DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

   準プレーオフ第1戦 ロッテ、敵地で先勝

2009年 準プレーオフ 第1戦

ロッテ 7−2 トゥサン  (ソウル・蚕室)
(勝)チョ・ジョンフン 1勝  (敗)セデーニョ 1敗
本塁打) トゥサン : キム・ヒョンス 1号
 年間総合優勝を決める2009年ポストシーズンの幕開けとなる準プレーオフ:トゥサン−ロッテの第1戦が開かれたトゥサンの本拠地・蚕室野球場には、平日にもかかわらず昼間から長蛇の列ができ、試合開始約2時間前には入場券が完売し、約29000人の大観衆が集まり興奮のるつぼと化した。


(白く染まった1塁側トゥサン応援席。)


(「球都釜山」のゴンドラに乗り応援団長が旗を振る3塁側ロッテ応援席。)


 注目の第1戦の先発はトゥサンがニコースキー(元福岡ソフトバンク)、ロッテがチョ・ジョンフンだった。ロッテは1回表2死から3番チョ・ソンファン、4番イ・デホの連打で1,2塁のチャンスを作ったが、5番ホン・ソンフンは三振に倒れた。2009年シーズン公式戦で14勝し、初の最多勝投手となったチョ・ジョンフンは3回まで1人の走者も出さないすばらしい投球で、ニコースキーは4回表先頭のチョ・ソンファンに1球投げてボールと判定されたところで、2番手キム・サンヒョンに交代した。ロッテはこの回チョ・ソンファンが四球で出塁すると盗塁や暴投で3塁まで進み、ホン・ソンフンのタイムリーで1点を先制した。トゥサンも4回裏3番キム・ヒョンスがチーム初ヒットとなる同点本塁打を右中間奥深くに飛ばし、1−1の同点に追いついた。


(4回裏、キム・ヒョンスが同点本塁打を放つ。)

 ロッテは6回表トゥサンの3番手セデーニョから2番イ・スンファ、チョ・ソンファンの連打で無死1,2塁のチャンスを作るが、ここでイ・デホ併殺打に倒れ、2死3塁となったがいやな雰囲気が漂った。ここでトゥサンは4番手イム・テフンをマウンドに送ったが、捕手ヨン・ドカンのパスボールで3塁走者が生還しロッテが1点を勝ち越した。勢いに乗るロッテは8回表トゥサンの5番手コ・チャンソンからチョ・ソンファン、イ・デホのタイムリーで2点を追加した。


(8回表チョ・ソンファンがタイムリー3塁打を打ち、塁上でガッツポーズをとる。)

 トゥサンは8回裏チョ・ジョンフンから2番コ・ヨンミンのタイムリーで1点を返し、なおも代わったロッテの2番手カン・ヨンシク、3番手イム・ギョンワンから2死満塁のチャンスを作った。ここで代打の高卒新人チョン・スビンが凡退し、トゥサンは大きなチャンスを逃した。


(8回裏2死満塁のピンチをしのぎ、9回裏のマウンドにも上がったイム・ギョンワン。)

 するとロッテは9回表トゥサンの6番手チョン・ジェフンから9番パク・キヒョク、1番キム・ジュチャンのタイムリーで3点を追加し、9回裏はイム・ギョンワンが抑えた。ロッテは準プレーオフの緒戦を7−2でものにし、経験不足を露呈しサムソンの前に3連敗した2008年の悪夢を振り払った。プロ5年目でのポストシーズン初登板で、第1戦の先発と大役を任されたチョ・ジョンフンは、8回途中まで2失点と好投し、ポストシーズン初勝利を記録した。15安打と爆発した打線では、チョ・ソンファンが4安打2打点、キム・ジュチャンが3安打1打点と活躍。
 一方3年連続でポストシーズンに進出し、ロッテより経験で一日の長があるトゥサンは、不安定だった先発ニコースキーを4回途中で見切り継投策に出たが、ことごとく裏目に出てロッテを勢いに乗せてしまい、打線も4回裏同点本塁打を打ったキム・ヒョンス以外元気がなく、7安打ながらつながりを欠いた。

 注目の準プレーオフ第2戦は、30日18時から蚕室野球場で行われ、トゥサンの予告先発はクム・ミンチョル(36試合、7勝2敗、防御率4.43)、ロッテの予告先発はチャン・ウォンジュン(28試合、13勝8敗、防御率4.15)と発表され、左腕同士の対決となった。

注 : ( )内の数字は2009年公式戦の成績。
 

  ソン・ドンヨル監督(元中日)と5年総額27億ウォンで再契約

 サムソンは29日、ソン・ドンヨル監督(元中日)と契約期間5年、契約金8億ウォン、年俸3億8000万ウォン(前年比1億8000万ウォン増)の総額27億ウォンで再契約した。これは2009年から契約期間3年、年俸4億ウォンの契約を結んでいるキム・ソングン監督(SK)を上回る大型契約となった。
 ソン・ドンヨル監督は現役時代ヘテの黄金時代を築き韓国最高の投手として名声を築き上げ、選手生活の晩年(1996−99年)は日本プロ野球・中日でも活躍した。1999年中日で現役を引退後、指導者の道を歩むため中日でコーチ研修を受けるなど準備を続け、2004年にサムソンの首席コーチとなり、翌05年ヘテ時代の恩師・キム・ウンニョン監督(現サムソン球団社長)から監督の座を譲られ、監督初年度にして韓国シリーズ優勝を達成した最初の指導者となった。2006年には球団史上初の韓国シリーズ2連覇を達成し、サムソンの黄金時代を築いた。
 だが2007年、08年と2年連続公式戦4位に終わり、優勝からは遠のいただけでなく、2009年シーズンには公式戦5位にとどまり、1996年以来13年ぶりにポストシーズン進出(公式戦4位以上)を逃した。それにもかかわらず球団側はソン・ドンヨル監督の手腕を高く評価し、2010年シーズン以降の続投が決まり、黄金時代の再現を期すこととなった。なお、ソン・ドンヨル監督就任時からその右腕としてチームを支えてきたハン・デファ首席コーチがハンファの新監督に就任することもあって、大幅なコーチ陣の入れ替えも行われ、日本人の長島清幸1軍打撃コーチは日本プロ野球からのオファーもあり帰国することになった。なお、2010年シーズンに向けた新体制は、10月初めの秋季キャンプから本格的に始動する予定。
(9月29日現在の為替レート:1億ウォン=約758万円)
(文責 : ふるりん