あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

一億層中流の崩壊@三浦展『下流社会』を読む

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

 出版不況といわれる中で、結構売れているらしい。帯には50万部というんだから、ベストセラーに違いないだろう。
 著者の三浦展は―これで名前を「あつし」と読ませるのかというのはともかく―いわゆる学者ではなくて、マーケティング・アナリストである。
 だから、という言い方は適切ではないのかもしれないけれど、アカデミックな分析と言うよりは、非常にアクチャルな分析が行われている。あくまでも「私見」の域を出なくて、説得力に欠ける面も否定できません。


 冒頭で50万部売れた、新書部門での売り上げの1位云々…。ということは、裏を返せば「下流社会」という謳い文句に多くの人びとが反応していると言うことだろう。
 通常国会でも民主党だけでなく、公明党の側からも「社会格差」を政府に対して問いている現状に加えてマスメディアを中心に格差が拡大しているという指摘に多くの国民が共感をしているようだ。
 貧困の指標となるジニ係数ではまだ格差は拡大していない、と政府は主張しているが、それはおかしな話だと思う。
 小泉内閣は「規制緩和」「自由競争」を旗印にして、閉塞感を持つ大衆に訴え政権の座に就き、アメリカ流の新自由主義的政策に梶を切った。
 つまり、みんな一律で豊かになりましょう、というこれまでの日本社会から、今後の社会は貧富の格差は出るけれど、国民全体で見れば社会の富は増大するからそれでイイじゃないか。という方針に転換したわけです。
 だとすれば、小泉流改革の成功に付随して「貧富差の拡大」は避けられない。避けられないというよりも、「自己責任」の下に貧富差の拡大する社会こそ終着点であるとも言えるでしょう。
 貧富差・所得格差は自由競争が進展している結果ゆえに起こる現象だから、政府は反論しないで、「むしろこのことこそが活力ある経済を生むことになる」のだ。と(マクロ経済的な)原理原則から言えば主張しないとオカシイ訳です。


 上述した話と、『下流社会』での話は多分にリンクしてくることになります。
 「下流」という言葉は著者の造語らしいのですが、意味するところは中流を維持する意欲がない人を指します。
 それまで、一律で豊かさを享受してきた社会で育った青年層(団塊ジュニア)から下にとって、これからの社会を生きて行くにはいくつかのパターンが存在するというのです。
 出世意欲のある上昇志向タイプ、出世意欲はなく趣味を充実させようとするタイプ。この二者はどちらもホワイトカラーで、個人の能力が高いことが前提とされるようです。それにたいして、生活するために働くしかないタイプ(ブルーカラーに多いという)、仕事に就かず、「自分のやりたいこと」を追求していくフリータータイプ。
 「お金はいらない」から「自分のやりたいこと」だけをやりたい、というのは下流に分類されるという。
 実際に、自分のやりたいことを追い求める人びとは下流化しているのが「事実」だというのが著者の主張。結構過激なことを言っているんですけどね。
 そうした理由は、もともと自分の育った環境は中流だったから、飢餓感に欠けるというのが大きいようです。
 戦後世代は働かないと生きていけないし、働けば右肩上がりに定年まで昇給し、社会も良くなっていく。という、将来に夢を持てた世代だったけれど、今の若年層は自由競争で上に上がるにはがむしゃらに働かなくてはいけない、働いたところで、リストラに遭うかもしれない…、というように「戦後的価値観」が喪失した時代であるといえます。
 だったら、もっと「自分らしい生活」があるんじゃないか、という結論に達するのは当然の成り行きでしょう。しかも戦後と違って、下流でも「生活していくこと」は可能なために、消極的ないしは積極的に「下流化」していくというのです。
 だから、自分らしさを追求する人たちは下流に、自由競争社会で出世意欲のある人は上流に…となるのです。裏を返せば、中流を維持する人が少なくなる、とも言えます。さっきの例で言えば、能力はあるけど出世意欲がない人、生活するために働くしかないと割り切る人くらいしか(所得水準で言うところの)中流に踏みとどまれない。
 すると、企業は収益を確保するために「上流向けの商品」を開発するようになる。例えばトヨタのレクサスのように…。
 しかも、生まれ育った環境が中流だったため、生活スペースもある。それで向上意欲が低く、(そうした人たちだけの)狭い社会の中で生きていく…著者は養老孟司の言葉を借りて「バカの壁」と言って問題化している。といったところでしょうか。


 以前、紹介したように、イングルハートの「脱物質主義的価値観」に共鳴するところが多い論理展開です。消費社会論などと非常にシンクロしているように感じます。
 さらに、こうした論理展開は近頃増えてきた社会学のテーマと近似している(山田昌弘の『希望格差社会』など)から、興味があれば本格的な社会学の本を読んだらいいのではないでしょうか。さらに言えば、『嗤う日本のナショナリズム』(北田暁大)や『カーニヴァル化する社会』(鈴木謙介)、『生きづらい私たち』(香山リカ)などともこのテーマの話は親和性があるでしょう。これらの著作に興味のある人は一読するのも良いかもしれません。
 とはいえ、内容的には硬派の著書と言うより結構軟派で、雑誌に掲載されても良いくらいのレベルです。でも、結構刺激的な分析をしていて私見としては相応に面白い。とも言えるでしょうね。

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

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嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

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カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

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生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

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