高世仁の「諸悪莫作」日記

2018-06-06 谷川俊太郎氏が劉霞氏へ連帯の詩

 再発の防止は簡単安倍辞任 (東京都 鈴木了一 朝日川柳より)

 首相が辞任となれば、大変なことだと誰もが分かり、これからは絶対やっちゃいけないな、とみんな気をつけるようになります。

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 関東地方もきょうから梅雨入り。一日雨だった。

 月は水無月、節気は芒種(ぼうしゅ)。芒(のぎ)とは稲などの先にある突起の部分で、芒種とはそうした穀物の種を蒔くころのことだそうだ。麦の刈りいれが終わって田植えをして、梅干しづくりがはじまって、と農家は大忙し。

 きょう6日から初候の「螳螂生」(かまきり、しょうず)、11日からが次候「腐草為蛍」(くされたるくさ、ほたるとなる)、16日からが末候「梅子黄」(うめのみ、きばむ)となる。去年はかみさんが梅シロップを作ったが、今年は梅酒にしてもらおうか。

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 東京新聞の夕刊一面に「軟禁の君に 友情の詩」の大見出し。

 ノーベル平和賞を受賞した中国民主活動家・故劉暁波(りゅうぎょうは)さんの妻で、中国当局に軟禁されている劉霞(りゅうか)さん(57)の詩集に、詩人谷川俊太郎さん(86)が一編の詩で応えた。》という記事だ。

《劉霞さんの詩集「毒薬」は三月、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)(福岡市)から翻訳出版された。中には、軟禁中の悲痛な心境を表現した詩がある。

 <もううんざり 見えるだけで歩けない道/もううんざり 汚れた青空/もううんざり 涙を流すこと>(「無題−谷川俊太郎ならい−」)

末尾には二〇一六年九月の日付。ドイツ在住の作家、廖亦武(りょうえきぶ)さんの元に知人を介して届いたもので、学習ノートを切り取った紙に手書きで記されていた。

 谷川さんの詩「無題」を踏まえて作られた作品だ。谷川さんの詩は中国でも評価が高く、一一年に詩歌の民間最高賞「中坤(ちゅうこん)国際詩歌賞」を受賞している。劉霞さんも作品に親しんでいたとみられる。

 出版元が谷川さんに詩集を贈ると、お礼の言葉と共に「劉霞に」と題する詩がファクスで届いた。

 谷川さんの詩は、劉霞さんの詩を翻訳した在日中国人作家の劉燕子(りゅうえんし)さんが中国語に訳し、自身のフェイスブックで公開しているが、劉霞さんが目にしているかどうかは分からない。

 谷川さんは「(劉霞さんの詩からは)緊張感が伝わってきました。僕も詩を書いたのは、詩人友情から。自分の詩が中国で伝わっていることへの感謝の思いもありました」。劉霞さんのことは報道で知っていたが、軟禁されている苦境は「詩集を読んで具体的に知りました」と語っている。》


 二人を結ぶことになった出版元、侃侃房の田島安江さんがブログ「つれづれkankanbou」でこの事情を語っている。http://kankanbou.hatenablog.com/entry/2018/03/28/180358

 以下はそのブログより引用。

 谷川俊太郎さんに劉暁波詩集『独り大海原に向かって』と劉霞詩集『毒薬』をお送りした。『毒薬』に「無題―谷川俊太郎にならって―」という作品があったからだ。

 そうしたら、思いがけなく、谷川さんから「劉霞に」という素晴らしい詩が届いた。

 この詩集を読んですぐ書いてくださったのだ。

 劉霞さんがこの詩を読まれたら、きっと涙を流して喜ばれるだろう。

 いつか、そんな日が来ることを心から願っている。

 春霞を眺めながら、しみじみと、二人の詩を読んだ。

「無題―谷川俊太郎にならって―」(劉霞)

うんざり

もううんざり 見えるだけで歩けない道

もううんざり 汚れた青空

もううんざり 涙を流すこと

もううんざり いわゆるちり一つない生活

もううんざり 偽りのディスクール

もううんざり 植物が萎むのも

もううんざり 眠れぬ夜も

もううんざり 空っぽのレターボックスも

もううんざり すべての非難

もううんざり 言葉の失われた歳月も

もううんざり 鳥かごも

もううんざり 私の愛も

もううんざり 身についた「緋文字」も もう

もううんざり

            (2016年9月)

