高世仁の「諸悪莫作」日記

2018-05-21 惠谷治さん逝く

f:id:takase22:20180520174630j:image:w300:left アジサイが準備OKといいたげだ。花屋には紅花がならんでいた。

 節気は小満。あらゆる命が満ちていく時期、太陽を浴び、万物がすくすくと育つ季節だとされる。きょう21日から初候「蚕起食桑」(かいこおきて、くわをはむ)。26日から次候「紅花栄」(べにはな、さく)。31日からが末候「麦秋至」(むぎのとき、いたる)。農家が忙しくなる時期でもある。

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 惠谷治(えやおさむ)さんが昨夜亡くなったことを岡村隆さんのFBで知る。享年69。膵臓がんだったという。

 惠谷さんは早大探検部出身。ギニア高地などの探検、エリトリアアフガンはじめ世界各地の戦場取材などで知られた人だが、私にとっては北朝鮮問題の取材で大変お世話になった先生である。惠谷さんが売れっ子になっていったきっかけの一つは私たちの番組だったと思う。まだ恵谷さんがあまりテレビに出ていなかった時期、私たちは恵谷さんに毎回のように番組に登場してもらった。二十番組ではきかないだろう。『北朝鮮「対日潜入工作」』(宝島社)では共著者としてご一緒させてもらった。

 ネット情報に頼らないアナログな方法で膨大な事実をこつこつと積み上げての緻密な分析は、他のジャーナリスト研究者の追随を許さないものだった。惠谷さんとの思い出はたくさんある。北海道への出張をお願いしたこともある。2001年暮れ、海保巡視船と銃撃戦の末、北朝鮮工作船自爆した「九州南西海域工作船事件」が起きた。船橋を100発以上の銃弾に貫通され、3名の負傷者を出した海保巡視船「あまみ」が小樽巡回展示されたので、惠谷さんに分析してもらおうというのだ。多忙な惠谷さんに出張になるが大丈夫ですかと聞くと、「ぜひ行きたい、実はおれ、北海道には行ったことがないんだ」という。世界を駆けた惠谷さんだが、国内はあまり回っていないことに驚いた。取材では、「あまみ」の銃弾痕をじっと観察し、「使われた銃は3種類」だと断言、それぞれの銃器の種類を挙げたのだった。この取材には後日談があって、小樽の恵谷さんのコメントは使えないとテレビ局のプロデューサー に言われた。惠谷さんはそのとき、愛用のレイバンの濃いサングラスをしたまま解説していて、それが怪しすぎるというのだ。ビデオを再生すると、たしかに怖い。サングラスのまま撮影した私のミスだった。そこで「あまみ」が横浜に来たときに再び恵谷さんに登場願って、コメントをいただいた。もちろん今度はサングラスは外してもらって。

 世田谷区赤堤のお宅にも何度もうかがってレクチャーを受けた。恵谷さんの仕事部屋は本と資料、どこかの戦場で拾ってきた薬きょうなどの珍品が部屋の周囲に積み上げられており、独特の空間だった。2時間も話し込んでいると、奥さんとお嬢さん(長女)が外に出ていく。2階建てアパートでスペースはさほど広くないので、我々のような客がいると息苦しいのだろう。追い出してしまったようで申し訳ない思いをした覚えがある。

 惠谷さんの分析に感心させられたことは数知れないが、彼は北朝鮮の軍事的実力を決して過小評価していなかった。世界の最新の技術を取り入れられなくとも、スカッドノドンテポドンとほぼ独力で開発してこれたのは、根気よく泥臭く基礎的な技術を組み合わせてきたからだという。最近では、北朝鮮のミサイル開発のスピードが急速に上がっているとの指摘http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/shinsou/archive/20170607.htmlや、増加する北朝鮮の漂着船の帰属を3種類に分け、工作員の浸透とは関係ないと結論づけた記事https://www.sankei.com/premium/news/180303/prm1803030016-n1.htmlなどが惠谷さんらしい。

 また、物事の本質をズバッと一言で言い表すのも痛快だった。「日本人は奇特な国民で、将来、北朝鮮と国交を結んだら巨額の資金援助をすることを、ほとんどの人が当然と思っている。これが北朝鮮に対する日本の最大の安全保障なんだよ」。なるほどなあ、と感心させられる。

 惠谷さんは、かつてテレビ番組の制作会社を友人とともに立ち上げた。ところがすぐに辞めてしまう。理由を聞いたら、「だんだん会社を維持するために働いているようになってきて、これは自分の求める道ではないと思った」とのこと。フリーは大変であることは知っているが、ちょっとうらやましい気もする。会社を維持するために働く私としては。

