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2015年07月01日

[][] 自己分析しよう

いきなりですが問題です.

自己分析をしてください.

  1. あなたのペルソナ(仮面)は?
  2. 理想の自己と現実の自己は?
  3. 性格タイプは?(理由も)
    • 根本的態度は,内向か外向か?
    • 判断機能は,思考か感情か?
    • 知覚機能は,直感か感覚か

今週月曜1限の授業中の出題です.

いくらか背景を.月曜1限は学部全体で1年向け入門セミナーです.教員(私も)が10名程度の学生を受け持って指導するのは,15回のうち10回ほどで,残りは,学生が別棟の大講義室に集まり,講演を聞きます.教員は出席義務がないものの,今週月曜の講演は「メンタルヘルスについて」と題してあり,状況を知っておこうと思い,前から3列目に座りました.

入場時にレジュメと白紙をもらい,こんな講演でメモ用紙を配布って珍しいなあと思っていたら,途中で「自己紹介」という,レジュメにない内容がスクリーンに表示されました.講師(学内の,障がい学生支援室の先生)が自己紹介をされたあと,各自書いてみてくださいとなりました.

自分の現状を書くと,こうでしょうか.

  1. ペルソナ:大学教員.4人の娘の父親.堺市出身,和歌山市在住10年と少し.
  2. 理想と現実:情報処理教育に力を入れたいが,研究(とくに科研の代表・分担)をないがしろにできない.日単位・週単位の仕事(教育,学生指導,雑用)に時間がとられ気味で,年単位の研究成果報告に行き着けるか不安.
  3. 性格タイプ
    • たぶん外交的だけど,以前よりは内向的なほうにシフトしているような.
    • 思考重視で記録を残すのが好き.
    • 感覚を重視し,情報間のつながりも意識するが,直感や洞察はあまり外に出さない.*1

ついでに,大学1年の6月に,同じ質問をされたらどう答えたかを,書いてみます.

  1. ペルソナ*2:大学1年生.堺から電車3本で通う.家族は父(4月に腰を打って入院した),母と,兄(働き始めて帰宅が不定期).大学受験まで通っていた塾で講師のアルバイトをし,高校3年生を指導している.
  2. 理想と現実:大学に4年通って,卒業・就職し,きちんと働けるか不安.
  3. 性格タイプ
    • たぶん外交的根拠なし).
    • 思考重視で記録を残すのが好き.
    • 直感と感覚の違いがよく分からない.

講演内容の中で,終盤におっしゃっていた相談員の業務に,感銘を受けました.「現実に何が困っているかを,学生とともに考える」と,メモしました.学生を,相談者・依頼者に置き換えれば,学生支援に限ることなく活用できそうです.

*1:提出した回答には,感覚のそばに「手続き型」,直感のそばに「宣言型」を書きました.関連:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141124/1416777793

*2:大学1年の通年教養科目(社会学)で最初に学んだ,「地位役割論」を連想しました.

2013年12月22日

[][][] 先生はエクストララージですよね?

