takeruko の小説置場

2012-09-29

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(8)


 秦帝国暦3年8月半ば、シュナイダーは恒星間シャトルの乗客となり、惑星フェザーンへ向けて航行中であった。恒星間シャトル運営会社には、旧帝国資本としてはインペリアルズ、リヒトフリューゲル、旧同盟資本としてはインタープラネット、トラフィック・コントローラーズ、フェザーン資本としてはフェザーン国営航宙(PNA)があった。先月、インペリアルズがようやくノイエラントに、インタープラネットがアルターラントに乗り入れたばかりであり、オーディーンからハイネセンへの直行便はいまだなく、フェザーンかイゼルローンを経由しなければならない。
 アルターラントに入ってからは、シュナイダーはインペリアルズを主に利用していたが、サーヴィスにおいても運用実態においても、旧同盟領の同業者とは比較にならない、洗練には程遠い野暮ったさであると、旧帝国人としてかすかに残っている郷土心を総動員してもシュナイダーは認めざるを得なかった。いずれ競争が本格化すれば、他の多くの帝国企業と同じく、殿様商売に安住してきたインペリアルズも、存続の危機を迎えることになるだろう。
 数時間、もたもたと航行しながら、ついにそのシャトルは進路を変えて、エックハルト星系に一時退避する構えを見せた。スクリーンに無造作に映し出されている船外の宇宙空間の映像から見て、宇宙気流の影響だろうとシュナイダーは目算をつけたが、次第に不安を募らせる乗客たちにその旨のアナウンスがなされたのは、進路を変えてから一時間後のことであった。
 軍が所有する宇宙戦艦であれば多少の宇宙気流や宇宙塵の影響をはねのける特殊塗装が施されているのだが、民間用の船舶にそれを施せば、船体の重量が増えて燃料経費が増大するのと、特殊塗装の経費自体が高額であるために、多くの民間用の船舶は宇宙空間のコンディションが悪い時は素直に退避する方を選ぶのを常としていて、それが結局は安上がりなのであった。
 居住惑星に退避すれば、そこはオゾン層や磁力線で保護されていて、数時間から数日をやり過ごして再び旅を続けるのが通例であった。同盟の恒星間シャトル運営会社ではすでに宇宙戦艦級の船体保護機能を備えた輸送船や旅客船を投入しており、ノイエラントでは宇宙気流や宇宙塵の悪影響を避けるために運航を一時停止することは滅多になかった。こういうことひとつをとっても、帝国企業が同盟企業に勝てる可能性は限りなく低いのであった。
 エックハルト星系近辺は銀河系中央部の航行不能宙域の影響を受けやすく、その最外縁の居住可能惑星リープクネヒトは、人口そのものは10万人に満たない小天体であったが、退避用の惑星として利用されていて、意図せずにその惑星を訪問した人は多かった。シュナイダーもそのうちの一人になろうとしている。
 「庭園惑星」とも呼ばれるように緑なす快適そうな外見を整えるためには、莫大な維持費を費やしていたが、この星を訪れる外来者は旅の予定が狂って怒りを覚えている者ばかりである。彼らの怒りを鎮めるために、人工的にあつらえられたものであっても、快適な空間を提供することはこの惑星にとっては治安問題に直結していた。
 今回の宇宙塵は規模が大きいようで、フェザーンから入ってきた船、フェザーンへ向かう船が次々に入港していた。宇宙港に隣接して宇宙港内につながる形で幾つもの巨大ホテルが林立しており、そのうちのひとつに宇宙港内の自動案内所でチェックインの手続きをとり、そちらへ向かおうとした矢先、シュナイダーは肩をたたかれた。
「こんなところで会うのは奇遇だな」
 そう言って人懐こい笑顔を見せたのはポプラン中佐であった。数百億人類の中でたまたま旧知の者に巡り合う確率は広大な砂漠の中からたった二粒の特定の砂粒を見つけ出すのにも匹敵するほど稀有なものであったが、旅人同士は似たようなルートを通ることが多く、案外こういう場所で顔を合わせるのは珍しいことではなかった。
「元気そうでなによりだ、というほど別れてから時が過ぎたわけではないが、まあ元気そうでなによりだ」
 微笑は浮かべたが、ややそっけなくシュナイダーはそう言った。
「またそんな無愛想なことを言いやがって、俺と会えてうれしいんだろう、素直にそう言えよ。俺ばっかり喜んでバカみたいじゃないか」
「そんなことはない。嬉しいかどうかと言われれば嬉しいに決まっている」
 そう言われて、ポプランはにんまりと笑った。この警戒感のなさというか、たやすく相手の懐に飛び込むところがポプランらしいところであり、シュナイダーとポプラン、属する「組織」は違っても階級は同じ中佐ということもあって、イゼルローンにいた頃から両者は妙に仲が良かった。主にポプランの側が一方的に絡むのが常であったが、シュナイダーは迷惑がるでもなく、ポプランとの交友を楽しんでいた。それぞれ謹厳と放蕩が服を着て歩いているような、対称的な二人であったが、性格が違えばこそ、気が合うこともある。
「さあて、お互い、お天道様のご機嫌次第で足止めされているようだな。ここは一杯、飲みながら、情報交換とでもいこうか。もちろんおまえさんのおごりでな」
「放蕩児は自分のカネで放蕩するものだ」
「いいや違うね。他人のカネで放蕩するからこそ面白いのさ」
 ポプランはまだチェックインの手続きをしていなかったので、シュナイダーと同じホテルに部屋をとり、その最上階にあるバーで、酒を酌み交わしつつ、あることないことを語り明かすことになった。
「おまえさんはあれかい?例の幼帝を探し出すってやつ、まだあれをやっているのか?」
 ウィスキーに浮かんだ氷がからからと音を立てながら、ポプランの掌の中で響いた。
「まだ『それ』はやっていない。これからハイネセンに戻って始めるつもりだ。アルターランドに来たのはメルカッツ提督のご遺族に会うためだ」
「ふうん、律儀なことだ。おまえさんらしいと言えばらしいがね。メルカッツ提督の遺族に提督の戦死した経緯を話すのも辛かっただろうに、よくよく損な役目を引き受ける男だな」
 そう言われて、ぶっきらぼうなその物言いの中に確かに優しさがあるのを感じて、シュナイダーはポプランを凝視した。言うべきかどうか。しかしポプランはこれからアルターランドの深部に行くのである。当座はその入り口としてオーディーンへ行くのであろう。オーディーンが今どういう状況にあるか、それを話せば自然とメルカッツ夫人とクロジンデのことを話さないわけにはいかなかったが、それも含めて、知っておいた方がいいだろうとシュナイダーは判断した。
 メルカッツ家の人々の話を聞くなり、ポプランはとたんに険しい表情になった。
「くそっ、なんてことだ。俺たちがメルカッツ提督を引き留めたばかりに、そんなことになっていたなんて」
「そのせいばかりではないさ。ローエングラム王朝は積極的に彼女たちを迫害したわけではなかった。ただ、助けもしなかった。時代の変化についていけない者は珍しくはない。彼女たち、クロジンデはともかく、メルカッツ夫人はそういう女性だったというだけのことさ」
「だが少なくとも同盟が敗けた時に、メルカッツ提督を帝国に戻していれば、そこまでのことにはならなかったんじゃないか」
「戻すと言っても、あの時点で提督は既にローエングラム王朝にとっては国事犯であったわけだし、そもそも私が提督をローエングラム公に引き渡すことがないよう、ヤン提督に頑強に主張したのだ。責められるべきなら、ヤン艦隊の卿らではなく、私であろうな。それに自らの責任を逃れるつもりはないが、あの道をお選びになったのは結局はメルカッツ提督ご自身だった。卿らとともに戦って死んだことに、提督は満足なさっておられた。提督についてはあれでよかったのだと思う」
「ああ、まあ、おまえさんがそう言ってくれるなら少しは慰められようが、ともかく、メルカッツ提督のご家族のことはおまえさんがよろしく手配してくれたんだな。ヤン艦隊の一員として感謝しておくぜ」
「メルカッツ夫人については確かにその通りだが、クロジンデについては率直に言って援助を拒否されたと言っていいだろう。ただ、彼女の重荷になっていたのはあの母親だったから、その重荷がなくなればこれからは彼女は好きに生きられるだろう。その道がどこへ続こうとも、自分で選んだ道ならば彼女も不平は言うまい」
「で、彼女は、その帝国同胞団とやらに関わっているんだな」
「おい、ポプラン中佐。卿は同盟の人間であるし、ヤン艦隊の首脳部の一員であることはローエングラム王朝も把握しているはずだ。おかしな同情心は起こすなよ。私ですら、ヤン夫人やユリアンに迷惑をかけたくなくて、誘いを断ったのだ。むろん、それだけが理由ではないが私でさえおかしな行動をすれば必ずやローエングラム王朝はヤン夫人とのつながりを詮索するだろう。卿ならばなおさらだ。バーラトに留まらなかったのは卿らしい話だが、それで過去のつながりがすべて清算されるわけではない。ヤン・ウェンリーの股肱であったという事実は、軽がどこに行こうとも、死ぬまでついてまわるはずだ。卿のために、ハイネセンの仲間をいたずらに窮地に陥れるような真似は慎むのだな」
「仲間というならおまえさんだって仲間だ。メルカッツ提督もだ。メルカッツ提督は俺たちと共に戦って俺たちのために死んだ。おまえさんたちがいつまでたっても帝国軍の軍服を脱がないとしても、あの幼帝に忠誠を誓っているとしても、それでも俺たちは仲間だろう?仲間の家族が、メルカッツ提督の娘が困っているというなら助けてやってこそ仲間じゃないか」
「いかにも卿らしい言いようだが、クロジンデは別に今は困ってはいない。カネが欲しいなら母親のところに行って自分の取り分をとればいいだけの話だし、そうするだけの方法は伝えてある。彼女が敢えて騒乱の中に身を晒そうとしているのは彼女の人生の問題であって、我々が関与すべき話ではない」
「メルカッツ提督はそうは割り切らんだろうな。かの御仁にとっては実の娘の話だ。メルカッツ提督は死んだからどうこうすることは出来ないが、俺は生きている。だがしかし、おまえさんの言うことももっともだ。俺もヤン夫人やユリアンにことさら迷惑をかけたいわけではない。キャゼルヌ中将やアッテンボロー提督が相手なら気にせずに好きにするがね。まあ、俺は見守るだけさ。とりあえずはな。それでおまえさんの言うとおり、彼女の人生だと見極めたなら、手をひくさ。だがしかし、とりあえずはオーディーンに行ってみることにしよう」
「ただの旅行者としても今のオーディーンに行くのは勧められんが、これ以上は言ってももう決めてしまったのだろう?くれぐれも、軽はずみな行動だけはやめてくれよ」
 分かった分かったとポプランは頷いたが、どこまで分かったのか、シュナイダーにはいささか心もとなかった。とは言っても、自分の行動次第ではフレデリカに迷惑をかけることは分かっているはずであるし、それ以上のことを言うのもさすがに干渉が過ぎるか、と思って、シュナイダーは何も言わずに、ウィスキーを飲みほした。

2012-09-28

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(7)


 時は再び歩みを進める。
 新帝国暦4年2月13日、ハイネセンポリスの首相公邸で、ささやかな晩餐会が開かれていた。主賓は総督のホアン・ルイ、ヤン・ウェンリー党からは幹事長のキャゼルヌと幹事長代理のムライ、そしてバグダッシュ官房長官が集っていた。
「ユリアンから連絡があったのですが、オーディーンの騒乱の首謀者の中にどうやらポプラン中佐がいらっしゃるようなのです」
 夜は小食を心がけ、早々に自分の皿を下げさせたフレデリカは、食後のドライマティーニに軽く唇をつけて、そう言った。
「あいつのやりそうなことじゃないか。お祭り騒ぎには必ず首を突っ込む」
 一瞬驚いたキャゼルヌであったが、改めてポプランの人となりを考えれば驚くには値しないと判断した。
「ヤン夫人、ユリアン・ミンツはどうやってその情報を得たのかね?」
「ケスラー憲兵総監から聞かされたのだと言っていました」
 その答えを得て、ホアン・ルイは頷いた。
「敵さんはさっそく牽制にかかってきているようだな。その気になればこれをネタに弾圧しても良いのだと」
「ケスラー元帥の人となりから考えて、それは少々、穿った見方なのでは?」
「ムライ中将、おまえさんは、生真面目すぎるのが珠に傷だな。ケスラー元帥は紳士然とはしているが所詮は専制政治の番人、裏では拷問もやってのける男だろうて。アルターラントが騒然としている今、連中としては我々におかしなことをされては困るのさ。ポプランというその男、やんちゃも可愛らしいのは30歳まで、その気になればバーラトを弾圧できる口実をまんまと帝国に呉れてやったのさ。官房長官、おまえさんもそう思うだろう?」
 話を振られてバグダッシュは頷いた。
「まあ、具体的にどうこう言う話ではなく、また実際、ポプラン中佐が関与しているかどうかはともかくとして、この際、ケスラー元帥が牽制にかかってきたのは確かでしょうね。さすがに公安を一手に引き受けているだけのことはある嗅覚でしょう」
「そこでだ、改めて首相に伺っておきたい。わが政府はこのまま帝国と友好路線を維持してゆくつもりなのかね」
「そうおっしゃいますと、総督閣下は、この際、手を切れとでもおっしゃるのでしょうか」
 フレデリカは微笑を浮かべてホアン・ルイを見つめた。自分の意見を言う前に相手の見解を引き出そうとしている、なかなか堂に入った政治家ぶりというべきだろう。
「あんたは、グリーンヒルの娘で、ヤン・ウェンリーの妻だが、あのふたりは本質的に政治家向きではなかったな。あんたはそれとは違うようだ」
「私も今は政治家ですから、お褒めいただいたと受け取っておきましょう。午前中に総督閣下はソーンダイク氏と面談なさったようですね。彼から何か吹き込まれたのでしょうか?」
「午前中にはソーンダイクと会い、午後にはおまえさんと会っている。総督としてはきちんとバランスがとれていると褒められるべきだろうね。ソーンダイクは例によっての主戦論さ。ちょうどいい機会だからこの際、バーラトが先頭に立って、自由惑星同盟の復活を計るべきであると、滔々と話していったよ」
「不思議なものですね。ジェシカ・エドワーズ女史は主戦論を強く嫌っておられました。その後継者ともいうべきソーンダイク氏が主戦論を言い、軍事クーデターを引き起こした父の、その娘である私が主戦論を排する立場に立つとは、なかなか運命とは予測しかねるものですね」
「ソーンダイクは野党だから気軽に言っているのさ。実際に政権をとれば臆するはずさ。むろん、今現在、我々には一個艦隊もない。これで帝国からの独立など、お話にならないが、先の話としてはだ、いずれ独立を目指すつもりはあるのかね」
「閣下、自由惑星同盟に生まれた者で、再び同盟の旗を仰ぎ見たいと思わない者がどこにいましょうか。希望を言ってそれが叶うというなら幾らでも言いましょう。しかしお忘れなく、私たちは現実にバーラト星系の人々の生命に責任を負っているのです。冒険はできません」
「だが、アルターラントの騒乱が長引けば、賽の目は何が出るかは分からんさ。長引くと思うかね?」
「長引くでしょうね。けれども、とりあえず一応の鎮圧を行った時に、皇太后が決断をすれば、私たちは全員、新しい時代に進むかもしれません。そこではもう、帝国、同盟、アルターラント、ノイエラントの区別自体が意味を失くすかも知れません」
「首相には何か考えがあるようだな」
「それほど、明確な輪郭が今現在あるというのではないのです。けれども、いずれそうするしかないだろうという見通しはあります。銀河を再び戦争の時代に戻らせるのではなく、なおかつ騒乱の火種を乗り越えるには、道はそうたくさんあるわけではありません。そしてそのために、ユリアンはフェザーンにいるのでしょうから。ヤン・ウェンリーの遺志と共に」
 フレデリカが何を言おうとしているのか、ホアン・ルイは漠然と分かったような気はしたが、明確にと問われればそれはまだ霧の中にあった。その霧の中で、フレデリカや自分にどのような役割が与えられているのかを考えるために、ホアン・ルイは口を閉じた。

 ユリアン・ミンツは一学生であった。ただ、誰も彼をそうは見なかったし、そう扱いもしなかった。大学に赴いて、多くの教授たちから話を聞き、時には請われてヤン・ウェンリーのことを話すこともあったが、学生たちは彼を敬して遠ざけた。皇太后や元帥たちを知己に持つ青年、しかも妻帯者と、青春の愚行を共にするわけにはいかなかったからである。
 ユリアンの方もそうしたことには興味がなかったから、放っておかれるのは勉強に集中できて都合がよかった。ユリアンに限らず、この時代の人々の歴史知識は遡っても地球統一政府までであったが、歴史を専門的に学ぶことによって、それ以前の「古代」にまでユリアンの思考と知見が伸びたのは当人にとっては大きな収穫であった。
 ユリアンがとりわけ着目したのがモンゴル帝国と大航海時代、そして21世紀のグローバリズムの時代であった。それらは「異なる文明が遭遇し、融合した時、何が起こるか」の実例であった。
 地球統一政府以後、アーレ・ハイネセンに導かれた者たちが自由惑星同盟を建国するまで、人類社会は融合し、統一していた。人々が文明の衝突に思いも及ばなくなっているとしても無理からぬことであった。しかし同盟が建国以後、人類社会は再び分裂し、その状態が数百年に渡って固定化した。帝国も同盟もそれぞれに内在する因果律によって統治され、運営された。皇帝ラインハルトによって再び、人類社会が融合を開始した時、そこには必ずや文明の衝突が生じるはずであった。
 帝国軍首脳のうち、フェザーンにおいてユリアンが特に親しく交際しているのは皇太后とミュラーであった。メックリンガー、ヴェストパーレ男爵夫人、ミッターマイヤー元帥らとも数度に渡って会食する機会を得たが、皇太后とほど親密で深い話をすることはなかった。
「ヘル・ミンツはフェルゼン伯爵をご存知かな」
 皇太后のもとへ赴く際に、たまたま内務尚書のエルスハイマーと廊下ですれ違った際、エルスハイマーがそういきなり言ったことがある。
「18世紀末、19世紀初頭のスウェーデンの外交官ですね」
 素知らぬ顔でユリアンはそう答えた。エルスハイマーはふっと笑って、
「ご存知ならば結構だ」
 と言ってそのまま歩み去った。その人名が示唆するところは明白であり、フェルゼンはフランス王妃との内通を疑われ、いずれ革命へと至る王家の権威の失墜の原因を作った。皇太后とユリアン・ミンツはいまだ、若い男女であり、一方が未亡人で一方が妻帯者とは言え、親密すぎる関係が公然化すれば、それは王朝にとっては決して好ましくない風評をもたらすであろう。
 エルスハイマーは、実態はともあれ、両者が親密になりすぎることが傍から見てどう見えるのか、警告を放ったのである。
 しかしヒルダのユリアンに対する態度はますます親密さを増していた。見るものが見れば、あるいはそこには依存があったと評するかも知れなかった。
 統治者は孤独なものであり、ましてや人類社会全体に君臨する立場となればその孤独は壮絶なものがあった。弱音も迷いも愚痴も臣下には決して漏らしてはならない。
 しかし、ユリアン・ミンツはある意味、ヒルダの臣下ではなかった。彼はかつて敵対した陣営で、指導者として多くの将兵を率いた身であり、自らの責任で幾つもの決断をなした男であった。ヒルダからすれば唯一、同業者として同一平面上に立っていられる人物であった。
 銀河に君臨する女性にしては狭すぎる私室の書斎に通されて、震えながら泣いているヒルダの姿を、ユリアンは見た。
「ああ、ヘル・ミンツ。私は統治に失敗してしまった。どうすればいいの?」
 そのような姿は誰にも、侍女にさえ見せなかったヒルダであったが、ユリアンにはそのままを見せた。
「さあ、涙を拭いて。あなたはよくやっていらっしゃいます。あなた以外には他の誰にも、カイザー・ラインハルトにも出来ない統治です。さあ、床に座り込んでいないで、そちらのソファにかけましょう」
「ごめんなさい、あなたにまでこんなみっともない姿を見せてしまって。さぞかし失望なさったでしょう」
「大丈夫、人間ならば誰しも、あなたは優秀な女性ですが、それでも人間であるには違いないんですからね、うまくいかない時もあれば、そのせいで打ちひしがれることはあるものです。少しだけ、愚痴を吐き出せばまた英邁なる銀河の統治者にお戻りになることはあなたご自身、お分かりのはずです」
「上手くやっていたつもりなの、実際、統計はすべて順調でしたわ。なのにどうしてこんなことになってしまったのかしら」
「それはカイザー・ラインハルトがその卓越した天才によって銀河を統一してしまったからですよ」
 ユリアンは歴史の事例を引いて、文明と文明が衝突する時に、何が起こってきたのか、何が起こるのかを逐一説明した。軍事的成功によって、帝国が同盟を征服することは可能であったとしても、本質的にアリストクラシー(縁故社会)である帝国が、本質的にメリットクラシー(競争社会)である同盟に、民生部門や技術革新において勝てるはずがないこと、その結果、軍事的な流れとは逆に、銀河の統一は経済と文化においては、同盟による帝国の征服という形を取らざるを得ないこと、そのしわよせは社会の最下層部に押し付けられることを、幾つもの実例と歴史の事例を引いて、ユリアンはヒルダに説明した。
「皇帝ラインハルトは死の直前まで、征服にあけくれていて、この歴史の必然に直面する前にお亡くなりになりました。その結果、この試練はまるごとあなたのために残されたのです」
 ユリアンの説明は、聡明なヒルダなればこそ、砂漠が水を得たように、語られるやいなやすぐに吸収された。その両眼からは涙が消え、再び英知の光が輝き始めた。
「おっしゃるとおりです、ヘル・ミンツ。どうして今までそのことに思い至らなかったのかしら。私はまったくもって愚かな君主というしかありませんね」
「分かっていればもっと早く私も申し上げていたのですが、私自身、この考えに至ったのは最近のことなんです。人類社会が分断され、再び融合されるなんてことは1500年以上、絶えて無かったことですから、思い寄らないでも致し方ないことです」
「私はどうすればいいと思われますか。率直にお答えください」
「それは皇帝ラインハルトが人類にもたらした統一をどうなさりたいかにかかっているかと思います。私が思うに、もはや過去に戻ることはできないでしょうし、できるとしてもそれは人類社会の退嬰をもたらし、当座はそれでよくても、停滞をもたらして多くの禍根を残すかと思います。むろん、今のこの現状は、当座の生みの苦しみと軽く扱えるほど楽観できるものではないでしょう。癌を治すために四肢を切断しては、何のための医療か分からないのと同じことです。将来の人類社会の発展のために、今の人類社会が衰亡しては元も子もありません。ですが、だからと言って皇帝ラインハルトが生涯をかけてもたらした人類社会の統一はそうそう簡単に捨ててしまえるほど軽いものではないはずです」
「ありがとうございます。霧はまだ稜線を覆っていますが、足元は見えるようになったようです。まだです。まだ、私は打ちひしがれてはなりません。やれること、やらなければならないことがまだあるはずですから」
 そう言って立ち上がった姿は既に銀河の支配者に戻っていた。

2012-09-27

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(6)


 ゾンネンフェルス中将とシュナイダーは階級差があったから、直接会話したことは無かったが、メルカッツとロイエンタールが事務の引継ぎをする際に、その場に同席したことはあった。思えば、ラインハルトの元々の旗下の提督と言えばメルカッツだったのであり、その後任についたのがロイエンタールとミッターマイヤーであった。あのままメルカッツがラインハルトの旗下にあれば、メルカッツは今頃、フェザーンで首席元帥であっただろう。あるいは結局、どこかで袂を分かち、ロイエンタールのように叛逆者として死んでいたかもしれない。そうなれば、帝国同胞団を結成したのはシュナイダーであったかも知れなかった。
「久しぶりと言っていいのかどうか、記憶しているかどうかは分からんが卿とは一度会ったことがある」
「事務引き継ぎの際にですね。閣下がご記憶なさっておられるとは思いませんでした」
「メルカッツ提督についても卿についても、気の毒なことだと思ったのを記憶している。ローエングラム伯の旗下を離れて、立身の機会を失ってしまうのではないかと。ロイエンタール提督はおりをみて、メルカッツ提督と卿を陣営に迎えるよう、ローエングラム伯に進言していたらしいが、その機会が来る前にリップシュタット戦役が起きてしまった」
「成り行き上、私たちはどちらもカイザー・ラインハルトに対して叛逆の立場に立ってしまったわけです。しかし今度は自らのご意思で叛逆をなすおつもりでしょうか」
「単刀直入に言うのだな。『マイン・カイザーをお守りせよ』、それが亡きロイエンタール元帥のご遺命であった。それを思えば好き好んで叛逆するのではない。しかし今日の状況は、銀河を統一するというローエングラム王朝の基本原理に端を発している。それを改めるには王朝そのものと、対決することにひるんではいられない」
「時計の針は逆には戻せないでしょう。ましてゴールデンバウム王朝を復活させるなど、狂気の沙汰です」
「銀河帝国正統政府そのものである卿がそれを言うのかね?」
「今現在の私について言うならば、私はもはや民主主義者であると言っていいでしょう。私はヤン・ウェンリーの友人です」
「民主主義者ならばなおのこと虐げられている民衆を無視はできないのではないか」
「彼らは虐げられてはいません。状況に適応できていないだけです。これは生みの苦しみです」
「その生みの苦しみとやらで命を落とす者からすれば、それは詭弁以上には聞こえぬであろうがな」
 シュナイダーはため息をついた。
「閣下、私はあなたと論争をするつもりはないのです。あなたのやろうとなさっておられることが、単なるエゴイズムから発しているとも考えてはおりません。しかし結論だけを言えば、私はあなたに協力するつもりはありません。むろん邪魔もしません。ローエングラム王朝には義理はありませんから。
 私がやるべきことはエルウィン・ヨーゼフ2世の生死を確認し、生きているのであれば一市井の人間として幸福に暮らせるよう算段をつけることのみです。私もそちらの邪魔はしませんからそちらも私の邪魔をしないでいただきたい」
「ところがエルウィン・ヨーゼフ2世を探されては困るのだよ」
「帝国が総力を挙げて探索して見つけられない者をそうそう簡単に私に見つけられましょうか。私がやろうとしていることは実現の可能性が限りなくゼロに近い事業です。そんなものを巡って杞憂に杞憂を重ねてどうこうやりあうのは実にばからしいではありませんか」
「確かにそれはそうだが、万が一見つかれば、卿はともかく当人は皇位を望まないとは限らない」
「エルウィン・ヨーゼフ2世は幼帝でしたが、さすがにあの年になっていれば自分が誰であるのかくらいは分かっていたはずです。もし今生きていて、名乗りを上げていないとすれば、当人がそれを望んでいないからでしょう。それに私が探さなければ、彼が生きているとすれば、彼は放置されるわけです。私が彼を見つければ必ずや皇位を望むことなど愚かなことであると説得するでしょう。彼が生きているとして、そう説得する者が周囲にいるのといないのとでは、どちらが閣下らの利益になるのか分かっていらっしゃるのでしょうか」
「なるほど、さすがに筋の通った見解だ。実はエルウィン・ヨーゼフ2世の話は付け足しだ。それほど固執しているわけではない」
「バルツァー伯爵と閣下は、女帝カザリン・ケートヘンを擁立するおつもりなのでしょうか。それともバルツァー伯爵自身が皇位を望まれているのでしょうか」
「それはまだ決めかねている。ゴールデンバウム王朝の復活は目的ではなく手段に過ぎない。バルツァー伯爵も個人的な野心から皇位を望んでおられるわけではない。女帝の父のペクニッツ公は相変わらず放蕩三昧で、資金を提供すればこちらにたやすく寝返るであろう。ただ、仮にも一時期は正統の皇位占有者であった女帝を擁立すればローエングラム王朝との間での妥協も困難になる。それだけ求心力も強まるがもろばの刃であるのも確かだ。バルツァー伯爵自身が皇位を請求するのが妥当かも知れないとは考えている」
「なるほど妥協をするつもりはあるのですね」
「当然だろう。我々は何も摂政皇太后が憎くてこんなことをやろうとしているわけではない。帝国政府自身が政策を転換するならばそれに越したことは無いのだが、ことが王朝の基本原理に関わるだけに彼らもそうそう銀河系の統一を反故にするわけにはいかないだろう。我々の目的はただ一つ、アルターラント全域、もしくは主要部に関税自主権を認め、他地域の産品、サービスの流入を規制すること、それだけだ」
「それならば何も叛乱を起こすまでもなく、フェザーンの政府を説得すればよいではありませんか」
「それは無理な話だ。ノイエラントが黙ってはおるまい。一方的に銀河系の半分から彼らのみが締め出されれば、銀河帝国に服属する意味がなくなる。自由惑星同盟の復活に向けて、彼らが内乱を起こすだろう」
「そうであれば、フェザーンが妥協を認めるはずもないでしょう」
「だからこそ実力行使をしなければならんのだ。我々が望むものは実力によって勝ち取らなければならない。慈悲によって与えられてはならんのだ。慈悲などは気まぐれでどうなるかも知れんのだから。ともあれ我々はいまだばらばらの民衆に一本の道筋を提示したい。そのためのゴールデンバウム王朝の復権であり、卿の持つ、銀河帝国正統政府の権威を取り込みたいのだが」
「それはお断りいたします。どうしてもと強要なされるならばここで死ぬまでのことです。閣下らが得られるのは私の死体のみです」
「そうなれば、エルウィン・ヨーゼフ2世探索などできなくなるぞ」
「それはやらなければならないからやっているまでの話です。やるだけのことをやって出来ないのであれば、私は何ら天に恥じるところがありません。私がここで死ぬというならそれもまた天命でしょう。すでに多くの友人たちを失くしました。ゴールデンバウム王朝銀河帝国を失い、リップシュタット連合軍を失い、自由惑星同盟を失い、銀河帝国正統政府を失い、イゼルローン共和政府を失いました。私ほど祖国の喪失を何度も味わった者はいないでしょう。ここでこの旅が終わるというなら、私がおぼえるのは無念や恐怖ではなく、安堵のみです」
「…分かった。卿を説得するのはあきらめよう」
「お互いのためにそうなされるのがよろしいでしょう。もし、銀河帝国正統政府の権威が欲しいなら、私以外に適任の者はおりましょう」
「卿は、敢えてその名を出すのか」
「はい。クロジンデ・フォン・メルカッツはメルカッツ提督のご令嬢であり、ゴールデンバウム王朝に殉じたメルカッツ提督の遺志を継ぐべき立場です。実際にはそうではなくても、そう宣伝することは可能です」
「卿は彼女を政治に利用するのには反対するかと思ったのだがな」
「彼女は既に覚悟を決めています。ならば、徹底させるのが当人にとっても良いことです。彼女の人生は彼女のものです。メルカッツ提督が平穏な生活を送るよう望んでいたとしても、選ぶのは彼女です」
 この面談を終えて、いよいよシュナイダーはオーディーンを後にした。
 アルターラントで為すべきことはすべてやったつもりであった。
 後のことはこれからこの地で生きてゆく人々の責任であった。シュナイダーは、幼帝を利用したという自分自身の責任に決着をつけなければならなかったのである。

