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Tr,平居の月曜プリント

2012-07-01

携帯電話のない生活


 携帯電話を解約して3ヶ月あまりが経った。持たないとどうなるのか、ということについて、少し書いておこうと思う。

 基本的に不便は何もない。お金がかからないこと以外にも、メリットはたくさんある。生活は邪魔されなくなったし、さして必要でもない情報のやりとりがなくなった。何かにつけて、家族と連絡を取り合っていた時には、帰りが少し遅れるだけでも、連絡がないといらいらしていたのに、それがピタリとなくなった。「携帯がないんだから仕方ないや」と思い、気にならなくなったのである。固定電話は自宅にあるわけだから、そちらにかけて来なければいらいらしても不思議でないのに、なぜか気にならない。それほど「携帯がない=連絡は取り合えない」という意識は、強く染み付いている。家族の側でも、同様の思いらしい。これは精神衛生上すこぶるよろしい。

 私は、マジックミラー越しに部屋の中を覗いているような立場である。他の人の携帯電話の番号が分かっていれば、私は電話をかけることができるが、相手は私にかけることが出来ないからである。これは少しズルイかも・・・。

 公衆電話というものも、思いの外たくさん残っている。昔から持っているテレホンカードが、なぜか使えたり使えなかったりするのは少しいらいらするが、基本的に公衆電話で不自由はない。こういう場合は困るな、と思うのは、例えばバスに乗っていて渋滞に巻きこまれ、待ち合わせの時間に間に合わない、というような場合に、連絡が付けられないくらいだ。これとて、実際にそういうことが起こったわけではない。バスや電車に乗っている最中に、少しそんな想像をしてみた、というだけである。

 困ると言えば、最も不自由を感じたのは、人の電話番号の管理である。職業柄、私はいつでも生徒の電話番号が分かり、電話がかけられる状態になっていないと困る。ところが、紙に書いた電話番号メモを持ち歩くのは、個人情報云々ということが厳しい昨今、非常に危うい感じがする。メモをどこかで落とせば、マスコミのいい餌食になりそうだ。

 携帯電話のようにパスワードのかかるハンディタイプの住所録なんて売ってないかなぁ、とぼんやり思っていて、ふと思い出したのは、今回盗難に遭う前の携帯電話である。昨年4月半ばまで使っていた先代の携帯電話を、なんとなくデータが流出しそうで不安だという思いから処分せず、自宅の引き出しに入れっぱなしにしていた。よく考えると、既に電波こそ出していないものの、電話・メール以外の機能、すなわち、住所録やアラーム、電卓などの機能は使用可能のはずである。幸い、今受け持っている生徒の電話番号等も入力した後に電話機を変えたので、それらは残っている。使ってみると、すこぶる便利である。しかも、ずいぶん電池がへたってきたな、と思って機種変更したにもかかわらず、電波を出していない、かかってくることもない電話機の電池というのは、びっくりするほど長持ちするものである。月に1度も充電すれば、それでよい。今、私はそれを持ち歩いている。人目に触れて、「結局また買った訳ね?」などと尋ねられると説明が煩わしいので、出来るだけ出さないようにしているだけだ。

 何でも、もともと無かったものがあるようになると、最初のうちはあることが特別であったのに、いつの間にか、「ないと駄目」になってしまう。携帯電話を手放すと、それがいかに下らない思い込みであるかがよく分かる。おそらく、このことはあらゆるものに当てはまるだろう。何でもそんなものだと思うと、気が楽だ。


(解約した時のことは3月20日の記事参照)

jintokujintoku 2012/07/02 20:49 こんにちは、一高でお世話になった高橋(高57回生)です。そういえば先生も
携帯電話を解約されていたのですね。私もつい最近、携帯電話を解約いたしました。

私個人の生活の中では、名簿、(正確な)時計、カメラとして携帯電話の機械が手放せなく
なっております。案外、携帯電話の電話やメール機能だけではなく、その他付随する機能が
生活の中で重要な役割を担っていることがわかりました。

