遠い南極(3)

 まずは家族の同意である。これはあまり問題にならない。我が家はみんな自主自立。両親がいない夜でも、子どもたちは自分たちで食べて寝られるようにしてあるし、自分に行動制限がかかると嫌だということもあって、妻の外出・外泊もよほど特別な事情がなければフリーだ。いかに5ヶ月の南極と言えども、特に異論は出なかった。子どもたちは「パパが南極に行く!」と、すっかり決まったかのように盛り上がっていた。
 問題は、「公」の部分である。まず最初に、提出書類が何かを書いておこう。

① 参加申込書(所定様式)
② 履歴書(所定様式)
③ 「南極授業」計画案(2回分 様式自由)
④ 健康状況の分かる書類
 1)所属先等での直近の健康診断結果
 2)現在かかっている病気がある場合はその診断書
 3)健康調書(所定様式)
⑤ 学校長の推薦状(様式自由)
⑥ 学校長の許可書(所定様式)
⑦ 教育委員会の推薦書(所定様式)

 自分が準備すればよい①〜④についての話は後に回す。校長には職員評価に関する第2回面談の時(10月10日)に話をした。予想どおり、さほど言葉を費やさなくても、校長は簡単に「いいよ(=許可する)」と言ってくれた。
 私が手にしていたのは、あくまでも前年の募集要項であり、実際にはおそらくそれと同内容で、12月中旬以降に新しい要項が発表になる。例年どおりの内容であれば、応募期間は2月の半ばまでだ。締め切りまではまだ4ヶ月ある。しかし、私は募集が始まってから県に言って、話がうまく進まなかった時に、時間切れに持ち込まれるのを心配していた。そこで、校長に今のうちから県に打診して欲しいと依頼した。校長は理解し、次に教育委員会に行った時に聞いてみよう、と言ってくれた。
 校長が教育委員会に打診してくれた結果を聞いたのは、11月14日である。私は校長室に呼ばれた。校長は、「だいぶ強くお願いしたが、お金がないからダメだということだ。今までにも希望者はいたが、宮城県はこの事業には推薦を出さないことにし、全て断ってきたと言われた」と言った。ある程度予想していたことだったが、なかなか壁は高いな、と思った。もちろん、これだけで引き下がるわけにはいかない。
 県の言う「お金がない」とは、私が不在の間、非常勤講師を採用した場合にかかる経費のことである。最大で100万円ほどと思われる。県は私が南極に行っている間、私の給与も支払いを続ける必要があるので、その間の私の授業のために非常勤講師を雇うとすれば、その分が丸々余計な出費になるのである。一人の教員が南極に行って持ち帰る知見の量と質を考えた時、100万円は些細な金額に思われた。断るにしても、もう少しマシな理由はないのか、と私は憤った。いや、憤ったと言うよりも、情けなく思った。
 だが、よく考えるとこれは私にとって幸いなことだ。なぜなら、そのお金を私が出せば、それだけで問題は解決するはずだからである。100万円は、普通の人なら1ヶ月のヨーロッパ旅行で使ってもおかしくない程度の金額である。非常に貴重な経験をし、多くの知識を手に入れることで、自分の価値を高めるための費用としてはむしろ安すぎるくらいの金額だ。私は「ケチ」に「ど」が付く人間であることを認めるが、今までの人生で、そういうお金だけは惜しんでこなかったつもりである。
 それから10日ほど後に、今度は南極に行く目的等を書いた文書を作って校長に提出し、改めて県を説得してくれるよう依頼をした。講師費用の100万円は私が負担することを強く言って欲しい、ともお願いをし、その文書を県に直接届けてもらってもいい、と言った。これがその後どうなったかは確認していない。なにしろ、校長も忙しい。
 12月18日に、例年どおりの募集要項が発表になった。私は、自分が準備すべき書類を冬休み中に準備し、1月16日に校長の所に持って行き、それを持って教育委員会に行って欲しいと三たび依頼をした。書類の実物を目の前にすれば、県も私の気持ちを感じ、少しはまじめに考えてくれるのではないか、と思ったのだ。たまたま、この日、校長は県に行く用事があった。だが、翌々日、やはりダメだったと知らされた。経費を本人が負担するという話もしてずいぶん粘ったが、今度は「そういう問題ではない」と言われた、とのことだった。ははぁ、要は面倒くさいのだな、と思った。
 私は、校長にこれ以上無理は言えない、あるいは、四たび足を運んでもらったとしても、このやり方で県を説得して翻意させることは不可能だ、と思った。そして、自分で直接交渉に行ってよいか尋ねた。組織人として、校長を経由せずに直接教育委員会に行くのはまずいかな、と思い、許可を得ようとしたのだ。校長は、自由にやってよい、と言ってくれた。時間的にもこれが最後の勝負になる、私はそう思った。南極は遠い。(続く)