「社畜」と「お荷物」
一部だけを見て全体を判断してはいけないという例。
・「経営者の立場に身をおいてすべての判断をしてほしい」
日本的経営の本質を突いている。従業員一人一人が経営者のつもりで会社に参加すること。質問するのではなく、察せ。技は教えてもらうのではなく盗め。なぜ社畜たちが自分たちの地位が低くても、周囲に経営者視線で、過酷な長時間労働を押し付けてくるか理解できる。
・「自分の狭い責任範囲にこだわり会社全体の視野を見過ごさないように」
日本企業が「責任分担」を軽視するのはこれが起源だったのか。各人の責任範囲というのはあってなきが如し。いざ緊急事態になれば全員総出で対応するのは当然、というわけだ。本当の緊急事態ならまだしも、客のちょっとした気まぐれ程度の要求にも同じように対応するから、「付き合い残業」が減らないのだな。
日本人ボスは「24時間会社のことを考えろ。経営者の立場に身をおけば、自分のやるべきことは見えてくるだろう。だからあえて細かい指示を出す必要はない」と考えているのに対して、アジアのマネージャーたちは「自分は会社の中で一機能を果たすのに過ぎない。よりよく機能するためには、上司が明確なゴールを設定する必要がある」と言っているのだ。
日本的経営が社畜を生んだ理由 - elm200 の日記
一部の業界、それもブラックに属する企業でこのようなことがあるのは事実だろう。
しかし、それを以て「日本的経営が社畜を生んだ理由」と称するのは、あまりにも想像力が無さ過ぎる。
日本でも、大企業になればなるほど各人の責任範囲は固まり、それ以外のことは考えなくなる。
所謂、「官僚的」というやつだ。
「的」ということは、もちろん元になってる「官僚」も同じ。というかそっちが先か。
同義語に「お役所的」とか「お役所仕事」もあるかな。
そして、そういう言われ方はしばしば「日本的」であるとも言われる。
これは「日本的経営」じゃないの?
結局、人は自分の目に見える範囲の事象で、全てを判断する癖があるということ。
チンケな企業やブラックな企業にしか就職できず、更にそこでも続かなかった輩が自分を弁護しているだけ。
お前たちに「日本的経営」などと総括できる知識と経験があるのか?*1
賛同する輩もいるだろう。でもそれは「一部の意見」でしかない。
皆がそうだと思われては迷惑だ。
日本人には、日本人の美徳、美意識がある。
僕は海外で働いたとき、どんなに重大な問題が生じていても平気で仕事を止める奴等にむかついたことがある。
だけど、マネージャー以上でそんなことは有り得ない。アジアでも、欧州でも。
役割は決まっている。でもその役割は自分の責任に於いてきちんとこなす。これは万国共通。
日本人はその意識が強い。それが悪んじゃない、それを悪用する奴が悪いだけだ。
そういう日本人の美意識も持たず、責任感も無く、ただ言われたことをこなせばいいと考える奴。以下のような意識を持つ奴。
仕事は楽したい、責任は少ない方がいい、だから出世はしなくていいよ(本当は出世したいけど、デキナイ自分がばれるのは嫌だもん、本当はデキル奴と思われていたい*2)。でも給料は人並みにちょうだいね。上司には文句言いません(言えません)、でもネットでは偉そうなこと言うよ(上司には聞こえないし、賛同してくれる人も多いもんね、俺スゲエ)。
そういう「お荷物」社員が企業から弾かれ、「社畜」という言葉で企業を、そして「日本的経営」を攻撃する。
自分の出身母体を特定して攻撃するならいい。でもそうじゃなければ、負け犬の集まりにしか見えないよ。