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Tr,平居の月曜プリント

2018-07-13

高村光太郎 その後(4)

 私は、「我が詩をよみて人死に就けり」を、光太郎が思わず本音を漏らした作品と理解している。つまり、戦時中には公職に就き、ずいぶん立派なことをたくさん語った光太郎ではあったが、なぜそのようなことをしたかといえば、結局のところ、官憲から弾圧されることも含めて怖かったのだと思う。そして、怖いがために戦争詩を書いたというのは、いくらそれが本心であったとしても、なかなか公にはしにくい理由である。光太郎が「我が詩をよみて人死に就けり」を「暗愚小伝」に入れなかったのは、責任の回避ではなく、彼の虚栄心に近いプライドの故であった。中村氏の論を読んでなお、私はそのように思う。

 中村氏は光太郎の言う「自己流謫」について、次のように書く。

「自ら自身を流刑に処するには、それなりの罪を犯したという意識がなければならない。高村光太郎は『暗愚』であったと自認した。暗愚であったために、大本営の発表をそのまま信じ、生育過程における天皇崇拝と相俟って、戦争を支持し、国民の士気を鼓舞する詩を数多く書いた。しかし、これは国民として当然のことをしたまでのことだ、と考えていた。それ故、彼に『自己流謫』の意識があったと考えるのは誤りである。」

 また、佐藤勝治『山荘の高村光太郎』から光太郎自身による次の言葉を引き、光太郎が戦時中の自らの振る舞いについて「いかなる責任も感じていなかった」ことの証明としている。

「戦争中の軍部の発表を信じ過ぎた僕の不明は恥ずかしい。けれども戦争が始まった以上は負けないために国民の士気を鼓舞するのが僕たちのつとめだった。それに今度の戦争は、今でこそ一方的に日本が悪く言われているが、日本には日本の正義があったのです。」

 「いかなる責任も感じていなかった」という言い切りには爽快感がある。しかし、「不明を恥じる気持ち」と「責任の自覚」は紙一重である。

 私は今でも、光太郎の生涯を貫く思想の根幹は、徹底した自我へのこだわりであると考えている。そんな光太郎にとって、大本営の発表をそのまま信じたこと、父や祖父によってすり込まれた尊皇思想から逃れられなかったこと、戦争の是非を問うことなく、戦争が始まってしまったという事実を前にして国民の士気を鼓舞することを自らの任務と認めたこと、これらは彼の自我の未熟を表す出来事だ。光太郎にとって、大切なのは戦争の遂行に協力したという責任があるかどうかではなくて、自分の自我を貫き通せなかったことにこそあるはずである。断罪の対象は、戦争に加担したことについてではなく、自分の信条を全うできなかった自分自身についてであった。

 光太郎はその生涯の著述作品を文集にする場合、編年体にすることを求めていた。詩、評論、随筆といった様式別に集めるのではなく、書いた順番に配列することを望んだのだ。また、彼は往々にして自分の作品を「記録」だと言う。これらのことは、光太郎が常に将来を見据えて生きていたことを窺わせる。

 過去に言ったことは、今更取り消せない。今考えていることは、既に過去とは違っている。だったら、過去のものは「記録」として留め置き、今の自分を作っている軌跡として人に見てもらうしかない。自分は常に今を最善であるべく生きる。おそらく、光太郎はそう考えていた。「一億の号泣」や「典型」に表れたような、一見無責任に前向きな気持ちというのは、光太郎のそんな思想の性質から必然的に生まれたものである。戦争責任についても、それが過去の出来事である以上、積極的に語る姿勢を持たなかったのは当然なのだ。それでも、「暗愚小伝」を書くという作業を通して、その光太郎にしてはせっせと過去の自分を見つめている。

「ここ(=太田村の山小屋)に来てから、私は専ら自己の感情の整理に努め、又自己そのものの正体の形成素因を窮明しようとして、もう一度自分の生涯の精神史を或る一面の致命点摘発によって追及した。(中略)そして私の愚鈍な、あいまいな、運命的歩みに、一つの愚劣の典型を見るに至って魂の戦慄をおぼえずにいられなかった。」(詩集典型』序)

 これを見ても、光太郎の関心が、戦時中の自分の行為ではなく「自分自身」に向いていることがよく分かる。それは、反省していないのではなく、光太郎にとっての「反省」が、中村氏の、若しくは世間の「反省」と同じではないということなのである。

 中村氏の高村光太郎論は、氏が詩人だからこそ指摘できる光太郎の詩についての鋭い見解も多く、いろいろと考えさせてもらった(だからこそ「人生遠視」〈→参考記事〉に触れていないことは残念)。ただ、どうもこの人は拙著をお読みにはなっていないようだ。そのことが何ヶ所かで意識された結果として、私は、手前味噌で恐縮だが、『「高村光太郎」という生き方』という本が、それなりに価値ある指摘を含む本であると気づいた。今後、高村光太郎について何らかの論著を発表しようという人は、一読しないわけにはいかない文献であると思う。

 思えば、拙著についての自己評価は、この10年間揺れ動き続けてきた。一時、自分の生涯における汚点として、もう表紙を見るのも嫌だ、と思っていたことさえある(→参考記事1参考記事2)。

 もともとが高校生向けだったこともあり、デス・マス調を採用したこと、引用を絞り込み、しかも詩の引用はできるだけ平易なものにしたことなどあり、全体的にかなり幼稚な本に見える。それは実際以上に評価を低めることにもなったのではないか。

 とは言え、今までも評価は揺れ動いてきたのである。いくつかのミスに目をつぶって重要文献、などと言ってみたところで、1週間後にどう思っているかなど分からない。これはおそらく本を出した人間の「宿命」みたいなものなのだろう。日常の業務でもそうだが、後悔のない仕事というものをしてみたい。(完)

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