高世仁の「諸悪莫作」日記

2016-06-13 横田家の家族写真公開の背景(3)

f:id:takase22:20160613200427j:image:medium:right きょうは、日本人女性初のマッシャー、本多有香さんの植村直己賞受賞を祝ってビールを飲む会があり、さんざん飲んできた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20160301

 本多有香さんは、以前から「タダモノではない」と目をつけてきたが、はやり本物だった。私がテレビ番組に一度もできていないのが残念。そのすごさについてはいずれまた書く。

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さあ、みんなで舛添叩きをしましょう・・そんな号令がかかったかのような一斉のバッシング。きょうは都議会からなんとテレビ生中継。全党派が舛添叩きを競う。

 私は舛添さんとは縁があって、インドネシア取材で数日間をともにすごしたり、バンコクで何度かメシを一緒にしたり、アウンサンスーチーの単独インタビューをセッティングしたこともある。

 彼の尻拭いをさせられたこともあり(あとでスーチーさんから「なんて無礼な男なの!」と怒られてえらい目にあった)、いかにトンデモナイ人であるかは身を持って体験している。早く辞めろ!と私も言いたい。しかし、ここまでメディアがバッシングに集中すると、ちょっと待てよと言いたくなる。

大臣のように上手(うま)くは庇(かば)えない  (岐阜県 奥田進)

マスゾエで招致の疑惑忘れてる  (広島県 雨田くらら)

(11日の朝日川柳

 たしかに・・・。

 甘利さんの件はどうなった?それから五輪賄賂問題は?

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 さて、きのうの続き。

 有田芳生さんは、そもそも拉致問題そして横田さんご夫妻とどのようなかかわりをもってきたのか。意外に知られていないようなので、ここに紹介してみたい。

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【ひ孫のJちゃんを抱く早紀江さんとそれを見る滋さん】

 有田さんは議員になる前から拉致問題には非常に熱心に取り組んできた。

 2002年秋、小泉訪朝の後、5人の拉致被害者帰国した。それでも、北朝鮮による日本人拉致がまだまだ国際的に知られていない。それを憂えた有田さんは「アメリカ人に拉致問題を啓蒙しよう」と私を誘った。私も国際世論を盛り上げるのは必須と考えたので、ぜひ一緒にやりたいと賛同した。

 有田さんは、湯川れい子さん、勝谷誠彦さんなどに声をかけ、一緒に「意見広告7人の会」を立ち上げた。「右」も「左」もいる面白い顔触れで「会」は活動をはじめた。http://www.jinken.asia/

 どうせやるなら、あの「ニューヨークタイムズ」に全面広告を載せよう。

 そう決めてネットで募金を呼びかけると驚くほどの勢いでお金が集まり、クリスマス直前の12月23日付「ニューヨークタイムズ」に  “This is a Fact”(これは真実です)と題する全面広告を載せることができた。

 750万円もの余剰金が出たので、全額を「家族会」に寄付した。当時「家族会」会長をしていた横田滋さんに余剰金を渡したのが「7人の会」のリーダーだった有田さんだ。

 2009年にはもう一度「会」の動きを作り、1950万円を集めて、「ニューヨークタイムズ」だけでなく仏「ルモンド」、韓国三大紙(「朝鮮日報」「東亜日報」「中央日報」)に全面広告を載せている。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090225

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20091202

 翌2010年、有田さんは、参議院比例区民主党から立候補し、37万票余りを得てトップ当選を果たした。(ちなみに2位は谷亮子35万票余り)

 公約に「拉致問題解決」を掲げただけあって、その活躍はめざましく、国会での質問回数はダントツ。一方、拉致解決を訴えて自ら街頭署名に立ったり、日本各地の支援団体の集会など市民レベルでの運動にも足を運んだ。横田夫妻と一緒に講演することも多かった。

 有田さんと私が講師になってご夫妻と一緒に壇上にならぶこともあった。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20101114

 有田さんは「行動の人」である。何もしないのに、勇ましいスローガンを叫び、ブルーリボンバッジを免罪符のように背広の襟につけた先生方とは全然違っていた。

 横田夫妻はつねづね、「政府は情報を全然教えてくれない」と嘆いていたが、その点、有田さんは知りえた情報をこまめに横田さんたちに伝え、相談相手になっていった。忙しい議員活動のなか、拉致問題にはプライベートな時間もかなり割いていた。

 

 私事でお恥ずかしいが、3年前、横田さんご夫妻と有田さんで私の還暦を祝ってもらったことがある。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20130222

 こんなふうに4人で会食しながら楽しい団欒のときを過ごしたものだが、いつもご夫妻はとてもリラックスした様子で有田さんに接していた。

 こうして横田夫妻と有田さんの間にはきわめて強い信頼関係が築かれてきたのである。

 今回の写真公開をめぐる横田家を巻き込んだバッシングは、横田夫妻有田芳生さんの関係を裂くことに狙いがあると思われる。

 それはなぜなのか。

(つづく)

