takeruko の小説置場

2012-08-23

Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(8)


 バグダッシュはハイネセンポリスで行われた直近の世論調査の数字を示した。
「これは、かつての情報部のつてで行わせた世論調査ですが、ハイネセンポリスでは、我々、ヤン・ウェンリー党の支持率は各地区で若干の開きはありますが、おおむね85%というところです」
「それはほとんど、冗談のような数字だな」
 デッシュ准将が言った。
「戦争に勝利した直後の指導者の支持率がこれくらいになることはありますが、そういう数字は遠からずに急落します。総選挙が予定されている十一月まで、一ヶ月以上の間があくことを考えますと、だいたい65%前後で落ち着くのではないかと見ています」
「それでも十分に高い数字だな。この分なら過半数確保は間違いなさそうだ」
 キャゼルヌのその言葉に、バグダッシュは首を振った。
「ずいぶん欲が小さいことだ。選挙制度次第ではこれは十分に議席独占が狙える数字です」
「それが小選挙区制、ということですね」
 フレデリカに対して、バグダッシュは頷いた。
 仮に全議席を600議席としてそのすべてを小選挙区に割り当てる。各選挙区で、ヤン・ウェンリー党が第一党になることは難しくなく、小選挙区制においては第一党が議席を総取りするから、この制度を用いれば、議席独占も難しくないのである。
「逆に言うと、民主主義としてはそれは問題があるのではないでしょうか」
 アシュール中佐が発言を求めた。彼はもともと、ヤン・ウェンリーの帷幕ではなかったが、ヤン・ウェンリーがもっとも不利な時期、ヤン・イレギュラーズを率いていた時に、敢えてヤン艦隊に合流した筋金入りの民主主義者であった。
「健全な議会内野党が形成されないようでは、民主主義としては欠陥というしかありません」
「そうは言っても、勝利のために全力を尽くすのは当然ではないか」
 コリンズ大佐が口を挟む。しかしアシュールは首を振りつつも、譲らなかった。
「先日、バグダッシュ大佐は我々の決定にバーラト星系の住民の未来がかかっている、生かすも殺すも我々次第だとおっしゃいました。ならばまず我々は自分たちの党派的利益を優先するのではなく、星系の未来にとって何が一番いいのかを優先して考えるべきです。小選挙区制は我々が圧勝し過ぎる可能性が高いために、星系の未来を歪めかねません。私はこの制度には反対です」
「バグダッシュ大佐の意見は?」
 キャゼルヌが当のバグダッシュに見解を促した。
「アシュール中佐の言ったようなことを先日、当の私自身が申しましたが、実を言うと、私はアシュール中佐ほど割り切れてはいません。確実に勝てるなら、その制度で勝負をしたい。しかし実際問題として、小選挙区制は有権者を確定させる作業がかなり手間取ります。バーラト星系はもともと人口の出入りが激しい場所ですし、自由惑星同盟が滅亡して以後、きちんとした国勢調査が行われていません。他星系に移住した人も多いでしょうし、銀河帝国から新たに住民となった人も相当いるでしょう。それらすべてを短期間に確定させるのはほぼ不可能です。小選挙区制を採用するならば少なくとも一年は猶予が必要でしょうし、一年も選挙を行わなければ、ヤン・ウェンリー党は独裁をはかっていると痛くもない腹をさぐられることになりかねません。それで将来的にはともかく、今回は比例代表制を採用するのがいいと思います。比例代表制ならば、選挙区の区割りは必要ありませんし、投票所で、指紋登録がなされている市民であることさえ確認できればいいんですから、管理は格段に楽です」
「ただ比例代表制なら、そんなに簡単には勝てないだろう」
 マリノ准将が言った。
「もちろん、比例代表制では我々が過半数をとるためには、50%以上を得票しなければなりません。場合によっては連立を組まなければならないでしょう」
 議論がなされて、やはり比例代表制が適当だと言うことになった。
