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英語の論文はフルコースの料理

「我々にとって,英語の論文というのは,フルコースの料理のようなものだと思ってください.
 毎日,英語の論文を読むわけではないのです.読みたいと思ったときに読めば,いいのです.フルコースの料理も,毎日食べるわけではないのです.
 英語の論文を読みまくらないと論文を書けない人も,まあ,いるわけですが,それは,毎日のようにコース料理を食べる,美食家のようなものです.
 次に,英語論文とフルコース料理の共通点として,言っておきたいのは,それぞれに作法があるということでしょう.流れを,含みます.そのおかげで,何が来て次はこれでというのが,理解しやすいのです.
 そうして,「全体」も「部分」も,ともに大事になってきます.論文でいう全体というのは,そこに書かれていることだけでなく,査読によって一定の内容保証がされていることが含まれます.料理でも,口の中に入るものだけでなく,お皿だとかテーブルだとか,雰囲気だとか時間のゆったりとした流れだとかを,合わせて楽しみたいものです.
 その一方で,論文では「部分」,すなわち特定の段落だとか,一つの式だとかに着目することもあります.料理だと,途中の一皿だなんかです.隠し味を発見したときの喜びは,必ずしも明示されていない,論文の意義の発見に通じるところがあります.
 ここで疑問が出てきます.どれだけ論文を読めば,「読んだ」と言えるかです.が…
 結局のところそれは,読んだ人次第,どこをどう読んだか次第です.フルコースの料理も,その良し悪しは,味わった人が判断するのです.極めて主観的な活動です.
 なので最後の共通点として,論文にせよコース料理にせよ,堪能できることも,できないこともある,というのを挙げておきましょう.
 たとえ話はこのくらいにして,では本題の,論文の読み方へと話を進めますか.いやいや,どうやって論文を取得するかから,言わないといけませんね.…」

何これ

今週火曜日にゼミで話したショートトークのスライド1枚分です.

トーク

  • フルコースの料理を食べることは,たとえばデートで,あるいはプロポーズでOKをもらってから両家が集まって会食する*1際に,必要になるかもしれません.そういうときにも苦労しないよう,食べ方・読み方はもちろん,良い店や論文(誌)を選ぶことを含め,内外の「作法」を経験できればいいのですけどね.
  • 案内されるがままに,格式の高いレストランで,コース料理に手こずるというのは,論文の背景を読み取れずに頭から字面を追っていって,何が書いてあるのか分からない,と言うようなものです.
  • 論文の,重要なところの読み直しは,「ギャルソン,アンコール」,要は“お代わり”ですね.コース料理で,それが通るかどうかは分かりませんが.

昔話

「フルコース」というと,高校3年のときの塾を思い出します.
同じ学年とはいえ,学校も,学習内容もまちまちだったので,個人学習・個別指導でした.
ある日,女子生徒が先生(女性)に喜んで「フルコース行ってきたの」と言いました.
その先生ははじめ,何のことなのか分かっていませんでした.エリア・時代限定かもしれませんが,「フルコース」が「ぼこぼこにする(全身を殴る蹴る)」という意味で使われることもあったのでした.でも,その生徒はぴんぴんしています.加害者というふうにも見えません.
たしかその生徒は,私立の女子校に通っていましたので,おそらく,一つはテーブルマナーの学習として,またもう一つは卒業前の懇親という意図も込めて,学校がフルコース料理をセッティングしたのでしょう.

*1:私はというと,歩いて行けるところの中華料理屋さんを選びました.