take-bow2006-08-12

 昨日、空き時間を作って懸案のソクーロフ監督作品『太陽』を観に、銀座シネパトスという映画館に行った。平日の初回11:00なら空いているであろうという、小生の「愚かであま〜ぁ〜い読み」を裏切り長蛇の列。何でも新聞に紹介されていたらしく、シニアのお客さん(1000円なんだよね)が大挙して押し寄せていた。と言う訳で、何年ぶりかの立ち見で観る羽目に、もちろん満杯の映画館なんて久しぶりだなぁ。


作品についてだが、まずロシア人監督特有の作風を感じた。タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』に共通するようなトーンの色調で、霧が常にかかっているような暗い画面構成。光と影のうち影を多くのせることによって光を目立たせている。クラシック音楽を常用し、音的にもストーリーに沿った陰影を描いていた。しかし、ソクーロフの場合、こうした技法は単にロシア映画だからと言う訳ではなく、戦時下の物語を中心に人間・昭和天皇像を描いているための当然の帰結なのである。二重橋や皇居が出てくるがすべてCGを駆使しているのだろう(撮影許可なんて下りっこない)。だからこその霧=セピア色でもある。つまり全てロシアで撮っているのだ。限られたシチュエーションでの可能な限りの映像表現といえる。いうまでもなくイッセー尾形の演技は、昭和天皇を知っている者には、これ以上は望めない最高のモノである。イッセー尾形の一人芝居に佐野史郎(いい味出してます)や桃井かおり等が絡むと行った観のある作品である。欲を言えば、マッカーサーをもっと似ている役者で撮って欲しかった。
天皇を太陽神の末裔として捉え、「人であることを許されなかった昭和天皇」の人間性に迫るフィクションであり、そのテーマ性からよくぞ日本で公開できたと感心するほどの内容である。笑いが各所にちりばめられているのもロシア映画らしい。もちろん海外では絶賛され、サンクトペテルブルク映画祭でグランプリを受賞している。既にDVDも販売されており、小生は日本で観ることができないならamazon.co.ukで購入しようかを考えていた。今回、観ることができたのはこの夏最大の幸運かも知れない。「あ、そう」