わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

いくつか記事を紹介していただき感謝

いくつか記事を紹介していただき感謝申し上げる.

全体を読んで,「教育の素人」「素人が考える数学教育」に目がとまった.素人が論じるなと言うつもりはないし,私自身,大学にせよ子育てにせよ,教育は手探りで行っている日々ではあるが,教育評価論に関する著書を通じて,(算数に限らず)初等教育の状況をある程度,把握することができた.具体的には次の2冊である.

教育評価 (岩波テキストブックス)

教育評価 (岩波テキストブックス)

教育評価 第2版補訂2版 (有斐閣双書)

教育評価 第2版補訂2版 (有斐閣双書)

なお,前者には「乗法の意味理解」への言及がある.乗法の意味に関して,正比例型・直積型・倍比率型・累加型の4通りを指摘するとともに,「4×8=32となるようなお話をつくってください.そして,そのお話を絵で描いてみましょう」という出題(作問法)において,採点基準に「「乗数と被乗数の意味が区別されているか」(とくに正比例型では「4」は「一あたり量」,「8」は「いくつ分」と区別されているか)」を挙げている.

以下,囲みによる引用は冒頭のリンク先から.

掛け算の順序固定を主張する人が「掛ける数と掛けられる数の違いを理解させようという理想」を追い求めているとするならば、まず「掛ける数」と「掛けられる数」の定義をはっきりさせてもらいたいと言いたい。

「はっきりさせてもらいたい」と放り投げるのではなく,算数教科書を開いて,「かけられる数」「かける数」がどこで出現しているかを確認するほうが効率的である.
なお算数教育の文献や授業例を読んできた所感として,「定義」という用語は避けたほうが無難である(もし使用するなら,数学ではこのように定義されるが,小学校では云々と展開するのを推奨する).かわりに「〜の意味」や「意味付け」のほうが好まれる.
個人的には,日本の小学校の算数ではという前提を置いた上で,「8×6」というかけ算の式における左側の数「8」が,かけられる数であり,右の「6」はかける数であると認識している.書籍だと,例えば『算数・数学用語辞典』p.38では「25×4」という式を用いて説明している.

「8×6」を文章で表すのに「8に6を掛ける」と表現することが日本語の文として妥当で、逆に「6に8を掛ける」が不当かと問われれば、私はどう答えていいのか判らない。さらに言えば「8と6を掛ける」が適切な表現であるように思える。つまり「8×6」のどちらが「掛けられる数」で、どちらが「掛ける数」なのか判らない。

「8に6を掛ける」か「6に8を掛ける」か,それとも「8と6を掛ける」かについては,「「3に5をかける」は《倍指向》,「3と5をかける」は《積指向》です.」*1「大人の議論としては,「3に5をかける」と「3を5にかける」と「3と5をかける」とで違いを認めるか否かの話なのかなと思っています.」*2と,それぞれ例示してきた.
海外文献では,「3×4」という式の解釈が興味深かった(Luckier!)."3 multiplied by 4","3 times 4","3 fours"を示し,各解釈の相互関係を述べた次の段落で,「子どもたちにとっては(For children)」から始まり,4つずつキャンディを持っている3人の子どもは,3つずつキャンディを持っている4人の子どもよりも,運がいいとし,3×4や4×3といった式を使用することなく,1つのかけ算を構成する2つの要素(かけられる数とかける数であるが,単位数と無単位数と読み替えても差し支えない)の区別の意義について書かれている.
「8×6」を「8に6を掛ける」に対応づけることの合理性として,加減乗除において演算子の右にあたる数を(または「×6」と演算子込みで)オペレータと解釈するのはどうか.具体的には次のように読むことができる:

