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Tr,平居の月曜プリント

2018-04-04

阪急電車も「日本」

 私が関西で遊んでいた3月26〜27日、我が家の子どもたち(中1と小3)が2人で東京に行った。彼らの叔母、私の妹が「2人だけで遊びに来てみない?」と誘ってくれたのだ。

 石巻駅まで妻が送り、その後は2人だ。妹に新幹線の席番が伝えてあって、東京駅でドアの所まで迎えに来てくれる手はずになっていたから、いくら仙台駅で乗り換えがあるとは言え、他愛のない作業である。それでも「初めて」にはそれなりに新鮮な不安があったようだ。私は、自分が小学校時代から旅行癖があったので、全然心配なんかしていなかった。むしろ、列車の時刻も自分たちで調べ、切符も自分たちで買いに行くくらいでないと困る、と思っていた。

 幸い(笑)、出発直後からトラブルが発生したようだった。通常、仙石線と仙石東北ラインは1〜2番線、すなわち仙石線ホームから出る。それを知っていた彼らは、1番線に止まっていた列車に乗った。ところが、彼らが乗る予定だった始発の仙石東北ラインだけは石巻始発ではなく、女川から来るので、石巻線ホームである3番線から出る。仙石東北ラインと仙石線では明らかに車両の形状が違うし、始発の仙石東北ラインが例外的に3番線発であることは、構内放送で繰り返しアナウンスされているにもかかわらず、彼らは先入観に従って仙石線ホームの電車に乗ってしまったわけだ。予定の出発時刻を過ぎても電車が動かないことで、彼らは乗った電車の間違いに気づいた。

 相当あせったであろうに、その後の彼らの対応はなかなか賢明だった。仙台駅に着くと、駅員さんにその旨を話し、持っていた指定席券が次の新幹線の自由席に使えることを確認した。次に、持たせてあったテレホンカードを使って公衆電話から妹に電話をかけ(子ども携帯電話なんて持たせていないからね=笑)、東京着の時刻と乗る号車が変更になる旨伝えた。そして、30分遅れで東京駅に着くと、何事もなかったかのように、その後楽しい2日間を過ごしたらしい。旅行はただの物見遊山ではない。行けば必ずと言ってよいほど何かしらのトラブルが起き、その対応に頭を使うからこそ、「かわいい子には旅をさせろ」ということになるのだ。よかった、よかった。

 ところで、この事例から私はひとつの教訓を得る。駅のアナウンスなんて、積極的に聞こうと思っていない人間の耳には入らない、ということである。にもかかわらず、日本では駅でも車内でも、のべつ幕無しと言ってよいほど余計なアナウンスが行われている。ガラガラの車内で「他の客の迷惑になるから座席に荷物を置くな」とか、事故が起こる可能性ほぼゼロなのに「不審な物には手を触れずに乗務員に言え」とか、乗り換え案内、次に止まる駅でどちらのドアが開くか・・・たいてい誰も聞いていないし、聞く必要も無い。乗り換え案内が必要な場合でも、よほど身構えていなければ、「あ、言ってる」と思った瞬間に、自分に必要な情報は終了している。そんなものである。

 私の「阪急電車愛」は何度も書いた。ビョーキである。神戸線通勤特急なんて、ただのロングシートの電車なのに、どうしてこれほどの品格を感じさせるのだろう?と改めてほれぼれした。美しい。私のような下々の者が、乗車券1枚で乗せていただいていいのだろうか?と思うほどだ。梅田駅の壮観も今更言うに及ばずだ。ところが、その阪急電車にも弱点があることを今回強く意識させられた。残念ながら、駅と車内のアナウンスはまったく平凡な「日本」なのである。JRと同様に、どうでもいいようなアナウンスが延々と繰り返されている。このアンバランスは一体何なんだろう?

 必要な情報は、各自が調べればよい。スマホもあれば、駅員に聞くこともできる。遅延による特別な事情変更でもあれば別だが、そうでなければ大抵の情報は、提供するにしても掲示で済む。いや、「済む」というより、その方が気になった時にいつでも見られて便利だ。今の日本では、注意しておかないと問題が発生した時に責任が問われる、という強迫観念もあるかも知れないが、それとて掲示による注意で済むのではないか?座席の不当な占領など、気になった乗客なり車掌なりが個別に注意すればいいのだ。

 ヨーロッパ鉄道いいなぁ。アナウンスなんてほとんど無い。駅も車内も静かである(=あくまでも過去の記憶による)。静寂は公共物であり積極的に価値のあるものだ。私はその価値観を支持する。日本とヨーロッパの違いは、そんな意識の有無の違いである。