、200人を超えると敵対関係が爆発して二つに分かれると言う。

 山極さんによると、ヒトは言語の前に目でコミュニケーションをとっているという。ヒトにはゴリラやチンパンジーにない特徴として「白眼」があり、これが自分以外の人の「気持ち」を知る能力につながっている。人間にとって言葉以前の古い能力である。

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 言われてみると、犬や猫にも、チンパンジーにも白眼はない。白眼は偉大だな。

 それにしても、本来的なヒトとしてのコミュニケーション能力を、われわれ現代人はきちんと発揮しながら暮らしているのだろうか。一人で飯を食うほうが効率的だなどとしながら、退化させているのではないだろうか。

(つづく)