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あれぐろ・こん・ぶりお

April 21(Sat), 2018

takashi19822018-04-21

NHK交響楽団 第1883回定期公演

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

ピアノマリア・ジョアン・ピレシュ

ベートヴェン

ピアノ協奏曲 第4番ト長調op.58

交響曲第4番 変ロ長調op.60

 N響定期演奏会、今日はブロムシュテット指揮によるベートーヴェン・アーベントだった。ピアノ協奏曲4番のソリストはピリスである。そうであればこそ、N響まで聴きに行くのだ。(ちょっと平日の夜にしてはNHKホールは不便)。今日は休日出勤の代休だったので、睡眠時間も万全(笑い)。通常だと、週末はもう意識が飛んでしまいそうになるけれど今回は大丈夫だった。

 ピリスはサントリーでのリサイタルに続いて、である。前回はソロコンサートだったけれど、名匠とのコンツェルトはどうなのか・・・。期待しながら聴いたけれど、まさに「音楽する」と言った感想を持った。前回のソロコンサートと同じく、技術的には万全、とは言えなかったかもしれないが、4番を宗教的に弾く(そういう演奏も必ずしも嫌いではないけれど)といった次元にピリスはなく、この曲の持つ思索的な、たおやかさ、とでもいうべきこの曲の美質が十二分に再現されていたと思う。特にメゾピアノで弾く右手の何という美しい響きだろう!

 テンポも人びとの息づかいが感じられるような穏やかなもの。遅いとかではなく、「これが自然なんだよ」と穏やかに語りかけるような、そんな音楽だった。このスタイルで聴く4番としては最高峰。ハーディングとも録音が残っているけれど、ブロムシュテットとのこの演奏を翌日も録音して記録として残しておく絶対の価値がある演奏だ。

 後半の第4交響曲は枯淡とは無縁の極めて健康的な演奏。目を瞑って聞いたら齢90を超えた指揮者の演奏とは絶対思えない。なかなかに切れ味鋭い、颯爽と、そして神経質にならない充実した響き。いまでは耳にすることがめっきり減ってしまった演奏である。それにしてもブロムシュテット若いな。

April 13(Fri), 2018

takashi19822018-04-13

マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル

ベートーヴェンピアノソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」

ベートーヴェンピアノソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2「テンペスト

ベートーヴェンピアノソナタ第32番 ハ短調Op.111

 昨夜はマリア・ジョアン・ピリス来日リサイタルを聴いてきた。オケばっかり聴く自分には客層が違うことに気づかされ、また客席に着くと端々からピアノの先生の会話が聞こえてくる。ただ、聴いている曲の幅や演奏家は多分、好事家の方があるだろうなぁ、とも思った。ステージに現れたピリスは老いたところなど一切見せない舞台姿であった。すっと、イスに座って、早々にピアノを弾き出す。オール・ベートーヴェンプログラム。悲愴、テンペスト、32番だ。月光の第1楽章、オクターヴを超えて弾くあたりを聴きながら「この運指ではベートーヴェンは弾ききれない」と、感じた瞬間があったのではないか。恐らく、モーツァルトであればそうは思わなかったのかもしれない。

 キャリアを積むに従ってベートーヴェンに傾斜していったピリスにとって、ベートーヴェンが彼女の理想とする水準で弾ききれないことは、自身のキャリアを考え直す充分な理由になったのかもな、と。更に言えば、このあたりで満足、という達成感があったのかもしれない。

 インタビューとか全然追いかけてないから、憶測ではあるんだけれど。それはテンペストの1楽章を聴いていても感じた。残りの人生を若者達とのマスタークラスで教え、交流し合いながら閉じたいと考えるのは、アルゲリッチもそうだけれど、音楽を次の世代に伝えたいという一種祖父母の心境に近いのかもなぁ、なんて余計なことを思ったりした。

 ただ、技術的に完璧でないことと演奏会の感動は次元がまるで異なる。個人的には32番が生涯、耳にすることは出来ないであろう演奏だった。聴きながら、1楽章が人間の命の誕生と宇宙の創造を、また3楽章がそうした世界を描きながら、この世界の人びとの喜びであることが、舞台からこちらに映像が送られてくるような感覚がしたのである。なんだか宗教的でうさんくさい表現なのだけれど。ホントに言ったかどうかは分からないけれど、朝比奈隆は「ベートーヴェンは人間の全て」と表現した。彼岸にいながらも、それでも最後まで人間とこの世界(宇宙も含めて、なんだろうけれど)を追い求めたんだなぁ、と。使い古された表現だけれど「精神性」なるものは、この演奏を聴け、と言えば済むことなのだ。力で圧倒、とは異なるベクトルでサントリーホールの中を満たしていた(ココの表現が難しい)。

 アンコールはクアジ・アルグレット。年度初めで、月曜も都響定期に行っていたから、仕事的にも肉体的にも相当キツかったのだけれど、その代わり得たこの経験は、自分の音楽人生の宝にもなったから、ヨシとしたい。

April 09(Mon), 2018

takashi19822018-04-09

東京都交響楽団 第852回 定期演奏会

東京文化会館

指揮/大野和士

メゾソプラノ/リリ・パーシキヴィ

児童合唱/東京少年少女合唱隊

女声合唱新国立劇場合唱団

マーラー交響曲第3番 ニ短調

 2018年度最初の都響定期はマーラーの3番を音楽監督・大野和士の指揮で聴く。このコンビによるマーラーでは一番の出来だったと思う。「知将」とプログラムでも呼ばれているが、確かに内面に深く沈み込むそのスタイルはハマれば感銘を受けるのだけれど、音楽の流れや曲そのものの持っている構造的なエネルギーが削がれる嫌いがある。それで言えば、今回の3番はこの世界に対する(マーラーとしては)肯定的なフィナーレとも相俟って、かなりの親和性を持っていたと思われる。2楽章は大野自身もっとも力を込めていた楽章だけ合って、流れるような音楽の中にも陰影に富み、かつ穏やかな空間があった。

 個人的には独唱のリリ・パーシキヴィがハマっていたと思う。この曲はかく歌われるべし、という自信というか革新的なものが説得力を持っていた。合唱もクセがなくて良い。3番はバーンスタイン(旧録音)やバルビローリなどが個人的な好みなのだけれど、今回の演奏も匹敵しうる感動を得た。良かった!