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(5)


 ゴールデンバウム王朝第33代皇帝オトフリート4世、実質的には最後の皇帝であるフリードリヒ4世から見れば曾祖父にあたるその人物は極端な漁色家であり「強精帝」と呼ばれた。その庶出子は確認されているだけでも624人を記録している。
 庶出であっても、皇子女として遇されるのがゴールデンバウム王朝の通例であったが、それだけの人数になればすべてを皇子女と遇することは不可能であり、多くは生まれるなり直ぐに臣籍降下させられた。男子には爵位が与えられ、女子には他の貴族との縁談が与えられたが、体面を維持させるだけの領地を配分することは財政的に不可能であった。そのため、彼らの多くは「持参金」なしで富裕な貴族に婿・嫁として押し付けられたが、当時のブラウンシュヴァイク公は正室、継室、継々室すべてをオトフリート4世の庶子である皇女を押し付けられている。
 もっとも、特に皇帝から目をかけられていた庶子の幾人かにはいくばくかの財産らしきものが与えられた。初代のバルツァー伯爵もそうであり、領地が与えられない代わりに、初代伯爵一代に限りヴァルハラ星系の租税収入の0.001%が年金として与えられた他、フレイア星系での塩の専売収入の1割がバルツァー伯爵家歴代に特権として与えられた。
 ゴールデンバウム王朝末期の閨閥史を専門とする歴史家でもあるゼーフェルト学芸尚書はある論文で以下のように述べている。
「オトフリート4世の極端な漁色は当時から批判と揶揄の対象となり、実際、国家予算に多大な負担をかけたが、王朝としてはプラスの側面もあった。貴族・富裕層のほぼすべてにゴールデンバウム王朝の血が入ったことにより、王朝末期の衰退の中にあって、家族的結束が強化され、支配層においてはむしろ王家の求心力が強まったことがひとつ。もうひとつが、単純にゴールデンバウム王家の血統が拡散したことにより、ルドルフ大帝の血統が王朝の存続に関わらず確保されることになった点が挙げられる。
 例えばゴールデンバウム王朝を倒して成立したローエングラム王朝にあっても、まず、皇帝ラインハルト自身、母方の母方の母方の母、つまり曾祖母がオトフリート4世の庶子のひとりであって、彼はルドルフ大帝を憎悪していたが、彼自身その末裔なのであった。彼が閨閥史にまったく興味がなくこのことを生涯知らずにいたのは彼にとっては幸いであった。
 彼の主要な親族・部下のうち、グリューネワルト大公妃アンネローゼ、国務尚書マリーンドルフ伯、皇后ヒルデガルド、皇帝アレクサンデル・ジークフリード、ヴェストパーレ男爵夫人、オーベルシュタイン元帥、ロイエンタール元帥、ファーレンハイト元帥、グリューネワルト大公ミュラー元帥、アイゼナッハ元帥、リヒター財務尚書、シルヴァーベルヒ工部尚書、そしてゼーフェルト学芸尚書らが、オトフリート4世の庶子を通してルドルフ大帝の子孫であった」
 オトフリート4世によってゴールデンバウム王朝の血の拡散がいかに広範囲になされたかの指摘であるが、逆に言えばその子女の多くは没落して、下級以下の貴族や平民に最末期には転落していたということであり、バルツァー伯爵家はオトフリート4世の庶子の家系の中ではほぼ唯一、有力貴族として地位を維持し、ローエングラム王朝下にあってもその地位を保った家系であった。
 バルツァー伯爵家は領地貴族ではなかったため、その後、金融業に進出し、金融貴族としての性格を強めた。その過程にあって私的な情報機構を整備・強化し、王朝最末期の動乱にあっても選択を誤らずに、ラインハルトを早い段階から支持した。当代のバルツァー伯爵は、キルヒアイスに接触してその信任を得て、リップシュタット戦役でも地位保全をラインハルトに約束させたうえでローエングラム陣営に与した。その結果、金融業を通して蓄えられた膨大な資産とともに、安泰な地位を維持している。
 しかし銀河系の統一によって、その地位も荒波に洗われようとしていた。貴族間の個人的なネットワークに依存していたゴールデンバウム王朝下の金融業にあっては、ノイエラントやフェザーンの、規制を取り払われた、競争的な金融業に対しては太刀打ちができなかった。バルツァー伯爵家はなおも一大資産家であったが、今後のことを見据えるならば、フェザーンに移転して新参の、中小の金融業者として生きるか、一介の投資家として生きるかの選択を迫られつつあった。
 ゾンネンフェルス提督が帝国同胞団への支援を求めてバルツァー伯爵に接触してきた時、第三の道があるのではないかとの考えが伯爵の脳裏にひらめいた。それはアルターラントを経済的に他の地域から切り離して、そこに自らの金融帝国を保全するという道であった。
 もっともこのことはいきなり生じた考えではなく、バルツァー伯爵は自分なりに良心に照らし合わせて考えた結果であった。ゴールデンバウム王朝宗家に対する忠誠はなかったものの、バルツァー伯爵は自分が皇帝の純粋に男系をたどっての玄孫であることに誇りは持っていた。もし民衆がローエングラム王朝を拒絶するならば、自分がゴールデンバウム王朝の末裔として帝位に上る、もしくは皇帝を新たに擁立して何の不都合があろうか、と思った。
 それは野心とは少し性質を異にする。バルツァー伯爵には正確に言えば目的を実現するためのプランは無かった。プランがあれば状況を無視してそれに固執する結果になりがちである。バルツァー伯爵が手にしていたのはカードであって、そのカードを切るかどうかは状況次第、民衆がローエングラム王朝を見限るかどうか次第であった。
 ゴールデンバウム王朝が腐敗していたならばローエングラム王朝によって打倒されたのは歴史の必然であり道理であっただろう。だがしかし、だからと言ってどうして銀河を統一する必要があったのか。アルターラントの今の苦境はすべて根本の原因は銀河を統一したことによって生じていた。帝国は帝国で、フェザーンはフェザーンで、同盟は同盟で、互いに講和を締結し、管理可能な範囲で交流を行っていればこのような事態は避けられていたはずであった。
 ローエングラム王朝は反ゴールデンバウム王朝という以上に大銀河系主義であった。しかし人類社会が長年に及んで分断されていて、その閉鎖された生態系においてそれぞれ独自に適応してきたのは事実なのであって、大銀河系主義はそれぞれのミクロの生態系を破壊することにつながっていた。求めらるのはそれぞれの地域の独自性を尊重したうえでの緩やかな交流であって、それは小銀河系主義とも呼ばれる立場であった。
 ラインハルトの覇業は銀河を統一したということによって賞賛されるべきではなく、まさしくその理由において、諸々の生態系を破壊したという点において批判されるべきであった。
 バルツァー伯爵は一大資産家であったが、これまでの生き方の清算を迫られているという点においては煉獄のスラムにさまよっている流民たちと本質的には同じ立場に立たされていた。
 我々は清算を迫られなければならないのか、その自問にバルツァー伯爵は力強く、否と自答した。アルターラント自体が、少なくともヴァルハラ星系がその独自の歴史に基づく生態系を維持できれば、何もこれまでの生き方を変える必要はない。
 その目的に向けて、バルツァー伯爵は準備を開始した。流民の怒りに一定の方向性を与え、秩序だった動きが可能になるように元軍人を多く配下に従え、事が起きれば対処できるようにしていた。しかし、海洋の大きなうねりを見越して対処することはできるが海洋のうねりそのものは起こすことはできない。その点は、バルツァー伯爵は自身を過信していなかったし、野心によって盲目になることもなかった。うねりは民衆によって引き起こされるのである。
 そしてそれがもし引き起こされるならば、それは陰謀の結果ではなく、ローエングラム王朝自身の失政の結果であった。

2012-09-26

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(4)


 ロイエンタールの叛逆後、ミッターマイヤー元帥は、我が功に代えてもロイエンタール旗下の将兵たちに寛大な処分をとるよう、カイザー・ラインハルトに進言した。帝国軍の相打ちとなったこの悲惨な事件は、その後の処断において甘すぎれば統制の秩序を乱し、厳しすぎれば出血を更にはなはだしくさせる恐れがあった。ミッターマイヤーの寛大論に対して、厳正な処断を要求したのはオーベルシュタイン元帥であった。
「ロイエンタール元帥の下においてその名に従わざるを得なかった佐官以下の将兵については、いかなる処分もなす必要はない。しかし将官については、この叛乱がロイエンタール元帥個人の暴走なり、あるいは矜持の結果であったとしても、両軍において膨大な死傷者が生じたことについての責任があろう。彼らには元帥をとどめえなかった将帥としての責務がある。責務があればこそ彼らは地位を得て高禄を食んでいるのであり、軽々しく同情論によって彼らの罪を指弾しなければ、戦場の露となった兵たちにとっては、許しがたい裏切りであろう」
「ロイエンタールはすでに死んだ。その幕僚たちも幾人かは戦死し、ベルゲングリューンのように自裁した者もある。このうえ、仲間内で争って何の益があろうか」
「ミッターマイヤー元帥は、何か考え違いをなされておられるようだ。我々が今話しているのは既に死んだ者についてではない。生き残った者についてである。ベルゲングリューンのように裁きをも拒み、敗戦においては裁かれるという幕僚の責すら擲った者の例が何の免罪になろうというのか」
「例というならば軍務尚書自身の例はどうなのか。卿はかつてイゼルローン駐留艦隊司令官ゼークト大将を補佐しながら、その愚行を止められなかったばかりか、戦線を離脱して、こうして生を長らえているだけでなく、卿自身の表現を借りれば地位を得て高禄を食んでいる。卿自身の責任を卿はどうして問わないのか」
「ゼークト大将と比較するのはさすがにロイエンタール元帥に対して礼を失するものであろう。ゼークト大将は愚昧にして、進言を聞くような人ではなかった。ロイエンタール元帥は、誠心誠意説得すればそうではなかったであろう。それにゼークト大将の愚行の結果はイゼルローン要塞の陥落と多くの将兵の死というさんさんたる結果であったとは言え、彼は帝国に対して叛逆したわけではない。為したことの重みがまるで違う。ロイエンタール元帥の幕僚たちは、ロイエンタール元帥個人の私兵ではなく帝国によって養われている者たちである。説得がかなわなければ、事が叛逆という重大事であったのだから、彼らが帝国への責任を自覚していればロイエンタール元帥を射殺するべきであった。そうする機会はいくらでもあっただろう」
「ロイエンタールを裏切ったグリルパルツァーをならば卿は擁護でもしてみるか」
「彼が処断されるのは地球教が関与していたという情報を隠匿していたからであって、ロイエンタール元帥に刃向ったからではない。ロイエンタール元帥に切っ先を向けたこと自体は、その動機が何であれ正しいことであった。旧友に刃を向けた、ミッターマイヤー元帥、卿自身の行動がなんら非難されるべきではないのと同じように」
 この両者の舌戦は、ラインハルトの前で、ただ彼ら3名のみでなされた。
 ラインハルトにはロイエンタールの幕僚たちを苛烈に処断する意思は無かったが、オーベルシュタインが指摘するように組織には体裁というものが必要である。生き残った幕僚たちのうち、ゾンネンフェルス、ディッタースドルフらについては、一ヶ月の謹慎の後、一階級降格、ただし復帰時に昇格、一年間の減給処分とした。
 なされたことの大きさに比べれば処分は寛大に過ぎたが、ノイエラント統治に精通している彼らを、ここで放逐してしまうわけにはいかないという体制側の事情もあった。
 ディッタースドルフはその後、ワーレン艦隊に配属され、ワーレンを補佐してハイネセンの治安維持活動に尽力している。政権が摂政皇太后ヒルダに引き継がれてからは、ワーレンと共に、イゼルローンに赴任していた。
 彼らとは生き方を訣したのはゾンネンフェルスであった。ひとりぐらいはまともに処分される者が必要であろうということで、ゾンネンフェルスは懲戒処分を求めた。オーベルシュタインは望み通りの処分を下そうとしたが、ラインハルトの意を受けて、ミッターマイヤーが介入し、「話し合い」の結果、懲戒退役、ただし降格は無し、恩給については規定通り支払われることが決定された。
 ゾンネンフェルスはこうして、軍を退役し、故郷である旧帝都オーディーンに舞い戻ったのであった。
 ゾンネンフェルスはロイエンタールの旗下ではあったが、別にローエングラム王朝に反感を持っていたわけではない。むしろその逆であった。経緯はどうであれ、叛逆という重大な結果を止められなかった自分に対して寛大な措置を下してくれた皇帝ラインハルトとミッターマイヤー元帥には感謝していたし、オーベルシュタインに対しても言っていること自体はもっともだと考えていた。本人としては、このまま隠棲するつもりであったのである。ゾンネンフェルスにはそれなりの蓄えがあり、仮に恩給がなかったとしても、生活に困るようなことはなかった。
 久しぶりの旧帝都を見て、その余りの惨状ぶりがゾンネンフェルスの安らかな隠棲生活を不可能にした。オーディーンは惑星単体で総督府をなし、ヴァルハラ星系全体を管轄するヴァルハラ星系総督府も置かれていたが両者の組織は兼任されていた。知己を頼って総督府に接触したゾンネンフェルスは、担当者から膨大な資料を示されて、かくかくしかじかで、総督府は高い経済成長を実現している、ご心配には及ばないと言われたのみであった。
 多くは正規の手続きを経ていない流民たちは、統計上は存在しないことになっていて、行政から黙殺されていたのである。この時期、オーディーン総督兼ヴァルハラ総督の任にあったのは元内務官僚のシュタインベッツであったが、彼は人事のローテーションでこの任にあっただけであり、今後のローテーションを維持するためにはそれなりの実績を保持することが求められていた。そのため、見たくないものは無視する傾向があった。
 アルターラント方面軍司令官としてオーディーンに着任したアイゼナッハはそういうことはなく、彼は見た通りのことをフェザーンに報告し、フェザーンは主に彼の報告によって旧帝都の抜き差しならない状況を把握した。アイゼナッハは危機の到来を予感していたが、行政機構に干渉することはできず、干渉できたとしても事は単に一総督の失態が原因ではないので、どうすることも出来なかった。手をこまねいていたのは帝国政府も同様であった。
 摂政皇太后ヒルダの主導で、農民に対する生活支援や職業訓練が行われるようになってはいたが、不十分であり、流民はわずかに発生は減少したが、なおも発生を止められなかった。更に既に流民化した者たちについては行政も実態を把握していないこともあって、何の措置も取られなかった。
 ゾンネンフェルスがこうした状況で、困窮化した流民の支援に乗り出したのは、海洋に一滴を投じるほどに無力な行為とは分かってはいたが何もしないわけにはいかなかったからである。やがて彼の下において、協力者や元軍人たちが集うようになり、活動は組織化され、「帝国同胞団」を名乗るようになったが、この組織は当初は純粋にボランティア団体であった。
 この組織の活動を支えるために、ゾンネンフェルスは足を棒にして知己や知己以外の者たちから支援を得られるよう頼み込んだが、資産家として知られるバルツァー伯爵がスポンサーとして全面協力をすることになった。その代わりに、「帝国同胞団」はバルツァー伯爵を代表とし、その考えによって再編されることになったのであった。
 バルツァー伯爵はこうなった原因の根本を提示し、おおもとを変革しなければならないとゾンネンフェルスに教授した。以後、バルツァー伯爵とゾンネンフェルスの指導の下で、帝国同胞団は私兵集団化していったのであった。

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(3)


 ゾンネンフェルス中将はオーディーンの郊外、ホーフブルクの町に居住していた。提督の邸宅にしては、こじんまりとした作りで、独居しているその居住者が、かつてのノイエラント総督の第一の腹心であったとは見ただけでは誰も思いもよらなかったであろう。その家に案内されたシュナイダーは、扉を開けて出迎えたのがクロジンデであったことに、驚かされた。
「クロジンデ、どうして君がここに」
「シュナイダーさん、先日はいろいろと失礼なことを申し上げてすいませんでした。母のことについては感謝しています」
 しかしそれだけを言って、クロジンデは黙ってしまった。彼女を勇気づけるようにして、ブラウン大尉は、クロジンデの背中を軽く叩いた。
「シュナイダー中佐。提督に会っていただく前に、クロジンデと話してお互いのわだかまりを解いた方がよろしいでしょう。ああでも言わなければいらしてはいただけなかったとは言え、脅迫めいたことを申しましたこと、改めてお詫びいたします。提督と私は書斎の方でお待ちしています。クロジンデとはそちらの応接室でお話ししてください。そちらのお話が終わり次第、書斎にいらしてください」
 ブラウン大尉はクロジンデを促して、シュナイダーを応接室に案内させた。
 対面してソファに腰かけた両者は、数秒、どちらから話を切り出したものか、迷っていた。まず、シュナイダーがメルカッツ夫人が今後安心して暮らせるよう措置したことをクロジンデに説明した。
「あなたもどうか、お母上とともに、平穏に暮らして欲しいというのが私の、そして亡きメルカッツ提督のお望みです。メルカッツ提督はあなたのことを決して忘れたり見捨てたりしたわけではありません。同盟に亡命したのも、私が強く勧めたせいですし、あなた方のことはお亡くなりになる前にも気にかけていらっしゃいました。ただ、まさかああまで窮乏なさっておられたとは想像もしていなかっただけのことでしょう。それを迂闊と言い、責めるならばどうぞ私を責めてください。しかしだからと言って、あなたが今後とも、困窮しなければならない理由はないはずです。メルカッツ夫人にお渡ししたお金の半分はあなたのものです。これからは好きに生きることができるのですよ」
「シュナイダーさん、まず先日のことをお詫びいたします。あなたにあたるべきではありませんでした。言い訳をさせていただくならば、あの日は、私にとっても自分の子供を殺した、人生で最も呪わしい日でした。平常ではいられなかったことはご理解いただけるかと思います。おっしゃる通り、これまでの呪わしい数年に蹴りをつけて、これからは何もなかったかのように、ただ何も知らなかったメルカッツ家の令嬢として以前のように生きてゆくことも出来るでしょう。けれどもそれはもう無理です。
 あなたのご訪問がせめてあと一日早ければ、そのように生きてゆくことも出来たかもしれません。私は胎児とはいえわが子を殺した女です。せめてあなたの訪れがあと一日早ければあの子を殺さずに済んだかもしれない。それはあなたのせいではありませんが、あなたがああしていらしてしまった以上、そう考えずにはいられないのです。私はああいう稼業をしていましたが、避妊には気をつけていました。ただ一度だけ、薬を切らしてしまった時に、上得意の方のお相手をしなければならないことがあって、それで授かってしまった子でした。誰からも望まれていない妊娠でしたが、それでもわずかに母としての喜びのようなものはありました。けれども、どうしてあのような環境で、子を産めるでしょうか。あの時はああするしかなかったのです。
 私はもう人並みの幸福を望んではいけないのだと思います。それがせめてもの罪滅ぼし、私が殺してしまったあの子への母としてのわずかな矜持です。
 母のことについては感謝しています。母は私にとっては唯一の気がかりであり、重荷でした。今はもう、あの人とは二度と会わないつもりです。できれば、今後とも母のことは気にかけていただければ感謝いたします」
「それはむろん、そうするつもりですが、あなたに対しても私は責任があります。あなたに対する説得をあきらめるつもりはありませんが、それはともかく、あなたはなぜこちらにいらっしゃるのでしょうか」
「こちらの提督が私を探してくださり、家政婦として雇用してくださったのです。私一人が生きてゆくにはそれで充分ですから、どうぞご心配なく」
「そういうわけにはまいりません。こちらの方がどのような方がご存知なのでしょうか。彼らは私をここへ呼びつけるためにあなたを利用したのですよ」
「いずれお聞きになることでしょうから私からお話しいたします。ゾンネンフェルス中将は帝国同胞団という互助組織を結成して、スラムでの福祉活動を行っていらっしゃいます。以前からその活動は私も知っていて、ささやかながらお手伝いしたことがあります」
「彼らはゴールデンバウム王朝の復権を目指しているのですよ。しかしその目的はごく利己的なものだと私は見ています。もし、その理想が純粋なものであるならば、どうして今まで彼らはメルカッツ提督、王朝のために最後まで戦った人の娘であるあなたに手を差し伸べなかったのでしょうか。以前からあなたを見知っていたならばあなたが最も苦しいときに、この職を与えて、助けなかったのでしょうか。彼らはあなたを私をここに呼ぶための駒として利用しているだけです。母上と一緒にいたくないというならばそれでもよろしいでしょう。ではどうか私と一緒にここを出てください」
「シュナイダーさん、彼らが私の出自を知ったのはつい先日のことなのです。あなたがスラムで派手に私の消息をお聞きになったものですから、私の出自は知られてしまいました。それまでは私は自分の出自を隠していました。メルカッツという姓はオーディーンでは珍しいものではありませんから、わざわざ言わなければメルカッツ提督の娘とは、誰も思わなかったでしょうから。就職の面接では言わないわけにはいかず、それでずいぶん苦労しましたが、そういうことでもなければわざわざ言う必要もないことですから。
 それにゾンネンフェルス中将は以前からこの仕事にお誘いくださってはいたのです。私が従事していたあの仕事では、聞くとはなしにいろいろと情報が集まります。それで帝国同胞団のお役にたてることもありましたので、私が断っていただけです。母を抱えていましたし、母のことまでご迷惑をおかけするわけにはいかなかったということもあります。あの暮らし、あの状況の中で、同胞団の一員として生きることは唯一の救いでした」
「では、あなたご自身、ゴールデンバウム王朝の復権を支持なさっておられるのでしょうか」
「私は父とは違いますから、ゴールデンバウム王朝には何の世話にもなっていません。正直、それはどうでもいいことですが、私も多少は苦労をして学ぶことはありました。辛い時期でしたが、今から振り返れば、あの時期がなければよかったとは思いません。何も知らなかった上級大将令嬢に戻るくらいなら、今の方がずっといいです。スラムの状況はごらんになったでしょう?シュナイダーさん。あれが結局、ローエングラム王朝が帝国にもたらしたものです。私は難しい政治思想のことは分かりませんが、社会の底辺で生きてきた私には、どう見ても、今の王朝がゴールデンバウム王朝の頃よりもましとは思えません。ゴールデンバウム王朝のことはともかく、今の王朝は倒されなければなりません。私一人が底辺から抜け出すことは、シュナイダーさんのおかげで可能にはなりましたが、今はもうそれだけでは私は満足できないのです。ひとりひとりの人間が、自分をおとしめなくても生きてゆけるだけの社会を作らなければ、私が生きたあの苦痛の時期は、ただ私個人の不幸な話になってしまいます。ああいう時期があってかえってよかったのだと、私の死んだ子供もそのために死んだのだと思えるのでなければ、私はもうこれから先、人間として生きてはゆけないのです」
 クロジンデは立ち上がって礼をした。
「どうぞ私を助けてくださるおつもりならば、ゾンネンフェルス提督をお助けください。帝国同胞団をお助けください。スラムの民となるしかない人々をお助けください」
 クロジンデの印象は先日会った時とはまったく違っていた。自分が言うとおり、あの時は平常ではいられなかったのだろう。クロジンデにとって人生で最も平常心を保てない日に、シュナイダーが出会ってしまったのはお互いにとって不幸であったが、結果として腹の底の底まで晒しあうことになり、こうして再び会った時には、両者とも互いに離れがたい絆のようなものを感じていた。
 しかしだからと言って、シュナイダーはここで直ぐに了というわけにはいかなかった。メルカッツの遺族の面倒を見るのも、メルカッツから託されたことであったが、エルウィン・ヨーゼフ2世を探索する責務もあったからである。
 シュナイダー自身、ノイエラント、フェザーンと旅してきて、それらとはまったく違った状況のアルターラントの荒廃ぶりに驚く思いがあり、どうしてローエングラム王朝が結果としてこれを放置しているのか、疑問と憤りを感じていたが、それに関与すれば旅人としての自分の役目は果たせなくなる。更に言うならば、経緯はどうであれ、シュナイダーはヤン陣営の一員と現王朝には認識されているはずであり、自分がローエングラム王朝に敵対行動をとれば、ユリアンやフレデリカにも多大な迷惑をかけることになる。
「今ここでどうこう返答することはできません。私にも守るべき人がいて、やらなければならないこともあります。しかしともかく、ロイエンタール元帥の幕僚閣下には会ってみましょう。それからのことはそれからの話です」
 シュナイダーは、ロイエンタールとは直接会ったことはないが、誇り高く高い節度を維持していたと聞いている。はからずも叛逆者として死んだが、その威名はなおも確固たるものがあった。死後剥奪された元帥位についても改めて授与されており、それはロイエンタールが持つ威信を帝国政府も無視できないからであった。その幕僚であった人物ならば、少なくとも卑劣な振る舞いはするまい。クロジンデをここに残したとしても、彼女に危害を加える恐れはないはずであった。

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(2)