 ヤン・ウェンリー党として候補者の選定に直ぐに入ることになり、バグダッシュが選対本部長となり、これにあたることになった。また、党代表にフレデリカ・ヤン、幹事長にキャゼルヌが充てられることも決定された。両者は比例代表候補者名簿の第一位と第二位に記載されることになった。
「おそらく300位までは安全当選圏内です。最高幹部会の面々はすべて上位に名を連ねていただくことになりますが、よろしいでしょうか」
 バグダッシュがそう言った時、リンツが手を挙げた。
「申し訳ないが私は辞退させていただきたい」
「ヤン・ウェンリー党から抜ける、ということでしょうか」
 バグダッシュからの問いかけに、リンツは首を振った。
「ヤン・ウェンリーの下で戦ったことは私の生涯の誇りだ。追い出されるならばともかく、自ら望んで、ここを離れることはない。ただ、私は一介の軍人であり、どう考えても政治家として適性が無い。他にやる者がいないなら仕方がないが、ハイネセンで希望者を募れば私などよりも適格者がきっといるだろう」
 リンツの言葉に対して、フレデリカが発言を求めた。
「リンツ大佐。私としても何かしら強制することはしたくありません。ただ、ハイネセン到着後、軍は解散することになっています。軍はもうなくなるのです。当然、軍人であることもかなわなくなります。第二の人生をどうか政治家として、私たちと一緒に歩いてくださいませんでしょうか」
「もう軍人でいられないのは承知の上です。ヤン艦隊が解散するからと言って、今さら帝国軍に入るつもりもありません。ただ、それに類似した警察官なり、航路保安局なりに勤務できないかと思っています。それが無理なら民間の警備会社に入るつもりです」
 士官学校は将来、ジェネラル(将官)となり得る人材を養成する。そしてジェネラルは単に軍事のみならず、政治や文化、総合的(ジェネラル)に通じていなければならない。ぼんやりとしていたヤン・ウェンリーであっても、歴史や政治については一家言を持っていた。士官学校卒業者にとっては、軍人から政治家への転身はそう違和感がないものである。
 しかし戦技によって階級を上昇させてきた、士官学校卒業者ではない職人肌の軍人も一方にはいて、例えばオリビエ・ポプランがそうだった。そういう軍人というよりは戦士というタイプの人間にとっては、軍人から政治家への転身がとてつもなく垣根が高いものに思われるのかも知れない。ローゼンリッター連隊はそういう意味で、戦技のプロフェッショナルの集団であって、転身が最も難しい部類に入っていた。
 けれども、とフレデリカは思う。シェーンコップ中将は策謀好きで、政治家になったら嬉々として政治活動を行っただろうと思う。彼の場合は逆に下士官からキャリアをスタートさせなければならなかったことが不本意であって、性格的には白兵戦の指揮を執るよりも、それこそジェネラル向きだったのだろう。
 リンツがシェーンコップとは違うと言うことで、リンツを責めてはならなかった。
「分かりました。ご希望に沿うようにいたしましょう。けれども、私たちの前から突然、去るようなことはなさらないでくださいね。警察なり航路保安局なりに必ず適当なポストを用意いたしますから」
 リンツが謝意を込めて、頷いた。
 候補名簿作成にあたっては、ハイネセンにすでにいるアッテンボローとユリアンらに協力を依頼し、めぼしい候補者の選定にあたってもらうことにした。
「なにしろこちらはしばらくハイネセンを離れていたからな。あちらの状況に詳しい奴が欲しい。ムライにはこの際、復帰して貰おう」
 隠居生活に入っているムライを何が何でもひっぱりだす、とキャゼルヌは言った。全体を仕切れる事務屋が余りにも少ないのである。ムライがいた頃はムライと手分けをしていたものが、ムライがいなくなってすべてキャゼルヌに集中するようになってしまった。キャゼルヌとしては恨み骨髄に達す、である。
「誰がのんきな楽隠居なんかさせてやるものか。戻ってきたら幹事長代理だ」
「それと旧同盟でも名が知られていた政治家に参加していただきたいですね。私たちは未経験者ばかりですから」
 フレデリカはそれも踏まえて選定にあたるよう、バグダッシュに指示をした。ホアン・ルイあたりを引き入れることが出来ればいいと、述べた。
