今朝のシチューの白菜は・・・



 この数日、我が家の食卓では「白菜」入りのおかずが多い。もちろん、我が家に白菜がたくさんあるからである。時間は前後するが、その事情を少し書いておこう。

 先週は、第3期考査であった。その初日である11月25日(火)、私は休みを取って、息子を連れ、久しぶりで岩手県花巻市に行った。宮沢賢治の出生地として有名な町だが、もちろん、私は高村光太郎が晩年を過ごした場所として、かつてたびたび訪ねたことがある。

 まず最初に、高村山荘(高村光太郎旧居)に行った。保存地区の一番西の端にあった記念館(博物館)が閉鎖され、一番東の、元の花巻市博物館で遺品等の公開をするようになったという話を聞き、どの程度、内容が変わったのか確かめてみたかったからである。ただし、これはオマケ。

 次に行ったのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑である。20年ほど前に「賢治祭」を見に行って以来なので、どんな場所だったかほとんど何も覚えていない。この詩碑の碑文は、高村光太郎が揮毫した。終戦直後だったかに、碑文に間違いが発見されたので、昭和22年に書き直して、元々の文字の横に追刻したという珍しい石碑である。その追刻も含めて、ほとんど初めてまじまじと詩碑を見た(忘れただけかも・・・?)。だが、これもオマケである。

 詩碑は北上川河岸段丘上にあり、その前はちょっとした広場になっている。なぜ、この地が詩碑の場所に選ばれたかというと、賢治が住んでいた場所だからである。賢治が住んでいた建物(「羅須地人協会」)は、現在、ここから北に相当離れた花巻農業高校(賢治が教員をしていた縁)の敷地内に移築されている。私は何度か訪ねたことがあるが、その建物には、玄関脇に黒板があって、「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という文字が今でも書かれている。もちろん賢治の自筆が残っているわけではないが、当時、しばしばそのような書き置きが為されていたため、消えそうになると、管理者が賢治の筆跡に似せて書くということを続けているらしい。

 高台にある詩碑は、東側に展望が開けていて、北上川を見ることが出来る。その北上川の手前に「下の畑」がある。この畑は、現在でも宮沢家の所有地として存在しており、白菜等が栽培されている。野菜を作っているのは宮沢家ではなく、花巻市の「下の畑保存会」と仙台市の「食の学人(まなびと)の会」の人たちである。この人たちが関わる前は、草がボウボウと茂る荒れ地になっていたらしい。とある縁があって、「25日に、白菜の収穫を行うけど、来たかったら来てもいいよ」と言われたので、一度見てみるか、と、のこのこ出掛けて行った、というわけだ。

 今回初めて知ったのだが、白菜という野菜の日本における栽培の歴史は新しく、しかも、最初に白菜を作ったのは宮城県の人。場所は宮城県農業高校と松島湾の馬放島(まはなしじま)だった。そのため、その白菜は「松島白菜」と名付けられたという。「食の学人の会」では、そのことにちなみ、馬放島は無人島なので、近くの野々島(ののしま)で小学生と一緒に種を植え、その苗を花巻に移して育て、収穫は「下の畑」に最も近い南城(なんじょう)小学校の生徒が行う、それぞれの小学校は白菜の縁で、修学旅行の時に相手の学校を訪問して交流する、という取り組みをサポートしている。だから、この日の収穫の主役は南城小学校の5年生である。なるほど、高校の教員が何人か関わっているのに平日なわけだ。

 「下の畑」に行ったのは初めてだったが、何人かの人が私より早く来ていたので、詩碑から見て、場所はすぐ分かった。とことこ歩いて行ってみると、畑の隅には「賢治自耕の地(下ノ畑)」と書かれた標柱が、中央の花壇には「涙ぐむ目」(賢治が設計した花壇のうちの1つに付けられた名前)のモニュメント風看板(?)が立てられている。私たちが着いて間もなく、南城小学校の生徒100名弱が歩いてやって来た。挨拶をする声がひどく元気よい。

 最初に開会式で、「下の畑保存会」のKさん、「食の学人の会」のTさんから挨拶の後、宮沢家の継承者である宮沢和樹さん(賢治の弟の孫)から、お話があった。「賢治さんは、この畑で白菜やトマトという、当時は誰も作ったり食べたりしない野菜を作っていました。作っても全然売れないので、近くの農家の人にあげていたそうです。」これでようやく、なぜ白菜なのかが分かった。確かに、松島湾の小島と花巻(賢治)の間には、大正の時代から、「白菜」という共通の糸があったのだ。

 小学生の白菜採りはあっという間に終わった。もちろん、私も息子と共に交ぜてもらった。「下の畑」の一角、40坪の白菜畑からは、450個あまりの白菜が穫れた。小学生は一人2個ずつお土産。私も含めて、他の参加者(関係者)もたくさんいただいたが、更に残った200個近い白菜は、給食の材料にするとかで、小学校の軽トラが持ち帰った。

 というわけで、以来、我が家では白菜、白菜、白菜・・・なのである。宮沢賢治というのは、私が価値を今ひとつ理解できずにいる超有名人なのだけれど、それでも、そんな人の畑で作られた白菜は心なしかありがたく、味わい深い。来年は、野々島で白菜植えを見せてもらおうかな・・・。