 シュナイダーはオーディーンを離れてもよい算段をつけた、はずであった。ただ、クロジンデのことがやはり気がかりで、一日滞在を延ばせば何か消息が分かるのではないかと、いざ腰を上げようとすればその思いに駆られて、結局、オーディーンにだらだらと滞在してしまった。
 とりあえずハイネセンに戻り、幼帝の行方を追うという、目標はあったが、それとても雲をつかむような話で、一日二日遅れたとしてもどうということはないのであった。シュナイダー自身には家族はもはやおらず、故郷へ帰る必要もなければ欲求もなかった。この、ある意味自由な、するべきことが定まっていない状況が、クロジンデへの未練というか、亡きメルカッツに対する責任のようなもののみを浮かび上がらせた理由であって、ああいう形のままでクロジンデとの関わりに終止符を打つには、シュナイダーのメルカッツに対する敬意は大きすぎた。
 その思いが二度三度、四度五度とあの煉獄のスラムにシュナイダーの足を運ばせていた。クロジンデの消息が聞けるかも知れないと思ったからである。そうして何度が足を運ぶうちに、汚泥の中から水が湧き出してやがてひとつの潮流を作るように、この無秩序なスラムの中にも、不文律で支配された秩序のようなものがあるのにシュナイダーはやがて気づいた。
 どのような場所であっても人間は秩序を作るので、警察がいなくなればマフィアがその役割を担い、やがてそれ自体が国家へと発展してゆくものであるから、不文律が形成されつつあるのは意外ではなかったが、スラムが形成された時期からすればその進展が早いこと、暴力沙汰が表面上はほとんどないことからすれば、相当意図的に何らかの組織が関与していることを伺わせた。
 やがてその組織が帝国同胞団と呼ばれる互助組織であることは耳にしたが、興味はひかれながらも、だからと言ってどうこうしようとまではシュナイダーは思わなかった。彼は社会運動家ではなく旅人であったのだから。
 ラインハルトの葬儀が終わった頃に、シュナイダーが滞在するホテルに一人の男が訪ねてきた。訪問者が来たことを告げられると、その男と談話室で面会した。
「突然の訪問失礼いたします、シュナイダー中佐。私はエーリッヒ・ブラウンという者です」
 その男は左手を差出し、両者は握手をした。
「軍人の方ですね」
「元軍人ですが、お分かりになりますか」
「さきほど、左手で握手を差し出されました。左利きの方なのでしょう。しかし私の姿を見た際、わずかに右手を上にあげられました。これは敬礼をなさろうとしたのでしょうね。軍人の習慣です」
「ほう、それだけでお分かりとは中佐は情報士官でいらっしゃいますか」
「いえいえそれほどの話ではありません。私を中佐とお呼びになることがいささか気にかかったものですから。現帝国の記録では正確には私は少佐で退任しています。中佐の階級は銀河帝国正統政府での階級です。仮に私のことをお調べになったとしても、オーディーンでの記録では私は少佐になっているはずです。軍の内部事情に詳しい方か、あるいはそうした人から情報を得られる立場にいらっしゃるのだろうと考えた次第です」
「おみそれしました。中佐にはこちらの情報を出し惜しみして、探りを入れるべきではないと今確信しました。私自身は大尉で退任していますので、いかなる意味においても、中佐は私よりは階級が上になられます。それで思わず敬礼をしそうになったのが、失敗といえば失敗だったわけです」
「軍人の習い性ですね、こればかりは私自身も退任した身ですが、なかなか身に染みついた習慣は抜けませんね」
「中佐は現役の士官でいらっしゃるのでしょう、銀河帝国正統政府の」
 なるほど、そのあたりが本題なのかとシュナイダーはあたりをつけた。
「銀河帝国正統政府はすでに無く、レムシャイド伯ら尚書たち、そして何より皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世はすでにいらっしゃいません。私一人が正統政府の軍人を気取ったところでどうなるというものでもないでしょう」
「しかし先日のイゼルローンでの会戦まで、メルカッツ提督はご存命でした。提督は正統政府の軍務尚書としてお亡くなりになったはずです。正統政府は事実上、解消しましたが、正式に解体されたわけではありません。それに伴う公金もいささかはあったはずですが、それもローエングラム王朝に返納されたわけではないようです。今はどなたが管理なさっておられるかは分かりませんが」
「さあ、それは私のような一介の中佐にはあずかり知らぬことです。メルカッツ提督のご存念がどのようなものであったとしても、今はメルカッツ提督はお亡くなりになったわけですし、私がいまさらどうこうする話ではありません」
「そうでしょうか。提督に従って自由惑星同盟に亡命したばかりか、その同盟からも更に再亡命する形になってイゼルローンのヤン艦隊に合流なさった中佐が、メルカッツ提督のご遺志を継いでおられないとしたらその方がありそうにもないことですが」
「買い被りすぎでしょう。私もこれからは自分の人生を生きるだけです。それにメルカッツ提督も、別に今更、ゴールデンバウム王朝を復活させようとなさっておられた訳ではありません」
「ところが、私たちにはあるのですよ、その意思が」
 ブラウンがそう言ったのを契機にして、シュナイダーは立ち上がった。
「どうやらこれ以上はお話は聞かないほうがよさそうですね。そちらのご事情には踏み入らないでおきましょう。私も既に倒れた王朝に未練はありませんから、私を引き入れようというならお門違いの話です」
「どうぞ、お座りください。あなたご自身には児戯めいた脅しが通用するとは思っていませんが、メルカッツ夫人については話はまた別でしょう。むろん、このようなことを仄めかすのも礼儀に反していることは重々承知ですが、少なくともこちらの話をしまいまで聞いてくださるくらいのことはなさってもよろしいのではないでしょうか」
「その話を聞いたうえで、足抜けする自由が残されていればよいのですがね。私は何しろヤン・ウェンリーと行動を共にしていた男ですから、今ではいささか民主主義というものを信ずるようになっています。こちらの自由をどうこうしようと言うならば、ローエングラム王朝にあなたがたを売ったうえで自分とメルカッツ夫人の安全を確保するといたしましょう」
「どうぞ、お座りください。今はただ話を聞いていただきたいだけです。その手段としてメルカッツ夫人を持ち出したまでですが、掛金を釣り上げるならば、メルカッツ提督のご令嬢についてはいかがでしょうか。彼女の身柄はこちらで保護している、とお伝えすればよろしいのでしょうか」
「証拠はありますか」
「今のところは別に。お聞きくださらないから持ち出したまでのことです。しかし私たちのもとに彼女がいないという証拠もないでしょう」
 シュナイダーは憮然として着座した。
「お聞き入れてくださって感謝いたします」
「話をそらすようでなんですが、あなたはただの大尉ではないですね。それこそ情報士官だったのではないですか」
「情報士官だったらそう簡単に退役させてくれませんよ。インテリジェンス・オフィサーではありました。ただそれは国家のものではありません」
「なるほど、そこまでおっしゃるとは、蜘蛛は獲物を逃すつもりはないらしい」
「そこまで余裕のない話ではありません。私個人の見解を言うならば、私としてはあなたを泳がせていても我々には害はないと思っていますし、逆に言えばそこまで利用価値があると思っているわけではありません。ただ、上の見解はまた別のものがありましてね」
「上とは?」
「それについてはいずれお会いしていただくことになると思います」
「そこまで話したからにはそれくらいはやってもらう、ということなんでしょうね」
「ええ、あなたはそうなさらざるを得ないと思いますよ。私がここまで話していること自体、こちらにフラウ・メルカッツというカードがあることの証拠ではないでしょうか」
「逆に解釈することもできますね。クロジンデが実際にはいないにも関わらず、ある程度そちらの事情を話すことによって、あたかもクロジンデというカードを持っていると思わせようとしている可能性もなきにしもあらずです」
「確かにおっしゃるとおりです。中佐には情報士官のセンスがありますね。艦隊司令官の副官という任務にもそういう性格があるのでしょうが。敵の意図を疑って疑って読みぬくという」
「しかし認めましょう、どちらにせよ今の段階では私には確認のすべがありません。真偽を確かめるには虎穴に入らざるを得ないようです」
「そうおっしゃっていただければこちらも話はしやすいのですが、どうぞそう敵対的な立場から私たちがお話しているわけではないということだけは弁解させていただきたいと思います。現在のご心境はともあれ、ローエングラム王朝に敵対してきたという点では私たちは同志と言ってもいいわけですし」
「ヤン艦隊の私の仲間たちはゴールデンバウム王朝とローエングラム王朝の二者択一ならば後者を選ぶでしょうが、確かに結果を言えば、私がゴールデンバウム王朝の側に立ったのは事実ですね。今後ともそうであるとは限りませんが。敵の敵は味方とは限りませんよ。敵の敵はもっと敵ということもあり得ますから」
「なかなか味わい深いお言葉です。しかし今はせっかくいただいた貴重なお時間ですから、本題に入ることにしましょう。
 まず、私たちはゴールデンバウム王朝のある程度の再興を目指す立場です。ある程度というのがどの程度になるかは状況次第ですね。帝国全域に王朝を復権できるとまでは思っていません。ただし、状況によってはバーラト自治政府のように、ローエングラム王朝と協定を以てオーディーン、ヴァルハラ星系にゴールデンバウム王朝の自治政府を復権させることは可能ではないかとみています。それは将来のプログラムの話ですが、当面の問題としては、ではゴールデンバウム王家の代表者として誰をたてるかという問題があります。これについては女帝カザリン・ケートヘンを復権させるか、別の人物をあてるか、いまだ我々とても方針が定まっているわけではないのですが、いるかどうかも分からないエルウィン・ヨーゼフ2世を押し上げるわけにはいきません。
 彼にはこのまま歴史の闇に消えていてもらったほうが、我々としても都合がいい。他人事ながら気の毒な子供ですが、エルウィン・ヨーゼフ2世に今更出てこられても、ローエングラム王朝以上に我々のほうが困ります。エルウィン・ヨーゼフ2世の探索は止めていただきたい」
「探し出したからと言って、別に彼を皇帝になそうというつもりはありません。ただ、一個の人間として幸福な生活を送れるよう整えてやりたいだけです。それがメルカッツ提督のご遺志でした」
「もちろんそうでしょう。しかし彼が生きていること自体が、生きているとすればですが、私たちには脅威になるのです。もし生きているとすれば、今、名乗りを上げていないということは皇帝に戻るつもりは当人にもないのでしょう。あなたが彼を探し出せばどう隠そうとしようとしたとしても、いずれ彼の存在は発覚します。それは彼の幸福を破壊することになるのではないでしょうか」
「今が幸福だというならわざわざ接触するつもりはありません。しかし確認はしてみないといけないわけです」
「その確認行為自体が、彼にとっては危険でしょうね。彼が最後に確認されたのは惑星ハイネセン、子供の才覚で、他の星に渡るとは考えにくいですから、バーラトに留まっているとすれば、無力な子供に対しては民主主義政府はそれなりに援助をするはずです。彼がエルウィン・ヨーゼフ2世であろうがなかろうが。あなたのご友人のフレデリカ・ヤンにお任せしてはいかがでしょうか」
「それがこの話の本題ですか?」
「本題の一つです。もうひとつは、あなたの処遇の話です。銀河帝国正統政府は消失しましたが、三人だけ、その主要な構成員の中で生存が確認されている人物がいます。そのひとり、シューマッハは現在、ローエングラム王朝の拘束下にあり、おそらくローエングラム王朝に取り込まれるでしょう。また、別の一人のランズベルク伯は精神病院で残りの余生を過ごされるでしょう。残りの一人があなたです。メルカッツ提督とともに、あなたは最後までローエングラム王朝と戦ったという実績があります。あなたは今や銀河帝国正統政府を代表する人物であるわけです。どうやらそれなりの公金も保持なさっておられるようですし。
 まあ、カネの話はいいでしょう。資金は我々は不足しているわけではありませんから、あなたのカネをどうこうするつもりはありません。我々が欲しいのはあなたの名前です。ゴールデンバウム王朝の糸をつなぐ正統性の一本があなたであるわけです。あなたを私たちの組織の幹部にお迎えすることによって、権威を強化したいわけです」
「さて、私にそれだけの価値がありますかな。あなたご自身、そこまでの価値はないとおっしゃった」
「誤解なさらぬよう。最終的に事を決するのは、実行手段、戦力です。ゴールデンバウム王朝は民衆の支持を失ったから倒れました。自明の理です。私たちが最高を目指すゴールデンバウム王朝は、旧来の王朝であってはなりません。民衆の支持によって作られるものでなければなりません。その意味で、あなたというカードは本質ではありません。あなたというカードを持っていようがいまいが、私たちが民衆の支持を得られなければ事は成りません。しかし、あくまで理屈上の正統性の確保という意味ではあなたを取り込むことは有益です。決して害にはなりません。それにあなたご自身の能力がおありになる。それは組織を強化するうえで有益なものになるでしょう」
「で、ともかく、その組織の主催者に私に会えと言われるわけですね」
「そうですね、しかしまずは、私たちの実行部隊の長に会っていただきたいと思います。組織に参加していただけばあなたの上司になる人です」
「その人の身元を聞いてもよろしいでしょうか」
「ええ、ここまでくれば十中八九お会いはいただけるのでしょうし、そうなれば分かることです。その方も先年、私たちに加わっていただいた方です。ロイエンタール元帥の下で幕僚を務めていた方です。ゾンネンフェルス中将と言えばご存知でしょう」
 ブラウン大尉は有能な男だが確かに国家機関の情報士官ではないようだ、とシュナイダーは思った。国家機関の情報士官ならば重要なカードを切る時こそ、平静を装うものだからである。しかしブラウン大尉はゾンネンフェルス中将の名を出してシュナイダーを驚かせることにささやかな快感を得ていることを隠しきれていなかった。
 そしてシュナイダーは確かに、驚いてはいたのであった。ロイエンタール元帥の幕僚であった高名な提督が、この組織に関与していることに。

2012-09-21

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(1)


 シュナイダーはメルカッツ母子に会った後、数日帝都に滞在し、これからどうするべきかを思案していたが、やはりメルカッツ母子、特に娘のクロジンデを放っては置けないと思った。十分なカネは渡したから、それで責任は果たしたとしてもよかったのだが、あの状況を見て、カネだけ渡して責任を果たしたというのも詭弁に過ぎると思った。
 そもそもメルカッツが同盟に亡命し、そのためメルカッツが単にリップシュタット貴族連合に与したというにとどまらず、帝国にとっても叛逆者となり、あの母子を叛逆者の家族としてしまったのはシュナイダーがメルカッツに亡命を勧めたからであった。
 そういう意味では責任はメルカッツ以上にシュナイダーにあった。
 クロジンデの態度、振る舞いは強烈で、シュナイダーは彼女によって叩き潰され、打ちのめされたが、落ち着いて考えてみれば、ああいう境遇、状況にあって、ああなるのはむしろ神経がまともな証拠とも言えた。よくよく考えてみるに、シュナイダーがおぞましさを感じたのは娘に体を売らせて貴婦人の真似事をしていたメルカッツ夫人であり、異常な状況にあって正常であるのは異常である。簡単にクロジンデの気持ちが分かると言ってはいけないほど、彼女が生きてきた道は苛酷であったが、メルカッツ夫人がああいう人であったことが、貧困や迫害、体を売ったことよりも、彼女を苛んでいるのだということはシュナイダーにも理解出来た。
 副官ではあってもメルカッツ家の内情に立ち入ったことはなく、実際のところはどうであったのかは知らないが、不仲であったとも聞いていないので、メルカッツと夫人はそれなりにうまくやっていたのだろう。中流貴族にして軍人の妻としては、メルカッツ夫人は過不足はなかったに違いない。彼女の不幸は、彼女は変れる人間ではなかったにも関わらず、周囲の環境が激変したことであった。もう少し変化がゆるやかであったならば、彼女は自分の精神と環境に折り合いをつけることが出来たのかも知れないが、実際にはそうはいかなかったのであった。
 あのスラムの家を再び訪ねた時、そこにいたのはメルカッツ夫人のみであった。
「クロジンデさんはどうしました?」
 シュナイダーをみるなりびくついたメルカッツ夫人のことは気にも留めず、クロジンデのことを聞いた。
「あの子は出ていきましたよ。お金が手に入ったなら、もう自分といる必要もないだろうと言って。まったく薄情な子ですよ。それよりもシュナイダーさん、あなたまさかお金を取り返しに来たんじゃないでしょうね」
 そう言うなり、メルカッツ夫人は胸元を抑えた。そこに小切手を隠しているのはばればれであったが、さっさと小切手を現金化する世知もこの婦人にはないのであった。
「そうですか」
 それ以上はシュナイダーは何も言わなかったのは、メルカッツ夫人がクロジンデのことには関心がなさそうであったし、出ていくのも無理はないと思ったからである。
 シュナイダーは周囲の家の者たちを呼び、いくばくかのカネを握らせて、
「後でもう一度こちらに来るけれども、もしクロジンデが戻ってきたら、こちらのホテルまでシュナイダーを訪ねてきてほしいと言ってくれ」
 と連絡先を書いた紙を渡した。滞在先の住所だけではなく、自分の通信用アドレスも書いておいたから、もしクロジンデが自分に連絡を取りたいと思えば、とれるようにしておいた。
「さあ、いつまでこんなところにいるつもりですか。私と一緒に行きましょう」
 シュナイダーはメルカッツ夫人を連れだすと、近くに待たせていたタクシーに乗せて、帝都中心部に向けて走らせた。
「どこへ連れて行くおつもり?」
「元いた世界に戻るんですよ。これから何の心配もないんです。私がすべてやってあげますからね」
 シュナイダーがそう言うと、メルカッツ夫人は幼女のように眼を輝かせて、うんうんと頷いた。
 それなりのカネがあるのだから、旧メルカッツ邸を買い戻すことも出来たが、保護者もいない、せめてクロジンデがいれば話は別だったが、差配してくれる人が誰もいないメルカッツ夫人の境遇を思えば、これから先はホテル暮らしの方がいいとシュナイダーな判断した。
 オーディーンの中心部に着き、まず、高級デパートに入って、メルカッツ夫人の衣装を整えさせ、アクセサリーを幾つか購入した。そういう形を作ればさすがに貴婦人だった記憶がよみがえってくるのか、メルカッツ夫人の物腰は陰りひとつないレイディに見えた。
 もし信用できる執事がいれば、その者を雇用して彼女の面倒をみさせるのだが、この時代、信用できる使用人を見つけるのは至難の業であった。ホテルを選んだのは企業であるだけに、カネさえ支払えば一定の水準で彼女を遇し、企業として信用問題があるので、彼女を騙すようなことはしないだろうと踏んだからであった。
 高級ホテルに彼女の部屋をとったシュナイダーは、彼女をそこで休ませると、支配人にアポをとり、支配人室で彼女の今後について話し合った。20年分の料金を前倒して支払うこと、そして彼女を特別に保護して貰う謝礼として同額を支払うこと、20年を過ぎて彼女が生存した場合はホテル側はシュナイダー、もしくはその遺産相続者に追加料金を請求できること、20年以内に彼女が没した場合はホテル側は受け取った料金を返却しなくてもよいこと、彼女に変事があった時はシュナイダーに連絡すること、彼女自身の財産の中から、毎日1500帝国マルクをホテル側は現金化して振出し、彼女に与えること、等々において合意が結ばれた。
「帝国軍上級大将の夫人であった人だ。世事には疎いがそれなりに敬意をもって接して欲しい」
「承りました。稀にこのようなご依頼があります。私どもにもまったく経験がないことではありませんので、どうぞご安心ください。マダムはお客様ではありますが、当方で保護するつもりで、不自由はおかけしません」
 そこまでの手配をして、夫人の部屋を訪れると夫人は早々にメイドを相手に、貴婦人の心得を楽しそうに話しており、もはや真似事ではなくようやく復帰できた貴婦人の立場を早々に満喫していた。
 メイドはシュナイダーを見るなり、カッツィの礼をとった。
「マダムのお世話をいたします、アメリアです」
「そうか。よろしく頼む」
 シュナイダーな自分では意識していないが、かなりの美丈夫であるので、シュナイダーに見詰められたアメリアは顔を赤らめた。
「メルカッツ夫人。私はもうしばらく帝都にいますが、数日以内には去るでしょう。しかし後のことはこちらのホテルの者たちによくよく言ってありますので、不自由なことはありますまい。何か困ったことがあればどうぞ、すぐに連絡をしてください」
「何からなにまで、ありがとうございます、シュナイダーさん。私もこれでようやく一息ついた気持ちです」
「クロジンデのことはこちらでも捜索しましょう。どうぞご心配なさらずに」
 そう言われて、メルカッツ夫人は娘のことをようやく思い出したが、さして興味が無いように笑顔で頷いた。
 それから数日間、シュナイダーは例のスラムに通ったが、クロジンデはいよいよ決意を固めて出て行ったようで、帰ってくる気配はなかった。シュナイダーは幾つかの探偵社を訪ねて、高額の報酬と引き換えにフルタイムでクロジンデの捜索にあたるよう依頼を行い、とりあえず、それでなすべきことはまずはやったという思いを得た。

2012-09-20

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(12)


 グリューネワルト大公夫妻の結婚の翌日、慶賀ムードを一掃するかのような知らせがもたらされた。
 旧帝都オーディーンで大暴動が発生したのである。暴徒たちは郊外のスラム街から帝都の中心部に押し寄せ、官公庁や富裕層が住む地区で破壊と略奪を行った。被害状況がかなり長時間に及んで判明しなかったのは、この暴動に終息が無かったために、全容の把握が困難であったからだ。
 暴徒の群れは百万人単位であり、早い時期にヴァルハラ星系の総督府は襲われ、行政機構が早々に麻痺したことも事態の把握を難しくした。アイゼナッハはアルターラント方面軍司令官の権限で以て、戒厳令を発動し、一時的に全権を自身に集中させた。
 アイゼナッハが常在するアルターラント方面軍司令部、建物としては旧軍務省庁舎を使用していたが、そこにも暴徒たちが押し寄せてくる危険があり、実際、暴徒に占拠されるに至ったのだが、その前にアイゼナッハは司令部を自身の旗艦ヴィーゼルに移し、上空から指揮を執ることになった。
 オーディーンの血の夜と呼ばれたこの暴動が単なる暴動に留まらない、革命の規模にまで及んだのは、暴徒たちがそれなりに組織化されていたからである。その組織者たちが誰なのか、どのような背景を持つかまではその時点では分かっていなかったが、軍をリストラされた元軍人たちが多数関与していることはすぐに分かった。アルターラントに困窮を強いている現体制の打破を、彼らは訴えており、取り締まる側のはずの軍下士官の間でも、それに呼応するような動きが幾つか見られた。
 アイゼナッハは早々に鎮圧を諦め、可能な限り最大数の将兵を地上から上に上げさせたが、ひとつには軍が鎮圧に乗り出せば取り返しのつかない大規模な流血沙汰が発生しかねないからであり、もうひとつは軍の下士官たちが暴徒たちに呼応しかねないからであった。
 アイゼナッハはオーディーンはとりあえず放置し、この暴動が他星系に飛び火しないよう、手持ちの艦隊を各地に派遣し、それでも足りない分については、帝都フェザーンに対して増援の緊急依頼を行った。
 暴徒たちに宇宙艦隊兵力はなかったから、帝国の覇権が脅かされるレベルの話ではなかったが、統治行為は実質的に停止しており、早々に対処しなければならない事態なのは確かであった。
 この事件がグリューネワルト大公夫妻の結婚に期を合わせるかのように生じたのは偶然ではなく、他の地域では純粋に慶賀の雰囲気をもたらしたのだが、絶望的な困窮に喘ぐ人々にとっては、自分たちの生活とはかけ離れたところで「結婚ごっこ」をしていると映り、怒りの火に油を注いだのであった。むろん、組織者たちはそうなることを見越して、この日に照準を合わせていたのであり、これが彼らからローエングラム王家に対する結婚祝いであった。
 事態を受け、帝国軍首脳部においては即日に宇宙艦隊司令長官の後任にビッテンフェルト元帥を任命、ビッテンフェルト自身はドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に留まったが、その指揮下の諸艦隊は旧帝国領に直ちに進発することを命じられた。ウルヴァシーからはバイエルライン上級大将がその指揮下の諸艦隊を率いて同じく旧帝国領に向けて進発、イゼルローンのワーレンに対しても、イゼルローン回廊から旗下の諸艦隊を旧帝国領に派遣することが命じられた。
 内閣がこの情勢を正確に把握しきれていなかったことについて、オスマイヤー内務尚書が辞表を提出し、受理され、後任には前新領土民事長官であったエルスハイマーが就任した。以後、内閣は国務尚書の信任を受けつつ、エルスハイマーが実質的に主導してゆくことになる。
 ユリアン・ミンツは憲兵総監のケスラーから緊急の呼び出しを受けて、バーラト自治共和政府、あるいは旧ヤン艦隊がこの事件に関わっているのではないかとの疑念を向けられた。
「まったく心当たりがないことですが、そうおっしゃるからにはそれなりの理由がおありなのでしょう。よろしければそれが何なのか教えていただけませんか」
「まだ確定情報ではないが、暴徒たちを組織化している男、少なくともそのうちの一人がある人物ではないかとの情報がある」
 そう言われてユリアンは鼓動が早くなるのを感じた。自分が呼び出されるような旧ヤン艦隊の関係者で、なおかつ暴徒を組織化するような男。今現在、物理的にバーラト星系にいない男。
「その男はオリビエ・ポプラン。卿の友人であろう」
 やはり、とユリアンは思った。
「ここで名が挙がった人物が卿やアッテンボロー提督であったならば、私も一笑に付すところだが、正直言って、ポプランであれば、成り行き上であるかも知れないが、こういうことに関与しないとは言い切れない。正直に言って、卿はどう思う。ポプランが扇動者である可能性はあると思うか」
「仮定のことについては現時点では何も申し上げられません。ただ、その人物が仮にポプラン中佐であったとしても、バーラト自治共和政府が関与していることは万が一にもあり得ないでしょう。今、帝国と敵対して良いことなんてバーラトにはありませんから」
「しかし、先年の選挙では、自由惑星同盟の旗が公然と掲げられたと聞いている。これは帝国に対する敵対行為とまでは言えなくても少なくとも友好的な行為ではないはずだ」
「おっしゃる通りです。しかし民主主義にあっては政府は民衆が好きな旗を掲げる権利を制限することは出来ません。その制約の中に自治共和政府もまたあることをどうぞご理解ください。自治共和政府は帝国との友好関係を維持し、旧同盟領の他星系に対してもどのような意味においても影響を及ぼそうとはしていません。仮に旧同盟の民主主義者たちが帝国に敵対する動きを企てたとしても、彼らはまず、自分たちの旧領であるノイエラントを回復することに主眼を置くはずで、旧帝国領に手を伸ばすことは思いもつかないはずです。ましてオーディーンは旧帝国領の本丸、そこの民衆たちにいきなり民主主義を説いても、長年に渡って同盟と敵対してきた彼らの共感をたやすくは得られないでしょう」
「うむ。私としてもそういうことは理解しているのだ。しかし猜疑するのが任務であってね、一応、卿の見解を訊いておかなければならないと思ったまでのことだ。失礼があったならば謝罪する」
「いえ、お互い立場があってのことですから」
「そう言ってもらうと助かる。助かるついでにひとつお願いしたい。暴徒の首脳の中にポプランがいる可能性があることを、ヤン夫人にお伝えしていただきたい」
「よろしいのですか?」
「そうして欲しい。我々が正式のチャンネルを通して伝達すれば、帝国と自治共和政府の間の問題になってしまう。万が一、万が一にもあり得ないことであるが万が一、ポプランが自治共和政府の命を受けて動いているならば、我々が把握していることを知らせることで以て牽制としたい。この件がどうなるのか、まだ先行きも分からぬが、両政府の間のトゲになるだろうことは予想される。今のうちに善処できることがあれば善処して置いて貰った方がいいだろう」
 ケスラーが言っているのは、仮にポプランが自治共和政府の密命を帯びている、あるいは彼から接触があったならば、早い段階で証拠を消しておけ、帝国側としてはこの件を大きくするつもりはないと言っているのであった。
「万が一、その人物がポプラン中佐であったならば、彼の処分はどうなるのでしょうか」
「イゼルローン共和政府の一員として対峙した時とはわけが違う。彼は今では法的には帝国の国民であり、皇帝陛下の臣下である。帝国に弓引くようなことがあれば反逆罪を適用せざるを得ないな」
「そうですか」
 ユリアンの表情が曇ったのを見て、ただし、とケスラーは付け加えた。
「ただし巻き込まれただけならば、そして二度とこのような不埒な振る舞いをしないと我々が確信できるならば、我々としても百万を超える暴徒すべてを処分するわけにもいかない。まあ実際には見逃すことになるだろうよ」
 その言葉でケスラーはこの件をユリアンに預けたのである。仮にその人物がポプランであって、彼を救済できるかどうかは、ユリアンが上手くとりつくろえるかどうかにかかっていた。
 しかし旧帝国領で何が起きていたのか、それにポプランがどう関わっていたのかを見るためには、我々はしばらく時間をさかのぼらなければならない。