  • 8+6は,「8に6をたす」*3
  • 8−6は,「8から6をひく」
  • 8×6は,「8に6をかける」
  • 8÷6は,「8を6でわる」

こうしたとき,「8×6」だけ「6に8をかける」と解釈するのは一貫性の観点でメリットが薄い.なおアメリカの動向を踏まえて「乗数をoperatorとしてみる場合に統一的にでき便利である」と,1968年の文献http://ci.nii.ac.jp/naid/110003849391で指摘されている.
かけられる数とかける数の区別は,対象となる数を整数より外の範囲に広げる際にもあらわれる.具体的には,小数×整数で表される場面を,整数×整数,小数×小数の間で学習している.
wikipedia:かけ算の順序問題では,小学校学習指導要領解説算数編で記述されている「0.1 × 3ならば、0.1 + 0.1 + 0.1の意味である」を取り入れた.ここから例えば「0.1リットル入ったコップが3つあります.1つの容器に入れると,全部で何リットルになりますか」といった問題を作ることができる.
これはGreer(Greerによる,乗法・除法が用いられる場合)の"Equal measures"と関連し,同文献内で"For a situation to be assimilable to this model, the crucial factor is that the multiplier must be an integer; no restriction applies to the multiplicand."(拙訳:このモデルに属する場面の,重要な特徴は,乗数が整数でなければならないことである.被乗数に制約はない.)と記されている.また7.2÷3は?で見てきた,「7.2÷3=2.4」と「7.2÷3=2あまり1.2」でそれぞれ表される場面でも,関係をかけ算の式で表すと,かける数にあたるほうが整数(無単位数)となる.

しかし、なぜ単位のある数(単位数)と単位の無い数(無単位数)という考え方で両者を区別しないのだろうか(私は、この区別の重要性について主張するものである)。

「単位のある数(単位数)と単位の無い数(無単位数)という考え方で両者を区別」する見方は,例えばVergnaud (1983, 1988)に見られる.『算数・数学科重要用語300の基礎知識』p.187にある「スカラー関係に基づく乗法」のことである.当ブログでは,かけ算と構造で「SCHEMA 5.2」として紹介している.これは乗法構造(multiplicative structures)の1つである(他の構造を,同一の場面や式から見出せることもある)点に注意したい.

この両義的解釈ができるという主張は、takehikomさんが
5×8円=5×(8×円)=(5×8)×円
と考えているから、つまり数と数学的単位は積であり、積については結合法則が成立すると考えているからであろう。しかし、そう考えるなら「5円×8」も両義的である。
5円×8=(5×円)×8=5×(円×8)=5×(8×円)=(5×8)×円

「式の表現・式の読み」と「式の形式的処理」が区別されていないように思われる.当ブログで示した「5×8円」はもっぱら前者の話であり,「5円×8=(5×円)×8=5×(円×8)=5×(8×円)=(5×8)×円」という式変形は後者にあたる.
「形式的」の語は,小学校学習指導要領解説算数編p.58で「(イ)式の表す具体的な意味を離れて,形式的に処理することができる。」として出現する.文字式についてサーベイしている『数学教育学研究ハンドブック』p.83にも見られる.

しかし、その子供は単位数と無対数の掛け算についての習慣が身に着いていないだけである。そして子供にその習慣を身に着けさせるのに、掛け算の問題は「6本のペンを8人にあげます。ペンはぜんぶで何本いるでしょうか」という形で、つまり単位数を先に登場させる形で提出されるべきである。このような形の問題を違った条件で繰り返し提起することで、子供は習慣を身に着け、数学的単位を把握する。そして、それを把握した時点で、単位数と無単位数の登場順が逆転した問題を提出し、本当に数学的単位というものを把握したかどうかを確かめるというのが、素人が考える数学教育である。

基本的にはその流れでなされている.細かいことを言うと,教科書で「かけ算」は,文章題からではない.遊園地で子どもたちが遊んでいる絵などから,「1つ分の数(かけられる数,単位数)」と「いくつ分(かける数,無単位数)」にあたる数をそれぞれ見つけ出し,かけ算の式にすることにより始まっている.
「8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、何本いるでしょうか?」のような文章題は,どの教科書も途中に出現している.また個人的に把握している2社の教科書では,1つ分の数のあたるものが挿絵として添えられている.これらは,「ネット」からは見つけにくい情報ばかりである.

最後に,ウィトゲンシュタイン初等教育・算数教育にどのような影響を及ぼしているかは定かではないが,算数・数学と哲学との関わりとして,http://hdl.handle.net/2115/13516の文献を読んだことがある.1ページの半分以上を用いて「量理論」の状況を見取り図にしており,エンゲルス-遠山が「哲学的「量」」に位置づけられている.


記事タイトルを,リリース時の「かけられる数とかける数の区別について」から変更しました.

*1:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20111115/1321302821

*2:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121228/1356643948

*3:「8と6をたす」と読むこともできる.算数における「増加と合併」,古い言い方だと「足し算と寄せ算」の違いとも関連し,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121026/1351197462で紹介した,高木貞治の仮想鼎談を連想する.算数から離れると,主語(主体)を何にするかの話である.「君と僕の目指すものは同じだ」「君の目指すものは僕(の目指すもの)と同じだ」「僕の目指すものは君(の目指すもの)と同じだ」はどれを言っても,相手に同じ意味をもたらすかもしれないが,状況によって最も良いものが選ばれるであろう.