「劉霞に」(谷川俊太郎

言葉で慰めることも

励ますこともできないから

私は君を音楽でくるんでやりたい

どこからか飛んで来た小鳥の君は

大笑いしながら怒りを囀り

大泣きしながら世界に酔って

自分にひそむ美辞麗句を嘲笑い

見も知らぬ私の「無題」に

君の「無題」で返信してくれた

そうさ詩には題名なんてなくていい

生きることがいつもどこでも詩の題名

一度も行ったことのないところ

これからも行くことはないところ

国でもなければ社会でもない

そんな何処かがいつまでも懐かしい

茶碗や箸や布団や下着

言い訳やら噓やら決まり文句

そんなものにも詩は泡立っている

君のまだ死なない場所と

私のまだ死んでいない場所は

沈黙の音楽に満ちて

同じ一つの宇宙の中にある

              (2018年3月)

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 われわれはみな、「同じ一つの宇宙の中にある」ことを気づかされ、連帯の気持ちがわいてくる。

 ところで、この侃侃房(かんかんぼう)という福岡の書店、おもしろそうだ。同じ福岡には渡辺京二の本を出している葦書房があり、山口県周防大島には宮本常一の本を手掛けるみずのわ出版がある。地方のユニークながんばっている出版社を応援したい。

2018-06-05 組織的じゃないのに処分20人

f:id:takase22:20180603143406j:image:w280:right 週末、武蔵国分寺公園で「てのわ市」が開催された。青空に恵まれ、子どもを連れた家族が草の上に寝転んだり、思い思いに和やかな時間を楽しんでいた。行政主導でやるマルシェもあるのだが、これは民間主導で今年はじめて開かれたもの。全然雰囲気が違う。来年もぜひやってほしい。

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組織的じゃないのに処分20人 (長崎県 張本雅文;朝日川柳5日より)

 森友文書改ざんで20人も処分しといて、「組織的ではない」(麻生財務相)というのだから、常識が通じない。

 首相答弁契機に改ざん 森友文書財務省報告」(4日、中日新聞

 財務省政権との関係でデメリット」 共産党文書公表」(5日、朝日新聞

 次々に出て来る事実は、誰もが想像していたシナリオ、つまり安倍夫妻が「起点」で森友の事態が動いていったことを裏付けている。それでも蛙のツラになんとかで、内閣が責任をとろうとしない。

 森友文書改ざんの原因を問われると「それが分かりゃ苦労せんのですよ」麻生財務相)。いやはや。

 東京新聞・望月記者「300ヶ所の改ざんが罪に問われないとなると、あらゆる公文書で偽造や変造が起こり、国民が検証できなくなる。今回の様な事案が罪に問える様な公文書管理法が必要だという認識は?」

 官房長官「いずれにしろ、検察の判断」

 もう、常識が通じないだけでなく、日本語が通じない状況である。こうなると野党側ももっと「毒」をもった言動で追及してもよいのでは。

 山本太郎議員総理、『責任を感じる、丁寧に説明する、膿を出しきる』と言葉だけ踊らせて貴方は何にもやってない。更に文書が出てきた。谷さんが女帝、昭惠様に粉骨砕身つくしてる事が解る文書。昭惠様の命を受け、昭惠様のお友達の為に財務省に問い合わせた」

https://twitter.com/umekichkun/status/1003275677070602240

 よくまあ、「女帝、昭恵」「昭惠様」と言ったものだ。私はこのブログで以前、山本太郎議員批判したが、見直した。このくらいの激しさがないと。

 山本氏については、もう一つエピソードがある、私も参加した上野公園の集会「主権者が政治を変える!さくら祭り」(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180405)で、市民団体が昭恵氏を刑事告発する準備をしていたのだが、それを山本太郎議員がわざわざ集会にまで来てやめさせた。

 「(刑事告発して昭恵夫人に)逃げ道を与えてしまったら、最悪のパターン。市民がもっと賢くならなければならない」。山本議員はステージから呼びかけたのだ。というのは、刑事告発すれば、昭恵夫人側は証人喚問を拒否する口実に刑事告発を持ち出してくる。かりに証人喚問に応じたとしても、刑事告発を理由に証言拒否で押し通すことは想像に難くない。山本議員がそれをやめさせようと市民団体を説得したのだった。

