借金は怖い

 一昨日、「プロフェッショナル」という番組について、先週放映分がよかった旨書いた。番組で追っていたのは、広島の信用組合理事長である。
 いろいろな会社のホームページなどを見ると、「会社概要」のページに、わざわざ取引銀行が書いてあったりする。そのことから、会社と銀行との関係というのは密にして深いのだろう、と想像はしていたが、なにぶん商取引の世界に疎い私は、それらが実際どのように関わり合っているのか知らなかった。今回、番組を見ていて少し実感をもって分かってきたような気がする。同時に、融資による資金繰りが成り立たなければ倒産、というのは危ういなぁ、ともつくづく思った。
 今更言うまでもないことだが、現在、日本政府は1000兆円を超える債務を持ち、それを返済するために新たに国債を発行する、という悪循環に陥っている。経済成長の実現を錦の御旗とし、経済を減速させる少子化を問題視する。元々は人々の強欲によって借金を始めたとは言え、それが一定以上の規模になってしまうと、必ずしも強欲とばかりは言えない、借金返済へ向けての現実的な要請が発生してしまう。そして、借金が実質的に増加することのないように、あわよくば目減りするように、人口の増加と経済の成長を目指さざるを得なくなる。
 大か小かの違いはあっても、これは地方自治体でもたいてい同じで、更に言えば、会社も、もしかすると個人も同じ状態にあるようだ。番組を見ながら思った。番組に次々と登場するさもない町工場でも、数千万円、あるいは億を超える借金をしている。人口が増え、経済が成長しなければ、国だけでなく、彼らの借金も実質的に増加することになる。もちろん、破綻は国よりも遙かに早い。
 発端はともかく、現在の経済政策、経済活動を左右しているのは、借金なのだな。
 周知の通り(?)、自然を畏れ、温暖化に対する危機感並々でない私は、極端なまでの経済後退主義者である。それを実現させることの難しさは、これまでも分かっていたつもりであった。しかし、やはり分かっていない。私が今まで想像していたよりもはるかに、経済を後退させるというのは難しい作業なのだ。そしてその元凶は借金である。
 国全体の経済が失速することによって、末端の営業成績も低下すると、借金の返済が不可能となる。すると、債権者は担保物権を差し押さえることになるが、経済全体が失速していれば、その担保物権を買い取ってくれる人も借りてくれる人もいないわけだから、差し押さえた側にも差し押さえられた側にも不利益だけがある。国全体が失速しているとなれば、全ての国民が不利益を引き受けなければならないわけだから、彼らの不利益が平均値から見て許容の範囲であれば、そのまま我慢させる。平均値と比べて極端に大きければ社会的救済の手段を考える(平均値と比べて極端に小さい人から回す)、ということになるだろう。だが、こうして書いていても、机上の空論だな、と思う。
 私のように、大きな犠牲を払って経済を崩壊に近いところまで減衰させようなどと言う人はよほどの奇人変人であって、少数派の中の少数派なわけだから、現実問題として心配するには及ばないのだろう。だが、温暖化の問題をまじめに考えるのであれば、そういう所までしっかりシミュレーション出来ないとまずい。番組を見ながら、そんなことを考えていた。