 世間の風向きに左右されずに、自分のスタイルを持っていた人で、一人になっても言うべきことは主張した。かっこいい人である。両切りピースの吸い口をトントンと箱に叩きつけて、実にうまそうに吸っていた。あまりにうまそうで、一時真似して私も両切りピース党になったものだ。

惠谷さんとは実は北朝鮮問題からではなく、探検部―日本観光文化研究所―地平線会議のラインで知り合った。25年ほど前、かみさんと一緒に銀座線に乗っていたとき、たまたま同じ車両にいた惠谷さんにかみさんが気付いて私を紹介してくれたのが初対面だ。かみさんは観文研の事務局にいた関係で、早大探検部OBの恵谷さんを知っていたのだ。

 北朝鮮問題で教えられもし、また一緒に遊んでもらい、ほんとうに感謝している。以下は、法政大学の探検部のOBである岡村隆さん(月刊『望星』前編集長)がFBに出したお知らせだ。ご冥福を心よりお祈りします。

※これまでの経緯について

 昨年3月に膵がんが発見され6月に手術、一時は回復し仕事を続けるも年末にいたって肺などへの転移が認められ体力が低下。しかし3月の準備を経て5月の連休には伊豆大島での早大探検部三原山火口探検50年の行事に参加、三原山登山も果たしたほか、かわぐちかいじの長編漫画『空母いぶき』の原作制作、月刊誌記事執筆、北朝鮮研究の会合参加を続け、拓殖大学でのシンポジュウムにもパネラーとして出席した。その後5月15日に容態悪化し入院、5日後の20日、親戚縁者や早大探検部OB、関野吉晴ら友人の見舞いを受け、会話不能ながら頭脳は覚醒した様子であったが、夜半にいたり心停止した。

2018-05-20 ガザの絶望3

 先週のNNNドキュメントは55分の拡大版で「南京事件?」を放送。見ごたえがあった。

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 《かつて日本が行った日中戦争太平洋戦争。残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。》http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-93.html

 2015年10月の「南京事件 兵士たちの遺言」はこのブログでも書いたがhttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20151019今回はその続編。清水潔さん、執念の取材である。南京事件はなかったとする本や雑誌記事がたくさん出回っているが、それらをほぼ最終的に論破することに成功していると思う。

 終戦の日陸軍参謀本部で煙が上がっていた。戦犯追及を逃れるための文書の焼却命令によるものだった。96年、燃え残った紙が発見され、その中には「南京ヲ攻略スヘシ」と書かれたものが・・・そこから検証に入っていくオープニングがいい。

 都合の悪い公文書を無きものにしようという仕業。視聴者は、今の日本の政治と重ね合せて観たのではないだろうか。きょう20日日テレBSCS日テレNEWS24」で再放送されるほか、Youtubeなどでも見られるのでぜひご覧ください。

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 『ガザの空の下』続き

 この本で印象に残った子ども二人を紹介しよう。

 《12歳の少年アハマッドは、私に一枚のポスターを持って近づいてきた。聞くとそのポスターに写るのは、イスラエル軍検問所に自爆攻撃を仕掛けようとして見つかり、射殺された叔父だという。彼は、「早く大人になって叔父のような殉教者になりたい」と話した。

 その後ガザから入植地は撤収し、今では入植者もイスラエル軍もいない。自分たちを苦しめ続ける「敵」は、今では目の前に姿を見せることもほとんどない。「僕は必ず成功してみせる」と、決意に満ちた暗い目で私のカメラを見据えた少年は、どんな青年になったのだろう。》(P59)

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(『ガザの空の下』P267)

 イスラエル軍が「緩衝地帯」を広げるとして民家を砲撃ブルドーザーで大量に破壊したあとの、大震災のあとより酷い瓦礫の原になったラファを訪れた2005年冬。

 《話の途中、ほんの軽い気持ちで私はファティマにつまらない質問をした。

 「大きくなったら何になりたいの?」

 しかし、返ってきた答えは思いがけないものだった。

 「朝、目が覚めて自分が生きていると分かったらその日何をしようかと考えるけど、いつ死ぬかもしれないから先のことは分からないな」

 答えの重さに驚いていると、彼女はさらに続けて言った。

 「将来のことは、大人になるまで生きていたら考えるよ」

 わずか十歳の少女があまりにも淡々と語った「死」に、私は何も言葉を返すことができなかった。》(P92)