 今後の展開を見据えて、市民団体にきちんと説得する行動力を見て、彼に対する以前の評価を変えたのだった。今後もいてほしい議員である。

2018-05-20 ガザの絶望3

 先週のNNNドキュメントは55分の拡大版で「南京事件?」を放送。見ごたえがあった。

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 《かつて日本が行った日中戦争太平洋戦争。残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。》http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-93.html

 2015年10月の「南京事件 兵士たちの遺言」はこのブログでも書いたがhttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20151019今回はその続編。清水潔さん、執念の取材である。南京事件はなかったとする本や雑誌記事がたくさん出回っているが、それらをほぼ最終的に論破することに成功していると思う。

 終戦の日陸軍参謀本部で煙が上がっていた。戦犯追及を逃れるための文書の焼却命令によるものだった。96年、燃え残った紙が発見され、その中には「南京ヲ攻略スヘシ」と書かれたものが・・・そこから検証に入っていくオープニングがいい。

 都合の悪い公文書を無きものにしようという仕業。視聴者は、今の日本の政治と重ね合せて観たのではないだろうか。きょう20日日テレBSCS日テレNEWS24」で再放送されるほか、Youtubeなどでも見られるのでぜひご覧ください。

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 『ガザの空の下』続き

 この本で印象に残った子ども二人を紹介しよう。

 《12歳の少年アハマッドは、私に一枚のポスターを持って近づいてきた。聞くとそのポスターに写るのは、イスラエル軍検問所に自爆攻撃を仕掛けようとして見つかり、射殺された叔父だという。彼は、「早く大人になって叔父のような殉教者になりたい」と話した。

 その後ガザから入植地は撤収し、今では入植者もイスラエル軍もいない。自分たちを苦しめ続ける「敵」は、今では目の前に姿を見せることもほとんどない。「僕は必ず成功してみせる」と、決意に満ちた暗い目で私のカメラを見据えた少年は、どんな青年になったのだろう。》(P59)

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(『ガザの空の下』P267)

 イスラエル軍が「緩衝地帯」を広げるとして民家を砲撃ブルドーザーで大量に破壊したあとの、大震災のあとより酷い瓦礫の原になったラファを訪れた2005年冬。

 《話の途中、ほんの軽い気持ちで私はファティマにつまらない質問をした。

 「大きくなったら何になりたいの?」

 しかし、返ってきた答えは思いがけないものだった。

 「朝、目が覚めて自分が生きていると分かったらその日何をしようかと考えるけど、いつ死ぬかもしれないから先のことは分からないな」

 答えの重さに驚いていると、彼女はさらに続けて言った。

 「将来のことは、大人になるまで生きていたら考えるよ」

 わずか十歳の少女があまりにも淡々と語った「死」に、私は何も言葉を返すことができなかった。》(P92)

 このファティマのエピソードが「天声人語」に紹介されていたが、暗澹たる気持ちにさせられる。

 北朝鮮収容所をのぞけば世界でもっとも閉塞感のある場所ではないかと思われるガザの現状は、子どもの心にも深い影を投げかけていた。

(つづく)

2018-04-17 「なっちゃん」「さっちゃん」の感動トーク

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 フォトジャーナリストの安田奈津紀さんの写真展「The Voice of Life 死と、生と」を観にオリンパスギャラリー東京に出かけた。きょうは、タレントのサヘル・ローズさんをゲストにギャラリートークがあった。

 会場には安田さんのいくつものフィールドから、死と生にまつわる写真が展示され、見ごたえがあった。安田奈津紀といえば、日曜朝のTBSの情報番組「サンデーモーニング」のコメンテーターとして知られている、若手フォトジャーナリストの代表格だ。早くから海外での取材が注目され、2012年に25歳の若さで「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で名取洋之助写真賞を受賞している。世界各地の紛争地や3.11の被災地のほか、末期がんの人の死のドキュメントなど多くのフィールドで活躍する、すごい人である。

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 これはイラクで「イスラム国」が絶滅をはかったヤジディ教徒の避難民の子どもたち。どんなに厳しい環境でも子どもの笑顔で風景もぱあっと明るくなる。

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 東京のある夫婦が死別する瞬間。二人は初めて会ったときの服を着て最期を迎えたという。後日、写真展に二人の最後の日々を展示したさい、夫がやってきて「ぼくは写真を観に来たのではなく、彼女に会いにきたんです」と言ったそうだ。写真の力、存在意義を考えさせるエピソードだ。