2012-09-19

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(11)


 ミュラーは再び茶会でアンネローゼと対峙していた。両者は一言二言、挨拶の言葉は交わしたが、それ以上は会話をするでもなく、茶を啜っていた。
 たまらずに、ついにミュラーが口を開いた。
「この話、お受けになられるとは思いませんでした」
 ミュラーのその言葉は、アンネローゼの表情から表面的な微笑を消した。
「私が断るとお思いになったから求婚なされたわけですか。それは当てが外れてお気の毒でした」
「いいえ。先日の件を思えば、きっと私に対してご立腹だろうと思いましたので。私は断られても何度もお願いに上がるつもりでした」
「それはますますもってお気の毒に。ヒルダさんやミッターマイヤー元帥からよほど言い含められたのでしょうね。ミュラー提督に怒っているなんてとんでもありません。私のような女をめとわなければならないなんてと同情しているくらいですわ」
「なるほど。では、妃殿下は私が帝国への義務感から求婚したと思っていらっしゃるわけですな。それはご自分が義務感から結婚なさろうとしておられるからでしょうか」
「どうでしょうか。少なくとも私のような立場の女であれば国家への義務を蔑ろにしてはいけないことは理解しています」
「少しは、私への愛情もあったのかと自惚れていたのですが」
「まあ、先日あのようなことをおっしゃったのに、私の愛情が提督にとって何がしらの価値があるとは思ってもみませんでした」
「やはり、怒っていらっしゃる」
「怒ってません」
「妃殿下。アンネローゼさま。幾つかの誤解を解いておくべきだと思います。第一に、私があなたに求婚したのは、あなたのことがとても気にかかるからです。あれから私はあなたのことばかり考えていました。私の伯父に相談したところ、それは私があなたを愛しているからだと言っていましたが、このような気持ちになったことがこれまでないので、もし伯父の言う通りならば私は今まで誰かを愛したことはなかったのだと思いました。この気持は私自身にも掴み難いもので、歯切れよく申し上げることは出来ませんが、少なくともあなたが他の男と結婚なされるのはどうしようもなく嫌だ、ということは理解しています。私があなたに求婚したのはこの気持のためであって、正直に申し上げて帝国のためでは微塵もありません。
 第二に、あなたはご自分が思っていらっしゃるほど、帝国のために自己統御が出来ているわけではありません。もしそうなら、先日のいきさつがあったにせよ、あなたは大公妃として宇宙艦隊司令長官である私をいつものたおやかな笑顔で迎え、あたりさわりのない談笑をして客を気分良くさせていたでしょう。しかし先日のしこりからあなたはそうすることが出来なかった。それはあなたが大公妃である前に、ひとりの人間であるからです」
「よろしいわ、認めましょう。先日の件で私は怒っています。確かに、深く傷つきました。一晩中、泣きましたのよ。けれども、私が傷ついたのはあなたがおっしゃったことが事実だったからです。私は弟やジークを利用したのです。そのことに済まないという気持ちはありましたが、どこか、敢えてそうしている自分を赦してしまっているところがありました。あなたの断罪のお言葉は正当なものでした。私は赦されてはいけないのです」
「どうぞお話を最後までお聞きください、アンネローゼさま。もうひとつ誤解を解いておくべきことがあります。先日の私の言ですが、あれは極めて不当なものであったと今は思います。私は先帝の臣下としての自分の感情を優先するばかりに、あなたが立ち上がった時、無力な少女で、そこからたった一人で道を切り開いてきたと言うことを軽視し過ぎていました。公平さに欠ける物言いだったと思います」
「慰めて下さるのね。ありがとうございます。でも私は」
「あなたご自身がご自分に罪があるとおっしゃられるならばそれはそれでよろしいでしょう。しかしこれからは、どうぞそこに罪があると言うならば私にも背負わせてください。あなたがもう一人で戦う必要はないのです。あなたはもう、一人で大公妃、皇帝の伯母、カイザー・ラインハルトの姉、そして小さな弟ラインハルトの姉になりきる必要はないのです。アンネローゼ、ただのアンネローゼに私、ナイトハルト・ミュラーは求婚します。たとえ帝国を裏切っても、ただあなたの夫であり、あなたとすべてをわかちあうことを誓います」
「…ナイトハルト…酷い人。そんなことを言われたら私は」
 ミュラーは立ち上がり、アンネローゼの傍らに寄り添って、その体をそっとその長く逞しい腕で抱いた。
「今はっきりとわかりました、アンネローゼ。私はあなたを愛しています。小さなアンネローゼ、どうか私のことも好きになってください」
「分からない。私は分からないわ。私もあの日からずっとあなたのことばかり考えていました。でも、これは何なのかしら。分からないのよ。こんな気持ちで、あなたに妻にしてもらってもいいの?あなたを利用してしまうかも知れないのに」
「夫婦にとって利用するなんてことはないんですよ、アンネローゼ。あなたの幸福が私の幸福、あなたの力になれることが私の幸福なのだから」
 ふたりは互いの澄んだ目を見て、それからおもむろに唇を交わした。そして微笑むミュラーに、アンネローゼは飾り物の微笑を捨て去った後に自然に沸き起こった喜びの表情を浮かべて、言った。
「ナイトハルト。私、怒っているのよ。私をこんなに揺さぶるなんて、いけない人ね」
「あなたは結構怒りっぽい人だ、アンネローゼ。でも、大公妃に似つかわしい微笑なんかよりもずっとその方がいい」

 新帝国暦4年2月3日、帝国全土に向けてグリューネワルト大公妃アンネローゼと、宇宙艦隊司令長官ナイトハルト・ミュラー元帥の婚約が発表された。両名の一日も早い結婚をという希望に沿って、皇族とそれぞれの親族、閣僚、帝都に帰還できないワーレンとアイゼナッハを除く現役元帥たち、そしてわずかな友人のみが参列した結婚式がその7日後、2月10日には早々に挙式された。友人として招かれたのは、ヴェストパーレ男爵夫人とシャウハウゼン子爵夫人、ミュラー艦隊の首脳部、ミッターマイヤー夫人、マリーカ・フォン・フォイエルバッハ、そしてフェザーン大学で歴史を学んでいるユリアン・ミンツとその夫人カリン、そしてアンネローゼが保護者となっていたコンラート・フォン・モーデル少年のみであった。ミュラーの伯父のヘルムートは1万帝国マルクを祝儀袋につめて参列者に渡そうとしたが、最初に接触したのが運よくヴェストパーレ男爵夫人であったので、ヴェストパーレ男爵夫人がなだめすかしてその企画を取りやめさせた。
 ミュラーは帝国軍を退役し、宇宙艦隊司令長官職も辞したが、元帥の称号と地位はそのまま維持された。この結婚によってミュラーは皇族の一員となり、グリューネワルト大公殿下と称されることになった。ミュラーの男系の親族のうち男子に対しては帝国騎士号が授爵された。ローエングラム王朝では、ジークフリート・キルヒアイスがその死後に大公に叙されたのを唯一の例外として平民に対して新たな叙爵は無かったが、ミュラーに大公位が与えられたこと、その親族に帝国騎士号が与えられたことは今後の叙爵の解禁に道を開くものとなるかも知れなかった。
 結婚によってミュラーは姓をフォン・グリューネワルトに変えることになったが、従来の姓はミドルネーム扱いにして、ナイトハルト・ミュラー・フォン・グリューネワルトを名乗った。軍人としても隔絶した地位を得た人であったので、一般にはミュラー元帥と呼ばれ続けた。
 グリューネワルト大公夫妻はルーヴェンブルン宮殿東棟に引き続き居住し、皇帝アレクの養育は夫妻に委ねられることになった。
 ミュラーの数々の功績を鑑みて、帝国軍は軍人の最高の武勲章であるジークフリード・キルヒアイス武勲章をミュラーに授与した。この武勲章はこれまで3名しか授与されておらず、ファーレンハイトとシュタインメッツがそのうちの2名であったがこれは死後の授与であり、生前授与はミュラーに対してかつて一度与えられたのみであった。ミュラーは同じ武勲章を二度、授与されたことになるが、ミッターマイヤーでさえ授与されていないこの最高武勲章を二度授与されたことは、異例の措置であったが、ミュラーが果たしたこれまでの数々の武勲を思えば、それも当然であろうと誰もが思った。

2012-09-18

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(10)


 英雄が一代で築き上げた帝国は、その英雄が去ればそのまま瓦解してしまうことが多い。扇の要を失って、有力者たちが抗争をはじめてしまうからである。ローエングラム王朝がそうならなかったのは、カイザー・ラインハルト崩御の時点において有力者たちの同質性があったからだ。誰にとっての同質性か。むろん、ウォルフガング・ミッターマイヤーにとってである。
 軍権を制する者が覇権を制する。その意味において、ラインハルト崩御時点で、もしミッターマイヤーが覇権を望んだならば、ヒルダを倒すことは不可能ではなかっただろう。そういうことをしない男であればこそ、ミッターマイヤーは地位を得ていたのだが、大半のクーデターや政変はむしろ防衛的な意図から生じている。ミッターマイヤーに政権を奪取する積極的な意図が無かったとしても、ヒルダとの間に距離があったり、讒言するものがあったりすれば自らを守る、それ以上に自らの部下とその家族を守るために立ち上がらざるを得ない。
 ローエングラム王朝で有力者たちの抗争が発生しなかったのは、発生する条件を欠いていたからである。
 ミッターマイヤーに匹敵する権威と権力の持ち主であったロイエンタールとオーベルシュタインは既に死んでいた。その下の階級の者たちのうち、性格や思想的にミッターマイヤーと異質な者たち、ケンプ、レンネンカンプ、ファーレンハイト、シュタインメッツあたりも既に薨じていた。同僚中にミッターマイヤーに抗し得る者は無く、ミッターマイヤーは自分のためにも部下のためにも防衛的に動く必要が無かった。
 ヒルダとの関係で齟齬が生じる可能性はあったが、讒言される恐れが少なかったので、ミッターマイヤーは防衛的に自らの権力を強める必要はなく、ヒルダも警戒を抱かずに済んだ。ヒルダ自身が政治のプロフェッショナルであったので、能動的に動くことが出来、ワーレンやメックリンガー、ミュラーあたりを影響下に置くことで、ミッターマイヤーとの間の均衡を維持できた。これは当人たちの好悪の感情の問題ではなく、政治的な力関係の問題である。
 ヒルダがミッターマイヤーを敬愛していたとしても、ヒルダ自身が弱小であり、政治的な能力が無ければ相対的に力の不均衡が発生し、均衡状態に近づけるために、ヒルダが力をつけると言うことが出来なければミッターマイヤーを追い落とす以外に方策はなくなる。そうなれば彼らの間の人間関係がどうであれ、ミッターマイヤーは失脚を余儀なくされるか、自らを防衛するために反逆するかの選択をいずれ迫られることになる。
 彼らの間の関係がそうならずに済んだのはヒルダの政治能力が高かったからであって、ワーレンやメックリンガーをヒルダが元帥たちの中においても特に自らの股肱化したのは、ミッターマイヤーの勢力をそぐことによって自身とミッターマイヤーを安全にする、という意味合いもあった。
 もちろん、その意味や呼吸はわざわざ口にしなくともミッターマイヤー自身了承していることであって、ヒルダとミッターマイヤーの間にこうした高次の協力関係があったことが、皇太后と首席元帥の間で齟齬が生じなかった理由であった。
 内閣において首座であるマリーンドルフ伯が国務尚書であったのも幸いであった。国務尚書と首席元帥は政府と軍を代表し、時に利害が対立するだけに、国務尚書が自らの党派を養う領袖であれば、国務尚書と首席元帥の間で覇権をめぐる抗争が生じたかも知れなかった。それはちょうどリップシュタット戦役後に発生したラインハルトとリヒテンラーデ公の抗争のようなものである。しかしマリーンドルフ伯はヒルダの影として、本質的には、内閣に在っただけであり、ヒルダを意思を離れて、独立した政治人として私的な抗争を行う恐れはヒルダにとってもミッターマイヤーにとっても微塵もなかった。
 単に表面だけではない、人間の心理とどうにもならないそれぞれの立場を踏まえたうえで、ヒルダとミッターマイヤーは協力して政府と軍の人事を為しており、その仕組みの緻密なことが、カイザー・ラインハルト時代においてさえ頻発した政治抗争と陰謀の数々を摂政皇太后への権力の移行期という難しい時代においてまったく発生させなかった理由であった。
 ミュラーをグリューネワルト大公妃アンネローゼの夫に迎える今回の動きのそもそもの目的は、第一に皇族の数を増やす、次世代の皇子女の誕生を期待することにあったが、政治的な力学にもさまざまな影響を与える可能性があった。
 まず第一にミュラーという、実績と将兵からの人気という点においてミッターマイヤーに次ぐ立場にある提督を皇族に取り込むことによって、皇族の強化、ひいてはヒルダの権力の強化が期待できた。仮にヒルダとミッターマイヤーが軍を分割して争うようなことがあったとしても、ミュラーはヒルダの側につくであろうし、ミュラーが呼びかければ帝国軍将兵のかなりがヒルダ側につくであろう。
 これは同時にミッターマイヤーの立場の強化にもなり得た。非常時にはミュラーというカードは、ヒルダが手にしたジョーカーとしての扱いがなされるであろうことは予想されるにしても、平常時においては、「ミッターマイヤーを唯一脅かし得るナンバー2の提督」を退役元帥として軍組織から分離させることが可能になった。ミッターマイヤーがクーデターめいた野心を抱かない限り、軍の第一人者としての立場は更に長期にわたって保証されることになり、軍におけるミッターマイヤー体制はより堅牢になるであろう。
 これらのことはヒルダもミッターマイヤーも意図したことではなかったが、政治力学的にはそういうことが生じるのであった。
 一方で両者にとっては、好ましからぬことも発生する余地があった。
 ミュラーが軍籍を抜けることで、単純に実働可能な元帥が一人足りなくなり、上級大将以下の将兵をいずれ帝国軍の最高意思決定会議に招じ入れなければならない時期が早まった。これは少人数のインナーサークルによって構築されているがゆえに安定している現在の政府と軍の首脳部の政治的力学に影響を与えるであろう。もちろんいずれ嫌でもそうならざるを得ないのであるが、ヒルダの体制が発足していまだ1年に満たないこの時期に、早くも人事的流動性が強まるのは制御不能の確執を生じさせる母胎になりかねない。
 たとえば仮にフェルナーを軍務尚書につけるとして、その能力はミッターマイヤーもヒルダも認めていたから「将来はいずれ」とは両者共通の認識であったが、その時期が早まればフェルナーは思考的にも人脈的にもミッターマイヤー与党の人間ではない。彼の下でオーベルシュタイン派が再建、もしくは自然に構築されて、おのずとミッターマイヤー派と異なる立場を提示するようになれば、帝国軍首脳部の同質性は失われ、混乱が生じる可能性はあった。
 オーベルシュタインの功績の一つに、航路局が保持していたノイエラントの航路データを軍務省でコピーをとっていたということがあった。サイバーテロによってその元データが失われた時、コピーデータがあったからこそラインハルトのノイエラント征服は可能になったのだが、これは幾つかの理由によりオーベルシュタイン以外には為しえないことであった。
 第一に航路局におけるデータ保全は航路局の責任であって、軍務省が関与すべきであるという発想自体がほとんどの人間には生じ得ないこと。データが致命的に重要であることは多くの人間が理解できたとしても、多くの人々は無意識のセクショナリズムを保持しているので、データが消失してもそれは航路局が悪い、俺には関係が無い、と考える。実際、オーベルシュタイン以外の軍首脳は無意識であってもそう考えたからこそ何もしなかったのである。逆に何も事が起きていない時点で軍務省がデータを請求すればいかにも越権行為であり、オーベルシュタインは事が起きていない時点ではさんざんに航路局からは批判されたであろう。また、身内の軍務省にあっても、軍務省にとっては重要な諸データを抹消して、コピーデータを入れる容量を確保したのであって、オーベルシュタインが「それらのデータよりもコピーデータの保全が重要」と判断したとしても、その必要性が低いデータの保全にそれこそ命を賭けている者たちも多数いるのであって、事が起きていない時点では、オーベルシュタインは内部からの批判にもさらされたであろう。そこまでやったとしても、実際に事が起きなければ、結果的にオーベルシュタインの見込み違いと言うことになり、批判だけが残ることになる。実際には事が起きてしまって、オーベルシュタインの先見の明が称賛されたのだが、それはあくまで結果論であって、オーベルシュタインは批判に晒されてもなおかつ本質的に重要と判断したことについては余人の反対を押し切って為しただけであり、帝国全体の利益から常に思考を行うという全体性、取捨選択の確実さ、そして意志の強さという点において、オーベルシュタイン以外には思いつくことさえできない、まして実行も出来ない事例であった。
 フェルナーがオーベルシュタインの思考を把握していることの優位性とはそういうことなのである。オーベルシュタインには彼の性格や立ち位置から彼にしか見えていないことが非常に多くあり、それを果断に実行する意思があった。フェルナーにその意思があるかどうかはともかく、少なくともオーベルシュタインの思考をなぞることによってオーベルシュタインにしか見えていないことに、手が届き得るのであった。
 それはオーベルシュタインとフェルナーにしか見えないことであるから、実行しようとすれば必ず周囲との軋轢を生む。その意図と重大性が広く認識されるようになるのは事が起きた後か、時代が歴史に変わった後であって、それによって理解できなかった者たちに意図せずに「無能」の烙印を押すことになる。
 フェルナーが少なくとも思考の認知能力においてはオーベルシュタインの継承者であるならば、ミッターマイヤーとはいずれ対立せざるを得ない。しかし思考の異質者が首脳部にいなければ長期的には帝国が持たないことはヒルダもミッターマイヤーも分かっていた。だからこそフェルナーに目をかけているのであるが、今は政権の安定期には程遠く、この時点でフェルナーをとりあげるのがいいことなのかどうなのか、両者にも確たる見通しはない。
 しかし、いつまでも春にとどまっていられるものはいない。準備ができようが出来まいが、日々は動いているのであり、夏への扉はグリューネワルト大公妃アンネローゼとナイトハルト・ミュラー元帥の結婚と言う慶事によって開かれようとしていた。

2012-09-17

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(9)


 宮廷に伺候して皇太后とグリューネワルト大公妃に面談する前に、ミュラーはミッターマイヤーに呼ばれて、帝国軍最高首脳の一人として今後の人事案件について話すことになっていた。おそらく、宇宙艦隊司令長官としては、最後の任務になるかも知れなかった。
 ミッターマイヤーには帝国軍総司令官としてミッターマイヤー元帥府が用意されているが、通常は統帥本部にて執務を採っていた。その日、そこに集められたのはミッターマイヤー、メックリンガー、ケスラー、ミュラーであり、つまり帝国軍三長官と憲兵総監、この頃から俗に憲兵総監を含めて「帝国軍四長官」という言い方が広まりつつあったが、その四長官が集ったことになる。
「本来であれば、超光速通信で、ワーレン、アイゼナッハ、ビッテンフェルトらにも参加してもらうべきなのだが、今回は彼ら自身、人事対象者であるので、言わば残りの四元帥で話を進めることにした。了承されたい」
 まず、ミッターマイヤーがそう口火を切った。
 第一の議題として、ミュラーの後任の宇宙艦隊司令長官に誰を充てるか、この際、ミッターマイヤーが兼務している統帥本部総長職にも誰か適当な者を充てるべきかをミッターマイヤーは提示した。
「もちろん最終的な決定は皇太后陛下がなされるが、我らは軍の首脳として、それなりの青写真を提示しなければならない。単に役職に誰かを充てるという話ではなく、上級大将以下の将兵を今後どのように動かしてゆくか、軍全体の組織的な観点から意見を出して貰いたい」
 ミッターマイヤーのその言葉を受けて、まずケスラーが自論を開陳した。
「元帥たちのうち、ワーレンは特殊な任にあって、イゼルローン総督の地位は閣僚級、つまり軍務尚書と同格だ。宇宙艦隊司令長官は三長官のひとつではあるが、これにワーレンをあてれば、法理上は降格になる。それもあるが、ワーレンの任務は皇太后陛下肝煎りの、言わば政権の看板とも言える事業であり、今この時点でワーレンを異動させることには当人も皇太后陛下も是とされないだろう。従ってワーレンは候補から外さなければならない。
 同じ理由から、私も当面は憲兵総監の任を離れるわけにはいかないだろう。ブレンターノをそろそろ上級大将に上げて、後任の準備をさせたいが、まあ、後何年かは準備が必要だろう。憲兵隊は特殊で、総監たる私しか把握していない事柄も多く、ブレンターノに任せるにしても相応の手順が必要だ。
 アイゼナッハは後方支援の練者であるが、前線の経験は少ない。司令長官には不向きだ。しかしアルターラントの混迷ぶりを見れば、アイゼナッハを替えた方がいいかもしれないと思うが、となると元帥ではビッテンフェルトがアルターラント担当として向いているかと言えば、あの男では騒乱を大きくしかねない。メックリンガーかワーレンか、あるいは私がオーディーンに赴くべきなのかも知れぬが、あいにく我々は動けない。ミュラーからオルラウ大将を上級大将に引き上げる要請が出されているがこれを受け入れるなら、オルラウをアイゼナッハの首席参謀として派遣するべきかも知れない。彼ならばこういう任務にはうってつけだろう。
 宇宙艦隊司令長官に上級大将をあてる、あるいは上級大将の中から新たに元帥に叙するという考えもあり得るが、新政権になってまだ半年弱、七元帥の合議体制を崩すのは危険だし、時期尚早だろう。ここはビッテンフェルトを素直に任じるのが良いかと思う」
 次いで、ミュラーが発言を求めた。
「オルラウ大将を上級大将に任じることについては、さきほど、首席元帥と軍務尚書の両閣下の内諾をいただきました。ここで改めて整理をすれば、現在上級大将の任にあるのは、バイエルライン、ジンツァー、ドロイゼン、ブラウヒッチ、ヴァーゲンザイル、アルトリンゲン、グリューネマン、グローテヴォール、ハルバーシュタット、グレーブナー、クルーゼシュテルン、グリーセンベック、それにオルラウと、ついでにと言っては何ですがこの際、ブレンターノも昇進させた方がいいでしょう、ブレンターノを加えれば、14名になります。分遣艦隊の提督たちが多く、我々元帥の指揮下に慣れていることもあって、性格がよく言えば果断、いささか軽率な傾向があるのはご承知の通りです。このままでは彼らの多くは上級大将どまり、元帥に叙せられるべき知勇兼備、豪胆さと冷静さを兼ね備えていると言えるのは、私見ではオルラウとブレンターノ、そしてこの先精進すればバイエルラインはその域に達するかも知れません。それと、いまだ上級大将ではありませんが、ビッテンフェルト旗下のオイゲン少将と軍務次官のフェルナー中将、皇帝首席幕僚のシュトライト大将、彼らは随時昇進させ、いずれ元帥に叙すべき人材です。私が思うに、将来、元帥に叙すべき者、あるいは帝国軍首脳に加えられるべき者は、彼ら、オルラウ、ブレンターノ、バイエルライン、フェルナー、オイゲン、シュトライト以外にはいないように思われますが、まずはこの点、諸卿のお考えはいかがでしょうか」
 ミッターマイヤー、メックリンガー、ケスラーにも異存はなかった。現在の上級大将のほとんどは、言わば上司の余慶を被ってここまで昇進したのであって、自立して決断すべき立場に置くには、まして帝国軍そのものを彼らに委ねるには大いに不安があった。ロイエンタールの叛乱以前はクナップシュタインやトゥルナイゼンなど次代を担う人材と目される者もいるにはいたのだが、彼らは既に戦死したり、汚名の果てに退場したりしていた。現在の上級大将よりも、その下の階級にむしろ見るべき人材がいると言う点では、少なくともこの四元帥の間では意見が一致していた。
「では話を続けます。今回の人事では、これら次代の首脳候補を直接取り立てるまではしないまでも、その道筋を見据えた人事を行うべきでしょう。将来の話としては、私見では、軍務尚書にはフェルナー、統帥本部総長にはオルラウ、宇宙艦隊司令長官にはバイエルライン、憲兵総監にはブレンターノが充てられるべきかと思います。もちろんこれは約束されたものではなく、今後の彼ら自身の功績いかんによる話ですが、今の上級大将たちを順送りでその任にあてるべきではありません。
 私の後任の宇宙艦隊司令長官はビッテンフェルト提督をという点ではおそらくみなさんのご意見は一致しているでしょう。宇宙艦隊司令長官は前線の指揮官ではありますが、軍行政的な役割もあり、おそらくその面においてはオイゲンが担うことになるでしょう。それに応じてオイゲンを引き立てれば良いと思います。フェルナーは既に将来の軍務尚書のコースにありますのでそれでいいとして、ビッテンフェルトの後任、ウルヴァシー駐留艦隊司令官にはバイエルラインを充てれば良いと思います。任務としては元帥級の任務ですし当人もはりきるでしょう。これを難なくこなせば、将来において宇宙艦隊司令長官の道が開け、ウルヴァシーを担当して、司令長官に就任すると言うコースが確立されるでしょう。司令長官候補には今後、ウルヴァシーを担当させてみて、最終試験とすればよいかと思います。
 オルラウにはこの際、後方支援などのこれまで経験のない分野を経験させておくのも、統帥本部総長候補としては必要だろうと思います。アイゼナッハの下に付けるのはそういう意味でもいい案ですし、アイゼナッハが苦労しているならば、オルラウは頼れる参謀になるでしょう。
 ブレンターノについてはケスラー提督のお考え次第ですが、上級大将にはこの際、是非とも引き上げておくべきかと思います。既存の上級大将たちにはともかく、オルラウとは昇進を同一にして彼らを切磋琢磨させるべきでしょう」
 まことにもって筋の通った話で、三提督はうなづいた。
 続いてメックリンガーが発言を求めた。
「ケスラー、ミュラー両提督のご意見はまったくもってもっともで、同意と簡単に言うしかありませんが、付け加えるならば、統帥本部総長の職をどうするかと話をいたしましょう。
 今現在の元帥たちの間で、自由に動かせるのはビッテンフェルトしかおらず、彼を司令長官にあてれば単純に統帥本部総長にあてる元帥がおりません。上級大将たちのいずれかをこれにあてるのは未だ時期尚早なれば、当面は首席元帥に兼務していただくのが最上かと思います。ひとつの案としては、フェルナーを軍務尚書にあて、私が統帥本部総長に横滑りする、あるいはアイゼナッハを統帥本部総長にして、私がオーディーンを担当するという考えもあり得ます。フェルナーは階級こそ中将ですが、今すぐにでも軍務尚書の任は十分に務まります。かのオーベルシュタイン元帥の下で研鑽を重ねた男ですので、オーベルシュタインの思考を採用するかどうかはともかくとしてその思考の働きを理解しているという点においては、軍務尚書としては非常に有利な性質でしょう。いささか、強引ではありますがこの際、特進させて、フェルナーを上級大将にするのもひとつの手です。
 もしアイゼナッハに旧帝国領を委ねて今後不安があるならば、私がオーディーンに赴きます。代わりのポストが統帥本部総長ならば、アイゼナッハにも不満はありますまい」
 うむ、とミッターマイヤーは頷いた。
「いざとなればそうして貰うかも知れん。アイゼナッハは有能な男だが、職能が兵站に偏っているきらいはある。むろん、兵站は重要であり、それを知らしめるためにオーベルシュタインの進言を入れて、亡きカイザー・ラインハルトはアイゼナッハをとりたてた。それはそれでひとつの識見であるが、独立したジェネラルとして見た場合、アイゼナッハについては正直、不安がある。あの寡黙な性質も、組織の上に立つにおいては、極端に過ぎるだろう。上に立つ者は、言って見せて、やって見せて、褒めて、叱って、ねぎらってを行わなければならない。アイゼナッハはそんな芸当は出来ないだろう。正直言って彼を統帥本部総長に充てるのは俺は反対だ。反対だが、あからさまに左遷するのも、情から言って抵抗がある。本当はそんな風ではいけないのだろうが。我々七元帥は戦友だからな。こればかりは割り切れない。旧帝国領担当は適任だと思ったのだがな。まさか、こんな情勢になるとは、思いもしなかった。乱があるとすればノイエラントでだとばかり思い込んでいた。統帥本部総長ならば、フェザーンにあって、実質、俺が統帥本部に総司令官として影響を及ぼせる。いざとなればアイゼナッハをフェザーンに引き取ろう」
 ミッターマイヤーはそう言って、会議を締めくくった。オルラウとブレンターノには即日辞令が下りて、両名は上級大将に昇進した。