March 21(Wed), 2018

takashi19822018-03-21

東京都交響楽団 第849回 定期演奏会

指揮/エリアフ・インバル

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ハ長調 op.60《レニングラード》

 都響/インバルによるショスタコーヴィチ「レニングラード」を東京文化会館で聴く。冒頭から厚みのある弦の合奏に人々の日常を感じ、彼方からやって来る軍靴の足音が徐々に迫って来る感じは鳥肌が立つほど。人々の生活が戦争の不条理に飲み込まれ、人間が踏み躙られていく。戦争のテーマが咆哮するところで文化会館の舞台に鐘塔が崩落していく感覚を覚えたのだ。機関銃によって次々人々の生が奪われるような音楽。同時代に生まれたインバルにとってみればこの曲は自らの生と地続きなのだ。直感的に戦争の実相が伝わってくる。ああ、コレはそんな曲なんだ。圧倒的な説得力。

 第2、第3楽章は純音楽とでもいうのかな。そこにあった生活への回顧、その後に現れた社会のグロテスクな現れ。解説にも、色んなところで読んだけれど、その現れは反ファシズムや反全体主義なのだろう。クラクフ旅行で見た、ナチスのユダヤ人政策に関する博物館資料やプラハ旅行での社会主義博物館、語彙が貧困でうまくは言えないけれど、その時感じた時代性みたいなもの感じた。なんか書いていて、スピリチュアルな気持ちの悪さがあるんだけれど(苦笑)、あれはなんなんだろうか。第4楽章の白兵戦的な場所はちょっと現代っぽいというかハリウッドっぽいというか、サクサク戦っている!?

 もっとグッとテンポを落としてやるのかな、と思ったけれど、違うんだなぁ。ともあれ、この辺り、インバルの薫陶を得た都響が弾くと合奏能力の高さも相まって、とてつもない迫力だ。それがそのままコーダに連なるのだから、圧巻である。永遠に記憶に残りそうなショスタコーヴィチだと思った。

 昨夜のインバルを聴いたあとにも思ったが、この国で名匠・巨匠とされる条件は80歳を過ぎてもなお矍鑠と活躍できる健康に恵まれる必要があるのだろうな。最近もエリシュカ、ブロムシュテット、(デュトワを入れても良い?)。ちょっと前ならスクロヴァチェフスキ、フルネ、ヴァント、朝比奈隆・・・。彼らを「シルバーシート」と言って馬鹿にする向きもあるが、自分はそうは思わない。作品に対する、ある種の「答え」を提示するだけの経験と、そこへの踏ん切りに加えてオケに遠慮なく振る舞える貫禄とオケ側の尊敬が合致した時、名状しがたい奇跡の瞬間が生まれるのだと思う。

February 12(Mon), 2018

takashi19822018-02-12

TBSK管弦楽団 第八回定期演奏会

バレエ組曲「アパラチアの春」/コープランド

バレエ音楽「四季」/グラズノフ

バレエ音楽「春の祭典」/ストラヴィンスキー

 知り合いの子(歳の離れた友人と言うべきか) TBSK管弦楽団の定期演奏会を聴きにMUZA川崎シンフォニーホールまで出かける。バレエ音楽と言うことで、コープランド「アパラチアの春」、グラズノフ「四季」、ストラヴィンスキー「春の祭典」という意欲的なプログラムだ。会場がミューザ川崎ということもあってアマオケとは思えない豊穣な響きだ。そりゃ、もちろん、ところどころ弱さは感じるがマスになったときのエネルギーはお見事! アパラチアの春は聴きながら大草原の小さな家というか、赤毛のアンというか、そんな情景が浮かんでくるような曲。

 コープランドは分かりやすいし、もっとプロオケも定演でかけると良いのだがあんまり聴かない(2014年11月に都響定期で聴いた)。グラズノフの「四季」は実演では初めて。もっと濃厚なのかとおもったけれど、そこは解釈なのか?スヴェトラーノフとかだとどうするのかな?なんて思いながら聴いていた。

 春の祭典は100人以上が舞台に並んでいる(だろう)壮観な演奏だ。コンバスだけで10人以上立っている。団員全員が出る曲を選んだんじゃないだろうかと思うくらいだ。あとはR.シュトラウスくらいか?(このオケならアルペンを聴いてみたい)。冒頭のファゴットが決まった!木管が総じて上手い。これだけの迫力でハルサイをやると、その前衛性と当時はさぞスキャンダラスだったのだろうと思わせる(初演者がモントゥーと言う意外性)。テンションも高く、指揮者は変拍子が多いのに的確に指示を出し、オケもしっかり付いてきて、鳴りきるのがスゴい。ホールの響きと相俟って大興奮だ。

 そして、まさかのアンコール曲が「火の鳥」、カスチェイ王の魔の踊りから終曲まで。すでにアンコールピースではない(笑い)。この人数で火の鳥を聴いてみたかったから楽しかった。きっと勢いでやろうという話だったのだろうが、火の鳥にハルサイは粉砕されてしまったかも。スゴかったけどね。