Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(7)

 約15日の旅程を経て、惑星ハイネセンに到着したワーレンは、数日後、超光速通信でミュラーからイゼルローン要塞接収完了の報告を受けて、ひとつの依頼を行った。
イゼルローン要塞の管理システムすべてを、ハードウェアごと交換して貰いたい。出来るか?」
「出来ないことはありませんが、費用も手間もかかります。小官は数日内にフェザーンに向けて出発する予定ですので、作業の完了を見届けることは出来ませんが、それでもよろしいのでしょうか」
「かまわん。そうしてくれ。くれぐれも新システムと旧システムをつなぐことがないよう、完全に切り離して欲しい」
「そうなると作業も膨大で、ワーレン提督がこちらに着任時にも、当面はシステムが使用できないことになりますが」
「当面は艦にとどまり任務にあたるさ。とにかく、イゼルローン共和政府の連中が何かを仕掛けている可能性を完全に払拭したい」
 帝国軍による同盟領への侵攻作戦の時、イゼルローン要塞に駐留していたヤン艦隊は、ローエングラム公を倒すべく、全艦隊を率いてイゼルローン要塞を後にした。空き城となったイゼルローン要塞を接収したのはロイエンタール元帥だったが、その後、イゼルローンにはルッツが駐留軍司令官として入った。
 ヤン・イレギュラーズがその後、再びイゼルローンに戻るべくイゼルローン回廊に姿を現した際、かねてよりヤンが仕込んでいた暗号システムが作動して、イゼルローン要塞の統制が不可能になった。そのため、ルッツはみすみすイゼルローン要塞をヤンに再奪取されるという不面目を喫している。
 むろん、その前例があればこその警戒だということはミュラーには分かるが、大袈裟な態度のように思えなくもない。
「かつてヤン・ウェンリーの奇策によって、イゼルローン要塞が失われたということがありましたから、ワーレン提督のご懸念はごもっともかも知れませんが、当時と今では状況が違います。何と言っても今回は講和条約を受けての接収ですし、万が一、システムに細工をほどこしていることが判明すれば、明白な敵対行為ですから、帝国との和平を損ないかねないそうした小細工を彼らが仕掛けるとは思えません。主義主張は違えども、彼らがそうそう愚かな振る舞いをするとは小官には考えられません」
 逆にそうまでして警戒すると言うことは、イゼルローン共和政府を疑うと言うことであり、それこそが帝国によって和平の精神を棄損することになりかねなかった。
 ミュラーとしては、先日、フレデリカやキャゼルヌと旧交を温めたばかりであり、個人的に彼らに猜疑の眼差しを向けるのは、不快でもあった。
「我らが宇宙艦隊司令長官は、民主主義者たちに籠絡されたようだ」
「ワーレン提督、それはいささかお言葉過ぎましょう。小官は一時も小官の務めを忘れたことはありません。小官の異論もまた、帝国軍の名誉を思ってのことです。それを通敵したかのように言われては、言うべきことも誰も言わなくなりましょう」
「まあ、そう怒るな、司令長官。ちょっとからかってみただけだ。冗談の度が過ぎたなら謝る。卿は確かに、ヤン艦隊の面々と交流があるが、それで言うならば俺にもユリアン・ミンツとの旧縁がある。ハイネセンに戻る際にも、旗艦サラマンデルに同乗して貰ったしな。立場が違ったから戦ったまでのことで、互いに憎悪も遺恨もない。彼らがおおむね気持ちのいい連中なのは百も承知だし、まして卿の言うとおり、この期に及んで小細工を弄するほど馬鹿じゃないのは俺にも分かっている」
「ならばなぜ、敢えて無駄手間をかけさせようとなされるのですか」
「先日、皇太后陛下からお話があってな、人の心のうちは分からないと。その分からないことが猜疑を産み、猜疑が離反を産み、重大な破局をもたらすと、おっしゃっておられた。それについて思うところがあってな。
 イゼルローン共和政府の面々を知る者は、彼らが今さら小細工を弄するほど痴れ者ではないことは分かっている。しかしそれを証明しようがない。証明しようがないから猜疑が残る。ここで猜疑を残しておけば、情勢の変化によって、猜疑が膨らみ、ヤン艦隊の連中をどうにかしろという声が強まる可能性もある。彼らは敵であったがゆえに、帝国の上層部と交流があり、ある意味、皇太后陛下や卿や俺に食い込んでいるとも言えるのだからな。それを危険視する声がいつ高まるとも分からない。ことによっては、猜疑の可能性だけで、たとえばユリアン・ミンツなどを害そうとする忠義面をした者が出てこんとも限らんよ。
