ミサイル

 気が付けば、10日ほどに渡って書いていない。何があったわけでもない。ただなんとなく字を書く気にならなかったのである。これは珍しい。他のことも含めて、8月末以来、生産性が至って低い。
 さて、昨日、私の乗っている列車が、すれ違い待ち合わせのために陸前大塚の駅に止まっていた時、車内の人たちの携帯電話が一斉に鳴り始めた。Jアラートというやつである。みんなまるで聞かれてはいけない音を出したかのように、慌てて携帯電話をカバンやポケットから取りだし、音を止めたり画面を見たりしていた。携帯電話を持っていない私は、ミサイル情報とは気付いたものの、悠然と本を読み続けていた。人々の狼狽が滑稽で、なんだか気分がいい。
 間もなく車内放送で、北朝鮮がミサイルを発射したとのアナウンスがあり、少しして、北海道を越えて太平洋に落下したらしいというアナウンスがあった。やれやれ、足止めを食うことはなさそうだ、と思っていたところ、「安全確認のためにしばらく停車します」みたいな放送が入った。バカじゃなかろうか?・・・幸い、それから2〜3分後には、「安全が確認されましたので発車します」という放送が入り(笑)、列車は動き始めた。塩釜には10分遅れで着いた。
 学校で、授業の時に、「先生はミサイルについてどう思いますか?」という質問があった。私は次のように答えた。

「今のミサイルは弾頭を積んでいない。だとすれば、北日本、いやグアムまで含めた北西太平洋の地図の中で、ミサイルが落下したときに被害を受けるのは、針の先ほどにもならない小さな範囲だ。仮に超強力核弾頭が積まれていて、半径20キロとか30キロの範囲が焼け野原になるとしても、せいぜい鉛筆の芯の先ほどの面積でしかない。自分がその小さなエリアの中に入る確率は、通勤の途中で交通事故に遭う確率よりも低いだろう。なにしろ、交通事故の死亡者数というのは、減り続けてはいるものの、今でも年に4000人以上なのだ。
 ミサイルがどこに落ちるか正確に特定できるならともかく、そうでなければ、当たれば運が悪かったと思いあきらめるしかない。どっちみち、私なんか今でも運に恵まれてたまたま生きているだけなのだから、ミサイルだって同じことだ。ごくごくわずかの確率を恐れて、過剰な対策を講じ、生活を停滞させることのデメリットの方がはるかに大きい。まして、さあ戦争だ!などというのは論外。今程度のミサイルの危険であれば、私は気にしないに限ると思う。大騒ぎした方が、北朝鮮は喜ぶかも知れないしね・・・。」

 例によって、生徒たちはニヤニヤ笑って聞いている。
 もっとも、北朝鮮を放置してよいとは私も思っていない。よもや核弾頭を日本やアメリカに飛ばす勇気があるとは思わないが、なにしろ金正恩という人は、あまり正常な人には見えないので、やらないという保証も無い。
 世の中では、この危険な状態を収束させるため、外交交渉=対話の必要性も語られているが、私はあまり期待していない。太平洋戦争期の日本を考えてみるとよい。まったく戦争遂行が不可能な状況に追い詰められるまで、戦争を止めることは出来なかった。狂気とはそういうものであろう。
 石油の完全禁輸をするしかないだろうと思う。だが、アメリカはそれをやろうとして上手くいかなかった。北朝鮮が追い詰められ、核攻撃に走る可能性があるから、かえって危ないというのがロシアの主張だったか。その真偽はともかく、ロシアや中国と意見のズレがあることを強行してはいけない。アメリカは賢明な判断をした、と思う。
 最悪の場合、グアムや日本は核攻撃を受けるだろう。だが、北朝鮮以外の全ての国が完全に一致しない限り、先制攻撃はしてはいけない。ユダヤ人の歴史を見ているとよく分かるし、日中関係でも同様だと思うが、「やられた側」は事件が収束した後、強い立場に立ち、有利な扱いを受けがちである。