わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

思索の順序,文章の組み立て

本稿では,なぜ論文は読みづらいのかについての私見を述べることから始める.簡潔にいうと,論文が読みづらいのは,あるいはもっと正確には論文を読んで研究を進めようとするのが難しいのは,論文というものは研究の進行と逆の順序で書かれていることが多いからである.
(浅野哲夫: 計算幾何学でいかに論文を書くか, 電子情報通信学会誌, Vol.93, No.2, p.162)

では,なぜ定義が問題なのか.論文が完成するまでの研究の経過を考えてみよう.論文の著者は最初から定義を思いついたわけではないだろう.よほどの天才でない限り,最初は成り立ってほしい定理を予想することから始め,小さな例題について定理の性質が成り立つかどうかを手で検証する.(略) このままの形で論文にまとめて国際会議やジャーナルに投稿しても,まずそのまま受理されることはないだろう.内容が洗練されていないからである.正しいということだけでは価値がないのである.
ここで定義が登場する.多くの場合分けをまとめて,簡潔に表現するために新たな概念の定義が必要である.どんな定義を思い付くかで論文の価値が決まるといっても過言ではない.良い定義を思い付けば頭の中が整理されて,更に別の問題にも同じ定義が応用できることが分かったりする.このように,定義は研究を進めていく上で遅い段階で生み出されることが多い.その定義が論文においては真っ先に登場するので,研究論文を書いたことがない学生が初めて読むと,研究では先に定義が必要なのかと思ってしまうことがある.(略)
(同,p.163)

この著者の名前は,記憶にあります.日記を見直してみると,Placeholder - わさっきで著書を取り上げていました.

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