 このファティマのエピソードが「天声人語」に紹介されていたが、暗澹たる気持ちにさせられる。

 北朝鮮収容所をのぞけば世界でもっとも閉塞感のある場所ではないかと思われるガザの現状は、子どもの心にも深い影を投げかけていた。

(つづく)

2018-04-23 「もっと大事なこと」はない

 夜、帰宅の途中、霧雨に降られる。

 もう4月(卯月)の後半、「穀雨」(こくう)だ。降る雨は百穀を潤す。種まきの時期、雨は天からの贈り物。大事な雨である。

 20日からが初候「葭始生」(あし、はじめてしょうず)。25日から次候「霜止出苗」(しもやみてなえいずる)。30日からが末候の「牡丹華」(ぼたん、はなさく)となる。

 穀雨の次はいよいよ「立夏」だ。はやいな。

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 ヒメジョオンの花が咲き始めた。

 幕末アメリカから観葉植物として入ってきたものだという。「柳葉姫菊(やなぎばひめぎく)」と呼ばれたそうで、舶来のハイカラな植物だったのだろう。

 雑草とみなされて、かわいそうだなと思っていたら、このヒメジョオン、「日本の侵略的外来種ワースト100」に選ばれていた。ものすごい繁殖力をもち、日本に上陸して150年ほどで、今や亜高山帯にも進出しているそうだ。かみさんはヒメジョオンを見かけたら引っこ抜くという。

 こういう情報を知ってから見ると、単純に可憐だな、などと思えなくなる。やはり、これも引っこ抜くべきか。

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 安倍内閣支持率は、ANNなどメディアによっては20%台のところも出てきた。ところが、連続する不祥事を問題視すると、もっと大きな、もっと大事な問題があるだろうとの声が出て来る。これに関して、そのとおり!と声をかけたくなるコラムをきょうは紹介したい。

 「もっと大事なこと」はない

  森友学園加計(かけ)学園を巡る新事実が次々と発覚し、国会では安倍晋三政権に対する野党の追及が続いている。安倍政権の復活以降、最も深刻な危機といえる。

 そうした中で、一部メディアからは「いつまで森友、加計ばかりやっている。北朝鮮の脅威を議論しなくていいのか」という声が上がり始めた。麻生太郎財務相も、報道が疑惑追及に偏り、環太平洋連携協定(TPP)に関する記事が少ないと新聞批判を展開した。

 「もっと大事なことがあるだろう」という論法は一見、説得力がありそうだ。北朝鮮など持ち出されると、何となくうなずいてしまいそうになる。しかし本当にそれは「もっと大事なこと」なのだろうか。

 今日はそこを考えたい。

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 論語に「信なくば立たず」という言葉がある。

 為政者に対する信頼が失われれば、政治は成り立たない」と解釈するのが一般的だ。日本の政治家が好んで引用する言葉で、安倍首相自身も記者会見などで連発している。

 実はこの言葉には前段がある。現代語訳で簡単に紹介する。

 孔子の弟子の子貢(しこう)が政治で大事なことを聞いた。孔子は答えた。「食を十分にして兵を十分にして、民衆に為政者を信頼させることだ」。子貢が問う。「その三つのうち、一つ捨てるならどれを捨てますか」。孔子は言う。「兵を捨てる」

 子貢はさらに問う。「残る二つのうち、どうしても一つ捨てなければならないなら、どちらを捨てますか」。孔子はこう答える。「食を捨てる。昔から誰にでも死はある。為政者が信頼を失えば民衆はやっていけない(信なくば立たず)」

 孔子は偉大な思想家だが、乱世で小国の運営に携わった政治家でもあった。リアリストの顔を持つ孔子が、明確に「兵より食より、信が一番大事だ」と言っている点に注目したい。

 「兵」は今で言えば安全保障だろう。まさに北朝鮮問題である。「食」は経済政策に当たるかもしれない。TPPもその一つだ。

 論語が全て正しいわけではない」との反論もあるだろう。もっともだ。しかし安倍首相が「信なくば立たず」を引用する以上は、本来の意味を踏まえ、兵より食より「信」の論議を最優先してほしいものだ。

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 ここからは私なりに考えを巡らせてみる。

 政治家は時として、国民の痛みを伴う政治決断をする局面に立たされる。例えば増税。例えば福祉の削減。そして最大の痛みは、最悪で武力衝突を伴う「兵」だろう。将来のために今の痛みを我慢してください、と為政者は国民に呼び掛けなければならない。