2012-09-16

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(8)


 メックリンガーがミュラーの受諾の意をミッターマイヤーと国務尚書マリーンドルフ伯に伝え、両者が皇太后ヒルダにそれを伝達した。ヒルダは早速、ヴェストパーレ男爵夫人と共にグリューネワルト大公妃アンネローゼに面会し、アンネローゼの意思を確認した。その逆のルートを辿って、アンネローゼの受諾の意思がミュラーに伝えられたのは、新帝国暦4年1月20日のことであった。
 ドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に駐留していたミュラーは、宇宙艦隊司令部の今後の予定について細々とした指示を参謀長のオルラウ大将と首席分遣艦隊提督のヴァーゲンザイル上級大将に与えた。直ちにフェザーンに赴く意思をその場で伝達したが、フェザーンには月に二度は赴いているはずなのにと、やけに念入りな手配にミュラー艦隊の面々は訝しがった。
 艦隊の主要提督たちが持ち場に戻った後、ミュラーにとっては股肱の部下であるオルラウ大将と、副官のドレウェンツ大佐が残ると、そこで初めて、グリューネワルト大公妃とおそらく早々に婚約するであろうこと、自分が退役することを伝えた。
 彼らにとっては驚天動地であった。一個の艦隊は提督の個性が強く反映するだけに、首脳部の主要な面々はおおむね固定されている。ミュラー艦隊もそうであり、その部下たちは帝国軍人である前にミュラー艦隊の軍人であると言う自負が強かった。これがオーベルシュタインがたびたび警告を発した艦隊の私兵化につながるのはもちろんであったが、単に指揮系統のみならず全人格的な広範囲な団結があればこそ、艦隊が艦隊として機能するのもまた一面の真理であった。
 ミュラー艦隊の首脳部の面々は、ミュラーがなにぶん彼らよりも若いこともあって、自分が現役中はミュラー艦隊が維持され、ここで働けると信じて疑わなかった。それがよりによって元帥の中で最も若い、未だ青年と言っていいミュラーが、真っ先に退役することになろうとは、当てが外れるにもほどがあった。
「こうなってしまって、卿らには申し訳ないと思っている。宇宙艦隊司令部は新たな司令長官の下で再編されるだろうが、せめて従来のミュラー艦隊はまとまりとして維持できるよう、オルラウ大将を上級大将に推挙するつもりだ。オルラウ艦隊として、引き続き我が艦隊の中核を維持して欲しい」
「小官には上級大将に昇進すべき功がありません」
 オルラウのその言葉に、ミュラーは首を振った。思えば、ケンプ大将と共に副司令官としてイゼルローン要塞攻略にミュラーがあたった際に、若さゆえの暴発を抑えてくれたのもオルラウであった。ヤン・ウェンリーに翻弄されたあの敗北と敗残の中で、かろうじて司令部を維持し、ミュラーと残存兵を帝都へと帰還させたのもオルラウであった。泥水をすするような屈辱の日々を共にし、ついにはバーミリオン星域会戦でミュラーがラインハルトの苦境を救い、鉄壁ミュラーの名声を打ち建てた時もオルラウが参謀としてミュラーを補佐していた。
 オルラウがいなければ、宇宙艦隊司令長官はもとより、元帥になどなれはしなかったことはミュラー自身がよく分かっていた。
「オルラウ大将。いや、ヘル・オルラウ。卿は私の部下だが、兄とも思う恩人だ。卿がいなければ私が今ここにいることもあり得ないだろう。もとより、ケンプ大将と共にガイエスブルク要塞ともども朽ち果てていたはずの命だ。私が今、元帥に叙せられ、宇宙艦隊司令長官に任じられているのも、すべては卿の功績ではないか。私が元帥ならば卿が上級大将であって何の不思議があろうか。本来ならばもっと早く昇進させるべきであったが、上級大将になれば卿は私の下を離れざるを得ない。それで今まで決断を遅らせてしまった。このことを申し訳なく思う。しかしこのような事情と相成った。卿に、私の家族、私の艦隊を委ねたい。引き受けていただけるだろうか」
「もったいないお言葉です。されど、小官などに閣下の代わりが務まるはずがありません」
「いや、出来ないはずがない。それに、卿が引き継がねば、私の艦隊はばらばらにされて、部下たちは新しい場所で窮屈な思いを強いられるかもしれない」
 首席分遣艦隊提督のヴァーゲンザイル上級大将がいい例であった。彼はラインハルト直属艦隊において、その主力を担っていたが、ラインハルト没後は、首脳部ごと再編され、ミュラーの旗下に異動させられている。地位こそは、提督としてはミュラーに次ぐものであったが、ミュラー艦隊においては新参であり、その部下ともども大人しくしていることを強いられている。ミュラーはそのような目に股肱の部下たちを遭わせたくなかった。そうであれば首脳部や艦隊組織そのものを誰かに継承して貰わなければならないのである。ミュラー自身の分身とも言えるオルラウであれば、部下たちも窮屈な思いをしなくても済むであろう。
「閣下のおっしゃられることは良く分かりました。小官、閣下に及びもつかぬことは重々承知ですが、力不足を承知の上で、この任、引き受けさせていただきます」
 ミュラー艦隊から言わば与力の艦隊を除いて、中核部分をオルラウに引き継ぐ編成権限そのものは宇宙艦隊司令長官にあったが、オルラウを人事異動の時期でないこの時期に昇進させるには総司令官たるミッターマイヤーと軍務尚書のメックリンガーの承認が必要だった。とは言え、両者が別に拒否する理由はないし、ミッターマイヤー旗下ではバイエルライン、ジンツァー、ドロイゼンら3名も上級大将に既に任じられている。ラインハルトが定めた席次では双璧に次ぐ立場、つまりミッターマイヤーに次ぐ立場にあるミュラーが、その第一の股肱であるオルラウを上級大将に引き上げて、どうこう言われる筋合いではなかった。
「卿はそのまま、堅忍不抜であればよい。それだけで、バイエルラインあたりに後れを取るはずがない」
 ルーヴェンブルンの七元帥に次ぐ元帥叙任者が出るとすればそれはバイエルラインであろうというのが大方の予想であったが、ミュラーは能力においても識見においてもオルラウがバイエルラインに劣るとはまったく見ていない。次の元帥はおそらくオルラウになるのではないか、そこまではミュラーは口にはしなかったが、そうなったとしても当然だろうとは思っていた。
 自分が離れれば、数において元帥が減る。ワーレンはイゼルローンから動けないであろうし、アイゼナッハもアルターラントにおいてやや主流から外れつつある。摂政皇太后ヒルデガルド体制発足後の、元帥たちの合議による帝国軍運営体制は変質せざるを得ない。元帥たちはむしろ一線を退いて、元老めいた立場に立ち、一線を担うのは上級大将たちになるのかも知れないとミュラーは思った。

2012-09-15

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(7)


 ナイトハルト・ミュラーは明朗闊達な性格で、温厚な人物であり、精神状態は安定していた。それだけに、ここ数日の落ち込みようは平静を装っていても傍から見てはっきりと分かるものであり、頭を抱えたり、ため息をつくミュラーに何と声をかけていいものか、副官のドレウェンツ大佐はなすすべもなかった。
 アンネローゼにきついことを言った直後から、ミュラーは激しく後悔し、時間がたつにつれ苛みは増した。男性としても、臣下としても言うべき言葉ではなかった。縁談をふられて、変に意識していたとは言え、あのように一方的に責めるような言い方は、ミュラーは他の誰にもしたことが無い。言わば、人生で初めてきつくあたった相手がグリューネワルト大公妃であったとは、よりによってもほどがあろうというものだった。
 ヒルダか、ミッターマイヤー夫人を介して、謝罪の言葉を伝えて貰おうかとも思ったが、そう思えば、いや、自分は何も間違ったことは言っていないとの気持ちが生じて、断じて謝るべからずと思った。しかし、またしばらくすれば、いや、そんなどちらが悪いというような話ではない、妃殿下を傷つけたのならば謝るべきだろう、との思いも生じた。
 結局、二日三日と日が過ぎて、その間、ミュラーはアンネローゼのことばかりを考えていた。彼女が何を思って今まで生きて来たのか、何が彼女をそうさせたのか、頭で非難するのではなく、気持ちに寄り添って理解してみようとした。事がなかなか難しかったのは、やはり両者の境遇が違い過ぎたからである。
 ミュラーという姓は平凡であるが、ナイトハルト・ミュラーのミュラー家はアイゼンヘルツ星系の富豪であり、フェザーンに隣接して手広く交易を営んでいた。ミュラーの父は先妻と後妻との間に14人の子をもうけた。ミュラーはその末子である。家族と富に守られれて、陰りのようなものは一切ない幸福な少年時代を送った。対してアンネローゼは貴族とは名ばかりの貧窮した帝国騎士の家に生まれ、電気も停められるような生活を送った。唯一頼るべき父親は社会的落伍者であり、何の力もなく、才能あふれる弟に将来への道をつけてやりたいと思っても、幼いアンネローゼにはどうしようもなかった。いや、どうしようもないと諦めるのではなく、アンネローゼはそこから立ち上がり、父に平穏な余生を、弟に才能に見合った未来を与えるために、人生と戦い、それをもぎとったのである。
 まだ年端もいかぬ年齢で、ミュラーが年長の兄弟たちに甘えていた頃に、アンネローゼは人生の戦いをたった一人で開始して、孤立無援で戦い、勝利したのであった。
 ミュラーも宇宙では数倍する敵に立ち向かったこともあったが、幼少の頃にたった一人で、父と弟の人生を背負って戦うのは、会戦で敵にあたるよりも勇気が要ることはミュラーにも分かった。
 ミュラーが責めたのは、少女が生きるためにそのような大それた戦いを挑まなければならないこと、あるいは少年がただ姉を救いたい一心で銀河を征服しなければならないこと、年幼い者たちにそのような人生を強いるこの世界そのものであったのかも知れない。それなのにその中でもがきながら生きてきた者をミュラーは責めてしまった。
 哀れ、というだけではない。申し訳ないという気持ちだけではない。それらが混ざったような、あるいはそれらとは全然違う気持ちで満たされてゆくのをミュラーは感じた。
 それは同情であろうか。もっと別のものであろうか。
 ミュラーはただ、アンネローゼが悲しければ泣いて欲しい、腹が立てば怒って欲しい、時には嫌味を言ったり、人の悪口を言って欲しいと思った。アンネローゼはいつも春風のようなたおやかさをたたえていたが、春もあれば夏も冬もあってこそ人生である。怒ったり、泣いたり、笑ったりしてこそ人間である。
 アンネローゼは完璧な寵姫であり、完璧な皇帝の姉であった。今は完璧な、皇太后の義姉であり、皇帝の伯母であった。人生の戦いを始めてからは、完璧な娘であり、完璧な姉であり、完璧な、隣のあこがれのお姉さんであっただろう。
 あらゆる人がアンネローゼに癒しを求め、救いを求め、彼女はそれに応えてきた。美味しいスコーンと紅茶をいつもほがからにラインハルトとキルヒアイスに提供し、春風の癒しを惜しげもなく与えてきた。地位を得るにつれて彼女が保護する人々は増えて、ローエングラム王家の人々のみならず、時代の変化の陥穽に落ちてもがいていた多くの人々を救済してきた。
 彼女を悪く言う人は一人もいない。ラインハルトとヒルダが王朝の力と知性を代表するならば、アンネローゼはそれとは違う、王朝の慈悲を具現化した人であった。
 彼女は王朝の救いを象徴していた。しかし彼女自身は誰によって救われるのか。
 たおやかな微笑みのその先に、拗ねたり気分屋だったりおませだったりする、アンネローゼという小さな女の子がいるならば、その子は誰によって救われるのか。
 ミュラーは半ば決心を固めていた。その選択はこれまで培ってきて人生を捧げてきた軍人としての人生に終止符を打つことであったが、不思議なことに、そうすることへの迷いも未練もなかった。
 ただ、その前に、ミュラーには諒解を得ておかなければならない人がいた。
「久しぶりだな、ナイトハルト。おまえから超光速通信とは珍しい」
 モニターの向こうにいる朗らかな男は、ミュラーの「伯父」であった。正確に言えば、ミュラーの甥であるが、ミュラーよりは30歳も年長であった。この男、ヘルムート・ミュラーが現在のミュラー家当主であり、財閥の総帥であった。親が年老いて生まれた子の宿命で、ミュラーも幼いうちに両親を亡くしたが、長兄が養育を引き継ぎ、長兄が没してからは、その長男であるヘルムートが親代わりになった。ミュラーはヘルムートを伯父さんと呼んでいたが、系図上はミュラーにとっては甥であった。ヘルムートは親身になってミュラーのことを気にかけ、物心両面において実の親にも勝るサポートをしていた。
「ご無沙汰しています、伯父さん。もう4年近く、帰省していませんが、一族のみなさんはお元気でしょうか」
「まあ、ぼちぼちやっているよ。おまえも帝国の顕職にあるのだから、そうそう気軽に帰って来れないのは承知しているが、超光速通信くらいはもっと頻繁にしてくれんものか。私もいつまでも若くはない、たまには声でも聴かせてくれんかね」
 気弱なことを言いつつも、ミュラー財閥は急成長中であり、その総帥としてヘルムートはますます多忙であった。下手したらミュラーよりも忙しいくらいであった。
「宇宙艦隊司令長官が率先して前線に出る機会は少ないでしょうから、これからはもう少し伯父さん孝行が出来るかと思いますが」
「それだよ、それ。ミッターマイヤー提督は司令長官のわりには前線に出過ぎだったと聞いている。ミッターマイヤー提督は立派な人物だろうが、そんなところは真似はするなよ。何か戦闘があるたびにこちらはおまえがどうかなりはしないかと生きた心地がせん。せっかく偉いさんになったのだから、ふんぞりかえって、戦功争いは下の者に譲ってやれ」
「それについては遠からず伯父さんのご希望にそえるかも知れません。事が運べば、おそらく退役することになるでしょうから」
 ヘルムートはもともとミュラーが軍人になるのは反対だった。平民では出世の先が見えているし、そもそも危ないからである。瞬く間にミュラーが階級を駆け上がっても、あうたびに退役しろ、退役しろと言ってきた。しかしそれだけに、ちょっとやそっとの理由で、ミュラーが自分から退役するはずがないことも知っている。
 退役するのは結構だが、何か陰謀に絡めとられて、不名誉の退役を「甥」が強いられるのは我慢ならなかった。
「なんだ?なにか難しいことになってるのか。おまえは潔癖症でどうにもいかん、そう言う時は有無も言わさずにカネをばらまけ。こちらはカネは腐るほどあるんだ。なんなら私がそちらに行って、工作してやろうか?」
「伯父さん、そういうことは本当に止めて欲しいと何度言えば。ローエングラム王朝は本当に清廉なんで、そういうビジネスのやり方をやっていたら、いつか財務省辺りに目をつけられるよ」
「おまえなんのために国家のえらいさんをやっているんだ。その時は、おまえがなんとかするんだよ。しかしおまえが自分から退役を言い出すなんて。よほど追い詰められているんだろう。可愛い甥っ子のために一肌脱ぐのは親代わりとしては当たり前じゃないか」
「いやもうその気持ちだけで十分だから。退役するってのは、実は、近々結婚するかも知れないから。その人と結婚すれば退役することになると思う」
「なに?私に会わせもせんで結婚だと?けしからん。すぐに休暇を取って連れて来い!」
「いや、まだ決まった話じゃないから。相手が誰なのかは今は言えない。言えないづくしで、伯父さんも雲をつかむような話で困ると思うけど、俺はその女性と結婚したいと思っている。ただ、もし結婚すれば伯父さんたちにも影響が出ると思う」
「うむ、よく分からん話だが、たとえばどういう影響だ」
「カネをばらまいて、事業を円滑に進めるようなことは絶対にやめて貰わないといけなくなる」
「それは困るが、こちらの事情はさておき、おまえはその人とどうしても結婚したいんだな?」
「ああ」
「愛しているのか?」
「まだ分からない。分からないけど。毎日、彼女のことを考えている。彼女のことをもっと知りたいし、俺のことをもっと知って欲しい」
「ばかもんが、それを愛していると言うんだ。戦争ばかり上手くなって、本当にもの知らずだなおまえは」
「そうなのかな」
「おまえね、私はだてにおまえの倍近く生きてはいないさ。よし分かった。人生の幸福は第一に健康、第二に財産、第三に惚れあった嫁さんだ。好きなようにやるがいい」
「いいのかい?」
「いいともさ。人生の幸福は第一、第二、第三に勝って、子供のしあわせだ。おまえがしあわせならそれでいい」
 しかしいずれ、「ナイトハルトの嫁さん」を報道で知って、ミュラー一族は驚くのであった。

2012-09-14

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(6)


 アンネローゼの茶会には、通常、政府・軍高官、複数人が招かれ、これまで政治にまったく関与しなかったアンネローゼが、万が一、皇位を継承した場合、人脈的に孤立することがないよう、ヒルダの提言で行われているものだった。多くの場合、傍らに乳飲み子の皇帝アレクを同席させ、乳飲み子であるがゆえに、多くの高官は皇帝に対面したことはなく、自分たちが仕える主君に面会させるという意味合いも持っていた。
 今日の招待客はミュラーひとりであり、皇帝の同席も無かった。これはもちろん、見合いの意味合いがあることをミュラーは分かっていたが、アンネローゼには何も知らされておらず、軍の重鎮の一人をもてなす心づもりであった。
 ラインハルト旗下の提督たちのうち、アンネローゼと最も親しかったのは言うまでもなくキルヒアイス、次いでロイエンタール、ミッターマイヤーであった。オーベルシュタインやケスラーとも接触はあったが、それ以外の提督たちについてはそれほど頻繁な交際は無く、ミュラーは提督として台頭したのが、アンネローゼが隠棲生活に入った後のことだったから、きちんと対面するのは今回が初めてだった。
「ミュラー提督はアールグレイでおよろしい?」
 手づからにアンネローゼが紅茶を注いだ。
「これは大公妃殿下じきじきにおいれくださるとは恐縮です」
「そんなに大袈裟におっしゃらないで。よろしかったら、こちらのスコーンも召し上がってくださる?さきほど私が焼いたものですの」
「妃殿下のお手製とは、ますますもって恐れ入ります」
「そんなスコーンくらいで」
 とアンネローゼは笑った。元々、美しい女性であったが、笑うと陶器人形のような冷たさが消えて、頬が薔薇色に染まり、美しさに加えて華やかな魅力が添えられるのだった。
「ラインハルトとジークは、いっぺんに10個も20個も食べたものでした。そんなに押し頂いて、召し上がっていただくほどのものではありませんから」
 勧められるがままにスコーンを口に含むと、焼き立てということもあるが、小麦とミルクの風合いが爽やかに鼻に抜けて、簡素ではあるが絶品であった。
「これは、美味ですね。妃殿下は今も料理をなされるのですか」
「子供の頃からの習慣ですから。本当は、料理を作ってくださる方がいらっしゃるのだから私などがどうこうするのもよくないのでしょうが、こればかりは習慣が抜けません。フロイデンの山荘にいた時には、我がままを言わせていただいて、自分で料理を作っていましたのよ。後宮にいた時も、皇帝陛下にお願いして、自分用の台所を作っていただきました」
 アンネローゼの後宮時代のことはあたかもタブーであるかのように扱われていたが、当人は何の気負いもなく、口にした。メックリンガーから聞いた、フリードリヒ4世との生活もそれなりに幸福なものだったというヴェストパーレ男爵夫人の見方を、ミュラーは思い出した。
「ミュラー提督にはもっと早くお会いしてお礼を言わなければなりませんでした。のびのびになったことをお詫びいたします。ラインハルトを何度も救っていただいたと伺っています。改めて、お礼を申し上げます」
「いえすべては先帝陛下の用兵によるものであって、小官はそれに従って行動したに過ぎません。過分なお言葉いたみいりますが、そのようにお気遣いなされるには及びません」
「それでも私は感謝しています。ラインハルトもそうだったでしょう。今日、ヒルダさんとアレクとの平穏な暮らしがあるのも、提督のおかげと思っています」
 そう言われて、ミュラーは、更に恐縮したが、そう言って貰って、一歩を踏み出す勇気を得た。
「妃殿下、宮内省からはこの茶会では通常、招かれた者が自分の仕事を簡単に説明するのが恒例となっているようです。しかし今日は妃殿下のことをお伺いしてもよろしいですか」
「まあ、なんでしょうか。答えられることならいいのですが」
「妃殿下はおしあわせですか」
 改めてそう聞かれて、アンネローゼは少し考え込んだ。
「ごめんなさい、あんまり考えたことがなかったものですから。不幸ではないのだから幸福なのだと思います。今はもういなくなってしまった人たち、ラインハルトやジークフリード・キルヒアイス、私の両親、そして亡き皇帝フリードリヒ4世陛下、そういう人たちが、今いらしてくださればと思うことはあります。振り返ってみれば、その時々でみなさんに助けられて、生きて参りました。去った人々を懐かしく思うと言うことは、過去においてもしあわせだったのだろうと思います」
「少女の頃に皇帝に無理やり寵姫とされたことも、おしあわせだとおっしゃるのですか」
 そう言ってすぐに、ミュラーは男としても臣下としても、言ってはならないことを口にしたことに気づいた。しかしミュラーは、ラインハルトがただ姉を後宮から救いたい一心で、銀河の覇業を志したことを知るだけに、アンネローゼの態度はラインハルトに対する裏切りのように思えた。
「はい。貧乏な下級貴族の家に生まれて、弟と寄り添って生きてきたこともしあわせだったと思いますし、父の晩年を、少なくとも経済的にはそれなりに潤すことが出来たのもしあわせだったと思います。今はもう亡き方でご自分では弁護できないお方なので、私から申し上げますが、皇帝フリードリヒ4世陛下は女色におぼれていたわけではなく、陛下を利用しようとして近づいた私を敢えて受け入れてくださったのです。私の貧しい境遇を憐れんで、拒絶をすれば私が不名誉を負い、路頭に迷うことをご承知の上で、敢えて女色に溺れたという汚名をかぶってくださったのです。私が一方的に被害者だったわけではありません」
「それを、先帝陛下、弟君にお話になられましたか」
 その問いかけにアンネローゼは答えなかった。
「弟君は皇帝フリードリヒ4世陛下を恨んでいらっしゃいました。それが誤解に基づくというならば、なぜそれを解こうとなさらなかったのですか」
「お答えしましょう、ミュラー提督。第一にそれは私の意思でした。第二にそれは皇帝フリードリヒ4世陛下の意思でもありました。あなたのおっしゃる通り、弟は私を救うために銀河の覇業を望み、それを達成しました。逆に申し上げれば、私を救う必要がなければ、弟が覇業を志す理由もありませんでした。私の望みは、弟が克己して、身を立て、ミューゼルの家名を上げてくれることでした。若くして将官になり、伯爵家を立ててくれたことで、私としてはそれで充分すぎるほどに充分でした。ただ、フリードリヒ4世陛下はそれ以上のことをラインハルトに託しました」
「それはゴールデンバウム王朝を倒し、銀河帝国を中興させることですか」
 アンネローゼは頷いた。
 ミュラーは衝撃を受けていた。状況に流されるだけのたおやかな女性?とんでもない。ミュラーは目の前の女性を見た。数分前とはまったく違って、どこか魔女めいた陰りが横顔に差していた。この女性は今日の状況の母胎となったのみならず、それを企画し、実行し、実現したのであった。
「あなたは弟君や、ジークフリード・キルヒアイスをその意思のために利用したのだと分かっていらっしゃるのでしょうか」
「もちろんです、ミュラー提督。私はそういう女です。そういう女だと分かっています」
 分かっていればこそ、自分自身をも駒にしようとしているのか。
 帝国を守る、王朝を守る、父や弟が残したミューゼル家を守る、そのためならば、何のためらいもなく、この女性はなすべきことをなすだろう。
「健気でいらっしゃると申し上げるべきかも知れません。しかし小官はただひたすら、何の見返りもなく、弟を見守る姉でいらっしゃって欲しかったと思います。残念です」
 その言葉が真情から滴り落ちただけに、アンネローゼの胸はそれによって突き刺された。涙が出そうになったが、自分のために泣く資格がないことをアンネローゼは思い出して、ただ、顔を伏せた。
「家のために、国家のためにそうなさったことはもちろんご立派です。ご立派ですが、どうして一人の女性としてそこまでご自分を貶められるのでしょうか。先帝陛下やご両親、キルヒアイス、それにフリードリヒ4世陛下があなたさまにそうなされることを望んでいるのでしょうか」
 うつむいたまま、アンネローゼは立ち上がった。そして深々と礼をした。
 茶会の終了の合図であった。

