Hatena::ブログ(Diary)

わさっき RSSフィード

2011年11月09日

[] 日本の「かけ算」,世界へ・世界と

かけ算指導の事例調査をしていく中で,外国の指導や授業への配慮がなされているものを,多数,目にしました.そのいくつかは,すでに当雑記で取り上げています*1が,今回,集約を図りました.

NCTMでの発表

wikipedia:en:MultiplicationのNotesの1番目に,リンクされています.英訳された日本の教科書(Tokyo Shoseki's Mathematics for Elementary School (Grades 1 to 6))を参照しながら,かけ算の指導法や式の表し方を紹介しています.

There are 4 children in each train car, and there are 3 train cars. So we have 12 children altogether. You can write this using the following math sentence.

4×3=12

"Four multiplied by three equals twelve"

  • Multiplication sentences describe equal set situations.
    • Repeated addition and skip counting are ways to find the total (product).
  • The numbers in a multiplication sentences mean something specific:
    • Number in a group - multiplicand
    • Number of groups - multiplier
    • Total number of objects - product

(私訳)

  • かけ算の式は,それと数の等しい,決まった状況を表す.
    • 累加や,まとめて数えることは,いずれも総数(積)を求める方法である.
  • かけ算の式に現れる数には,明確な意味がある.
    • 1つのグループに含まれる数=かけられる数
    • グループの数=かける数
    • 対象の総数=積

If a tape is as long as two 3cm tapes put together, we can say the tape is "2 times" as long as 3cm tape.

You can use the multiplication math sentence 3×2 to find the length that is two times as long as 3cm.

イスラエルで

1つ目の巻き物を出し,ゆっくり広げていく。広げ終わった途端,多くの手が挙がった。

1+2+3+4+5+6+7+8+9

その眼はどこかで見たことが。そう,日本の子どもたちと同じ眼をしている。知りたい,わかりたいという知的好奇心,伝えたいという気持ちを持った眼である。

(図省略)

4×10+5=45(日本では10×4+5であるが)

「日本の先生のクラスの子は,5×9=45と計算して求めたけれど,どうやって考えたかわかるかな?」

と問いかけた。

パラパラ手が挙がり始める。隣同士相談しても良いことにすると,仲良く話し合う姿が見られた。

5×9=45(日本では9×5=45であるが)

(図省略)

ブラジルで

仕事で国外に行く機会が多くなって,ものすごく強く感じることは,算数の言葉としての式は世界共通で,地球の裏側のブラジルに行っても,2+3と書けばみんな5と書いてくれる。あの数字は世界共通ですから。3×2は地球の裏側に言っても6です。

ブラジルに行ったときに6の目のサイコロを見せて,「サイコロの目の数はいくつですか」と言うと,みんな「6」と言った。「どうして6と考えたの」と尋ねるとある子が出てきて,「3×2」と書いたんです。これを3×2と見たわけを聞きました。私がどうしてそんなことを聞いたかというと,式の後ろに潜んでいる感覚は,日本語圏以外では普通意味が逆です。3×2と言えば,日本では「3個のかたまりが2個ある」という意味ですが,英語圏中国語圏もみんな「3個ありますよ,2つのものが」という意味です。

一番わかりやすい例は,陸上競技で4×100mリレーという表示がありますね。日本で正しく勉強している子なら,4mを100人で走ると言うことになる。でも,誰もそう解釈しませんね。これは世界共通で4人で走りますよ,100mずつを,という意味の表示です。日本とは式の意味が逆なんです。だから,3×2とブラジルの子が書いたから,あえてちゃんと聞いてみたいと思ったんですね。そうしたら,はじめに出てきて説明した子は3個ずつのかたまりを作ってそれが2つ分と言いました。おやっ,これは日本と同じだぞと思っていると,他の仲間みんなが違う違うと言うのです。要するに間違っていたのです。どこの国も同じですね,間違える子がいるのは。本当は2個のかたまりが3個分だと別の子が説明してくれました*2

このように式の裏に隠れている文化は違います。

(p.138)

在日ブラジル人児童向け

3.式の作り方が日本と異なる

「3こずつ4さらぶんで12こあります」を式にするとき「4×3=12」と考える傾向があります。これはブラジルで「3+3+3+3=4×3=12」と考えるためです。

4.答えを重視する

日本では答えを導くために、文章題から式を作り、筆算で計算するプロセスも大事とされますが、ブラジルでは式や筆算の方法についてはあまりこだわりません。「答え」があっていればよく、児童が指導者に教えられたやり方と異なる方法で答えを出すと評価されることの方が多いくらいです。たとえば3.の問題の式を「3×4=12」としても間違いとはみなされません。