「了解しました。それとは別途にですが、ヤン夫人には、組閣の準備にあたっていただきたいと思います。ヤン・ウェンリー党が政権を取るのはほぼ確実なのですから」
 フレデリカは頷いた。
 その夜、寝る前に試しに組閣名簿を作成してみた。

 首相 フレデリカ・グリーンヒル・ヤン
 内閣官房長官 バグダッシュ
 外務大臣 ダスティ・アッテンボロー
 財務大臣 ―
 金融大臣 ―
 内務大臣 ―
 厚生大臣 ―
 教育大臣 ―
 交通大臣 デッシュ
 産業大臣 ラオ
 総務大臣 ―

 手持ちの人材で言えばこれがぎりぎりだった。文官がいないせいでもあるが、果たしてこれで政権運営なんて出来るのだろうかとフレデリカはため息をついた。

Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(7)


 約15日の旅程を経て、惑星ハイネセンに到着したワーレンは、数日後、超光速通信でミュラーからイゼルローン要塞接収完了の報告を受けて、ひとつの依頼を行った。
「イゼルローン要塞の管理システムすべてを、ハードウェアごと交換して貰いたい。出来るか?」
「出来ないことはありませんが、費用も手間もかかります。小官は数日内にフェザーンに向けて出発する予定ですので、作業の完了を見届けることは出来ませんが、それでもよろしいのでしょうか」
「かまわん。そうしてくれ。くれぐれも新システムと旧システムをつなぐことがないよう、完全に切り離して欲しい」
「そうなると作業も膨大で、ワーレン提督がこちらに着任時にも、当面はシステムが使用できないことになりますが」
「当面は艦にとどまり任務にあたるさ。とにかく、イゼルローン共和政府の連中が何かを仕掛けている可能性を完全に払拭したい」
 帝国軍による同盟領への侵攻作戦の時、イゼルローン要塞に駐留していたヤン艦隊は、ローエングラム公を倒すべく、全艦隊を率いてイゼルローン要塞を後にした。空き城となったイゼルローン要塞を接収したのはロイエンタール元帥だったが、その後、イゼルローンにはルッツが駐留軍司令官として入った。
 ヤン・イレギュラーズがその後、再びイゼルローンに戻るべくイゼルローン回廊に姿を現した際、かねてよりヤンが仕込んでいた暗号システムが作動して、イゼルローン要塞の統制が不可能になった。そのため、ルッツはみすみすイゼルローン要塞をヤンに再奪取されるという不面目を喫している。
 むろん、その前例があればこその警戒だということはミュラーには分かるが、大袈裟な態度のように思えなくもない。
「かつてヤン・ウェンリーの奇策によって、イゼルローン要塞が失われたということがありましたから、ワーレン提督のご懸念はごもっともかも知れませんが、当時と今では状況が違います。何と言っても今回は講和条約を受けての接収ですし、万が一、システムに細工をほどこしていることが判明すれば、明白な敵対行為ですから、帝国との和平を損ないかねないそうした小細工を彼らが仕掛けるとは思えません。主義主張は違えども、彼らがそうそう愚かな振る舞いをするとは小官には考えられません」
 逆にそうまでして警戒すると言うことは、イゼルローン共和政府を疑うと言うことであり、それこそが帝国によって和平の精神を棄損することになりかねなかった。
 ミュラーとしては、先日、フレデリカやキャゼルヌと旧交を温めたばかりであり、個人的に彼らに猜疑の眼差しを向けるのは、不快でもあった。
「我らが宇宙艦隊司令長官は、民主主義者たちに籠絡されたようだ」
「ワーレン提督、それはいささかお言葉過ぎましょう。小官は一時も小官の務めを忘れたことはありません。小官の異論もまた、帝国軍の名誉を思ってのことです。それを通敵したかのように言われては、言うべきことも誰も言わなくなりましょう」
「まあ、そう怒るな、司令長官。ちょっとからかってみただけだ。冗談の度が過ぎたなら謝る。卿は確かに、ヤン艦隊の面々と交流があるが、それで言うならば俺にもユリアン・ミンツとの旧縁がある。ハイネセンに戻る際にも、旗艦サラマンデルに同乗して貰ったしな。立場が違ったから戦ったまでのことで、互いに憎悪も遺恨もない。彼らがおおむね気持ちのいい連中なのは百も承知だし、まして卿の言うとおり、この期に及んで小細工を弄するほど馬鹿じゃないのは俺にも分かっている」