2012-09-13

銀河英雄伝説のこと

銀河英雄伝説を初めて読んだのは、大人になってからのこと。まだ、学生でしたが、成人はしていました。それまでは、もちろんこの作品の存在は知っていましたし、多くの友人からも薦められたんですが、なんだか読もうと言う気になれなかったんです。
SF自体は、ハヤカワ文庫や創元社文庫に収められている海外の作品を多く読んでいましたし、スペースオペラというジャンルがあることも知っていました。スペースオペラでは、高千穂遥さんの作品を読んでいて、宇宙を舞台に斬った張ったをするお話だと理解していて、それはそれで楽しい物語だろうとは思っていたんですが、更にこのうえ読みたくなるようなものではなかったんですね。スペースオペラにも様々なヴァリエーションがあって、場合によってはアシモフのファウンデーション・シリーズのようなものも含めると知ったのは、もう少し先の話です。
銀河英雄伝説は、スペース・オペラの金字塔と言われていますが、スターウォーズとファウンデーション・シリーズのどちらに近いかと言えば、ファウンデーション・シリーズでしょう(ちなみに田中芳樹先生はファウンデーション・シリーズの最終巻の解説を書いていらっしゃいます)。ファウンデーション・シリーズは人類史とそのメカニズムそのものを主題とした壮大な叙事詩ですが、銀河英雄伝説にもそういう側面はあります。
私は当初、銀河英雄伝説という題名、スペース・オペラの金字塔という煽り文句、長い金髪をひらひらとさせた美形の主人公などなどの要素を見て、スターウォーズの亜流みたいなものかと思いました。スターウォーズが低俗だとか、単純だとか、そういうことを言っているのではなくて、スターウォーズにはスターウォーズの魅力がありますが、私はパルプフィクションの面白さには、もう興味が無かったのです。
専制政治の銀河帝国と民主主義の自由惑星同盟が戦争をして、さあ、どちらが勝つか、みたいなあらすじを聞いても、悪の帝国対ジェダイの騎士みたいな話でしょうか、と解釈してしまって、面白いのかも知れないけれど私には要らないものだと処理してしまっていたのです。
でも、ある年の夏休み、どうにも暇で、長い物語でも読みたいなと思っていた時、そう言えば以前、友達から薦められていたわと思い出して、第一巻を購入して(徳間ノヴェルズ版でした)、読んでみました。
想像していたのと全然違いました。第一巻しか購入していなかったのをすごく悔やんで、翌日、書店が開くなり残りの全巻と外伝を購入しました。
内容についてはこのサイトに来て下さる方であればご承知でしょうから、ここで改めて言う必要はありませんよね。
ものすごく面白く、ものすごく示唆に富み、ものすごく考えさせてくれる堂々たる大河小説でした。銀河英雄伝説の面白さには様々な側面があります。
それぞれに際立った個性を持つキャラクターが好き、戦術の理論やゲーム性が面白い、確固たる世界史の知識に支えられた架空の人類史が今の世界やこれからの世界について考えさせてくれる、等々、いろんな切り口が出来ると思います。
国民的作家と言いますが、社会や歴史について積極的に発言なさって、国民的な影響力を持っていらっしゃる作家の方がおられますね。司馬遼太郎先生や井上ひさし先生、塩野七生先生がそうでしょうが、田中芳樹先生は銀河英雄伝説をお書きになったことで、お望みになればそういうポジションに立てる、広範囲な影響力を潜在的に獲得なさったと思います。
それだけに、銀河英雄伝説を何度も何度も読み返して、私が感じたのは、大人になってからこれを読んで良かった、ということでした。言ってみればこれはつまるところ物語ですから、ヤン・ウェンリーが何を言うにしても、ヤン・ウェンリーの預言者性を損なうような展開にはなりません。彼が言っていることに影響されるだけでなく、批判的にも捉えることが、中高生の時に読んでいたら出来なかったかも知れません。
別にヤン・ウェンリーが言っていることが間違いだとかそういうことを言いたいのではなくて、影響力が強い作品であるだけに、複眼的な見方が出来なくなってしまう、これは作品の問題ではなくて受け手の問題です。
例えばアンドリュー・フォークという悪役が出てきますが、彼は自分の虚栄心を満たすために、専制政治体制の銀河帝国への侵攻を主張しますが、ヤン・ウェンリーは平和の構築が困難になる、同盟の体力を奪うという観点からそれに反対します。しかし言っている内容だけを検討すればフォークの意見にまったく理が無いというわけでもないのですよね。ヤン・ウェンリーの態度は裏返して言えば、現在の自分たちの安寧を守るために虐げられている「他国の」民衆の安寧なんか無視しろ、と言うことでもあるのですから。
私は別にフォークの考えが正しいとか、それを支持するというわけではありません。フォークの態度は現実の政治学のタームで言えばウィルソニアンの態度に近く、これはブッシュ政権がイラク戦争を引き起こした思考態度、その基盤になった考え方に近似しています。アメリカによる侵攻それ自体が多くの犠牲をイラク国民、そしてアメリカの貧困層に強いたのも確かですが、フセイン政権下で抑圧されていた特定の個々人がそれによって解放されたのもまた事実です。
私はここでフォークやブッシュを弁護するつもりはまったくありませんし、私自身、彼らには批判的であるのですが、どちらが一方的に正しいとはにわかには言い難い、考えて考え抜いてなおためらいを持ちながら答えを出さないといけない問題がそこにあるのも確かでしょう。
銀河英雄伝説は物語ですので、フォークの人格を非常に低劣なものとして描くことによってこの選択の困難さ、ヤン・ウェンリーですら「」付の正義として扱わなければならない留保の必要から目を逸らさせています。それが悪いと言うのではありません。物語ですから、ある程度明確性を与えなければ話が進まないのですから。
ただ、物語ですから、やはり現実の世界とは違います。その留保を、中高生が持つのはかなり難しい、それくらい優れた物語であり、影響力がある作品だと思います。
銀河英雄伝説は非常に大きな作品です。物語を受け入れて、キャラクターたちの葛藤を見るだけでも得るものがありますし、いったん留保して、敢えて批判的に読んでも得るものがあります。
たぶん、単にこの作品を愛する、ファンになるというだけでなく、これを素材として自分の考えも鍛えるという広がりを見せたら、銀河英雄伝説は単に好き嫌いの物語ではない、20世紀の日本が生んだひとつの大きな達成になるのではないか、そんな風に考えています。

2012-09-12

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(5)


 帝国軍三長官は帝国軍首脳の中の心臓でもあり頭脳でもあり、皇帝ラインハルト時代においては当初、オーベルシュタインが軍務尚書、ロイエンタールが統帥本部総長、ミッターマイヤーが宇宙艦隊司令長官を務め、現役の帝国元帥3名がその地位を占めた。ラインハルトの生前には、戦死による昇進を除いて他に元帥に叙されるものが無かったから、帝国軍三長官は職責においてもその就任者の階級においても、帝国軍の頂上であり続けた。ラインハルトはヤン・ウェンリーを帝国元帥の称号で以て帝国軍に迎える提案をしたが、もしこれがヤン・ウェンリーによって受諾されていたならば、帝国軍三元帥の間で構築されていた安定は脅かされていたかもしれない。軍務尚書職はともかく、実績と才幹において、ヤン・ウェンリーのそれがロイエンタール、ミッターマイヤー両元帥のそれに劣らぬものであるのは誰の目にも明らかであり、であればロイエンタールが統帥本部総長として、あるいはミッターマイヤーが宇宙艦隊司令長官として、ヤン・ウェンリーに命令を下すというのは、当人たちにとって相当な呑み込み難さを与えたはずだからである。
 オーベルシュタインがヤン・ウェンリーの招請に反対したのはそう意味ではごく当然の反応であって、人事が自負と実績に基づいて微妙なバランスの上に構築されていることを踏まえれば、ラインハルトの人材収集癖も過ぎては国家の害となりかねないものであったと評する者がいたのも、当然であった。
 もっとも、ヤン・ウェンリーがその招聘に応じるはずがないことは、ラインハルトも予期しており、断られることを前提としての、敬意の表現であったのかも知れない。
 皇太后ヒルダが自らの政権執行開始において三長官の新人事を行った際にも、単に自分の考えのみならず、周囲がそれに納得するかどうかを重視して決定しなければならなかった。能力で言うならば、元帥になるほどの者ならば誰であれ能力はあり、歴代の三長官の水準程度ならば、ルーヴェンブルンの七元帥ならば誰がどの職についても相応に果たすことが出来るはずだった。ゆえにヒルダが要素として最重要視したのは、その人事に他の者が納得するかどうか、であった。
 軍務尚書職には、能力と適性、業務の継続性から言えば、ヒルダはフェルナー中将を考慮しなかったわけではないが、元帥ではない彼が元帥たちを統御するのは、統御する方にとってもされる方にとっても酷であった。フェルナーは軍務尚書職を務められるに十分な用意が出来ているのは確かであったが、ここはもうひとつ、段階が必要であって、数年以内におそらく上級大将にまでは昇進するであろうから、フェルナーを軍務尚書にあてるとすればそれ以後の話であった。では元帥の中でと見た場合、百人いれば百人、まずはメックリンガーの名を思い浮かべるであろうから、それに逆らうのも要らざる負荷を人事にかけることになり、ヒルダは常識的な線に沿って人事をなした。
 宇宙艦隊司令長官職は実戦部隊の責任者であるだけに、提督たち誰にとっても「本業」であって、ここに誰をあてるのかは更なる難題だった。宇宙艦隊司令長官は軍政においては軍務尚書の、軍令においては統帥本部総長の下に位置するために、三長官の中では最も劣位であり、首席元帥となるミッターマイヤーを留任させるわけにはいかなかった。ケスラーは憲兵総監であるから除き、メックリンガーを軍務尚書にあてるならばこれも除けば、ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、ミュラーからの選択になるが、ヒルダはアイゼナッハを三長官にあてるほど高くは評価していなかった。彼には極端な寡黙という癖があるからであり、上に立つ者は誤解を招かないよう、多弁に、何度も何度も同じことをかみ砕いて手を替え品を替え饒舌に話さなければならないとヒルダは考えていたので、補佐的な任務ならばともかく、頭脳となって全体を統括するような任務にアイゼナッハをあてるつもりはなかった。ワーレン、ビッテンフェルト、ミュラーの三者であれば、ミュラーは年少者であるから他の二人が抜擢されても年齢ゆえにと自分を慰められるだろう。しかしワーレンとビッテンフェルトは実績において拮抗しているだけに、どちらかが自分の上に立つのを飲み込むのは相当な忍苦を必要とするはずである。それならばミュラーを、年少者であっても、鉄壁ミュラーとしての燦然たる実績があるだけに、ミュラーを抜擢すればビッテンフェルトとワーレンはかえって、自分を納得させやすいかも知れない。そう考えて、ヒルダはミュラーを宇宙艦隊司令長官に任命した。
 統帥本部総長にミッターマイヤーを充てた第一の理由は、ミッターマイヤーを充てなければこの職をめぐって、ワーレン対ビッテンフェルトの構造が蒸し返されるからであり、そのどちらをも充てるわけにはいかなかったからである。ミッターマイヤーを帝国軍総司令官として三長官の上に置くことは早々に決めていたが、ケスラーを憲兵総監に留任させれば手持ちの元帥はミッターマイヤー以外には、他にワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハのみであり、ワーレンとビッテンフェルトを拮抗させ、アイゼナッハを三長官職には充てないという当面の方針から言えば、三者のうち誰も統帥本部総長に充てるわけにはいかなかった。将来的にはフェルナーの昇進を待って、フェルナーを軍務尚書にするならば、メックリンガーを統帥本部総長に横滑りさせると言う漠とした青写真もあった。となればここ数年は統帥本部総長職をミッターマイヤーに預けるしかなく、首席元帥であるミッターマイヤーが統帥本部総長としては軍務尚書の下であっては困るので、統帥本部総長を軍務尚書と同格としたのであった。表向きは、日常的にはこれという職権も明確ではない帝国軍総司令官という職にミッターマイヤーを棚上げしておくのは、人事効率上不適であるので、ミッターマイヤーに日常的には統帥本部総長の職責を果たしてもらうということで、周囲の納得も得られるとヒルダは判断した。
 そしてワーレンには行政的才覚を見込んで、イゼルローン総督の地位を与え、ビッテンフェルトにはウルヴァシーに駐在させてノイエラントほぼ全土の治安維持活動に従事して貰うことにした。アイゼナッハを旧帝国領担当に置いたのは、旧帝国領が銀河帝国にとって本丸とも言うべき地域であり、軍が忙しく活動しなければならないようなことは起こり難いだろうと見たからだったが、実際にはアルターラントは平穏とはかけ離れた情勢になりつつあり、アルターラント担当を閑職と見たヒルダは、自分のその見通しが誤りであったことを遠からず思い知らされることになる。
 ともかくも、そう言う次第で、三長官職はミッターマイヤー、メックリンガー、ミュラーが占めることになったが、三者は定期的に三長官会議を開いていた。ミッターマイヤーとメックリンガーは帝都に常駐していて、ミュラーはドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に陣取っていたが、ドライ・グロスアドミラルスブルク要塞が距離的にフェザーンに隣接していることもあって、ミュラーは会議のたびに帝都に帰還していた。
 三長官会議を終えて、ミッターマイヤーは他に用事があり早々に引き揚げたが、メックリンガーとミュラーは軍務省上階にある将官用のバー『ジークフリード・キルヒアイス』に場所を移して、話を続けた。
「それで、小官に内々の話とはどういう内容でしょうか」
「単刀直入に言おう、ミュラー提督。卿にはこの際、軍籍を退いていただきたい」
 メックリンガーが持ち出した単刀のその余りの鋭さに、ミュラーは言葉を失ったが、数十秒の沈黙ののちに、ようやく絞り出して問うた。
「思いますに、軍籍を退かねばならぬほどの落ち度が小官にあったとは記憶はしていませんが。何か思いもよらぬことで、皇太后陛下のご不興をかうような真似をしたのでしょうか」
「そうではなく、実は」
 と、メックリンガーは事情をおおまかに話した。
「国務尚書、ミッターマイヤー首席元帥、ヴェストパーレ男爵夫人、そして私、いずれもがミュラー提督がこの任に相応しいと見ている。皇太后陛下にはヴェストパーレ男爵夫人から内々のご意向を伺っており、ご両者同士の同意があるならば、賛成するとのお考えも承っている。卿の返事を聞かないうちは大公妃殿下ご当人にご意向を伺うわけにはいかないが、結婚なされること自体には妃殿下も承知なさっておられる。諸条件を鑑みて、我々は卿に大公妃殿下のご夫君となっていただくのが、帝国にとってもっとも望ましいと判断している」
「そんな、幾ら皇族の数を増やす必要があるとは言え、大公妃殿下をそのように扱うのはなんともおいたわしいこととは思いませんか。先帝陛下がご存命であられたならば決してお許しにはなりますまい」
「それについては、ヴェストパーレ男爵夫人から逆におしかりを受けた。大公妃殿下がご自分でお考えになって、諒と返答なさったものを、政略の犠牲者のように扱うのは妃殿下のご人格やご意思を無視した勝手なおしつけであると。ご親友のヴェストパーレ男爵夫人がおっしゃるには、大公妃殿下は本質的には芯がとても強いお方。なにしろ先帝陛下をご養育なさったお方だ。絶対に嫌なことなら何としても拒絶なされるはずだと。ご自分でお考えになって、踏み込まれたことに、その自主性を我らが尊重しないようでは、敬してたてまつっているようで、実際には逆に牢獄におしこめているのも等しいのではないか」
「しかし」
「卿が断れば、他の候補をあたるまでの話だ。結婚話自体は取り止めにはならん。政略結婚で妃殿下がおいたわしいというのであれば、卿自身がご夫君になって、お幸せにして差し上げればいいではないか。我々も妃殿下の幸福をまったく考慮していないわけではない。卿であればこそ、おしあわせな結婚生活を妃殿下に差し上げられるはずだと見込んだからこそ、候補に推しているのだ」
「しかしながら小官は平民でありとても釣り合いが取れません」
「現在の七元帥のうち、貴族であるのはアイゼナッハのみ。既に爵位の有無はもはや問題ではない。それに先帝陛下は貴族と婚姻なさった。バランスをとるためにも、大公妃殿下のご夫君となられるのはむしろ平民である方が望ましい」
「しかし、しかしながら」
「卿のことだから、結婚は愛する者としたい、とでも言うのではないか?」
 メックリンガーの指摘に、ミュラーは頷いた。
「別にその考えが悪いとは思わん。むしろ健全な思考だろう。しかしこれは年長者が若者にしがちな説教と聞いて貰っても構わんがね、愛とはそこにあるものではなく育むものだ。もっとも、こればかりは理性ではどうこうし難いものであるから、いかんともしがたい相性のようなものはある。卿が、大公妃殿下をどうしても愛せそうにないというならば正直にそう言いたまえ。妻として、妃殿下を扱えそうにないと言うなら、みすみす不幸になるのは互いに避けるべきだろう」
「分かりません。そういう対象として考えたことが無いのです。お美しく、気高く、お優しい方で、光り輝くような、すばらしい女性だとは思いますが、先帝陛下の姉君、小官にとっては主筋にあたられる方。そのお方を妻にと考えること自体が、あのお方を汚してしまいそうで」
「それは卿に限ったことではない。この王朝の旗の下に参集し、心ある男ならば、誰しもが思うことだ。だからこそだ。それはもちろん、大公妃殿下がどなたかと恋仲になって、結婚なされると言うなら、それが一番望ましい展開だろう。しかし、今のままでは男たちは誰しも、妃殿下を崇めはしても、結婚の相手とは考えない。それでは困るのだよ。崇めているばかりでは子は出来ないのだから。だから私たちがこうして段取りをしているのだ。今まで考えたことが無いというならこれから考えるべきだろう。帝国のため、妃殿下のため、自分自身のため、何をすればよいのかを。
 ドライ・グロスアドミラルスブルク向けては明日夕方に発つのがよろしかろう。卿も判断材料としていささかなりとも妃殿下の人となりに接する必要があるだろう。明日、妃殿下の午後の茶会に卿は招かれている。帝国の重臣たちと顔つなぎしておく必要からこのところ順繰りに妃殿下には帝国の重臣のうちの誰かしらを茶会に招いていただいているが、明日は卿の番だ。直接伺いたいことがあるなら失礼にならぬ程度に伺えばいい。ただし妃殿下ご自身にはまだ、卿が候補であることをお知らせしていない。不用意なことは言わないように」
 こうして、ミュラーはアンネローゼと面談することになった。

2012-09-11

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(4)


 ヴェストパーレ男爵夫人は皇太后の首席秘書官を務めていて、多忙と言えば多忙だったが、それほどでもないと言えばどれほどでもなかった。外交、軍事、経済、いかなる意味においても専門家ではない彼女がそうした方面で仕事を振られることはなかったし、彼女自身もそれに関与しようとはしなかった。彼女が主に担当したのは交通整理や、皇太后の意思を察して、事前に案件を振り分けることであった。
 これは駄目だ、こうして欲しい、もっと調査して欲しい、これを判断するにはこういうデータが必要になる、ということを判断して、言いにくいことや拒絶を彼女が下見した段階で言っておく、人間関係の問題から、これはこうするべきだけど、事前にこの人に話を通しておいた方がいいというようなことがあれば、先に根回しをしておく、そういうことを彼女は行っていた。
 皇太后のスケジュール管理や、連絡役も彼女の業務であったが、そういう雑事は彼女にもスタッフはいるので、そちらに任せておけばいい。
 ヴェストパーレ男爵夫人のような役回りは、使う側からすれば便利ではあったが、案件の取捨選択や事前指示を彼女が行うとなれば、それは最高権力者の影を作るに等しく、よほど人格的にも能力的にも信頼できる人でなければ国政が壟断される危険性があった。ヴェストパーレ男爵夫人はその危険性を自覚したうえで、明らかに利益供与目的とみられる個人的な接触はすべて断っていたので、弊害が目立つことも無かった。
 彼女はヒルダの能力と性格を熟知し、その意向を推測して外れることが無かったから、最高権力者とは言っても女性であるがゆえに立ち振る舞いにいっそう気を付けなければならないヒルダにとっては無くてはならない人となっていた。ラインハルトであれば提案に対し、「それは駄目だ」の一言で済むものが、ヒルダであれば同じことをすればいたずらに反抗心や軽侮心を臣下に抱かせることになりかねず、意向を伝えるにしても当人が伝えるのではなく、なおかつ絶妙なさじ加減が出来る人が必要であって、ヴェストパーレ男爵夫人以外にそれは不可能だと思ったからこそ、首席秘書官に招いたのであって、その人事は大成功であった。
 ヴェストパーレ男爵夫人の仕事は、「大枠を整理して皇太后に示すこと、皇太后の矢面に立って、憎まれ役を、それもなるべく憎まれないようにしつつ果たすこと」であったので、雑事に四六時中追い回されるようなことは、男爵夫人が整理してないようにしていた。スタッフに振れる仕事はスタッフに振り、彼らのうち数人にヒルダに思考や意思を熟知させ、そう重要ではない案件については自分の代わりが務められるようにさせていた。
 ヒルダは男爵夫人を余人を以て替え難しと見ていたが、ヴェストパーレ男爵夫人は、この任を引き受けたのはあくまでヒルダの友情に応えて、ヒルダの負荷を減らすためにやっていることであって、後継者が育って自分がいなくても良い状況になれば直ぐに辞めるつもりだった。それもあって、自分のプレゼンスを不必要に拡大させないようにするために、仕事を抱え込むことはなるべくしないようにしていた。
 ヴェストパーレ男爵夫人は新帝都においてもやはり社交家であって、18時以降は基本的には自分の個人的な時間として確保していて、会いたい人や興味がある人に積極的にアポイントメントをとって会い、その中の数人は適当な地位に引き上げて、ヒルダの仕事が円滑に進むように体制作りをしていた。
 メックリンガーから「久しぶりにお会いしたい」と言われた時、「なら今晩、夕食でもご一緒しましょう」と軽いフットワークで対応できたのも、「忙しくなり過ぎない」という彼女の基本姿勢があればこそであった。
「最近、よく使わせていただいているお店よ。料理もおいしいからきっとメックリンガー提督のお気に召されると思うわ」
 ヴェストパーレ男爵夫人が待っていたのは、日本料理の店で、料理でももちろん評価が高い店だったが、店の奥に予約制の個室が幾つかあって、秘密裏の会合に便利であるから、ヴェストパーレ男爵夫人は多用していた。
 とりあえず、と酒を注ごうとすると、メックリンガーは、
「実は22時に別の会議がありまして、このあと、軍務省に戻らなければなりません。今日はアルコールは遠慮しておきましょう」
 と断った。
「まあ、つまらない。美女と晩餐を共にしておきながら、その後に予定を入れるなんて無粋な方ね。組織の上に立つ人が忙しすぎるのは、有能なのではなく、仕事の割り振りができていない証拠よ。お酒も飲まずに、自分は働き者だと酔ってしまわないよう、お気をつけることね」
「おっしゃる通りです。私は元は艦隊指揮をもっぱらとする人間でして、軍政畑はどうも勝手が違って、軍務次官のフェルナー中将に助けられてなんとかこなしている有様です。徐々にでも非才ながら、慣れていければいいのですが」
「素直ないい子を苛めるのはこれくらいにしておいてあげるわ。でもね、あなた絵を描く時間も取れないようなら、あなたの才能に対してそれは不誠実と言うものよ。これは芸術愛好者としての忠告ね。私は飲むわよ。この美味しいお酒を飲むために働いているんだから」
 メックリンガーは、にこやかに頷きながら、ヴェストパーレ男爵夫人のグラスに酒を注いだ。
「で、今日は先日のミッターマイヤー邸でのどんちゃん騒ぎで話されたことについてかしら」
「なんと。そんなことまでご存知でしたか」
「あちこちにスパイを放っているわけじゃないわよ。エヴァは私のお友達だから、あなたとケスラー提督と、久しぶりにお会い出来てミッターマイヤー提督も楽しそうだったとお話を聞いただけよ。まあでも、総司令官と憲兵総監と軍務尚書が集まって、話す内容が好きな女の子のあてっこだけじゃないわよね」
「いやはやなんとも。まったくもって油断ならない女性ですな、あなたは」
「あなたも油断ならない殿方よ。そういう危険な男性って私は好きよ。で、今日の用件は、アンネローゼの結婚相手の話かしら」
 メックリンガーは頷いた。
「この件については私が下準備をすること、ミッターマイヤー元帥と国務尚書マリーンドルフ伯から改めてご依頼がありました。それで、あなたのご意見も伺っておきたいのです。今回のこの件は明らかに政略結婚ですが、大公妃殿下は本当に納得されていらっしゃるのでしょうか。あなたはこの結婚計画に賛成なのでしょうか」
「私が賛成するも反対するも、アンネローゼがそれでいいって言うんなら、それでいいんでしょうよ。アンネローゼはいかにもおしとやかで、流されるままに思えるかも知れないわね。けれど、彼女はラインハルトを育てた女性よ。絶対に嫌なことは死んでも拒むわよ。逆に言えば、彼女は状況に押し流されてきただけのように見えるけれど、そこには彼女なりの意思があったのは間違いないわ」
「皇帝の寵姫に無理やりにされたことも、彼女の意思なのですか?」
「私は嫌なことを言うかも知れないわ。これは彼女だけの話ではなくて、女全体の話だけれども、どういう状況に置かれても、どういう時であっても女が行動する時、そこには必ず自分なりの計算があるの。もちろんアンネローゼも皇帝の寵姫に好き好んでなったわけじゃないわよ。でも逆に好き好んでなれるものでもないのよ。寵姫はただの愛人じゃない。正妻ではないけれど、法的に認められた皇帝の妻よ。ラインハルトがどう憤ろうと、アンネローゼが寵姫になったからこそ、その後の彼の運命が開けたのは事実。アンネローゼはラインハルトの傍にあって、まだ幼年だった彼の中に眠る豊かな才能を知っていた。それをどうにか活かそうとするなら、寵姫になるのはそう悪くはない選択でしょう?」
「しかしカイザー・ラインハルトは、姉君を犠牲者とみなし、助け参らせるために銀河を手に入れようとなされた」
「そこが私に言わせれば男の思い上がりな部分よね。女には何にも出来ないとでも?状況に流されるしか何もできないとでも思っているのかしら。リップシュタット戦役以後はともかく、それ以前はどう見ても、ラインハルトがアンネローゼを保護していたのではなくて、その逆じゃないの。もっともアンネローゼは賢い人だから、男のそういう思い上がりの面も十分に分かっていたし、弟とは言えラインハルトも男の一人であることは分かっていたはず。彼の騎士道精神を刺激して、自分自身を人参にして、叱咤激励して走らせたはずよ。公平に見て皇帝フリードリヒ4世はアンネローゼに対しては誠実だったし、優しかったし、ラインハルトにも目をかけていた。男と女はね、一度身体を交わして一緒に暮らせば、それなりの情がわくものなのよ。アンネローゼはそれなりにしあわせだったに違いないわ。ただ、ラインハルトには、姉は不幸であると思って貰っておいた方が万事都合がよかったのよ」
「それは…つまり大公妃殿下は弟君を騙して、銀河の征服に駆り立てさせたということでしょうか」
 ゴールデンバウム王朝末期の秘史に触れる思いがして、メックリンガーは指先が震える思いがした。
「嫌な言い方をするのね。ラインハルトの才能は誰の目にも、特に傍らにいたアンネローゼの眼には明らかだった。それを活かそうとするのはある意味、近親者の務めじゃないの。アンネローゼもまさか弟を皇帝にまでしようだなんて、そんな大それたことを考えていたわけじゃないとは思うわ。ただ、この際、ミューゼル家の家格の上昇を自分と弟を通してやり通そうと考えたのは、まあ確実よね。彼女も帝国騎士の娘、家の力が弱いばかりに母を殺されても泣き寝入りしか出来なかった絶望を知っている。ミューゼル家に力をつけさせて、絶望に逃げることしか出来なかった父親を救いたかったのだと思うわ。それが実現する前に、父親が死んだのは大きな悲しみだったでしょうし、ラインハルトが父親を蔑んだのはアンネローゼにとっては本当に辛いことだったでしょうけれど、彼女は彼女なりにこれまで能動的に自分の人生を生きてきた。運命と戦ってきた。
 それを彼女が弟を騙したかのように言うのは、間違いではないけれど事の本質を半分も捉えていないわ。彼女は必死に、誠実に、自分の人生を生きて、自分の役割を果たそうとしてきた、その中には確かにつらいこともあったけれど、しあわせなこともたくさんあった、それでいいじゃないの」
「…私は先帝陛下の臣、そう簡単に割り切ることは出来ませんが、過去のことは過去のこと、今お話しすべきはこれからのことです。大公妃殿下は王朝の利益のために、ご自分を犠牲になされるお覚悟がおありとのことですが、それで本当によろしいのでしょうか」
「王朝と言っても、彼女にとってはミューゼル家であることをお忘れなく、軍務尚書閣下。実家が防衛力を強めるために、彼女にできることがあるなら彼女はそれをするだけでしょう。それは彼女にとっては犠牲ではなくて喜びであるはずです。父もなく、弟もなく、今、彼女にとって一番大事なのはアレク、皇帝陛下のみのはずです。確かに彼女が新たに子を産めば、アレクにふりかかる危険も軽減できるでしょうし、それに、アレクに万が一のことがあっても、次世代以降もミューゼル家の血統に皇位をつないでゆくことが出来ます。彼女はミューゼル家の娘なのですよ。ミューゼル家の利益第一に動くのは当たり前のことでしょう。そうやって彼女は生きてきた、今後もそうするだけでしょう。
 それに、政略で結ばれた夫婦が不幸だなんて誰が決めたの?銀河帝国の貴族は、ほとんど例外なく政略結婚で結婚したけれど、かなりの夫婦が幸福に暮らしたわ。マリーンドルフ伯もそのうちのひとりよ。むしろ恋愛で結ばれた結婚の方が破綻しやすいのではなくて?ほとんどの場合は、恋愛感情はいつか冷めるわよね。冷めた時に、結婚生活の基盤が恋愛感情しかなかったならば、夫婦の間に残るのは他人への違和感だけじゃないの。政略結婚は、家同士のむつみあい、親をたて、兄弟をひきたててくれる感謝、互いの立場に対する敬意、人間関係をつなぎとめる要素はより豊富に揃っているわ。
 私も、アンネローゼがしたくもないのに、政略結婚に利用されるというなら、これはもう断固として反対するわよ。でもそうじゃないのだもの、すべて了解したうえでアンネローゼ自身がそうした方がいいと考えているなら、彼女の考えを支持するのが友人としての務めであるはずよ」
「なるほど、それについては分かりました。問題は相手です。実は相手については我々で話してすでにめぼしい人物はいるのですが」
「ミュラー元帥でしょう?」
「ほう、国務尚書か皇太后陛下がお話されましたか?」
「いいえ。でも指折って数えればそうそう適当な殿方がいらっしゃるわけでもなし、条件から言えば一番適当なのはミュラー元帥なのは誰の眼にも明らかよ。実は、ミュラー元帥の身辺調査は私が独断で行わせてもらったわ。これというマイナス要因もないわね。ご兄弟が多いのが問題と言えば問題かも知れないけれど、まあみなさん、ご立派な人たちで、親族関係の問題もないわね」
「そうですか。実はこちらでも身辺調査は行わせているのですが、そちらの報告書も参照させていただけますか」
「そうおっしゃるかと思って持参しています。お渡ししておくわ」
 ヴェストパーレ男爵夫人は報告書をメックリンガーに渡した。
「で、元帥ご本人にはいつお話なされるおつもり?」
「2日後にフェザーンに会議で来られる予定なので、その後、数時間とってもらうよう、話をつけてあります」
「では、この話はその結果待ちね」
「大公妃殿下の方はどうなのでしょうか。ミュラー元帥でよろしいのでしょうか」
「べつに忌避される理由は何もないでしょうけれど、今の段階でミュラー元帥の名を明かして、アンネローゼに話すことは出来ません。アンネローゼがそれでいいと言って、もしミュラー元帥が拒絶すれば、アンネローゼが恥をかきます。拒否するならするで、それは必ずアンネローゼの側でなければなりません。彼女が先帝の姉で、皇帝の伯母で、皇位継承順位第一位の人であることを忘れてはなりません。万が一にも、彼女に恥をかかせることがあってはなりません。恥をかくなら、ミュラー元帥の方にかいていただきます」
 厳しい顔でそう断言したヴェストパーレ男爵夫人の顔を見て、メックリンガーはどうして彼女が皇家の人々から家族同然に扱われているのか、その理由を垣間見た思いがした。