3.「ずつ」「ぶんで」のわかりにくさ

たとえば文章題で

「花瓶が3つあります。花瓶に花を6本ずつ入れました。花は全部でなん本ですか。」

ポルトガル語に直訳すると、

Ha tres vasos. Colocamos 6 flores em cada vaso. Quantas flores tem no total?*3

となりますが、このとき日本語の「ずつ」にあたる言葉がポルトガル語訳にはありません。

上のポルトガル語を日本語に直訳すると、

「花瓶が3つあります。それぞれの花瓶に6本の花をいれました。花は全部で何本で

すか。」

となります(略)。そのため、まだ日本語になれていない子どもにとっては「ずつ」という言葉につまずいてしまう可能性があります。

また、同様に「ぶんで」という言葉も子どもにとってはわかりにくい言葉です。

ドミニカ共和国で

日本と中南米では、まずかけ算の基本的な部分に大きな違いがあります。日本では「個別量×数量」という考え方をしますが、中南米ではこれが逆になって「数量×個別量」になります。具体的に言うと、例えば「1袋5個入りのパンを3袋買いました。全部で何個のパンを買ったでしょう。」という問題があった場合、日本では“5×3”ですが、中南米では“3×5”になります。かけ算は交換法則(乗数と被乗数を入れ替えても積は変わらない)が成り立つのでどっちでもいいじゃないかと思うかもしれませんが、これが授業をおこなう上で大問題となります。

かけ算の概念の指導に関してはどちらが先でも問題ないのですが、Tabla de Multiplicacion(九九)の指導でまずひとつ目の難関が待っています。二の段を例にとると、2×1=2、2×2=4、2×3=6、…、2×9=18と続きますが、日本式の場合「2が1つで2、2が2つで4、2が3つで6、…、2が9つで18」というように2ずつ積が増えているということが比較的簡単に理解できます。しかし、これが中南米式の場合「2つの1で2、2つの2で4、2つの3で6、…、2つの9で18」となり2つずつ積が増えているということを概念上で理解することが困難になります。

さらに大きな問題が「2位数×1位数」のところで待っています。日本式だと最初は「20円のお菓子を4個買いました。全部でいくらでしょう。」というような問題から入りますが、この問題だと中南米式では「4×20」になってしまいます。「20×4」の形で教えようと思うと「20人にアメを4個ずつ配るには全部で何個必要でしょう。」というような問題文になります。具体物の用意が非常に困難だということもありますが「2×4=8、2は10が2つだから80」という考え方ができません。

タイでは

具体例を挙げて、少し説明を加える。かけ算の導入は、日本では次のように扱われる。

『しょうがくさんすう2年下』(中原他, 1999, p.16)

みかんがひとさらに5こずつのっています。4さらではなんこになりますか。

この問いに対して、1さらに5こずつ4さらぶんで20こです。このことをしきで

5 × 4 = 20

とかき「五かける四は二十」とよみます。

それに対して、英語ではかけ算を表す順序が逆で、“four plates of 5 oranges”という英語での表現より、4×5=20となる。そこで問題となるのは、例えばタイでは自然な語順が日本語式であるにもかかわらず、教科書は英語式の順番に従っている。単にかけ算の順序が逆になっただけで小さなことのようであるが、初めての学習者にとってはかなりの認知的な負担が強いられるだろう。この例に見られるように、認識的な差異を考慮に入れないでカリキュラム開発をするならば、教科書という基本的な教材の中に、基本的な問題を抱えこんでしまう可能性がある。

(p.38)

数学も新しいものの見方を要求している。例えば冒頭に挙げた「どちらが何台多いでしょう」の事例では、答えはほぼ出ているにもかかわらず、子どもは教師が求めるように式を書くことができない。我々の多くにとっては既に当たり前になっていることが、子どもにとって実はかなりの負担を要する活動であることを示している。そこで、子どもが必要性を感じ、記号によって書くことができるようには、記号化を必要とする状況を教師が意図的に設定することが求められる。

この場合の必要性とは、美しさ、単純さ、整合性、有用性などによって支えられるもので、もちろん各文化によって価値の置き方が異なる。ある種の記号化の容易さは、その価値の置き方によって異なってくる。極端な場合では記号化において、数学という文化と自分の置かれている文化の2つの間に分断が起きることも考えられる。

(pp.36-37)

*19月5日10月7日

*2引用者注:前後の記述や,次ページの図から,「『3個ずつのかたまりを作ってそれが2つ分』を認識した上で,3×2と書いた.だけれどもその式では『2個のかたまりが3個分』になってしまう.なので間違い」と解釈するのが最も自然に思えます.

*3:引用にあたり,文字についているアクセント記号は,取り除いています.