まちだあけみまちだあけみ 2016/06/14 14:38 そんな狙いはなく、有田議員が北朝鮮に独自のルートをもってるんで、この解決には議員に本気になって貰うしかないと思ってます。
声高に拉致問題解決を挙げておられるので、イラク人質の時のアントニオ猪木議員のように単身北朝鮮へ行き、拉致被害者を連れて帰ってくる事が出来るんじゃないかと期待を寄せています!
むしろ、写真なんかでお茶濁してる場合じゃないんじゃないか、と。
罵声しか浴びせない方々は、それで人の心が動かせるのかよく考えるべきだ。

2015-03-31 若王子事件 伝説のスクープ

takase222015-03-31

きょうは神戸に行ってきた。

ちょっと時間があったので、新幹線新神戸駅の裏にある「布引の滝」を見に行った。

四つの滝があり、写真は一番大きな「雄滝(おんたき)」。清々しい。

駅から歩いてすぐで、外国人の姿も多い。

山桜が木立に見え隠れする山みちを散歩して気持ちが良かった。

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サンテレビでの勝谷誠彦さんとの対談に呼ばれた。

番組は「カツヤマサヒコSHOW」(http://sun-tv.co.jp/katuya/)で、スタジオ内にバーがあり、一緒に酒を飲みながら放談するという趣向。

勝谷さんといえば、よしもと所属の「ジャーナリストコラムニスト、タレント写真家コメンテーター、記者」。ときどき問題発言をして世間を騒がせている。

彼とは30年近く前からの知り合いで、一緒に米紙ニューヨークタイムズ」に拉致問題解決を訴える意見広告を出す運動もしてきた。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090225

さて、トークでは、いきなり、「日本電波ニュース」の3人のジャーナリストにお世話になった、そのうちの一人が私だという話からはじまり、私の先輩の加藤博さん(北朝鮮難民救援基金)とイラクで殺害された橋田信介さんの思い出話で盛り上がった。

加藤博さんは、1月放送のこの番組のゲストで出ていたが、勝谷さんは「週刊文春」の記者時代、加藤さんと一緒にフィリピン取材に来て、当時「日本電波ニュース」特派員だった私と知り合ったのだった。

思い出に残る、勝谷さんたちのフィリピン取材の大スクープがある。

1986年11月、独裁者マルコスを追い出した「2月革命」の余波とクーデター未遂で騒然としていたフィリピンで、三井物産マニラ支店長、若王子さんがゴルフ帰りに武装したグループに拉致されるという事件が起きた。

私は現場に一番乗りして関係者のインタビューをとり、これはスクープとして各局に配信された。

海外の日本人幹部ビジネスマンの誘拐事件、しかも、監禁された若王子さんの写真や音声が報道機関に送りつけられるなどしたある意味劇場型の犯罪ということで大きく報道され注目された。

1987年3月末、若王子さんは解放された。三井物産キリスト教会を通じて身代金を払ったことは明らかになったが、事件の背景と犯人像については今もよく解明されていない。不思議な事件である。

この事件に関与していたとされるのが、日本赤軍だ。87年11月、日本赤軍丸岡が日本国内で偽造旅券を保持しているとして逮捕され、続いて翌88年にはマニラ泉水博が逮捕された。

泉水は、丸岡が主導した1977年ダッカ空港日航ハイジャック事件で、超法規的措置で日本の刑務所から釈放され日本赤軍のメンバーになった。国際手配された彼は忠実な日本赤軍のメンバーとなり、マニラで「山口登」という名の日本人ビジネスマンとしてフィリピン人の妻と暮らしていたことがのちに判明する。

勝谷さんたちは、若王子さんが拉致される直前にプレーしていた「カンルバン・ゴルフ場」に取材をかけ、拉致当日のプレーした人の名簿の中に「山口登」の名を見つけたのだ。

若王子事件と日本赤軍との接点がはじめて確認された、伝説のスクープである。

(つづく)

2014-01-28 北朝鮮の収容所で生まれたシンさん

takase222014-01-28

きょう、シン・ドンヒョク(申東赫)さんを迎えての集会が参議院議員会館で開かれた。

はじめに、有田芳生さんがあいさつで、私も一緒にやった「意見広告7人の会」(http://jinken.asia/)の活動に触れた。

北朝鮮による拉致問題を海外に訴えようと、ネットで募金を呼びかけ、2002年と2009年に「ニューヨークタイムズ」などに意見広告を出した。そのとき、私たちは、日本人の拉致と政治犯収容所に象徴される北朝鮮民衆の人権侵害は一つのものだと強く訴えた。