2012-09-10

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(3)


 そして話は、元帥たちにとっては最近の難題である軍縮の話に向かった。
 ケスラーはまさか憲兵隊までもリストラを迫られようとはと苦情を言った。
「百歩譲って軍縮が必要だとしても憲兵隊はその業務がますます拡大するばかりです。ここを削るのは愚の骨頂と言わざるを得ませんな」
 軍縮については案の定、諸提督は反対であり、イゼルローン総督として頻繁に皇太后と連絡を取り、諸般の事情を知っているワーレンのみはぐっと堪えたが、ビッテンフェルト、ミュラー、ケスラーは声を荒げてまで抗議をすることを躊躇わなかった。アイゼナッハでさえ、憤りの抗議文を軍務省に送りつけたのだった。
「そう同じことを何度も言うな、ケスラー。憲兵隊だけ聖域となれば他の者たちが黙っているはずがないではないか。次期計画では増員する予定だから、なんとかそれで回してくれ」
「なんとか?敢えて子供じみたことを言わせてもらいますが、私は好き好んで憲兵総監をやっているのでありませんぞ。軍務尚書なり統帥本部総長なり、いつでも代わってもよろしいくらいです。何ならご自分でやってみてはどうですか、なんとかそれで回るかどうか、ご自分でやってみてはどうですか」
 ケスラーは飲むピッチを上げ過ぎて、どうも絡み酒になりつつあった。
「ケスラー提督、私もミッターマイヤー元帥も役目なればこそ、嫌なことも言っているのです。無理を言って、卿に毒づかれる方も決して楽ではありませんぞ」
「全然楽だね。職を奪われる者、仲間から職を奪うことを強制される者、彼らに比べれば泣き言を言える立場か、卿は」
 そう言われると、メックリンガーも返す言葉もない。新兵を補充せず、自然減を狙えるのならばまだ良かったのが、現在の帝国軍は将兵の9割以上が旧帝国領の出身者であり、今後はフェザーンやノイエラント出身者の比率を高めていかなければならない。規模を拡大せずに彼ら新参者たちを受け入れるだけでも難事であるのに、まして規模を縮小させつつ受け入れるとなると、どうしても既存の要員をリストラしないわけにはいかなかった。
 負けてリストラされるならばともかく、帝国軍は勝ったはずなのに、ざっと見ると貧乏くじはどうも旧帝国の人々のみが引かされているように見える。その不平不満が高まれば、軍人と言えば何と言っても戦闘のプロであるので、彼らの不満を放置しておくのは危険だった。当然、危険が強まれば憲兵隊の任務は激化するが、その憲兵隊の要員も減らそうというのだから、帝国は風邪を治すために四肢を切断しようとしているも同然ではないか。
 ケスラーはそう吠えた。
「旧帝国領の情勢おだやかならざると、これはそういう報告も上がっていますし、アイゼナッハからも注意を怠らぬよう、警告文が先日届きました」
 ケスラーはこれがただの軍だけの問題ではない、帝国の根幹を揺るがせかねない深刻な事態を引き起こしつつあることを指摘した。
「だからこそ。だからこそだ。旧帝国において福祉を確立し、民衆の生活を安定させなければならない。そのためには財政の強化が必要で、軍も負担を負わなければならないのではないか」
 ミッターマイヤーは言った。
「アルターラント出身者から職を奪ってですか?現状はとにかくも、軍の9割はアルターラントの出身者、軍は彼らを吸収する最大の雇用者です。軍を縮小させることはアルターラントの疲弊に追い打ちをかけることになるのではないですか」
 ケスラーの言い分に、ミッターマイヤーは口ごもることしかできなかった。同じ思いはミッターマイヤー自身も抱いていたからである。
「おっしゃることはごもっともながら、アイゼナッハ提督が何を言ってきたのですか?」
 メックリンガーは話を戻した。
「言ってきたと言っても、ああいう男だから通信ではなく書簡を通してだが、農民の疲弊、流民の数、小手先の策でどうこうなるレベルとはとうてい思えないとのことだ。今は不気味なほどの諦観が広がり、一見静かだが彼らの怒りが暴発したり、それを組織化しようとする者が表れれば、帝国の崩壊は元の帝国領から始まりかねないと述べていた」
「それが不思議なのですが、内閣に寄せられる総督たちの報告ではそこまでの緊迫感は無く、むしろ数字的には成長の明るい側面ばかりが報告として上がってくるのです」
「それも事実なんだろう。確かに旧帝国領は成長はしている。数字上はな。しかしそこから取り残された人々が膨大にいて、統治機構から切り離された、見捨てられたというか、別の側面から言えば独立した、貧困生活を送っている。彼らにとって帝国は存在しない。いや存在はしているだろう。彼らからささやかな蓄えや『職』を奪うものとして」
「つまり帝国は二重国家化していると?」
 ミッターマイヤーは酔いがいっぺんで冷めたような、深刻な表情を浮かべた。ケスラーは頷いた。
「しかし仮に彼ら流民なり民衆の叛乱が起きたとしても、軍艦の一隻も持たないならば、惑星規模にとどまって抑えられるのではないでしょうか」
「軍務尚書、卿はヴェスターラントの虐殺を我々にさせようと言うのか。たとえ、叛乱者に軍事力が伴わなくても、民衆からの支持を失えば我々にできるのは最善でも放置でしかない。そして放置していれば帝国全土が同様の状況に陥りかねない。艦隊などどれだけ持っていても民衆に見限られたらそれでお仕舞さ」
 ケスラーはそう断言した。新帝国が創建されてわずか4年、状況は思いのほか、急激に悪化していることを、三元帥は認識せざるを得なかった。
「アイゼナッハは苦労しているようだな」
「彼はこれから苦労するのです。今のレベルでは、まだ苦労とは言えない。軍は軍で状況に対応できるよう、アイゼナッハを支援すべきでしょうな。とりあえず、ノイエラントがこのまま収まるようなら、ウルヴァシーのビッテンフェルトを、アルターラントに移すことも検討すべきでしょう。先ほどの話ですが、この状況でミュラーに抜けられるのは本当に痛い。せめて上級大将の連中が、もう少し水準を上げてくれればいいのでしょうが」
 今の若い者は、と古代の昔から年長者は口にするものだが、元帥たちから見て上級大将以下が物足りなく見えるのは単に、後輩を軽く見ているからではなかった。一長一短で、ジェネラルな総合力において、元帥のレベルに達している者はいなかった。上級大将の中でも筆頭に位置するバイエルラインでさえ、ビッテンフェルトと比較しても、様々な面でいまだ見劣りしている。むしろ、ユリアン・ミンツやダスティ・アッテンボロー、キャゼルヌ、ムライらのヤン・ウェンリー一党の面々の方が、ルーヴェンブルンの七元帥に拮抗し得る総合力を持っているように見えた。
 すでに時刻は深夜になろうとしていた。話の先行きが暗くなったところで、元帥たちの新年会はお開きとなった。

2012-09-09

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(2)


 座談は弾んで、軍務尚書を憲兵総監も腰を上げ難く、仲間内の冗談話から帝国の重鎮としての将来の経国について、話の内容は多岐に及んだ。
「これは卿らの耳に入れておいてもいいだろう。ただし他の者、他の元帥たちにも他言は無用。国務尚書より伺ったところ、皇太后陛下は大公妃殿下のご結婚相手をお探しらしい。適当なお相手がいらっしゃれば、結婚することについては大公妃殿下もご同意とのこと」
 ミッターマイヤーが皇家にとっては秘中の秘とも言えるこの計画を、メックリンガー、ケスラー、両元帥に打ち明けたのは、これが王朝の存続に直結する事案だったからだ。
「やはりお考えでいらっしゃったか。大公妃殿下は御年31歳、お子をお産みになられることを考えれば、我らもそうそう悠長に構えてはいられませんな」
 内輪の話なので、ケスラーは直截的な表現をした。口にする者はほとんどおらずとも、ローエングラム王家に係累が少ないことは王朝の弱点であり、アンネローゼが結婚して子を産むことは当面、唯一の打開策であった。ケスラーは公安部門を管轄するだけに、万が一の場合を想定しないわけにはいかず、突発的に現皇帝が夭折した場合、何が発生するかを想定したこともある。ヒルダが健在の間は当面、ヒルダが管轄する政府が存続するだろうが問題は次世代の話である。ヒルダが再婚して、マリーンドルフ王朝を開き、新たに得た子に王朝を伝えることも可能性としては無くはないが、女帝の夫に誰を選ぶかと言う難題があり、そう都合よく子を得られるとも限らない。そもそもヒルダが摂政の座にあるのはローエングラム王家の一員としてであり、ローエングラム王家の血統につながらない新王朝を打ち建てれば、現政権を維持している血統のカリスマそのものが否定されることになる。
 摂政皇太后が没した時に皇家に他に人がいないのであれば、理屈から言って王朝を継承し得るのはかつてラインハルトに帝位を禅譲した女帝カザリン・ケートヘン、現在のペクニッツ公爵夫人のみであろう。そうなればゴールデンバウム王朝の復活になるが、それは現王朝の廷臣すべてが望むところではない。
 ただし万が一に備えて、オーディーンのペクニッツ公家を、ケスラーは監視と警護を続けている。ゴールデンバウム王朝の復活であっても、無秩序からの争乱状態よりはマシだからである。
「それで、その適当なお相手というのは、お決まりか」
 メックリンガーのその問いにミッターマイヤーは首を振った。
「現時点では具体的な話ではなくて、言わば政府と軍のそれぞれの代表者として条件を詰めておこうという話だった。俺も自分の考えを言ったが、この際、卿らの意見も聞いておきたくてな。軍務尚書は試しに条件を挙げてくれんか」
 メックリンガーは問われるままに答えた。
「まず第一に政治的野心が無いこと。それでいて政治的な才覚はあること。人品が卑しくなく、公明正大であること。旧王朝や旧同盟とつながりがないこと。重んじられるに足る、実績、経歴があること。年齢的に大公妃殿下に釣り合うこと。皇帝陛下、皇太后陛下を敬い、支える存在であることを意識している人物であること。できれば魅力ある風貌であること。民衆から人気があること、もしくは人気を獲得し得ること。後は言うまでもないことですが、犯罪歴や破産歴等々がないことでしょうか。
 まあ、思うがままに挙げて見ましたが、これらすべてに当てはまるような人物はそうそうおりませんな。第一皇位継承者の配偶者という立場はなかなか難しいものでしょうから」
 それを聞いていて、ケスラーははっとした表情を浮かべた。
「どうしたケスラー。心当たりでもあるのか」
「いえ、まあ、まずは首席元帥のお考えを拝聴したく思います」
「たぶん、俺が思い浮かんだ者と同じ人物だろうよ。俺と国務尚書が挙げた条件も、メックリンガーが言ったようなことだった。そして互いに、彼ならば適任ではないかと思い浮かんだ名がある。ケスラー、卿が思い浮かべたのは砂色の髪のあの男であろうが」
「鉄壁ミュラー、ですね」
 メックリンガーもその名を聞いて得心した。
「なるほど、ミュラーならば、適任でしょう。ただ難を言えば、彼は宇宙艦隊司令長官の要職にある身、妃殿下の夫君となれば軍籍を離れることになりましょうから、軍としては痛手になりましょうな」
「むろん、それについても国務尚書とは話し合った。ミュラーに抜けられれば痛いのは確かだが、司令長官職であれば、ワーレンやビッテンフェルトでも務まろう。ワーレンは特殊な任務であるから動かせないだろうが、ビッテンフェルトの現状の任務ならば、バイエルラインあたりに振っても遺漏はなかろう。結婚相手を探すとしてもやみくもには動けないのでな、国務尚書とはまずは第一候補としてミュラーを選定することを実は合意した」
「ただこればかりは、当人同士の意向もありますからな」
 ケスラーのその指摘に、ミッターマイヤーは頷いた。
「むろん、無理強いしてうまくいくはずがない。ただ、自然に任せていて、誰が皇位継承者第一位の女性に求婚すると言うのか。いたとしてもろくでもない男だろう。ある程度は、道筋をつけておかねばな。ミュラーは月二回は月例会議で帝都に戻るから、次の機会にでも感触をあたってみようかと思う」
「事は慎重に運ばれるべきでしょう。もちろん、事が国家の大事であること、ミュラー提督ならば言われずとも承知するでしょうが、ミュラー提督はいまだ青年気質の、清流のようなご人格、国家の利益に大公妃殿下が翻弄されること自体に嫌悪を示し、協力をしぶることもありそうな話です。正面からあたってはかえって話がこじれるかも知れません」
 メックリンガーは言外に、話を切り出すものとしてはミッターマイヤーは不向きであるかも知れないと述べた。正々堂々の男が公明正大の男と対峙すれば、正面衝突するしかなく、話がずれにずれてしまうことも想定されたからであった。ミッターマイヤーはその点、自分でも不安があったので、メックリンガーの言に頷いた。
「では卿があたるか、メックリンガー」
「そうさせていただきましょう。妃殿下のご真意については、ご友人のヴェストパーレ男爵夫人から伺ってみることにしましょう」
 ケスラーも同意のようで、深く頷いた。
「ふむ。ではヴェストパーレ男爵夫人には卿から協力を求めてみてはいただけないだろうか。この件は軍務尚書に仔細を預けたいか、よろしいか」
「分かりました。まずは数日中にこの件について男爵夫人に面談を求めることにしましょう。報告は首席元帥と国務尚書に、口頭で行うとしましょう」
 そして雑談でもあり、帝国軍最高首脳の密談でもあるこの座談はさらに続くのであった。

2012-09-07

Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(1)


 新帝国暦4年、新年であった。
 多事多難の歳月であったがようやく小康を得たようであって、フェザーンは未曽有の繁栄を謳歌していた。遷都以前と比較して、惑星フェザーンの人口はほぼ倍増の50億人に達していて、フェザーン・セントラル・シティは膨れ上がる一方の不動産需要を満たすために、200を越える超高層ビルの建築が進んでいた。過密緩和の目的から、宇宙艦隊司令部は建築途上のドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に移転し、帝国軍の主力とミュラー司令長官もそちらに赴任していた。
 七元帥の異動は完了し、帝都フェザーンに常在していたのは、ミッターマイヤー、メックリンガー、ケスラーの三元帥であり、ワーレンはイゼルローン要塞に、アイゼナッハは旧帝都オーディーンに、ビッテンフェルトはウルヴァシーに、そしてミュラーはドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に駐在していた。
 皇太后ヒルダ、皇帝アレク、そしてグリューネワルト大公妃アンネローゼは、元帥たちから新年の祝賀の挨拶を受けたが、実際にルーヴェンブルン宮殿に伺候したのは帝都駐在の三元帥であり、他は超光速通信を介しての挨拶であった。
 帝都駐在の三元帥は皇宮を辞すると、内々で新年の祝いをすべく、ミッターマイヤー邸に集った。ミッターマイヤーは主だった部下に、夫人の負担が重くなるので新年祝賀のため自邸に訪問することを慎むよう告げており、来るなら、7日過ぎに来い、新年くらいは家族とゆっくりさせろと言ったことを、軍務尚書も憲兵総監も漏れ聞いていたので、最初は遠慮したが、
「卿らとゆっくり話すために他の連中をおっぱらったのだ。お互い多忙の身、こう言う時でもないとなかなかこうやって集まることもめっきり減ったからな」
 と言ったので、メックリンガーとケスラーは遠慮せずに首席元帥の家を訪問した。ミッターマイヤー邸は簡素な造りだったが、庭は立派なもので、イギリス式の回遊庭園になっていた。
「これはなかなか立派な庭ですが、さて、以前はもっと簡素なものだったと記憶していますが」
 メックリンガーがそう言った。
「実は昨秋、俺の両親がオーディーンからこちらに転居してきて、今、同居しているが、親父が来るなりそうそう庭いじりを始めてな。当人は死ぬまで現役の庭師のつもりらしい。うちの庭では飽き足らぬようで、気に入ってくれたなら卿の邸宅の庭もいじらせて貰えたなら当人は喜ぶかと思うが」
「総司令官閣下のご父君を使うなど恐れ多いことですが、ご当人がよろしいならばお願いしてみましょう」
 邸内に入った元帥たちは、ミッターマイヤー夫人、ミッターマイヤーの両親、ミッターマイヤーの一子フェリックス、そして被保護者のハインリッヒ・ランベルツに囲まれて、歓迎を受けた。メックリンガーはその場で自邸の庭作りのことをミッターマイヤーの父に頼んでみたが、ミッターマイヤーの父は快く引き受けた。
「さすが、メックリンガー提督は見るべき目を持っていらっしゃる。うちの倅などは子供の頃から仕込んだのに、庭の良し悪しがとんと分からぬ朴念仁で、まったく不肖の息子ですわい」
 メックリンガーは帝国軍の首席元帥にまで上り詰めた息子を庭に対する審美眼がないからと言って、不肖扱いする父親もすごいと思ったが、それだけ自分の仕事に誇りを持っているからだろう。それが分かっているからミッターマイヤーも頭を掻きながらも、庭の話を嬉々として話す父親を暖かい眼ざしで見ていたのだった。
 ミッターマイヤーの父は長らく一介の造園技師として生きてきたが、自身の創造性を発揮する機会を晩年になって得て、ミッターマイヤー様式と呼ばれるイギリス式庭園と幾何学庭園を融合させた特殊な様式を作り上げ、造園史にその名をとどめることになる。主な顧客はミッターマイヤーの同僚や部下たちであって、初期ローエングラム王朝において確立される幾つもの美術様式の一端を担ったのであった。ミッターマイヤーもその父も、謝礼は拒絶したが、頼む方としてはそうもいかず、折衷として造園技師学校の生徒に与えられるミッターマイヤー奨学金制度が作られ、謝礼はそちらに振り込まれることになった。
 食事は皇宮で呼ばれたからと、アペタイザーのみをミッターマイヤーは夫人に頼み、両提督を自身の書斎に招き入れた。当たり年のワインが開けられ、今年がつつがない年であることを三元帥は祈念した。
「転居者と言えば、オーディーンからの転居者が増えるばかりですが、ご存知でしょうか、先日、かのミュッケンベルガー元帥がこちらに転居されたとか」
 軍務尚書が言ったその言葉に、ミッターマイヤーもケスラーも驚いた。その名を聞くのも久しぶりで、まだ生きていたかとの思いがあったが考えてみれば死んだとも聞いていないので生きているはずだだ。
「退役したとはいえ、考えてみればかの人は最先任の元帥にあたるわけだ。首席元帥は俺ではなく彼であるのかも知れぬな」
 ミッターマイヤーのその言葉にケスラーは首を振った。
「総司令官閣下を首席元帥に任じられたのは先帝の勅令があってのことですから、単純に先任順というわけではないでしょう。しかし我々他の元帥よりは上位者になるのかも知れませんな。して、かの御仁はいまさら何用あってフェザーンへ?」
「ミュッケンベルガー元帥には一人娘がいて、その女性が財務省の役人と結婚してフェザーンにいるのです。当人はオーディーンに留まりたかったのでしょうが、旧世代の知己はあらかたリップシュタット戦役で一掃され、家族はフェザーンにいるとなれば、旧帝都に固執する気力も薄れたのでしょう」
 メックリンガーの答えにケスラーは頷いた。
「かつては皇帝ラインハルト陛下を陥れようとした方。同情する気にはなれんが、生き残ったならば生き残ったで、寂寥があるのみとは、他人事ながら人生もままならぬものよ」
 そう言ってケスラーはグラスのワインを飲み干し、手酌で追加を注いだ。
「しかし一応は元帥籍がある人だ。軍務省としても相応に遇さねばなるまい」
 ミッターマイヤーは乗り気がしないまでも、これは個人の好き嫌いの問題ではない。ミュッケンベルガーはゴールデンバウム王朝の軍人であり、ミッターマイヤーらはローエングラム王朝の軍人であった。実態としては明らかに別国家であったが、法的にはローエングラム王朝は前王朝を継承している。ならば、ミュッケンベルガーは現王朝においても少なくとも肩書は元帥なのであって、元帥には数々の特権がある。元帥の地位は終身であって、もしミュッケンベルガーが現役復帰を望むのであれば、それなりに遇さなければならない。これは案外、頭が痛い問題であった。
「軍務省はすでに、かの御仁の意向を聴取しています。現役復帰の意思はないとのことで、ただ護衛を兼ねる副官と、元帥邸を所望の様子。それで済むなら安いものです。ただちにお望みどおりに手配しました」
「ふむ」
 こういうことはメックリンガーに任せて遺漏はない。ミッターマイヤーがすみやかにミュッケンベルガーの名を脳内から追い出しにかかった頃、夫人のエヴァンゼリンがよりどりみどりのアペタイザーを運んできた。
「しかし寂寥と言えばだな、卿らもそろそろ身を固めるべきだろう。いつまでも若いつもりでいると、老後に頼るべき家族もいなくなるぞ。そうなれば寂寥はミュッケンベルガーの比ではあるまい」
「幸福な結婚をしている人は他人にも世話をやきたがると言います。ミッターマイヤー元帥もどうやら例外ではないらしい」
 からからとケスラーは笑った。
「笑っている場合ではないぞ。卿は今しばらく独身を謳歌したいかも知れんがな、フロイライン・フォイエルバッハと言ったかな、あちらは早く所帯を持ちたいかも知れん。聞けばユリアン・ミンツは早々に結婚したと聞く。かの者に見習えとは言わんがな、互いに好きあっているなら、何の障害もないんだ、思い切って踏み込んでみろ」
「まあ、順調に付き合わせていただいています。なにしろあちらはまだ20歳にもなっていない身ですから、もうしばらくはこのままでいようかと。何しろ後で早まったと思われては、私も立つ瀬がない。もうしばらくこのままでいて、なお彼女の気持ちが変わらないなら、その時は仰せのようにいたしましょう」
「ほう、ケスラー提督、卿の方が心変わりすることはないとでも?」
 メックリンガーはからかうようにして言った。
「私の気持ちはもう固まっている。彼女と結婚しないなら、誰とも結婚はしない」
「言ってくれるではないか」
 陽気な酒が入ったのだろう、メックリンガーも声を立てて笑った。
「おいおい私ばかり肴にしてずるいぞ。メックリンガー、卿には思い人の一人や二人はおらんのか」
「思い人が一人ならばともかく二人いてはまずかろうに。そうだな、かれこれもう十年も思っている女性はいる。しかしあちらはなかなか歯牙にもかけてくれんのでね」
 誰だ、と男子中学生が友人の初恋の人を聞くようにはしゃぎながらミッターマイヤーとケスラーが白状させようとすると、メックリンガーは案外、簡単にその名を口にした。
 その女性の名はヴェストパーレ男爵夫人。それを聞いて、ミッターマイヤーとケスラーは、ああ、なるほどと得心した。確かに彼女ならば、長年に渡ってメックリンガーが恋焦がれても不思議はないし、そうそう簡単になびきそうにもない。
「まあ、叶わぬ恋であっても、恋はしないよりはしたほうがいい。私はこれで案外しあわせなんだよ」
 ミッターマイヤーはもちろんメックリンガーにも幸福な家庭を築いて欲しかったが、幸福は人それぞれであるのも弁えてはいた。
 いい具合に酒が入って、三元帥たちは日頃語れぬことをこの際に語り続けるのであった。

2012-09-06

Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(7)


