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Tr,平居の月曜プリント

2018-06-21

名古屋城のエレベーター

 今年の4月末だったか、しばらくの間、名古屋城天守閣には上れなくなるらしい、という話を耳にした。なんでも鉄筋コンクリート造りの今の天守閣を壊し、木造のオリジナルな天守閣の復元をするのだという。コンクリート造りの天守閣は無粋である。オリジナルの復元はいいなぁ、と思ったのは一瞬のことで、実はなかなか難しい問題かも知れないぞ、と思うようになった。

 今日の朝日新聞「ニュースQ³」欄で、木造の天守閣にエレベーターを付けるかどうかでもめているという話を読み、「難しい問題だぞ」の感は急激に高まった。これは本当の難問だ。

 Q³によれば、昨年7月、名古屋市内の障害者団体が新天守閣へのエレベーター設置を要望し、その後、市との間でもめ続けているらしい。障害者団体は「人権侵害差別だ」と言い、バリアフリー法や障害者差別解消法に違反すると指摘する。一方、市は、「寸分違わぬ本物復元」を公約とした市長が、大差で当選していることなどもあり、設置には消極的だ。県は市に計画再考を求め、市はエレベーター設置以外の代替案を検討中だと言う。

 一昨年、姫路城の大修理が終わったが、その際、エレベーターを設置しろという話はなかっただろう。安土城犬山城にエレベーターを付けろという話もない。それらの城がオリジナルの歴史的建造物である以上、その構造を大きく変えるであろうエレベーターの設置が議論されないのは当然である。名古屋城が問題になるのは、復元=新築だからである。

 名古屋市長が「寸分違わぬ復元」を提案したのは、「都市として自慢できるものが欲しい」という理由によるらしい。かなり曖昧な理由だ。オリジナルを復元したからといって、その城が城として機能するわけでもない。だから木造復元の目的は、学術とか文化(技術)継承というよりは、観光資源としての価値増大にあるだろう。だが、復元の過程で、学術や文化継承に関する価値も必然的に発生する。

 エレベーターを付ければ、オリジナルの姿・構造はかなり大きく変えざるを得ない。本来の名古屋城の内部の姿を損なうのはもとより、学術的価値も低下する。一方で、付けなければ、天守閣に上がれない人が生じる。膨大な税金を投じるとなれば、不公平だという話にもなるだろう。

 結局のところ、これらのメリットとデメリットを比較して決めるしかないのだが、どうも私には、もう一つ気になることがある。

 それは、最近、文明が発達し経済力が大きくなってから、「仕方がない」と諦めるとか「我慢する」ということが、非常に難しくなっているという問題である。例えば携帯電話が普及したのだって、常に「思い立ったその場で連絡が取りたい」という欲求があったからであるが、その欲求携帯電話が普及することで満たされ、それが出来ることが当たり前となった結果、更に強固な「思い立ったその場で連絡が取れないと許せない」という欲求になった。それと表裏一体の関係で、欲求が満たされない時のフラストレーションは強大になり、耐えられなくなっているのではないか?そして、欲求が満たされない時には、耐える代わりに、その責任をどこかに求めてはけ口とする、ということが多いのではないだろうか?

 急な階段を上り下りできなければ、日本の歴史的建造物内部を移動することが出来ないのは、当たり前である。そういう構造のものなのである。なにしろ歴史的建造物なのだから、そういうものだと受け入れることもまた必要なのではないだろうか?

 さほど傷んでもいないコンクリート天守閣を壊し、貴重な資源(主に巨木)を大量に使って、コンクリート天守閣とほとんど同じ構造を持つ天守閣を作るのはバカげている。木造で復元するのであれば、学術的価値や技術の継承といったことも意識しながら、名古屋市の言うとおり「寸分違わぬ復元」を目指すしかないと思う。

 とは言え、入場料収入で償還するという費用だって、かなり怪しい計算のようだし、いくら観光資源と割り切るにしても、21世紀にオリジナルの天守閣を復元する意味がどれほどあるのかについて、私は懐疑的だ。本当は、そんなにゴタゴタするんだったら、いっそのことご破算にすればスッキリするのに・・・と思う。