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131218/1387315668の続きみたいなもの→おもしろ科学まつり→前の前の土曜日→スタッフは8:30に集合→経済学部,講義棟の2階の一室→準備していくにあたり自分には「実行委員」のほかに役職がついた→知っている人はどうか明かさないように→初めての参加で役職つき→俺自身がびびってる→いや,びびってられない→いろんな人のサポートで,ここまで来たんだ→自室に荷物を置き→軽装にしてメインストリートを降りる→ふと思い出すのは父のこと→自分が生まれる前→というか父が独身のころ→労働争議に関わって→父は会計を担当していた→父が倒れた翌月に読んだ本より→その本で印象に残っている表現が2つ→ひとつは「オルグ」→もうひとつは「ケチケチ」→父はケチケチだったとのこと→まあ収入を多く支出を少なくが基本だよな→不確定な未来だったわけだし→ちなみにオルグとは寄付依頼の活動のこと→なので収入に関係してくる→とか思い出していると→経済学部棟に到着→そして事務局の部屋へ→「先生はエクストララージですよね?」→そして差し出されるパーカー→事前準備で分かっている→スタッフが着用するパーカー→ずいぶん目立つオレンジ色→和歌山大学を連想させるオレンジ色→サイズはM/L/XLの3種類→選択の余地なし→「エクストララージ」のパーカーを受け取る→ジャンパーを脱いで→パーカーの袖を通して→サイズは問題なさそう→チャックを上げて→これでスタッフの一員→俺「いやあ,XLで大丈夫かなと思ったんですが,案外いけますね」→受付の先生「これより大きいサイズはないですから」→「ふだん俺3Lばっかしでねえ」→「私もですよ」→「ユニクロに行ったら,妻に,もうひとつサイズが減ったら,着れる服がいっぱいあるのに,とよく言われるもんで」→「わかりますわかります」→晩に妻に話して笑いをとる→→父が会計を任された理由は不明→本に書いているかもしれない→Amazonで探すと→中古で1冊→さっそく発注→「屈強」というのは理由になるかも→兄弟の中で一番の体格だった→自分が19歳のとき→父の喪服を借りて,高校の同級生のお父さんの葬儀に参列した→借りた服は→父が新婚のときに新調したもの→と母が言っていた→当時の父の礼服は別にあったが→親の服を借りたのは,学生時代のいい思い出

なにこれ

別のところで公開したものを手直ししました.

「→→」以降は,当ブログでリリースするにあたり追記した内容です.

2012年01月28日

[] トシさんとビリヤード

木曜だったか金曜だったかの朝,大学でバス停を降りてからのこと.

「おはよう」

  「あ,おはようございます」

「ときに先生…」

  「はい,何か?」

「あなたはビリヤードをなさいますか?」

  「えっ,ビリヤードですか? …そうだ,学生時代に,ちょっと遊んだりしてましたけど」

大学1年のころの記憶が,よみがえります.高校の近くのビリヤード場が格安ということで,のちにトシさんと呼ばれるようになった人と,よく遊んだものです.トシさんの正体はのちほど.

ナインボールもたまにしましたが,たいていはローテーションです.15個の玉を落としていくやつです.はじめのうちは小さい数字を落としていきます(偶発的に大きい数字のこともあります)が,後半は数字そして得点増加が大きくなるので,エキサイティングなのでした.

それで,あるときのプレイ:

「たけひこ,次,10番やんな!」

  「そうや」

「10番やな!」

  「そうや」

「そら!」

  「あ〜,兄貴,なんで10番を撞くねん!」

白玉(手玉)ではなく,10番の玉を直接,撞いてしまったという話でした.

記憶はそこまでとして,先生の話を伺うと,学生がビリヤードクラブを作りたいそうで,顧問になってもらう教員を探していて,その先生にメールが来たとのことでした.

こちらは曖昧な返事にしましたが,風の便りでは,うまいこと顧問になる教員が決まったようです.

それと,ローテーションのルール:ビリヤードのルールnaviには,ファイルファウルになる例として「的球をキューで撞いたとき」が入っています.

2009年06月26日

[][] 団体戦に先鋒として出る

ひさしぶりに19歳の話を書きます.

過去の日記を読めば分かるように,私は大阪府堺市の出身です.また柔道は初段(黒帯)をとっており,今は柔道着に袖を通すことはないのですが,テレビで柔道の試合を中継していたら,見て,ここに感想を書くようにしています.

小学生のときは,少し離れた大浜体育館へ,週2回,稽古に行っていました.中高はそれぞれの柔道部に所属していました.

中学以降の柔道の試合は,個人戦もありましたが,多くは団体戦でした.5人制か7人制.5人制のときは,各選手には出場順に「先鋒」「次鋒」「中堅」「副将」「大将」という名称がついていました.7人制だと「先鋒」「次鋒」「五将」「中堅」「三将」「副将」「大将」でした.

大学生になったら,体育会の柔道部には入らず,コンピュータの学科で,まあそれはそれで楽しく過ごしていました.しかし高校の柔道部には,顔を出すようにしていました*1.そんな中,5月の大会に,一般の部の団体戦で出場してほしいと,依頼がありました.記憶が間違っていなければ,大学2年生,19歳のときです.

