カウンター・オデオロギーとしての方言

 昨日は国語教育研究会春季総会というのがあって、仙台に行っていた。「総会」と言えば、事業報告・計画、決算・予算といったことについて、ほとんど議論らしい議論もなく、パチパチ拍手で承認というのがだいたいのところであろう。実際、国語の総会も似たり寄ったりだ。かと言って、組織として開かないわけにも行かない。せっかくそのために集まるのであれば、ということで、いつ頃からだったか、講演が行われるようになった。形式的な総会だけではなく、研鑽の場にしようということである。
 今年、その講演の講師として招いたのは岩手大学名誉教授・大野眞男(おおのまきお)氏であった。元々は言語学者で、特に奄美や沖縄といった南方方言の研究をしていた方であるが、岩手に職を得た縁もあって、宮澤賢治の言葉遣いについての研究も行うようになった。大学を退職された現在も、宮澤賢治学会イーハトーブセンター副代表を務め、宮澤賢治記念館の展示企画等を行っておられる。今年は、賢治の詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の刊行100周年ということで、この先生にお出ましいただくこととなった。
 昨日の演題は「賢治と方言 ~宮澤賢治はなぜ作品に方言を使ったのか~」。常任委員を務める私は、先月、今回の総会の準備のために出席した常任委員会で、今年の講演が宮澤賢治と方言の関係についてであると知った時、土着の作家である賢治が方言を使ったなんて当たり前ではないか、「なぜ」などとわざわざ問題設定をするほどのものか、と思った。ところが、話というのは聞いてみないと分からないものである。
 大野先生は、近代文学における方言使用の意味について、磯貝秀夫の論文「日本近代文学と方言」に基づいて、方言を作品中で用いることの三つの意味を紹介し、それらと賢治作品との関係を考察していく。すると、「土着の作家である賢治が方言を使うのは当たり前だろう」が必ずしも当たり前ではなく、方言に託された機能というものがあって、それによって作品が非常に能弁なものとなっていることが分かってくる。
 実は、私は昨年も、この総会・講演会には出席していて、その時の講演についてこき下ろしている。なぜつまらなかったかと言えば、結局それが「御用学者」の講演でしかなかったからだ。文科相の意向に沿ってもっともらしい話をするだけだったのだ。
 今年は、学習指導要領やそれに基づくカリキュラム編成などとは何の関係もない、純粋に学問的なお話だったからなおのこと面白かったのは確かなのだが、今年のお話が面白かったことにはもう一つ、内在的なある問題があったようだ。
 賢治の時代、近代化のために標準語を普及・定着させていくというのが国家としてのイデオロギーであった。それに対して、賢治は標準語と共にカウンター・オデオロギーとしての方言を駆使して作品を書いた。つまり、方言を使うということの中に、国家に対して盲従し、自らを放棄したりはしないのだという賢治の立場が表れている。「御用学者」とは対極にあるそんな賢治の態度によって、元々、宮澤賢治をあまり好まない私が、昨日のお話に興味深いというだけではない、ある種の心地よさを感じたのだろう。
 終了後は、旧知のA君と仙台駅まで歩き、そのまま酒を飲みに行った。白石からわざわざ来てくれたK君も合流し、仙石東北ライン最終(20:47)までの時間ではあったが、機嫌良くしこたま酒を飲んだ。いつも混んでいる夜の石巻行きだが、発車2分前に駆け込んだ時に奇跡的に一つだけ空いていた席に座ると、すぐに寝入ってしまい、気がついた時には石巻駅に着いていた。