「ならばなぜ、敢えて無駄手間をかけさせようとなされるのですか」
「先日、皇太后陛下からお話があってな、人の心のうちは分からないと。その分からないことが猜疑を産み、猜疑が離反を産み、重大な破局をもたらすと、おっしゃっておられた。それについて思うところがあってな。
 イゼルローン共和政府の面々を知る者は、彼らが今さら小細工を弄するほど痴れ者ではないことは分かっている。しかしそれを証明しようがない。証明しようがないから猜疑が残る。ここで猜疑を残しておけば、情勢の変化によって、猜疑が膨らみ、ヤン艦隊の連中をどうにかしろという声が強まる可能性もある。彼らは敵であったがゆえに、帝国の上層部と交流があり、ある意味、皇太后陛下や卿や俺に食い込んでいるとも言えるのだからな。それを危険視する声がいつ高まるとも分からない。ことによっては、猜疑の可能性だけで、たとえばユリアン・ミンツなどを害そうとする忠義面をした者が出てこんとも限らんよ。
 ここでイゼルローンのハードディスクごと、そのソフトウェアを取り換えれば、万が一、彼らがイゼルローン要塞に奇策を施していたとしても、その危険性はゼロにまで落とし込むことが出来る。つまり猜疑が発生しようがないわけだ。むろん、別の案件で、ヤン夫人やユリアン・ミンツを疑う者はでてくるだろうし、そこまでは我々も神ではないからどうしようもないことだ。しかしここでハードディスクごと取り換えておけば、少なくともイゼルローン要塞に関しては猜疑の芽を摘んでおくことが出来る。そのことは、俺としては和平の精神にかなった行為だと思うが、どうだね?」
 その問いかけに対して、ミュラーは敬礼した。
「失礼しました。そこまで深いお考えがおありだとは知らず、軽率な言を申しました。ワーレン提督のおっしゃるとおりです。将来の無用な猜疑を摘んでおくために、ここはおっしゃるとおりに致しましょう。提督がこちらにご着任の頃は小官はフェザーンに向かっているかと思いますが、残留スタッフに引き継いでおきます。再びお目に書かれる日まで、どうぞご壮健で」
 ワーレンはミュラーとの通信を終えた。気持ちのいい男と言えば、他ならぬミュラーがそうであり、その真っ直ぐな気性をワーレンは称賛していた。正直に言えば、年齢において最年少のミュラーに、三長官のひとつを占められて、出世において先を越されたという忸怩たる思いがまったくないわけではない。これについては、定番の任にあたっているケスラー憲兵総監は別にして、三長官職から外れたアイゼナッハ、ビッテンフェルトにしても同じ思いであろう。
 しかし自分の中にも確かにあるそういう黒い思いを簡単に溶解できるほど、会ってみればミュラーの笑顔は涼やかであったし、何よりその人となりが魅力的であった。
 それにワーレンに与えられた任が決して三長官職に劣るわけではないこともワーレンは承知していた。と言うよりも、その任の巨大さは、おそらく宇宙艦隊司令長官職よりも遥かに大きなものであり、今、その任に直面してみると、他人がどうとか言っている場合ではなく、果たして自分にその任を果たせるのかどうか、ワーレンとしても身震いする思いがするのだった。
「トーマス、今度はおまえと暮らせるかな」
 机の片隅に置いた、笑っている少年の写真を手にとって、ワーレンは眺めた。そして更にその横に飾ってある亡き妻の写真を見た。
 12年前、初めての子を懐妊して、ワーレンは妻と共に喜んだが、その出産は難産だった。男の子はかろうじて産まれたが、ワーレンは妻を失った。以来、ワーレンは独り身であり、今なお強く残る亡き妻への想いを思えばおそらくワーレンはこの先も新たに妻を迎えることはないだろう。
 この点でも、ワーレンは皇太后と境遇が似ていた。
 ワーレンは、そうやって生まれた一人息子のトーマスを溺愛していたが、多くは戦陣をかけめぐる生活の中で、一緒に暮らすことは叶わなかった。帝都オーディーンの実家に息子を預け、トーマスはワーレンの父と母によって養育されていた。先日、実家に通信を行った際、ワーレンは父から苦言を呈されていた。