毎年5月と11月の,ある日曜日に,堺市の柔道協会だったかが主催の大会が開かれていました*2.5月は小学の部,中学の部,高校の部,一般の部に分かれて,小学の部は個人戦,あとは5人制または7人制の団体戦でした.

一般というのは,大学生以上なのですが*3,高校のOB会というのも出場可能で,例年,私の出身校の柔道部のOB会でも1〜2チームが出場していました.それで,私がそのメンバーに名を連ねることになったのです.

試合前に何回か,高校に出向きまして,少しでも体力と技を取り戻すよう努力しました.

当日だったかそれより前だったか,オーダーが発表されまして,私は先鋒とのこと.中学のとき以来です*4.団体戦の最初の勝負.勝てばチームに調子付け,となる,それなりに重要な位置です.

試合のほうはというと,その先鋒戦でたしか,1回戦,2回戦とも勝つことができました.2回戦では早々に技ありを取られましたが,経過時間が真ん中くらいのときに,場外際で大外刈りをかけ,一本が決まって逆転できました.

ここで,団体戦の勝敗の決め方を,記憶に基づき書いておきますと,対戦者ごとの勝敗で,多い方があればそっちのチームの勝利です.3人制にせよ5人制にせよ7人制にせよ奇数ですから,全対戦者で白黒ついていれば,団体戦の勝敗も容易です.

しかし「引き分け」があって,対戦者ごとの勝敗数が同じであれば,次は点数を求めます.一本勝ちなら10点,技ありによる優勢勝ちなら7点,有効による優勢勝ちなら5点.負けと引き分けは,0点です.ポイント(有効,技あり)を取っていても,勝った側がそれよりも上位のポイントを取っていれば,負けた側は0点です.

そんな点数計算をしても,同じなら,代表戦として,出場者の中から各チームひとりずつ出て,対戦し,それでも引き分けだと,主審・副審の旗による判定で決めます.

出場した団体戦に話を戻すと,2回戦は2対3で負けて,入賞には至りませんでした.

5月・11月の大会.開会式と試合開始の間に,厳かに,「形」のデモンストレーションがありました.開会式の中では,毎回,市長の挨拶として,代読で市の偉いさんだったかが文章を読み上げていたと,おぼろげに記憶しています.

今年は堺市長選挙があるとかいうことで,立候補者に関するいくつかの報道を見て,上のことを思い出しました.

*1:ある先輩がかつて,OB大学生に少しでも顔を出してもらおうと,「(毎年夏に,高校内で行われる)合宿に行くのは必修科目や」とおっしゃっていたのは,強く記憶に残っています.

*2:会場は,あるときは大浜体育館,あるときはは初芝体育館でした.

*3:記憶では大学には強豪がなく,一般の中で,大刑とかクボタとかが記憶に残っています

*4:中学のときは,体重順という制約があった,かな….

2007年06月02日

[] 父のこと

約3か月ぶりの「19歳」の話です.

といっても,自分の父のことを,この日記でどのように書いていけばいいのか,分かりません.書くべきでなかったかもしれません.

記憶を淡々と記すことにすると,大学2年のときの6月2日,日曜日,8時過ぎに父が体調の異変を訴え,自家用車*1を私が運転して病院に運んだものの間に合わず,死去しました.急性心不全でした.

その後の生活は一変しました.葬儀は,母が喪主となって自宅で執り行いました.富田林の畑は収穫をして,土を耕すとか種蒔きとかできずにこの年でおしまい.兄が自宅に戻り,運転免許*2をとるため近所の教習所に通い始めました.

自営業をしていた父の仕事道具は,従業員さんに譲りました.

自分はというと…兄のお下がりのパソコンで,プログラムを作っていたことが,記憶に残っています.そのプログラムはある雑誌に投稿し,翌年,掲載されました.

長くて短い夏でした.

*1 運転免許 (取ってから) - わさっきの最後の段落で書いている車です.そういえば,車が替わってから,母はハンドルを握らなくなりました.

*2:父は自分がそうしたように,兄に,試験場に何度も行って技能試験に合格するという「飛び込み」をさせていました.兄は何度か通ったものの,断念しました.