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Tr,平居の月曜プリント

2018-06-17

マチネーの途中に「瞑想の松」

 定期考査中日、2日間とも仙台に音楽を聴きにいっていた。

 昨日は仙台フィルの第319回定期、飯守泰次郎の指揮で、ベートーヴェン交響曲第2番と第3番「英雄」(←ふふふ、まただよ=参考記事)。

 いい演奏だったのかどうかよく分からない。曲の持つ力だけで十分だからだ。今年から首席指揮者となった飯守氏が5分間のプレトークをした。実にへたくそなスピーチで、わざわざ出てこなけりゃいいのに、と思ったが、一点だけ発見があった。

 仙台フィルは今年、指揮者陣を刷新し、ベートーヴェンを軸としたプログラム構成へと舵を切った。定期演奏会にも、今回の第2番、第3番の他、交響曲第4番、ピアノ協奏曲第3番とベートーヴェンが並ぶ。飯守氏によれば、これは再来年に迫ったベートーヴェン生誕250周年へ向けての動きなのだそうだ。

 高名な作曲家については、生誕何年、没後何年というメモリアルイヤーの企画が立てられることは、まあ「常識」といってよい。なにしろそんな現象が起きるのは高名な作曲家に限られるので、わざわざ生誕何年、没後何年と言わなくても、その曲が演奏される機会はたくさんある。それでも、メモリアルイヤーであることによって、埋もれてしまった曲、編成その他の事情で日頃演奏される機会のない曲を耳にする機会が生じたりするのは、音楽が好きなのか音楽史が好きなのか分からない私にとっては、歓迎すべきことである。それにしても、さすがベートーヴェンともなると、メモリアルイヤーの2年も前から企画がスタートするのだなという驚きは大きかった。再来年は大変なことになるんだろうなぁ。

 今日は、小山実稚恵さんのリサイタルだった。昨年完結した12年間24回シリーズ(→最終回の様子)のアンコール公演である。聴衆のアンケート結果に基づいて組まれたというプログラムは、バッハブゾーニ編曲)「シャコンヌ」(シリーズ第15回で演奏)、シューマン(リスト編曲)「献呈」(同第2回)、ラフマニノフピアノソナタ第2番(同第4回)、ショパン「子守歌」(同第24回)、「舟歌」(同第1回)、ベートーヴェンピアノソナタ第32番(同第24回)。そしてアンコールにバッハ平均律曲集第1集第1曲の前奏曲(同第24回)。

 どうもこの人は、非常に謙虚で穏やかな人柄のようだ。それが音楽を通しても、ステージでの立ち居振る舞いからもじんわりと伝わってくるようで心地よい。ただし、今日の演奏(特にバッハラフマニノフベートーヴェン)はちょっと性急な感じがしたので、もう少しゆったりと弾いてもよかったかと思った。また、低音を中心として力のこもった演奏だったためか、音が非常に重厚で、ピアノという最重量級の楽器の存在感というものを、嫌と言うほど感じさせられた演奏会でもあった。

 ところで、会場は2日とも旭が丘の青年文化センター日立システムズホール)であった。私は昨年ダイエットを始めて以来、よく仙台駅から歩く。ホテル白萩の東、北六番町小学校、五城中学校を経由するルートがほぼ直線で、信号も少ない。私にとって「やや速め」のペースで歩くと、なんと45分弱で着く。地下鉄に乗ると、5.2辧■怯悄■隠以、250円であるが、JR仙台駅地下鉄仙台駅が離れているため、乗り換えにかかる時間を入れると、20分あまりかかるから、その差は25分になるかならないかだ。

 しかも、演奏会の時間というのは、まるで石巻方面からの客に嫌がらせをしているとしか思えない設定になっている。休日のマチネー(昼間の公演)はたいてい15時開演である。この2日もだった。石巻から仙台に行く快速列車はほぼ1時間に1本で、毎時0分前後の出発であるが、13時だけ飛んでいる。つまり12時の次が14時、仙台に着く時間で言うと、13時の次が15時。13時に着くと開演まで2時間あり、15時着ではもちろん間に合わない。15時に始まった演奏会は、だいたい17時に終わる。終演後地下鉄に乗っても17:14の快速には間に合わず、次の列車は18:20だ。仙石線普通列車は、快速とほぼ同時に仙台駅を出るので、利用価値がない。となると、どう考えても歩くしかない。

 それはともかく、仙台駅から歩いて、会場まであと10分少々という所に、「高山樗牛瞑想の松」というのがある。なんと私がその存在を知ったのは小学校の頃だが(←ある事情ではっきりと分かっている)、少し気にしつつ、わざわざ見に行くこともなく50年近くが過ぎた。昨日、時間はあるし昼間だし、これはチャンスだと思って寄ってみることにした。

 高山樗牛(たかやまちょぎゅう、1871〜1902年)とは、旧制仙台二高に学び教えた美学者、いや文芸評論家である。まったく過去の人だと思うが、『滝口入道』という小説の存在によってかろうじて文学史に名を留めている、と言えるかも知れない。弱冠31歳で病没している。その彼が、二高在学中にこの松の根元で思うに任せない恋愛を嘆き、瞑想にふけったのだという。

 瞑想の松は、小高い丘のてっぺんで、樹齢約620年とかいう大きな松が生えているので、遠くから見ても分かる。東北医科薬科大学敷地内であるが、自由に立ち入ることが出来る。東京帝国大学学生だった時代の友人・土井晩翠による「いくたびか ここに真昼の夢見たる」という言葉を笹川臨風が揮毫して刻んだ石碑があるだけで、説明看板のようなものはない。

 ネットなどで調べた範囲では、当時、高山樗牛がどこに住んでいたのか、どんな学生生活を送っていたのか(本当に彼はこの松の根元で瞑想にふけっていたのか)、といったことは見つけられない。二高時代に明善寮に住んでいたとして、そこからだと徒歩20分なのだが。

 松の隣に、新しく作られた展望台がある。上ると、仙台市街地が一望だ。樗牛がここに来ていた明治25年前後(120年くらい前)には、展望台はなくても、高層建築物がないため、景色はよく見えただろう。少しそんなことを想像して展望台を下り、会場に向かった。懸案がひとつ解決