 しかし、もし為政者が「自分やその仲間が得をするため『ズル』をする人だ」と思われていたら、国民はその呼び掛けに耳を傾けるだろうか。政治家は国民に痛みを求める一瞬のために「信頼に足る人間であること」を求められるのだ。

 国会論議されている森友、加計問題の本質は「為政者やその仲間がズルをしたか、しなかったか」である。そこをはっきりさせないまま「北朝鮮の脅威」を論じてもむなしい。

 「もっと大事なこと」などないのだ。

 今回は、少し熱くなりました。

 (論説副委員長)

=2018/04/22付 西日本新聞朝刊=

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/reading_oblique/article/410536/

2018-04-20 マスコミからもっと「#MeToo」を

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 下を向いて歩いていてふと目を挙げるとめくるめく色彩の塊が・・・

 サツキだ。ここは、植木なども育てているうちの近所の農園。

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 ゴージャス!!と英語圏の人なら言うだろうな。きょうは気温が25度くらいまで上がった。30度を超えた地方もあったという。春爛漫である。

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 週刊新潮が火をつけた、福田淳一財務次官のセクハラ疑惑が急展開。

 麻生太郎財務大臣は4月17日、被害にあったという女性が名乗り出てこなければ、事実の認定はできない、という見解を示し、福田次官を守ろうとしたが、自民党からも圧力があって18日に福田氏が辞任。19日未明には、テレ朝が緊急の記者会見をして、自社の女性記者が週刊誌に情報を提供したセクハラの被害者だと発表し、財務省に抗議した。

 福田氏はまだ「訴える」などと非を認めず、麻生財務相も謝罪の言葉がない。しかし財務省以外の世界では、事件の事実関係については決着した。安倍信奉者が、「あの録音は編集されている」、「謀略の可能性が」、「ハニートラップでは」などといちゃもんをつけていたが、もう黙ってね。

 こんなツイートがあった。

 《セクハラ加害者は自分の権力に無自覚と言いましたが、正確には「自覚的に無自覚」です。たとえ若くて美人の女性が相手でもその人が記者でなく財務大臣や米国政府要職なら、おっぱい触らせてと言うでしょうか?権力格差があることを分かった上で都合良く無自覚になる。卑劣極まりない加害者の特性です》(勝部元気 Genki Katsube)

 そのとおりだな。

 テレビニュースに映ったテレ朝の取締役報道局長を見ると、おお、篠塚浩さんじゃないか。

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 あれはもう30年も前の1988年、私が日本電波ニュース社のマニラ支局にいたころ。報道部の記者だった篠塚さんが東京からやってきて、ニュースステーション(今の報道ステーションの前身)の特集を一緒に作った。取材したのは、無期・長期囚が集められたモンテンルパ刑務所での腎臓売買疑惑。このネタは、当時刑務所にカメラを持ち込めた私の「キラーコンテンツ」で、三つの局で番組を作った。その結果、腎臓移植が政治問題化し、利権の温床を破壊したタカセに落とし前をつけさせようと、4人のガンマンが私を狙うようになり、フィリピンから命からがら逃げだすというドラマのような展開があった。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20071013

 TBSの名物ディレクター、吉永春子さんと初めて会った、この腎臓移植の取材でだった。ネタがネタだけに、吉永さんの印象に残ったのだろう。その後、一つも一緒に仕事をしないのに気にかけてくれ、私の会社が危なくなり追い詰められたとき、「コーヒーでも飲みなさい」と30万円を私のポケットにねじ込んだエピソードは以前書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20120107

 テレ朝の篠塚さんはあのとき、25歳か26歳の駆け出しだった。素直でよくがんばる記者だったという印象がある。その後は局内でときどき顔を見かけて挨拶する程度だったが、「取締役報道局長」とは出世したなあ。えらいさんになっても堕落しちゃだめだよ。

 テレ朝報道局として財務省に抗議したのはいいが、「当社社員が取材活動で得た情報を第三者に渡したことは、報道機関として不適切な行動であり、当社として、遺憾に思っている」とのコメントは納得できない。この問題に、いわゆる「報道倫理」を持ち込むのは筋違いだ。犯罪から身を守り、上司に説明するために必要だったと記者は語っている。

 《専修大学の山田健太教授(言論法)は、今回の女性の行動について「人権侵害を防ぐための公益通報のようなもので問題ない」と指摘。取材内容を第三者に渡してはならないという原則は「取材先との信頼関係を保つための記者倫理であり、加害被害の構図といえる今回の関係においては当てはまらない」と話す。》(朝日新聞20日

 テレビやネットをみると、テレビ朝日を批判、揶揄する声がとても大きい。テレ朝を叩くのはいいが、主要な批判は、政府、財務省へと向かわせなければバランスを失する。そもそも、だれがセクハラしたんだっけ?

