南浜地区復興祈念公園迷走曲(5)



 さて、7日の部会の話である。何しろ土地は広大で、問題は多岐にわたるので、ここでいちいち報告は出来ない。問題を三つに絞って書いておこう。

 まず一つ目は、完成後の維持管理の問題だ。私は、最初にかけたお金に比例して維持管理費は増えると思っているので、「負の遺産を残さない」という観点から、その点を後回しにして公園計画を作るのは間違いだと思っている。尋ねてみると、市から、維持管理については、経費(予算)も含めて何も決まっていないという話があった。

 参加者からは、市民参加で抑える、企業への協力を求める、といった意見が出た。私はどちらにも否定的だ。市民なんて、NPOも含めて、基本的には無責任である。最初のうちは喜んで花を植えたりお掃除したりするかも知れないが、飽きたらおしまい。他にもっとやりがいのあるフィールドが現れれば、そちらに乗り換えてしまって、南浜についてはやはりおしまい。離れていく彼らを、強制的に引き留める方法はない。会社も、業績好調なうちや、宣伝効果が期待できればいいが、景気回復や経済成長否定論者の私(→こちら)としては、短期ならともかく、30年、50年というスケールで考えれば、期待はしない方がいい。オリンピックがらみで(公園は2020年完成予定)、その時に観光客を呼べればそれでいい、というならともかく、永久に公園を存続させるつもりであれば、維持管理に関する楽観的すぎない周到な計画が必要だ。

 二番目は、公園内の避難経路の問題である。この公園に出来るだけ多くの人に来てもらいたい、ということと、やって来たたくさんの人が、津波から逃げられるようにしなければならない、ということは、基本的に二律背反だ。そもそも、南浜は危険な場所だ、と言いながら、せっかく公園を整備するのだから多くの人に来てもらいたい、と計画に携わる多くの人は言い、更に役人は、公的な施設である以上、ここで死者が出ることは絶対に許されない、と言う。なんだかメチャクチャな話だ。予防というのは、万全を期せば、どんどん過剰になっていくという性質を持つ。公園に来る人を出来るだけ少なくするという選択肢がなく、津波で死ぬ人をゼロにするためには、自ずから重装備にならざるを得ない。市立病院(だった場所)の裏手あたりに7mもの築山を作ろうという発想も、そんな中で生まれてくる。

 私はもちろん、アホくさいなぁ、と思いながら聞いている。日常的にそこで生活しているならともかく、人生の中で何時間かその公園に行った時に津波で死ぬ確率なんて、毎日の通勤途中、いや、会議をしている市役所から帰宅途中に交通事故で死ぬ確率に比べても数千分の1、いや数万分の1以下であるはずだ。そもそも、来る人は、そこが津波で壊滅した町があった場所だということは周知のはずなのだから、危険だから怖いと思う人は行かなければいいだけの話なのだ。これだから、公園計画なんてナシにすればいいのに・・・ブツブツ。

 それとの関連で、私は三重県の松阪城の話をした。高い石垣の上に柵が設置されていない、あのすばらしい古城である(→詳細)。松阪城は、注意の表示さえしておけば、柵を設置しないこと(危険防止のための強制手段を用意しないこと)が、行政に許されるということ、それでも案外事故というのは起こらないものなのだ、ということを教えてくれている。松阪城の教訓は、公園に生かされるべきである。しかも、あの石垣から転落する可能性に比べれば、南浜で津波に遭う可能性はお話にならないくらい低い。(続く)