「おまえね、今度は元帥だとかで、偉くなるのはそれはいいがね、家族ともろくに会えないで何のための仕事だ?子供だっていつまでも子供じゃないんだよ。トーマスももうすぐに私の背に追いつくからね。トーマスも今の学校を終えたら、寮に入って家庭を離れるのもそう遠くない話だよ。ちょっとの間でも落ち着いて、父と息子、一緒に暮らすべきじゃないかね?」
 その時、父との会話に当のトーマスが割り込んできた。
「ねえねえ、父さん、ユリアン・ミンツと知り合いなんだよね。なんかこう、ヤン・ウェンリーの記念品みたいなもの、僕に貰ってくれないかなあ。そうしたら学校で自慢できるし」
 少年の学校では、不世出の軍事的天才ということで、皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリーが大人気だということだった。いつの時代も少年は英雄に憧れるものである。
 ワーレンは苦笑して言った。
「なんだ、俺は人気はないのか」
「うーん、人気が無いわけじゃないけど、父さん、だってヤン提督に敗けちゃったことがあるじゃない。やっぱりヤン提督とは較べられないよ」
「分かった分かった、そのうちユリアン・ミンツに頼んで、ワッペンでも貰っておこう」
 なぜワッペンなのかはワーレン自身にも分からなかったが、子供が喜ぶものならそんなものだろうと適当に言っただけのことだった。そう言われて狂喜乱舞する息子の姿を見て、ヤンに敗けた提督としては多少なりとも忸怩たる思いがあったが、息子が喜んでくれるならそれがなによりである。
 イゼルローンに赴任すれば、今度こそ、老いた両親ともども息子を呼び寄せようとワーレンは胸に誓った。

Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(6)


 ロイエンタールの叛乱後、新領土総督府は解体され、行政的には各星系ごとに総督が置かれ、それぞれの星系に配置された方面軍をハイネセンのワーレン艦隊が統括する体制になっていた。これについてはロイエンタールの叛乱後、日も浅いこともあり、当座しのぎの策であったが、その後のごたごたの中で手を付ける機会を逸していた。
 惑星ハイネセンを擁するバーラト星系については、尚書職に匹敵する新領土民事長官エルスハイマーの行政管轄下にあり、エルスハイマーは「総督」ではなく、中央政府の尚書扱いであった。バーラト星系がイゼルローン共和政府に引き渡された後は、エルスハイマーはフェザーンに帰還し、適当な顕職に復帰する予定になっている。オスマイヤー内務尚書には、かつて部下であるラングの突出を抑えられなかったという瑕疵があり、エルスハイマーの復帰を機に、ヒルダは内務尚書を更迭し、エルスハイマーを後任に充てるつもりである。
 いずれは国務尚書、そして状況が許せば帝国宰相にとエルスハイマーを進ませるつもりであった。
 高位公職者についても順次、自分の息がかかった者たちにヒルダは入れ替えてゆくつもりであったが、退任する者たちにもそれなりの名誉が必要であった。ヒルダは諮問機関として元老院を新設し、オスマイヤーは最初の元老に任命されるだろう。「ご意見番」と言えば聞こえはいいが、高級老人ホームのようなものである。
 この方針について首席秘書官であるヴェストパーレ男爵夫人から、人事の変更をしやすいように、叙爵を検討してはどうかとの意見が出された。いわゆる、「名誉の管理制度」としては叙勲と叙爵の二制度があり、叙勲のうち最上級勲章はジークフリート・キルヒアイス大公勲章であったが、勲章は叙爵に比較すればインパクトが弱いのも事実である。
 これについて明確な指針を皇帝ラインハルトが示すことはなかったが、運用実態から見る限り、ラインハルトが従来の爵位を否定はせずとも、新たに叙爵することはしないとの方針を持っていたことは明らかであり、帝国騎士であったロイエンタール、オーベルシュタイン両元帥さえ昇爵することはなく、平民のミッターマイヤー元帥も新たに貴族に列せられることはなかったのだから、その方針は徹底していたと言って良い。