例えば、韓国三大紙(朝鮮日報東亜日報中央日報)に出した意見広告には以下のような文章がある。

《私たちは過酷な政治体制のもとで苦しむ北朝鮮の人々を助けたいと思っています。拉致と北朝鮮の民衆の奴隷化は、人権の否定という同じ根を持つ悲劇だからです。

90年代後半、人口2000万の北朝鮮で300万人が餓死したと推定されています。その一方で、北朝鮮の指導者はこの時期、核兵器とミサイルの開発に巨額の資金を投入していたのです。破産国家の北朝鮮で、これを可能にしたのは、民衆が声を上げることを許されない政治体制があるからです。衛星写真で確認された6か所の政治犯収容所には、20万人もの人々が、人間としての最低の扱いを受けることなく、いまなお死に直面しています。

民衆への自由の否定が戦争への危険を生んでいるのであれば、日増しに強まる北朝鮮の平和への脅威を根本から取り除くには、基本的人権の拡大こそが必要です。

私たちは民主主義、基本的人権を北朝鮮に行き渡らせることが、拉致被害者を救出するだけでなく、北朝鮮民衆の幸福と東アジアおよび世界への安全をもたらすと信じます。さらに、平和的で円滑な朝鮮半島の統一は、北朝鮮が民主化されてはじめて可能なのではないでしょうか。》

このとき訴えた、北朝鮮国内の人権侵害、日本人など外国人の拉致、核・ミサイル開発などが北朝鮮の体制という同じ根っこから派生しているという認識は確実に広がっている。

そのシンさんは、きのう、横田夫妻と一緒に会見した。

北朝鮮の人権弾圧のもっとも酷い被害者と日本人拉致被害者の親が会って、連帯を誓うという図。私にとっては、とても感慨深い会見だった。

北朝鮮の政治犯の強制収容所から脱出した体験を証言するシン・ドンヒョクさん(31)=韓国在住=が来日し、東京・有楽町の日本外国特派員協会で27日、北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの両親と対面した。

 シン・ドンヒョクさんについては以前、この日記に書いた事がある。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20081216

 シンさんは「娘さんを拉致されたご両親の精神的苦痛も、収容所で私が受けた苦痛も、同じ独裁体制によるもの。横田さんと同じ立場に立って、国連の場で訴えたい」と話した。

 国連の北朝鮮人権調査委員会は昨年8月、東京やソウルで公聴会を開き、横田夫妻やシンさんらの証言を聞いた。最終報告書がジュネーブの国連人権理事会に提出される今年3月にも、シンさんは北朝鮮の人権問題について証言する予定。

 めぐみさんの父、滋さん(81)は「(報告書を受けた)国連での強い決議が、これからの世界を動かすと思う」と期待。母、早紀江さん(77)も「人間としての自由を奪われたのはシンさんも私たちの娘も同じ。力を合わせて国際的に訴えていきたい」と語った。

 韓国統一研究院によると、北朝鮮には5カ所の政治犯収容所があるとされ、推定8万〜12万人が収容されている。シンさんは平安南道の「14号管理所」で生まれ、2005年に脱出。強制労働や飢え、拷問、家族の公開処刑といった過酷な半生を描いたドキュメンタリー映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」が3月に東京、名古屋、大阪で公開されるのを前に来日した。》(朝日新聞)

シンさんは、収容所の中で生まれた稀有な人で、その体験は想像するのも困難なほどだ。なにせ、人生で最も早い記憶は何かとの質問への答えが、「公開処刑があって、その銃声がすごく大きな音だったことを憶えている」というのだからすさまじい。たぶん4歳くらいのころだという。

6歳から重労働、11歳で母親から離され寮へ。普通の家庭というものはない。とくに父親とは一緒に住んだ事がなく、特別な愛情や親しみは感じないという。拷問と重労働の痕跡がいまも体中に残る。

新しく収容所に入ってきた男から、外の世界の食べ物を知らないなんてかわいそうだと言われ、トウモロコシ飯以外のうまいものが食えるなら死んでもいいと、23歳のとき、命がけで脱走した。一緒に逃げたその男は脱走に失敗して死んだ。

生まれてこの方、収容所の中しか知らないシンさんが、最も衝撃を受けたのは、中国に出たときでも韓国に来たときでもなく、北朝鮮の社会、つまり「外」の世界を見たときだった。

人々が笑ったり、子どもが大きな声をだしてはしゃいだり、警察官がいても挨拶しないでいたりすることが信じられなかったという。

彼の壮絶な半生を描いた映画『北朝鮮強制収容所に生まれて』が3月1日から上映される。ナチスの強制収容所より酷いとされる収容所の実態をぜひ知ってください。

http://www.u-picc.com/umarete/

2010-09-29 龍馬を尊敬する政治家のみなさん!