 ギャラリートークは大盛況で、会場からあふれた人たちにパブリックビューイングスペースも用意された。

 安田さんとサヘルさんはほぼ同年、たがいに「なっちゃん」「さっちゃん」と呼び合う親友だ。安田さんの話はいつもながら聞かせたが、サヘルさんがまたすばらしかった。

 私は9年前からサヘルさんのファンで、このブログで何度も紹介してきたが、きょうのような彼女のトークをじっくり聴くのは初めてだ。

 イラン・イラク戦争によって3歳で孤児になったサヘルさんがいかに苛酷な運命をたどったかは、私の過去のブログに書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090609

 8歳で養母と日本へ。ホームレス生活も経験し、中学ではひどいいじめにもあって中3で自殺しようと思った。ところが、養母をハグした瞬間、自分のために苦労して衰えた体を感じ、「この母のために生きよう」という思いがこみあげた。誰かのために生きるという思いからエネルギーがわいてくる。自分は演劇やエンターテインメントなど表現する仕事をしているが、母からも「誰のために表現の仕事をするのかの原点」を忘れるなと言われている。

 親戚のいない私には養母しかいない。養母が死んだら自分は「ゼロ」になるのだろうか。いや、私は次の世代に思いをはせたい。日本には4万6千人の家族のない子どもたちが「施設」にいる。私の「夢」は、「サヘルの家」をつくること。それは「施設」ではなくて「家」。「生まれてきてよかった」と思う子どもを一人でも増やしたい。

 サヘルさんが、「日本の報道にシリア問題の少ないことに驚きます」と話題をシリア問題に振って、「私たちにいったい何ができるのか」も語られた。

 安田さんはあるイラク人の言葉に勇気づけられたという。人間というのは戦争をやめない、そんなもんだよ、となげてはいけない。「あきらめる心」が戦争を続けさせる。人の手で起こされたものなら、人の手でとめられるはずだ。

 サヘルさん。今、私たちに何ができるか。一人ひとりが考えを発言し、アクションを起こしていく、発信していくことが大事だと思う。君は音楽だけ、君はタレントだけやっていればいい、というのではなく、一人の人間として(政治もふくめ)自由に発言していきたい。

 すると安田さんが、日曜のテレビ番組のスタジオでコメントしているが、写真家がどうしてあんなことを言うのかと言われる、でも、(自主規制せずに)自由に言葉を発する空間を作っていかなくては、とフォローする。

 サヘルさんが子どものころのつらい体験を語って涙を流すと、安田さんがすっと手を伸ばしてサヘルさんの手を握る。ときどき互いにちゃちゃを入れて、会場をわかせる。仲良し同士の、ぴったり息の合う、笑いあり涙ありの内容が濃いトークになった。

 サヘルさんは会場に向かってこう言った。ここ東京はほんとうに平和ですよ。みなさんには明日という日があるでしょう。食べるものも、服も靴もあるでしょう。でも、この生活ってあたりまえじゃないんです。地球の裏側ではそうなっていない。日本がどれほど平和なのか、子どもたちに知ってもらいたい。

 

 実際の二人の言葉は、私の紹介よりはるかに豊かな表現であったことをおことわりしておきたい。たった1時間のトークだったが、聞き終わって心に栄養をもらった気分になった。

 安田さん31歳、サヘルさん32歳。若くしてすばらしい信念と才能をもつ二人のこれからが楽しみだ。元気で活躍してほしい。

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 一方、夜のニュースをみると、日本の政治家どものていたらくにあきれる。

 財務省の福田淳一事務次官によるセクハラ疑惑に対する麻生太郎財務相の反応。連日の「自爆」ともいえるコメントと物言いは、まさにミゾウユウ。まさか、安倍政権をつぶすためにわざとやっているんじゃないよね・・・

2018-03-24 ‘染井吉野’とは

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 もう春分。昼と夜の長さが同じくなり、本格的な春の到来だ。初候(21日から)「雀始巣」(すずめ、はじめてすくう)、次候(26日から)「桜始開」(さくら、はじめてひらく)、末候{31日から}「雷乃発声」(なみなり、すなわちこえをはっす)。

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 桜ははやくも満開だ。午後、上野駅から日暮里駅まで行く途中、上野公園を通ったら、お花見ですごい人出。ビニールシートをしいての花見風景を久しぶりに見た。