 ここでイゼルローンのハードディスクごと、そのソフトウェアを取り換えれば、万が一、彼らがイゼルローン要塞に奇策を施していたとしても、その危険性はゼロにまで落とし込むことが出来る。つまり猜疑が発生しようがないわけだ。むろん、別の案件で、ヤン夫人やユリアン・ミンツを疑う者はでてくるだろうし、そこまでは我々も神ではないからどうしようもないことだ。しかしここでハードディスクごと取り換えておけば、少なくともイゼルローン要塞に関しては猜疑の芽を摘んでおくことが出来る。そのことは、俺としては和平の精神にかなった行為だと思うが、どうだね?」
 その問いかけに対して、ミュラーは敬礼した。
「失礼しました。そこまで深いお考えがおありだとは知らず、軽率な言を申しました。ワーレン提督のおっしゃるとおりです。将来の無用な猜疑を摘んでおくために、ここはおっしゃるとおりに致しましょう。提督がこちらにご着任の頃は小官はフェザーンに向かっているかと思いますが、残留スタッフに引き継いでおきます。再びお目に書かれる日まで、どうぞご壮健で」
 ワーレンはミュラーとの通信を終えた。気持ちのいい男と言えば、他ならぬミュラーがそうであり、その真っ直ぐな気性をワーレンは称賛していた。正直に言えば、年齢において最年少のミュラーに、三長官のひとつを占められて、出世において先を越されたという忸怩たる思いがまったくないわけではない。これについては、定番の任にあたっているケスラー憲兵総監は別にして、三長官職から外れたアイゼナッハ、ビッテンフェルトにしても同じ思いであろう。
 しかし自分の中にも確かにあるそういう黒い思いを簡単に溶解できるほど、会ってみればミュラーの笑顔は涼やかであったし、何よりその人となりが魅力的であった。
 それにワーレンに与えられた任が決して三長官職に劣るわけではないこともワーレンは承知していた。と言うよりも、その任の巨大さは、おそらく宇宙艦隊司令長官職よりも遥かに大きなものであり、今、その任に直面してみると、他人がどうとか言っている場合ではなく、果たして自分にその任を果たせるのかどうか、ワーレンとしても身震いする思いがするのだった。
「トーマス、今度はおまえと暮らせるかな」
 机の片隅に置いた、笑っている少年の写真を手にとって、ワーレンは眺めた。そして更にその横に飾ってある亡き妻の写真を見た。
 12年前、初めての子を懐妊して、ワーレンは妻と共に喜んだが、その出産は難産だった。男の子はかろうじて産まれたが、ワーレンは妻を失った。以来、ワーレンは独り身であり、今なお強く残る亡き妻への想いを思えばおそらくワーレンはこの先も新たに妻を迎えることはないだろう。
 この点でも、ワーレンは皇太后と境遇が似ていた。
 ワーレンは、そうやって生まれた一人息子のトーマスを溺愛していたが、多くは戦陣をかけめぐる生活の中で、一緒に暮らすことは叶わなかった。帝都オーディーンの実家に息子を預け、トーマスはワーレンの父と母によって養育されていた。先日、実家に通信を行った際、ワーレンは父から苦言を呈されていた。
「おまえね、今度は元帥だとかで、偉くなるのはそれはいいがね、家族ともろくに会えないで何のための仕事だ?子供だっていつまでも子供じゃないんだよ。トーマスももうすぐに私の背に追いつくからね。トーマスも今の学校を終えたら、寮に入って家庭を離れるのもそう遠くない話だよ。ちょっとの間でも落ち着いて、父と息子、一緒に暮らすべきじゃないかね?」
 その時、父との会話に当のトーマスが割り込んできた。
「ねえねえ、父さん、ユリアン・ミンツと知り合いなんだよね。なんかこう、ヤン・ウェンリーの記念品みたいなもの、僕に貰ってくれないかなあ。そうしたら学校で自慢できるし」
 少年の学校では、不世出の軍事的天才ということで、皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリーが大人気だということだった。いつの時代も少年は英雄に憧れるものである。
 ワーレンは苦笑して言った。
「なんだ、俺は人気はないのか」
「うーん、人気が無いわけじゃないけど、父さん、だってヤン提督に敗けちゃったことがあるじゃない。やっぱりヤン提督とは較べられないよ」
「分かった分かった、そのうちユリアン・ミンツに頼んで、ワッペンでも貰っておこう」
 なぜワッペンなのかはワーレン自身にも分からなかったが、子供が喜ぶものならそんなものだろうと適当に言っただけのことだった。そう言われて狂喜乱舞する息子の姿を見て、ヤンに敗けた提督としては多少なりとも忸怩たる思いがあったが、息子が喜んでくれるならそれがなによりである。
 イゼルローンに赴任すれば、今度こそ、老いた両親ともども息子を呼び寄せようとワーレンは胸に誓った。