ベートーベン頌・・・「英雄」交響曲に寄せて



 金曜日の夜は、1年ぶりで仙台フィル定期演奏会に行った。最近、震災(JRの不通、救援車両の増加)やら被災証明書による高速道路の無料化やらで、仙台に行く三陸自動車道がやたらと混んでいるので、文化祭の前日に学校を早めに脱出し、仙台の会場に足を運ぶということが本当に可能なのかな、と思いつつ、プログラムの魅力に逆らいきれず、断固として行くことに決めたのである。

 指揮は小泉和裕、曲目はベートーベンの『エグモント序曲』、交響曲第4番、第3番「英雄」というものであった。

 何を今更ベートーベン、と言ってはいけない。ベートーベンはあまりにも有名で、しかも崇高なる名曲・交響曲第5番「運命」の冒頭が「ジャジャジャジャーン」などと、ほとんど人を茶化すような使われ方をするものだから、なんだか俗臭にまみれた平凡な存在に見えたりする。しかし、なかなかどうして、これは史上最も優れた作曲家であること間違いがないのである。

 魅力の原因は捕らえどころがない。ブルックナードビュッシーのような、少し聴いただけですぐにそれと分かるような特徴があるとは思えない。バイオリン協奏曲あたりが代表格だと思うが、ある意味ひどく単純素朴で、ちょっとした作曲技法を持つ者なら誰でも作れそうな音楽である。しかし、聴けば聴くほど人の心をとらえて離さない。「飽きのこない音楽」という表現が、私はベートーベンの音楽に最もふさわしい形容のような気がする。

 何とも健康・純粋な素朴さを持ち、強い意志とヒューマニズムに溢れ、生涯着実に成長を続けたことが、作品を時系列に追うことによってありありと見えてくる人物、自分の年齢に応じて常に新たな発見と感動がある一方で、若者にこそしっかりと耳を傾けて欲しいと思う人物、それがベートーベンであり、ベートーベンの音楽だ。

 では、そのベートーベンの音楽で、特に優れたものは何だろう。交響曲は言うに及ばず、「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」、「熱情」や29番以降のピアノソナタハ短調の変奏曲、最後の6つの弦楽四重奏曲(特に第14番)、バイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第4番、5番、クロイツェルソナタ、7重奏曲、一部の歌曲・・・といくらでも思い浮かぶが、やはり私が今まで並々ならぬ執着心を持って聴き続けてきたのは、交響曲第3番「英雄」なのである。ベートーベン自身も、少なくとも第9交響曲作曲以前には、この曲を最も気に入っていたらしい。

 この曲は、今更ここに書くまでもないことだが、ベートーベンの耳の病気が決定的に悪化し、音楽家として生きていくことが出来るかどうかという深刻な悩みの中で、民衆を解放する偉大な英雄ナポレオンへの敬意を込めて書かれたものである。多くの人が指摘する通り、この曲を聴くと、それ以前の彼の作品との質的な違いに驚く。人間は何かの瞬間に、これほど大きな、飛躍的成長を遂げることがあるのだということが、私には人間の精神とか能力というものの可能性を示す奇跡、或いは希望に思える。以前(2009年11月2日)ここに書いたことのあるマーラーの第9交響曲が人間の後半生を代表する傑作であるとすれば、人間の前半生を代表する傑作は「英雄」である。

 流麗な美しさなどない、いかにもベートーベンらしい単純で無骨な主題によって、ソナタ形式というものを極限まで完成させたかのような、頑丈な構築物である第1楽章。形式は「葬送行進曲」ながら、短調長調の間を絶妙に渡り歩きながら、人生の一大絵巻のようになっている第2楽章。他楽章と比べると、いささか軽いが、中間部のホルンによるトリオが生きている第3楽章。「プロメテウスの創造物」の主題による見事な変奏曲となっている第4楽章。わずか32、3歳の人間によって書かれたということを意識しなかったとしても、その完成度の高さには驚くしかない。

 そして、マーラーの第9同様、私はチャンスがあれば「英雄」の演奏には欠かさず足を運んできた。とはいえ、不思議なことに、その回数は決して多くない(今回が9回目?=3〜4年に1回)。これほど有名で、編成が小規模で、技術的にも難しくはなさそうな曲が、あまりプログラムに取り上げられないのは、やはりこの曲への畏敬の念が、指揮者を身構えさせるからだろう。今回の指揮者・小泉和裕氏は、その案内チラシに言葉を寄せて、「二十代の頃からこの大作傑作の素晴らしさに魅せられていて、難曲でもある事から長年あたためてきた音楽で、この年代(60歳)になってやっと演奏し始めたところです」と書いている。その通りなのだろうと思う。この場合の「難曲」とは、「『春の祭典』は難曲だ」というのとは違って、多分に精神的な意味であると思う。それだけに、ライブでも録音でも、この曲の演奏にはハズレがない。

 終演後は珍しいほど多くの「Bravo!」が飛び交い、頭の上で拍手をしている人が多かった。確かに立派な演奏ではあったが、特別に優れた演奏だとも思わなかった。「Bravo」も頭上の拍手も、おそらくは演奏者ではなく作曲者に向けられたものであろう。


(補)一方、交響曲第4番は、数あるベートーベンの作品の中でも、特に私の心に響かない作品だ。我が家の書架を見ても、ベートーベンの九つの交響曲の中で、第4番の楽譜だけが欠けている。決して一般に評判が悪いわけでもないこの作品が、なぜ私にとって退屈なのか。これはこれで、興味深い考察の対象である。