 気象庁はきょう、東京の桜が平年より10日も早い満開となったと発表。これは観測史上3番目の早さだそうだ。

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(谷中墓地の桜も満開)

 開花日(花が5,6輪開いた状態)、満開日(80%以上の蕾が開いた状態)は定められた標本木(東京では靖国神社の1本)を観測して宣言されるが、この標本木は‘染井吉野’と決まっている。きょうは、全国の植樹された桜の8割を占めるといわれる‘染井吉野’について、去年、桜について調べて知ったうんちくを書いてみたい。誤解している人もけっこういると思うので。

 日本にはヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラなど生物学的には10種のサクラがある。これとは別に、人が作り上げた栽培品種というものがあり、園芸文化が盛んになった江戸末期には数百にもおよんだという。その一つが‘染井吉野’だ。エドヒガンとオオシマザクラを交配させて江戸末期に江戸の染井村の植木屋が売りだしたとされている。

 ここからちょっとめんどうな話になる。エドヒガンとオオシマザクラを交配させたものはみな「種間雑種」としてのソメイヨシノとなるのだが、栽培品種としての‘染井吉野’はその種間雑種のうちの一つの個体なのである。(カタカナと漢字表記で区別する)

 例えば、シェパードと秋田犬を交配させると、様ざまな形態と性格の子犬が産まれるが、そのうちとくに「優れた」、ある子犬「ポチ」が産まれたとする。動物ではクローンは作れないが、桜は接ぎ木という方法でクローンを増やすことができる。この「ポチ」が‘染井吉野’なのである。日本全国に咲き誇る‘染井吉野’はすべて、江戸末に開発された1本の個体から広まったクローンというわけだ。さくら前線などの開花情報は、このクローン桜をもとに発表されている。

 サクラ類は、自家不和合性という性質があり、自分と同じ遺伝子を持つ花粉は雌しべに受粉できない。だから、一カ所に‘染井吉野’がいくらたくさんあっても‘染井吉野’同士で受粉・結実することはない。つまり‘染井吉野’に種子から発芽する実生(みしょう)はない。もっとも、ミツバチが例えばヤマザクラの花粉を運んできて実がつくことはあるだろうが、その種子から育つのはもはや‘染井吉野’ではない。

 ‘染井吉野’が全国の桜の名所を席巻し、日本を代表する桜になったのはなぜか。

 まず、成長が早く若木から花をつけること、花弁が大きく花付きが良いことが評価された。‘染井吉野’が登場するまでは、ヤマザクラが桜の代表だったというが、これは花が咲くときに若葉も広がる。対して‘染井吉野’は花が咲くときにはまだ葉が広がらず、花だけが目立つ。また、クローンなので、同じ環境のもとではいっせいに咲いていっせいに散る。花見の対象として理想的だった。

 ‘染井吉野’というネーミングも普及を後押ししたらしい。桜の名所「吉野」を連想させるうえ、東京生まれの桜ということで、明治の中央集権体制の確立期に「国策」のような形で全国に植えられていった。結果、日本の桜といえば‘染井吉野’となり、ワシントンDCのポトマック河畔に贈られたのも’だった。

 ‘染井吉野’は枝が横に大きく広がるので広い空間が必要になる。学校や神社、公道など公の場所に相応しい樹木でもあった。(東京に対抗意識をもつ京都などでは比較的‘染井吉野’が少ないらしい。京都御所、京都御苑には現在もほとんど‘染井吉野’が植えられていないそうだ。)

 華やかに咲いてパッと散るイメージは「同期の桜」などとして、戦争における兵士の身の処し方とされたし、戦後は復興のシンボルとして各地に大量に植えられたりもした。‘染井吉野’は日本の近代史とともに歩んできたのである。

(参考:勝木俊雄『桜』岩波新書)

 いま、各地で‘染井吉野’が老木となり、ケアや植え替えなどの問題が出てきている。以前、このブログで書いたが、私の家に近い、東京・国立市の駅前、大学通りの桜並木は、昭和8年(1933年)の今上天皇生誕の翌年に植えられ、樹齢は80年超。国立が誇る桜守、大谷和彦さんが中心になってケアをしている。すでに十数本は、小学校や高校の児童、生徒が植え替えた。桜の種類はさまざまだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20171126

 近年は、「多様性」ブームもあって、‘染井吉野’偏重への批判があり、複数樹種を植え替える傾向にあるようだ。‘染井吉野’独占の時代は少しづつ変わろうとしている。