「現在爵位を有する者、私や国務尚書を含めてですが、それはゴールデンバウム王朝下において貴族であった家系に属する者であり、なおかつリップシュタット戦役においてローエングラム公を支持した者たちと言う狭いくくりに限られます。このことは爵位によってその出自を明言しているに等しく、ゴールデンバウム王朝への憎悪が、その下で貴族であった爵位保有者に向けられる可能性があります。
爵位を現に持つ者を保護する意味においても、名誉を与えて、人事異動を潤滑に行う意味においても、叙爵は検討に値する策だと思うのですがいかがでしょうか」
 ヴェストパーレ男爵夫人の献策に一定の理を認めながらも、ヒルダはすぐには承諾は出来なかった。
「先帝の姿勢は、理想としても実態としても、皇帝が直接民衆とつながる、いわば自由帝政のようなものでした。そのため、意図的に中間者である貴族を廃そうとした面があります。皇帝も人間ですから、貴族に囲まれて、障壁の中で暮らすのは心地よいのでしょうが、そうなればそれだけ民衆から距離が生じます。貴族制度の復活は、王朝の基本理念に関わることですから、即座に決定することは出来ません。今しばらくの猶予が必要です」
 何ならば、新設される元老院において、この件の是非を検討させるのもいいだろうとヒルダは思った。

 エルスハイマーから、ある者を不敬罪で捕えたいとの要請があり、ヒルダはその上申を検討したうえで却下した。
 ソーンダイクとその著作は日々、影響を強め、皇帝ラインハルトに対する権威の低下をもたらしている。これを放置してゆくわけにはいかないので、エルスハイマーはソーンダイクを拘束する検討に入ったが、これという罪過はなかった。名誉棄損、侮辱罪がもっとも近似する罪過であったが、公人に対しては、事実の指摘である限り何を言ったところで合法であり、事実ではなく主観的な評価であっても、ゴールデンバウム王朝下においてすら、名誉棄損罪が公人への批評に対して適用されることは稀であった。
 こちらでの立件を諦めたエルスハイマーは伝家の宝刀である不敬罪を適用すべきと主張したのである。
 皇帝に対する名誉棄損は不敬罪という別建ての刑事犯罪となっていて、これは廃止されていたわけではなかった。ただしラインハルトはその運用を実質的に停止しており、旧帝国領においてさえ、ローエングラム体制になって以後は不敬罪で起訴された者はいなかった。
 旧帝国領と旧同盟領では法体系が異なっていて、新帝国暦10年を目安にして将来的には帝国法一本に統合される予定であったが、現状では、旧同盟領において旧同盟法も有効であった。旧同盟領において、刑事や民事において、罪過の認定やその刑量が旧帝国法と旧同盟法で異なる場合は、被告に有利な方で裁かれることになっている。
 この方針から言っても、旧同盟法にはむろん、不敬罪規定は無かったのだから、ソーンダイクを不敬罪で起訴するのはこの方針からの逸脱であった。だからこそその是非の判断をエルスハイマーは皇太后に求めたのだが、不敬罪を死文化させるのは王朝の方針であったので、エルスハイマーの要請は却下された。
 かつて、不敬罪について、ラインハルトは司法官僚たちにこう述べている。
「不敬罪は言うなれば王朝の飾りであり、存在自体に意味がある。飾りであるから実際に適用する必要はない。指導者は批判に晒されて当たり前であり、それは皇帝とても例外ではない。批判をはねかえすほどの政治を行えばいいだけの話だ」
 その意気やよし、というべきであったが、実際に行政に携わる者からすれば政府の権威の低下は見過ごしには出来ない。
「ソーンダイクに罪過が無いから起訴できないわけで、無実の者を行政や司法が陥れてはなりません」
 と、ヒルダは述べたが、エルスハイマーはもっと実際的な考えをした。現場にいる者なればの見解である。
「おそれながら、陛下。ソーンダイクの著作が脅威である点はそこで述べられていることが事実であると言うことです。事実であるがゆえに、王朝に対する攻撃力ははかりしれないものがあります。理想は理想として、これに何ら対処しないことは、王朝の求心力を弱めることになりかねません」