 ところで、篠塚浩さん、報道局長のポストに就いたのが2014年。そして翌年はじめ、「報道ステーション」のコメンテーター、古賀茂明氏がスタジオで「I am not ABE」のボードを掲げるという「反乱」事件が起きた。そして古賀氏は番組から「降ろされ」てしまう。

 これについて、古賀氏は外国特派員協会での会見で報道局長(篠塚さん)が自分を追い出したと語る。

 《明確に今のところ、去年から報道局長は私の出演を嫌がっているという話があったということは聞いておりましたけれども、この間の1月23日の発言以降は「4月以降は絶対に出すな」という厳命が下っているというふうに。私は報道局長に直接言われていないので、直接聞いてみたいなとは思いますけれども、そういうふうになってます。》

 篠塚さんが「やった」のか、聞いてみたいが、彼は正直に答えるだろうか。

2018-04-04 幸福度ランキングでブータンは?

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 線路ぎわが真っ白になっている。ユキヤナギ。これも季節の花である。

 きょう、東京は真夏日になった。一年で初めて真夏日になる日が年々早まっているという。暖かいのは助かるが、ちょっと気持ちが悪い。

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 きのうまで銀座ニコンで、写真家、関健作さんの”OF HOPE AND FEAR”が開かれていた。ブータンのヒップホップに魅了され夢を思い描く若者たちを撮っていて、とてもおもしろかった。写真だけでなく、彼らのグラフィティ(私には変な落書きにしか見えないが)や手紙なども展示され、彼らの息づかいがリアルに感じられた。

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 主人公は、首都ティンプーに住むクンザン・チョゲル(4枚のうち右下の写真)。18歳。両親は離婚し、父はアメリカに、母はインドに住む。クンザンは学校をドロップアウトし、今は友だちの家を転々とするが、ラップとグラフィティでは一目置かれている。彼はヒップホップを通して仲間たちと出会い、生きる希望を見出したという。                  

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(クンザンの描いたグラフィティ)

 ブータンでは今、失業率が高く、将来に不安を抱える若者たちが増えているなか、自分たちの存在を模索するツールとして、ヒップホップが流行っているそうだ。

 

「世界で一番幸せな国」で知られるブータンに、こんな現象があるなんて意外だった。写真を観るうちにどんどん引き込まれ、いつのまにか関さんを質問攻めにしていた。もっと調べて、ぜひテレビで取材したいと思う。

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 そのブータンが国連に提唱して、2011年から3月20日が世界幸福の日となった。この時期には毎年恒例の幸福度ランキングの発表がある。《調査は、各国で毎年1千人程度に「今の幸せは0〜10の段階でいくつか」と尋ね、国ごとの過去3年の平均値を算出して発表している。》(朝日)その結果は、156か国中、トップ4か国は北欧が独占し、日本は54位だったという。

 《国連は14日、世界幸福度リポート(World Happiness Report)2018年度版を発表した。156カ国の中から1位に選ばれたのは、昨年5位のフィンランド。昨年1位のノルウェーは2位にランクインし、上位4位はすべて北欧諸国が占めた。日本は昨年から順位を3つ下げて54位だった。最下位はアフリカ諸国が占め、156位はブルンジだった。》

 ちなみに、オリジナルの資料をあたると、27位にはいった台湾が"Taiwan Province of China"(中国・台湾省)と記されており、「国家」として認めていない。実際は台湾を入れて157か国で実施され、日本は54位ではなく55位となる。台湾の扱いは気になるが、これはおいといて、幸福度の数値はと見ると、1位のフィンランドが7.632、55位の日本が5.915。http://worldhappiness.report/ed/2018/

 さあ、肝心のGNH(国民総幸福量)の提唱者であるブータンは・・・と探すと、あららずっと下の98位!!幸福度は0から10までのなかで5.082。

 いったい、どうなってるんですか?

 「しあわせ」の話はまたいずれするが、ブータンで若者たちが生きにくいと感じられるようになっているらしい。いろんなことを考えさせられる。

(写真はすべてOF HOPE AND FEARに展示されていたもので、会場で関さんの許可を得てスマホで撮らせてもらった)