連日、厳しい会社の資金繰りで各所を駆け回っているが、その相談もあって、世話になっている浅見税理士事務所へ。

所長の浅見哲さんは、「7人の会」の事務局長で、去年、米国、フランス、韓国などの新聞に拉致問題解決意見広告を載せたさいにご尽力いただいた。http://jinken.asia/m_houhou.shtml

やはり事務局で活躍していただいた浅原さんが、たまたま浅見オフィスに来ていたので、3人で、有田芳生さんがよく行く神田の飲み屋へと繰り出した。この店のガンコ親父は、日本酒は「住吉」しか置かない。山形は上杉藩のころからの「樽平」酒蔵の酒だ。超辛口の酒だ。それはさておき、今の政治家はどうかという話になった。「良い人」が良い政治家なのか?

最も重要なのは政策なのだろうが、「気構え」のなっていない政治家が多く、あまりにふがいない。以前、「嫌になった」と言って政権を投げ出す首相が多いことを日記で嘆いた。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100604

政府の長が、「嫌になったから辞める」と恥ずかしげなくいって辞めることが、私には理解できない。「使命」という言葉は死語になったのか。

私のような零細企業の社長だって、赤字経営でいくら苦しくても、簡単に会社を投げ出すことはゆるされない。辛くても歯を食いしばってがんばるのだ。

あるいは、全国大会を目指そうねとみんなで誓って選ばれた高校テニス部のキャプテン。受験があると仲間が次々に退部していっても、「僕もやーめた!」というわけにはいかない。

市井の我々でさえ、さまざまな責任の中で、がんばって生きているわけである。好きだからやる、嫌だからやらない、とはいかないのである。ましてや国民全体の運命を預かる国のトップは、命をかけて使命を果たすものだろうと思っていた。

政治家は命を狙われることもある。

古くは旧社会党の浅沼委員長刺殺事件。1960年、テレビ中継の立会演説会の最中、浅沼稲次郎委員長が、17歳の右翼少年に刺殺された。浅沼委員長は、当時、「米帝国主義は日中両国人民の共通の敵」と述べたことで、右翼団体から狙われていたという(wikipedia)

また、昭和天皇の闘病中の88年には、本島長崎市長が、「天皇の戦争責任はあると私は思います」と言ったことから右翼に狙われ、翌89年1月に右翼団体のメンバーに銃撃されるという事件があった。本島氏はもともと左翼ではなく、自民党長崎県連合会幹事長なども務めた人物で、言っている内容は、「天皇が重臣らの上奏に応じて終戦をもっと早く決断していれば沖縄戦も広島・長崎の原爆投下も無かったのは歴史の記述から見ても明らかです」と、私から見れば、ごくまっとうなものだった。それでもやられるのである。

国のために誠心誠意働こうとすれば、命を投げ出す覚悟でいるのが、政治家として当然なのではないか。

龍馬も、高杉晋作も、西郷も若くして死に、こうした死のうえに世の中は回転したのである。

龍馬を尊敬すると答える職業政治家のみなさん!一命を捧げる覚悟で政治にあたってください。

2010-03-31 「ただいま」を世界の流行語に

takase222010-03-31

きょう午後3時から外国記者クラブで「7人の会」の記者会見。

会からは有田芳生さん、湯川れい子さんと私が出た。横田さん夫妻が忙しいなかを激励に来てくださった。

今夜の時事配信記事;

《外国の新聞に北朝鮮による拉致問題解決を訴える意見広告を出している「意見広告7人の会」は31日、都内で記者会見し、4月1日から簡易ブログ「ツイッター」を使って若者に拉致問題への関心を持ってもらうための活動を始めると発表した。

 ツイッターを使い、7人が拉致問題解決に向けたメッセージを「つぶやき」として書き込むほか、世界各地の支援者が「tadaima(ただいま)」と書いたパネルを掲げた写真などを掲載。メンバーのジャーナリスト高世仁さんは「何年間も『ただいま』と家に帰ることのできない人がいることを世界中の若者に伝えたい」と話した。

 「7人の会」は2002年にジャーナリスト有田芳生さんや音楽評論家湯川れい子さんらで結成。米、韓、仏などの新聞に意見広告を掲載してきた。(2010/03/31-19:28)》

この運動があるので、私もツイッターをはじめた。今後、ハリウッドスターなどにもつぶやいてもらうと、計画は壮大だ。

ツイッターをやってる人は、tadaimajp をフォローしてください。

外国に友人のいる人はどんどん広めて下さい。

たとえば;

Say TADAIMA! Means I‘M HOME.Many have long away from home abducted by North Korea. Tell your friends about this fact.

(タダイマと言ってください。家に帰ったよ、という意味です。北朝鮮に拉致されてずっと家に帰れない人がたくさんいます。お友達にこのことを知らせてください。)

会見では湯川さんがこういった。

《「モッタイナイ」にかわって、「タダイマ」を世界に流行らせましょう!》