 しかしそれでもヒルダには事実を弾圧することは出来なかった。事実によって王朝が崩壊するならば、その程度の王朝だったということだ。そんなものはむしろ存在しない方が人類のためであろう。
 エルスハイマーにくれぐれも、ソーンダイクを弾圧するようなことがないよう念を押して、通信を切った後、ヒルダはソーンダイクがラインハルトを糾弾している件について一人で考えてみた。
 十歳児を虐殺するなど、到底許しがたいことである。ヒルダは改めてこれについて考えて、夫に対して初めて小さな嫌悪感を抱いている自分に気づいた。リヒテンラーデ公一族の対する弾圧にしても、ヴェスターラントの虐殺を見過ごしにした件についても、ヒルダがラインハルトに伺候する前の出来事であり、当時、自分が側近として仕えていたならば、絶対にそのような行為をラインハルトに侵させはしなかったとヒルダは思った。
 リヒテンラーデ公の一族を弾圧した件については、当時、明らかにラインハルトの精神状態は正常を欠いていたという弁護すべき余地がある。キルヒアイスを失い、復讐心に猛々しくなっていたラインハルトは、不必要に苛烈な命令を下した。本来ならば、参謀として傍にいたオーベルシュタインなり、実行者となったロイエンタールなりが、苛烈な命令を穏当な措置に変換すべきだったのである。むろん、極めて微小ながら、彼らもそうした努力をまったくしなかったわけではない。
 ロイエンタールは「十歳以上の男子をすべて処刑しますか」と念を押し、オーベルシュタインは「措置は本当にあれでよろしいのか」と念を押すことで、言外の措置の変更をラインハルトに対して求めた。しかしラインハルトは、「自分が幼年士官学校に入ったのも十歳だったのだから十歳以上は成人も同様だ」との姿勢を崩さず、結果、最年少者は十歳の子供も殺害されたのである。
 そこまでの事情はヒルダも、かつてロイエンタールから聞いて知っていた。オーベルシュタインに事情説明を求めた時も、オーベルシュタインとしては珍しく包み隠さずに話した。かつてこの件についてさぐりを入れたのは、ヒルダとしてもそれだけ気にかかっていたからであろうし、通常ならばラインハルトに不利なことは絶対に話さないオーベルシュタインが敢えてヒルダにすべてを話したのも、知ったうえでラインハルトを支えよ、受け入れられないならば去れ、との覚悟をヒルダに求めたからであろう。
 以後、この件についてヒルダはなるべく考えないようにしてきた。それは逃げであったことは自分が一番よく分かっている。その逃げていたことに、ソーンダイクは剣を突き刺してはっきりと示して見せたのだ。帝国の統治者としては、もはや逃げることは許されない。
 敢えてラインハルトを弁護するならば、権力者が失墜した後、族誅が発生するのはゴールデンバウム王朝下ではよくあることだった。ラインハルトとしても体制によって姉を奪われ、十歳から先は、キルヒアイスとふたりっきりで、生きるか死ぬかの闘争を戦ってきたのだ。自分が厳しい環境で生き抜いてきたのだから、リヒテンラーデ公一族の少年とても、責任を問われて当然であるとの思考は、ゴールデンバウム王朝下の政治闘争者としてはむしろ標準的な感覚であっただろう。
 しかしそれでも、十歳の子供を殺すのは、時代の論理以前に生物としての倫理の点で、ヒルダにはとうてい受け入れられない感覚であった。
 この件については、やはりラインハルト様は過ちを犯したというしかない、とヒルダは思った。
 過去のことはどうにもならなくても、未来は変えてゆくことが出来る。
 ヒルダは即座に、リヒテンラーデ公一族の流刑措置を解き、当座の生活費を用意した。また、既に処刑され、罪人墓地等に埋葬されていた遺体については、通常の墓地に移葬することを指示した。
 帝国政府として何らかの声明を出すべきかどうか。そこまではどうこうするとは、現時点では踏み込めなかった。しかしいずれ、現在の統治者として、過去の統治者であるラインハルトを、帝国政府の名において批判しなければならないかも知れない。その可能性が決して小さなものではないことを、ヒルダは分かっていたが、いざそうなった時、果たして自分はそれに耐えられるかどうかまでは分からなかった。