『フリクリ オルタナ』を観て

OVAシリーズを「フリクリ」、今回の劇場版を「オルタナ」と表記するとして。

フリクリ」ではハル子は「海賊王アトムスク」の力を手に入れるために、「N.O」の力を持つナオ太に近づき、利用しようとする。しかし、ただ利用しているというだけではなくて、6話の二人でバイクに乗っての旅や、最後アトムスクを逃した後にナオ太に一瞬問いかける「一緒に行く?」という台詞が、ハル子の微細な揺れを示して最後のシーンの情感をかき立てる。

翻って、「オルタナ」。舞台は「フリクリ」と同じ「マバセ」。ただし火星へ行くロケットがバンバンとんでいるそうでナオ太がいた時代より後の時代であるように思われる。そしてやはり「フリクリ」で排除したメディカルメカニカのアイロンがまた鎮座しており、近々動き出そうとしていることが流れから分かる。メディカルメカニカはただ理由もなく宇宙中の星をアイロンで真っ平らにしている組織(?)である。

主要キャラの女子高生四人組の内の一人がやはり「N.O」の力に目覚めるが、ここでのハル子は、「海賊王アトムスク」の力を追い求めるのでは無く(一言もその単語は出てこない)、純粋にアイロンを排除するために行動し、挑発的な振る舞いをしたりもし、「N.O」からの力を引き出そうとする。アイロンを破壊しようとし、ブラックカンチみたいなのと闘ったりと孤軍奮闘しているがアイロンの破壊までには力が足りず、「N.O」の助力を必要としている。

しかし、なんでかな、と思う。ハル子は「フリクリ」6話で、「私はさぁ。アトムスクが欲しいだけなんだ。こんな星なんてどうなっても知らんもーん」と言っている。なぜ「オルタナ」ではこんなに必死になってアイロンを破壊しようとしているのか。

ハル子は何を守ろうとしているのか。言うまでも無く、ナオ太亡き(恐らく)あとのマバセなのだろう。劇中でハル子の「宇宙人は年をとらない」という冗談めかした台詞が、深みを帯びてくる。

フリクリ」では、ハル子はナオ太に「一緒に行く?」と聞きながらも、ナオ太の逡巡の間を埋めるように「やっぱダメ」と答えを封じ去ってしまう。「オルタナ」での様子をみるに結局ハル子はアトムスクの力を手に入れることはできていないようである。そして恐らく情をうつしたナオ太はマバセにはもういない。何も手に入れられなかったハル子は、それでもナオ太との思い出の地を守ろうと必死に闘うのである。もちろん最後、無事地球を守ったハル子の前に、ナオ太は現れない。

オルタナ」は4人の女子高生のそれぞれの話を中心に物語はすすむ。ハル子はむしろ脇役に近い位置におりハル子にスポットがあたることはない。あえて語られないハル子の物語が、語られないが故に逆に深みを帯びてくる。女子高生達の物語がステレオタイプで陳腐なお話と観るか、ハル子の孤独な闘いと観るか、alternativeな映画である。