あと、唯一文句を言うなれば、急な飲み会に誘われなくて損をした気分がする、
という不便を抱えております(笑) どうでもいいことですね。

KeithKeith 2012/07/03 11:01 iPhoneとかiPadとかそういう端末が便利なんじゃないですか?
WI-FIだけ契約して端末をツールとして持つというのもいいと思います。
多少お金がかかるというところ以外では先生のご期待に全て応えていると思います。
ですが、iPhone、iPadにしろ手帳にしろ何にしろ新たに購入するのにお金はかかるものなのですから、そのあたりは「少し良い物を買った」という意識があるといいですね。

takashukumuhaktakashukumuhak 2012/07/04 22:19 jintoku 君
コメントありがとう。君のアナログ指向は、かねてより知っていましたが、携帯電話まで手放したとは、たいしたものです。
携帯電話の電話・メールといった通信機能以外の重要さに対する認識も、私と同じで、共感を覚えました。
急な飲み会など、携帯がないことによって失う楽しみは確かにあるでしょうが、それによって情報や人間関係がふるいにかけられているわけですから、私などは、かえって清々しています。
本当に大切にされるべき友人は、自宅の電話でも、PCのメールでも、必ず連絡を寄越すでしょうから。
研究活動はどうですか?いずれそんな話も聞かせて下さい。お元気で。

ちくわぶちくわぶ 2018/02/07 15:32 はじめまして、こんにちは。携帯電話のない生活について調べていたらこちらにたどり着きました。
これだけ危険・迷惑・マナー違反と言われても歩きスマホをしている人たちや、混み合った公共の乗り物の中で、スマホを弄るのに必死で周りに肘やカバンを当てまくっているのにも気づかない人たちにうんざりの日々です。痛くて押し返したら逆ギレっぽく睨まれたりもしますし。その人たちのスマホをカマボコ板に変える魔法はないのかと真面目に考えては気を紛らせています。
平居先生は、そのようなとき、どうやってイライラを収めておられますか?世界は美しいと感じていたいものです。
随分昔の記事へのコメントで失礼いたしました。

takashukumuhaktakashukumuhak 2018/02/07 22:27 ちくわぶ 様
コメントありがとうございました。確かに、スマホ中毒の人を見ているのは不愉快ですね。迷惑というよりは、あんな小さな機械に心まで支配されているようで、情けなく、哀しい気持ちになります。ただ、スマホ(携帯電話)というのは、「欲望を満たすのは善」という価値観に染まった大きな社会の中の一現象に過ぎません。スマホに感じるのと同じストレスを感じざるを得ないその他多くの場所、多くの現象が存在します。相手がスマホだけならいいのですが、残念ながら、それには限らない、ということです。では、そのストレス(イライラ)を収めるいい方法があるかといえば、あまり思い浮かびません。「なに、こうして人間は内側から崩壊し、近いうちに滅びるのさ。ざまあみろ!それが自然の摂理というものよ」と開き直っているだけです。しかし、私たちの視界というのは狭いものです。少し見る場所を変えれば、美しい世界はいくらでもあると思います。それは逃避でしかないのかも知れませんが・・・。今後ともよろしくお願いします。

ちくわぶちくわぶ 2018/02/13 16:18 平居先生、こんにちは。お返事ありがとうございました。
確かにそうですね。スマホ(携帯)というのは一現象にすぎないのかもしれません。場所をわきまえず、マナーを無視してでも人に迷惑を掛けてでも今すぐ使いたい!と必死になっている姿に、欲求を押さえられないみっともなさを感じてしまうから、目にして嫌な気持ちになってしまうのだと気づきました。
それは生命維持装置ですか?というくらい携帯を手放せない人もいますよね。そういった方は常に下を向いて画面に夢中で、まるでゾンビのようです。歩きながら使う人も、歩きながらしなければいけないほど大事な用はないと思いますし、もし大事な用であれば落ち着いてきちんと返事をした方が良いのでは…と思います。

と言いながら私も携帯電話を持っています。高齢の親や親の通院先より、体調の急変の連絡が入ることがあるので、着信があるたびにびくっとしてしまいます。それ以外の連絡や返信は、至急でない限り帰宅後に済ませるので、本当は携帯電話なくてもいいのでは…と常々思っています。
こんなふうに考えるのは珍しいのでしょうね。「携帯(スマホ)がないと初めての場所に行くとき辿りつけないじゃん」という声を聴くことがありますが、事前に下調べしないのか…?と逆に不思議でした。

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