今回の話にはグロテスクな描写が含まれています。ご注意ください。 - takeruko

 すえた臭いが煙となって、「町」のあちこちからたなびいていた。水道も無ければ下水道も無いので、汚物を処理するために焚火がたかれ、空襲でもされたかのように、黒焦げの地肌の上から幾条もの煙が天空へと昇っていた。それはまるで、天界から垂らされた蜘蛛の糸のようだったが、それを辿ってこの煉獄から抜け出せる者はひとりもいなかった。
 ここにいる者たちの大半は地方から出てきた食い潰した農民たちだった。
 イゼルローン要塞で自給自足がなされているように、小麦や米、トウモロコシなどの主要穀物は工業的に生産することが可能であり、生産性においても価格競争力においても、従来型の農業では太刀打ちできなかった。旧帝国で、それでもなお従来型の農業が存続できていたのは、帝国政府が規制をかけていたからであり、農民の雇用を守るためにそうしていたのであった。
 ある歴史家は次のように述べている。
「ゴールデンバウム王朝では効率は必ずしもいいことではなく、社会全体が停滞していたが、停滞によって安定していたのも事実であった。言うなればゴールデンバウム王朝は専制政治の形をとった社会主義国家であって、自由の名において規制がすべて取り払われた時、労働集約的な旧帝国の主要産業のほとんどは、旧同盟領の企業に拮抗することが出来なかった。これがローエングラム王朝において地理的な富の極端な偏在が生じた理由である。
 自由惑星同盟も慢性的な戦争状態のため、その末期においては財政赤字が顕著になっていたが、自由惑星同盟の不利は、帝国に対して規模が小さいという一点のみにおいて生じていたのであって、長期的に小康状態が続けば、社会構造において自由主義的な同盟の方が、発展の速度において帝国を凌駕していただろうと見ることはそれほど奇異な考えではない。
 幾人かの歴史構造学者の研究によれば、帝国が持っていた規模の利益と、同盟が持っていた社会構造上の利益、それらの大きさが逆転するのが計算上宇宙暦820年頃であって、その分岐点を過ぎれば銀河帝国に勝ち目はほとんどなく、人類社会を二分したふたつの社会の抗争は同盟の勝利で以て終わったに違いなかった。その直前にラインハルト・フォン・ローエングラムが出現し、その天才によってその関係を逆転させたのは、銀河帝国にとっては最後の好機を最大限に活かしたというしかない。しかし皇帝ラインハルトもまた、結局は自由主義へと社会構造を転換させざるを得なかったのだから、銀河帝国の「没落」は他者によって殺されるか、自ら死を選ぶかの違いでしかなかったとも言える」
 変革期には避けがたい歴史の矛盾であったが、その矛盾の現実がこの「町」にはあった。
 惑星オーディーンは腐っても旧帝都であり、製造業以外にもさまざまな産業があった。規制緩和の影響で、経済成長を遂げてはいたが、膨大な数の流民を吸収できるほどではなかった。
 農民たちのうち、若いもの、先を見通せる限られた者は旧帝国領自体に見切りをつけ、ノイエラントへの移住を開始していたが、そこでも彼らの多くは労働力を買い叩かれ、自己を持たない専制政治の奴隷と差別され蔑まれるのであった。それでも世代を重ねれば彼らは地位を上昇させることも可能だったが、アルターラントからの移住もままならない弱い者たち、女子供や老人たちは、ただひたすら貧窮に喘ぐしかなかった。
 彼らはかつて、皇帝ラインハルトによる身分制打破に歓喜の声を上げた人々であったが、この現実の前に、少なからぬ者たちが旧王朝時代を懐かしむようになったとしても、それは当然の結果であった。フェザーンにいる現政府の首脳たちはこの現実を十分に把握しているとは言えず、遷都に伴って、旧帝国の民衆たちは自分たちが見捨てられたとの思いを強めていた。
 この「町」に足を踏み入れた時、幾つかの家の壁に、幼女の写真が貼られているのにシュナイダーは気づいた。よく見ればそれはカザリン・ケートヘン、ゴールデンバウム王朝最後の女帝であり、現在は3歳になっているはずのペクニッツ公爵夫人の肖像であった。ゴールデンバウム王朝下にあって、彼らのメシアはラインハルト・フォン・ローエングラムであったが、ローエングラム王朝下にあっては、ゴールデンバウム王朝最後の女帝であるのかも知れなかった。
 聞き込みを開始して半日、シュナイダーはこの「町」の外れについにメルカッツ家を発見した。立ち並ぶあばら家の中でましだとは言えなかったが、ドアがあるだけ上出来とも言えた。
 シュナイダーがノックをすると、
「はい?」
 との老婦人の声が聞こえ、その女性はドアを開けた。メルカッツ夫人だった。
 シュナイダーはただちに敬礼の姿勢をとった。
「メルカッツ提督の副官のシュナイダー中佐です。お聞き及びかも知れませんがご夫君は先日のイゼルローン回廊での会戦で名誉の戦死を遂げられました。私は遺産をお預かりしています。それをお届けするために本日はまかり越しました」
「まあ」
 と言ったきり、メルカッツ夫人は目を丸くしてしばらくそのまま固まった。そしておもむろに、
「あら、失礼いたしました。中佐を戸口に立たせたままにしてしまって。わざわざのお越し、お心遣いに感謝いたします。どうぞ、汚いところですが中にお入りになって」
 と言った。
 案内されるままに、中に入ると、家は台所以外にはつづきの寝室はあるだけの簡素な造りだったが、調度は質素ながらも趣味がいいもので、帝国軍上級大将の家族としての格式を貧しいながらも維持しているのが見てとれた。
 良かった、貧窮の中にあってもこの方は節を曲げてはおられない、とシュナイダーは少し安堵した。
「夫は、満足な人生だったのでしょうか」
 薪で湯を沸かしながら、メルカッツ夫人は尋ねた。すすめられるままにテーブルに向き合った椅子に腰かけて、シュナイダーは頷いた。
「同盟での日々は、提督にとっては亡命生活ではありましたが親しい知己も得て、それなりに充実されていたと思います。友のために戦って、ああいう結果にはなりましたが、まずは満足のいくお亡くなり方だったと言えるでしょう」
「それはようございました。それだけが気がかりと言えば気がかりでした。不本意なことも多かったのでしょうが、最後に帳尻があったのならば当人のためにはそれが何よりでございました」
 メルカッツ夫人は紅茶をシュナイダーに差し出した。安い茶葉をブレンドしたものであったが、趣味は良く、このような場所で飲む紅茶としては想定外の美味であった。
「提督はご家族のことを気にかけておられました。大変なご苦労がおありだったとは思いますが、奥方様がこのように品位を保ってお暮しであるのを見れば故人は満足なされるでしょう」
「私などに出来ることはさほどのこともありませんが、メルカッツの名前を汚さないようにとは心がけてまいりました。そのようにおっしゃっていただけて報われた思いがいたします」
「ところで、娘さんがおありだったと伺っていますが、お元気でいらっしゃるのでしょうか」
「クロジンデは今は出ておりますが私と一緒にこちらにいます。帰ったらご挨拶をさせましょう」
「そうですか。では早速というか不躾ですが、提督の遺産をお渡しいたします。こちらの方で現金化させていただいています。銀河帝国正統政府軍務尚書としての退職金と、イゼルローン共和政府からの慰労金です」
 シュナイダーは用意してあった小切手を取り出して、夫人に渡した。書き込まれた額は500万帝国マルクであった。
「これは帝国の管轄外の資産になりますので、相続税などは発生しません。額面通りお納めください」
 夫人は目を丸くして、わなわなと小刻みに震えた後、なんとか落ち着いて一礼すると、それを懐に収めた。
「夫は今の帝国から見れば叛逆者、このようなものをいただける筋合いではないのかも知れませんが、お恥ずかしながらごらんの通りのありさま、これは有難くいただいておきましょう」
 そこまでを言ってしまえば、シュナイダーにはそれ以上長居をする理由も無かったが、なんとなく奇妙な違和感があり、このまま立ち去ってはいけないような気がした。リップシュタット戦役の後、メルカッツがどのように生きたのか、思い出すままにとつとつとメルカッツ夫人に語り、メルカッツ夫人もそれに聞き入っている風であった。
 一時間も過ぎた頃であろうか、ドアが勢いよく開けられ、若い女性が乱暴な足取りで入ってきた。顔立ちは整っていたが、険しい、自分以外すべてを蔑むような表情は、魅力的とは言い難いものであった。
「クロジンデ、お帰りなさい。こちらはシュナイダー中佐、お父様が私たちに残してくれたものをお届けに来てくださったのよ」
 クロジンデは値踏むようにして、母親とシュナイダーを交互に睨んだ。シュナイダーは立ち上がり、敬礼をした。
「メルカッツ提督の副官のシュナイダー中佐です。遅くなりましたが、メルカッツ提督からお預かりしたものをお届けに参りました」
 クロジンデは興味なさそうに鼻で笑うと、
「つまりとうとうあの男はくたばったというわけね」
 と言った。
 その言い草に、シュナイダーはどう反応すべきか当惑した。メルカッツはどのような意味においても実の娘からあの男呼ばわりされていい男ではない。怒るべきであったかも知れなかったが、余りにも常識はずれの言葉の前に、シュナイダーは言葉を失った。
 ヤン・ウェンリーやフレデリカ、ユリアン・ミンツとは思想信条や立場が違っても、人格的な面において容易に理解しあえた。しかしメルカッツの娘クロジンデは自分と同じ陣営に立っているはずなのに、理解可能な部分はかけらもなかった。
「クロジンデ、そんなことを言うもんじゃないわ」
 とメルカッツ夫人は娘を諌めた。
「そう?妻と娘を見捨てて、のうのうと自分だけ逃げた男には相応しい言い方じゃないかしら。シュナイダーさん、あんた遅すぎたのよ。今さらのこのこ表れて、今まで放っておいてごめんなさいとでも言うつもり?あんた、遅すぎたのよ。あの男も、あんたも、もう私には要らないわ。さっさと帰ってちょうだい」
「何を言うの、クロジンデ、お父様は私たちをお見捨てになったわけじゃないわ。ほら、その証拠にこんなにたくさんのお金を遺してくださったのよ」
 そう言ってメルカッツ夫人は貰った小切手を、クロジンデに見せた。クロジンデはそれを受けとって、まじまじと眺めると、おもむろにそれを破いた。メルカッツ夫人が絶叫した。
「ああ!ああ!なんてことを!500万帝国マルクが!」
「いまさらこんなカネで許して貰おうなんてムシがいいにもほどがあるわ。あんたはこの程度のおカネで尻尾を振るのね、メルカッツの奥さん。でもね、あたしはこのくらいのことであたしが受けた仕打ちを水になんて流せないのよ!父親ですって?笑わせるわ。私は恨んでやるわ。恨んで恨んで、恨みぬいて絶対に許さないんだから!」
 狂乱するメルカッツ夫人を制すると、シュナイダーは、
「小切手ですからまた書けばいいんです。ご心配なく。また新しい小切手を振り出しますから」
 と言ってなだめた。そしてクロジンデに対峙して言った。
「ご家庭内のことに口出しすべきではないのかも知れませんが、亡き提督の副官としては余りにも聞き捨てならない暴言、敢えて申し上げさせていただきます。貴女のおっしゃりようは亡き提督の名誉を汚すばかりかご自分をも不当に貶めていらっしゃいます。奥方はこのようなお暮らしぶりの中でも立派に節を守って、提督の名誉を守っていらっしゃる。どうしてそのような方をも辱めるようなことを貴女に言う権利があるのですか。メルカッツ提督の娘としての誇りを、今一度思い出していただきたい」
「誇り?そんなものが飢えに苦しんでいた時に役に立ったことが一度でもあったかしら。あんた、叛逆者の家族として生きることがどういうことか分かってるの?昨日まで友達だった人たちがみんな付き合いを閉ざして、いなくなる、貧乏になって働こうとしても、わざわざ犯罪者の家族と分かっている人間を雇う人なんていないわ。生きるためにはなんでもやったわ。物乞いだってした。その間、そこの節度を守っている奥様がどんな役にたってくださったかしらね。ねえ、この家の調度、貧乏暮らしにしてはちょっとしたものだと思わない?乞食までした女たちがどうしてあんたが飲んだ紅茶なんて買えているのか、ちょっとしたミステリーだと思わない?あたしたちが今どうやって食べているのか、聞いて下さらないの?」
 クロジンデは妖しげにしなを作って、シュナイダーの肩にもたれかかった。シュナイダーは口の中がかさかさに乾いているのを感じて、何も言えなかった。
「ねえ、これはおみやげよ。中を見て下さる?」
 ビニール袋の手さげの部分を開いて、クロジンデは中を見せた。シュナイダーは思わずもよおしそうになって、口を両手で塞いで、床にうずくまった。それは肉塊だった。赤黒い肉塊。しかしひしゃげていながらも、顔のようなものがそこにあるのがはっきりち分かった。それは人間の胎児、正確に言えば胎児であったものの肉塊であった。
「シュナイダーさん。あんたが坐っていた椅子も、あんたが飲んだ紅茶も、この家にあるものはスプーンの一本にいたるまで全部あたしが体を売って稼いだものよ!貴婦人ですって?笑わせるわ。この女はね、娘に体を売らせておきながら自分はのうのうとこんな場所で貴婦人の真似事を出来るような女なのよ!まったく、あの男と言い、この女と言い、似合いの夫婦じゃないの。この子はね、決して消せないあたしとこの女とあの男の罪の証よ。そのままゴミにしてもよかったんだけど、それじゃさすがに可哀想じゃないの。裏に埋めるつもりでもぐりの中絶医のところから持って帰ったのよ。さあさ、シュナイダーさん。純情なあんたを傷つけたくはなかったんだけど、これだけ言えばさすがに分かって下さるわよね。あんたは遅すぎたのよ。もう要らない。あんたもあの男も私にはもう要らない。これからかきいれどきなんだから帰ってもらえる?それともあんたがあたしを買うのかしら。あの男の遺産とやらはいただけないけど、あんたがあたしを買って、支払をはずんでくれるというなら、お相手してもいいわよ」
 シュナイダーはふらふらと立ち上がると、眩暈と吐き気を抑えて、小切手をとりだして、ふるえながら金額をそこに書きつけた。そしてそれを乱暴に台紙からはがして、メルカッツ夫人にそれを渡すと、挨拶もせず、一言も発さずに、駆け足でその家を出た。
 シュナイダーは駆けた。息が切れるまで、息が切れても這うようにして駆けた。広大なスラムがようやくかすむ辺りまで来て、シュナイダーは地べたにうずくまった。
 雨が降り出した。何が混ざっているのか、重油の匂いがかすかにする、黒い雨だった。べたべたとしたその雨に身を打たせながら、シュナイダーは慟哭した。その咆哮は、気が狂った犬の雄叫びのように、重く、低く、いつまでもその周囲に響き渡った。

2012-09-05

Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(6)


 メルカッツ夫妻には娘が一人いて、名をクロジンデと言ったが、年齢は22歳になっているはずだった。彼女もおそらくメルカッツ夫人と共にいるはずだったが、度重なる移転とその居住地のグレードが目に見えて低下しているのを見て、状況は楽観できないとシュナイダーは覚悟した。
 リップシュタット戦役後、門閥貴族連合軍に与した者たちの資産は没収されたが、ラインハルトはそれ以上の報復は行っていない。リヒテンラーデ公一族に対する処分は苛烈であったが、リヒテンラーデ公は門閥貴族連合に与したわけではなかった。
 ただし、これまで労働したこともなく、勤労者としては無能であった多くの旧貴族たちは、資産や特権を奪われるとたちまち貧窮化した。残されたわずかな資産も多くは金融業者のいいカモにされて巻き上げられた。生活保護の制度はあったが、彼らは身体に異常があったわけではないので、その対象ではなく、ひたすら没落するのを余儀なくされた。教育があった者は、教師などになり糊口をしのいだが、それはまだマシな方で、働かずとも食えると言うことは、「頑張って勉強する」行為を蔑むことにもなったから、数々の特権がありながら、きちんとした教育を身に着けている貴族は稀であった。
 上流貴族の精神は底辺労働者の精神に近似していると言われるゆえんであり、その刹那的なところ、享楽的なところ、努力を蔑むところ、努力もせずに他人を妬むところ、盲目的に全能感を抱いているところ、学問を軽蔑するところは両者に共通する性格であった。資産や特権を失えば、底辺労働者の精神に近似していた上流貴族たちが、そのまま底辺労働者に転落するのも理の当然であった。
 メルカッツ自身は貴族に生まれたと言っても、謹厳な性格から努力と自己鍛錬によって人格を鍛え上げていた。しかしそれも、家産の大部分を引き継がない貴族の三男坊という出自ゆえの、「逆境」ゆえの結果であって、彼の謹厳な性格ですら純粋な上流階級の人々から見れば「貧乏貴族が一生懸命に働いてお気の毒に」という蔑みの対象でしかなかったのである。
 ゴールデンバウム王朝銀河帝国に限らず、階級間の流動性が低い社会では、勤勉さが尊敬の対象になることは稀であった。
 メルカッツ夫人が夫の性格の影響を受けていたなら、そして二人の間の娘が父親の人格的影響を受けていたなら、早い段階でセルフヘルプの精神に転換して、転落を食い止めたかも知れなかったが、リップシュタット戦役後のメルカッツ家の歩みを見ていればどうもそれは期待できなさそうであった。
 メルカッツは自分には厳しい人だったが他者には寛容だった。それは人格的美質と言う点では責められるべきことではないが、威厳を徹底させると言う点で、「甘い」印象を他者に持たせた。門閥貴族連合軍ではメルカッツの指令に貴族たちが従わない局面がたびたびあったが、いかに利己的な貴族たちとは言えども、指揮する人が例えばミュッケンベルガー元帥であれば、その威に抗することは容易ではなかっただろう。非協力的な貴族に対してまで威厳を徹底させ得るかどうかの違いが、ミュッケンベルガーが元帥になり、宇宙艦隊司令長官にまでなったのに対して、メルカッツが上級大将にとどまり、宇宙艦隊司令長官の候補にはなりながらも結局、選任されなかった理由だった。
 門閥貴族連合軍に勧誘されて、当初、断ったのはメルカッツもミュッケンベルガーも同様であったが、メルカッツは家族を人質にとられて引き受けざるを得なかった。ミュッケンベルガーにも家族はいたが、それに対してブラウンシュヴァイク公は人質にとるようなことはしていない。両者の威厳の有無の違いが影響を及ぼしたのかも知れない。
 公務においてさえその才能に比して軽く扱われがちだったメルカッツが、家庭生活において厳格な夫、謹厳な父でいられるはずがなかった。妻に礼儀正しく、娘に優しかったであろうことは想像に難しくなく、それは表面上はどうであれ、本質的には家庭内においてメルカッツに対する「侮り」となったはずである。侮っている相手から人格的影響を及ぼされる人間などいない。
 事実を言えばメルカッツは妻子を防衛するため、あらゆる風雨からの壁となっていたはずであったが、中の人間に守られているという自覚が無ければ、自分も家族のために壁になろうとか、自立しようと言う意思が芽生えるはずが無かった。そういう状況で、メルカッツがいなくなり、世間の風当たりが強くなれば、生きるための技術を何一つ知らないまま荒野に放り出されたようなもので、メルカッツ家の女性たちは何一つ術を持たなかったはずである。
 メルカッツの優しさは結果として、家族から自立する足腰を奪ったわけで、意図はともかく、やったことの効果は悲惨な結果をもたらしているはずだった。
 メルカッツの家族の状況を誰も気にかけなかったわけではない。憲兵隊の報告書に目を通して、シュナイダーは亡きファーレンハイト提督が気にかけていたことを知った。赤貧の貧乏貴族から成り上がっただけに経済的な苦労を知っていたファーレンハイトは、メルカッツが同盟に亡命したことを知って直ぐにメルカッツ家の経済状況を調べさせている。ただし、リップシュタット戦役直後ということもあって、資産没収がその後にあったとしても、それなりの資産があるのを見て、ファーレンハイトは安心した。
 それからすぐに、メルカッツ夫人が資産運用の甘言に騙されて残された財産のほとんどを失ったのだが、ファーレンハイトはそのことは知らないままだった。ファーレンハイトが調査した時に、メルカッツ家が窮乏していれば、ファーレンハイトが助力したに相違ないが、ファーレンハイトもその後、オーディーンを離れたため、その後の変化には気づかなかったのである。

 報告書に記載されたメルカッツ家の最後の居住地には、メルカッツ夫人たちはすでにいなかったが、周辺に移転先を知っている者がいて、そのようにして何度か行き先をたどるうちに、現在の居住地と言う住所に辿りついた。
 住所と言っても、番地もないような大雑把なもので、それを教えた者はシュナイダーに対して、
「そりゃそうだろう、スラムだもの」
 と言った。
 オーディーンの郊外の更に郊外、既に田園と呼ばれるような場所にそれはあった。田園と言っても、かつては田園だったのだろうが、今は不法占拠によって建築されたあばら家が地平の彼方まで続き、電気も無ければガスも水道もない生活をそこの住民たちは送っていた。スラムであるがゆえに町の名などはなかったが、名がなければ不便ではあるので、誰かしらが言い出した名前が仮のものとしてその「町」にはつけられていた。
 その町の名はフェーゲフォイアー(Fegefeuer)、「煉獄」だった。

2012-09-04

Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(5)


 シュナイダーが旧帝都オーディーンに到着したのは新帝国暦3年7月18日のことだった。エルウィン・ヨーゼフ2世誘拐の実行犯であったレオポルド・シューマッハが逮捕されたことがニュースでも大きく取り上げられ、ランズベルク伯が連れていた子供の遺体が皇帝とは別人のものであることが裏付けられた。シュナイダーは、幼帝がすでに逝去していることも十分に可能性として考慮していたが、生存の見込みが強まったことによって、今後の自分の進路を再考する必要もなくなった。
 ともあれ、まずはやらなければならないことをやるべきであって、リップシュタット戦役以来、5年ぶりに舞い戻ったオーディーンにて、メルカッツの家族と会わなければならなかった。
 ここを離れた時には帝都だった惑星は、今では旧帝都であり、かつて人類社会に君臨した心臓でありながら、今は次第次第に辺境の性格を強めていた。中心部の繁華には変わりはない。しかしそこを歩いている人たちが違う。かつて貴族や貴婦人たちがゆったりと散策した街路には、今ではビジネスマンたちが忙しそうに足早に通り過ぎ、街の景色となることさえ拒絶しているかのようだった。
 日中の公園に入り、一休みしようとベンチを探したが、そのようなものはなく、ただ、円筒のパイプを曲げた腰掛が置かれているだけだった。もちろん、それに腰かけて一休みすることは出来るが、横になることは出来ず、そうすることによって浮浪者たちを公園から排除しようとする行政の意図が透けて見えた。
 中心部やその周辺の高級住宅街には浮浪者はいかなかったが、一歩郊外へ出れば、帝国全土から職を求めて集まった浮浪者たちがあてもなく通りを徘徊していた。最初はそれなりの身なりをしていたはずなのに、職が得られない日々が数か月に及ぶうちに彼らの衣服には垢がこびりついて、その汚れは清潔さばかりではなく、生きる希望をも奪ってゆくようであった。
 全体として言うならば、オーディーンはかつてのシュナイダーが知っていたような都ではもはやなく、隔離された地域に繁栄のようなものはあっても、かりそめのショーウィンドーに過ぎないように思えた。不世出の英雄ラインハルト・フォン・ローエングラムを得て、銀河帝国はついにフェザーンと自由惑星同盟を併呑したが、それによってかつての帝国もまた滅びてしまったのだとシュナイダーは実感した。何もゴールデンバウム王朝が倒れたことのみを言っているのではなく、かつての秩序や、帝国が手に入れたはずの勝利でさえ、実際には失われていた。銀河が統一されたことによって、旧帝国領は経済や産業構造においてはっきりと敗者の立ち位置に立つことを余儀なくされていたのであった。
 新帝国が成立してからわずか3年でここまで荒廃するならば、そしてオーディーンにおいてさえそうであるならば、これから時間が立てば、辺境星系ではどれほど悲惨なことになるだろうかと思ってシュナイダーはため息をついた。その陰鬱ぶりはノイエラントの活況とは対照的だった。
 しかし彼はもはやローエングラム王朝下の帝国人ではない。実態としても精神的にも旅人であるに過ぎず、論評は彼の任ではなかった。
 シュナイダーはホテルに宿をとると、メルカッツ邸があった住所に向かった。邸宅そのものは健在であったが、住人は別の家族に入れ替わっていて、先住者の消息を彼らは把握していなかった。周辺で聞き込んだが、その高級住宅街の住人のほとんどは入れ替わっていて、「皇帝ラインハルトにたてついた旧貴族」の消息などに誰も関心は無かったし、話すのも汚らわしいという態度を見せた。
 メルカッツは伯爵家の三男であり、その夫人も子爵家の長女であったが、彼らの係累たちそのものが行方知れずになっていて、わずかに残っている貴族たち、彼らはラインハルトを支持したがゆえにその地位をまっとうしたのだが、彼らの大半はそもそもフェザーンに移住していたし、残っていたものとても隠棲していたから世間の動向に疎かった。その線からメルカッツ夫人の消息を知ることは無理だとすぐにシュナイダーにも分かった。
 さてどうしたものかと数日、考えあぐねているうちに、帝国憲兵ならば消息をある程度把握しているのではないかと思った。
 リップシュタット戦役後、門閥貴族側についた者たちの財産は没収され、爵位も剥奪された。特殊な例外を除き、それで一応の処分は済んだはずで、それ以降の旧貴族すべての動向を帝国憲兵も把握してはいないだろうが、メルカッツの場合は、同盟に亡命したのみならず、ヤン・ウェンリーの旗下で客将として、ヤン・ウェンリーに次ぐ用兵家として艦隊を指揮している。まして銀河帝国正統政府の軍務尚書であったわけで、国事犯としての扱いは長く、ひょっとしたら現在においても継続されていたと考えられた。
 当然、その家族に対する監視は相当長期に及んだはずである。
 オーディーンの憲兵本部に出向いて、情報を閲覧させてもらえませんかと頼んだところで通じるはずがないのは知っていたので、シュナイダーは搦め手から情報に接触することにした。士官学校時代の友人何人かに連絡して、ワルトハイム少佐という同期の男がオーディーンの憲兵本部に詰めていることを知った。
 シュナイダーの記憶では、ワルトハイムは妙にカネに汚く、情報屋のようなことをしては小金を稼いでいたことを思い出した。10人兄弟の長子である彼は経済的に自立するのみならず、弟妹を経済的に援助しなければならないからだという事情があったことも知っていたから、それで軽蔑するとかそういうことはなかったが、カネで動かしやすい男であるには違いなかった。
 連絡をつけて呼び出してみればワルトハイムも今は少佐という上級士官であるはずだったが、シュナイダーと会うに際して用心して私服を着用したのはいいにしてもその私服が余りにも質素でみすぼらしく、シュナイダーが逗留しているホテルのカフェで会うにしては、両者とも居心地が悪いほどだった。シュナイダーは特別贅沢をしているつもりはなかったが、やはり元は貴族の子弟であり、「だいたいこんなところだろう」という自分の水準で選べば、それなりの格式のホテルを選んでしまっていたからである。
 シュナイダーはおおむねの事情を説明して、
「最直近のメルカッツ夫人の居場所が分かればいいんだ。ご亭主の最期についてお伝えするだけだからローエングラム王朝にとっても別に不都合はないだろう。頼まれてくれるか」
 と言った。
「ああ、君に協力したいのはやまやまなんだが、いくらか費用がかかるんでね、それが問題と言えば問題なんだが」
 と案の定、ワルトハイムが言ったので、シュナイダーは苦笑しながらも小切手を切った。その額面を見て、ワルトハイムは驚きを隠せなかった。1万帝国マルクもあったからである。
「それは手付金だ。満足のいく情報を得られたならば成功報酬としてもう1万帝国マルクを差し上げよう。その代り、帝国憲兵の面子にかけた精度の高い情報を手に入れて欲しい」
 これだけのカネがあれば弟妹のうち何人かを数年は上の学校に行かせてやれるかもしれない。ワルトハイムは素知らぬ顔で小切手を懐に入れようとしたが、その手が震えているのをシュナイダーは見逃さなかった。
 それだけの額を払った意義はあったようで、数日後、ワルトハイムは資料を持って、シュナイダーのところを訪れた。フェザーンでは皇帝ラインハルトが崩御し、オーディーンにもその陰鬱な影は及んでいたが、人での少ないカフェで、シュナイダーは資料を堂々と取り出して、ざっと目を通した。
 それに拠れば、リップシュタット戦役勃発以後、メルカッツ夫人の居住地は転々としており、移転のたびに居住地のグレードが下がってゆくことが気がかりであった。長く監視していてメルカッツとの接触が無いことがはっきりしたため、監視は昨年の十月で打ち切られていて、それ以後の消息は不明だった。
「ついでに社会保障庁や税務署にデータがないかも調べてみたが、官公庁にはまったく接触していないようで、データはなかった。現時点で分かるのはこの程度のことだが」
 シュナイダーがもう1万帝国マルクを支払ってくれるかどうか、それだけを気にしながらワルトハイムは上目使いにシュナイダーを見た。
「よくやってくれた。最後の居住地にいればよし、いなくてもそこから手がかりが得られるだろう。約束通り成功報酬を支払おう」
 そう言って、渡した金額は1万帝国マルクではなく、更に5000帝国マルクが上積みされていた。
「今後も頼むことがあるかも知れない。多い分はまあ、『今後ともよろしく』料だ」
 シュナイダーとしてはワルトハイムがカネに固執している事情を知っていたから旧友へのささやかな支援のつもりであったが、ワルトハイムはシュナイダーの言葉を文字通りに受け取ったようで、良いカネづるを見つけられたと、会心の笑顔を見せた。ある意味、金銭に徹底しているからこそ、かえって邪心のないその笑顔を見れば、シュナイダーはどうにもこの男を憎めないのだった。士官学校時代も何かれとなく世話を焼いたのもそのせいかも知れなかった。

2012-09-03

Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(4)


 期せずして生き延びた。それがシュナイダーの正直な感慨であった。彼は厭世家ではないので、積極的に死を選びたいとまでは思わなかったが、自らが自由惑星同盟への亡命を勧めたメルカッツ提督が死してまで、副官たる自分が生き延びたこと、生き延びてしまったことに忸怩たる思いはあった。回廊での最後の戦いで、戦艦ヒューペリオンに乗坐して皇帝軍を相手にして互角の戦いを展開したことで、メルカッツは用兵家としてはまったくの後悔もなく燃焼しきったと言っていい。その傍らで黄泉へと旅立つことが出来ていたならば、シュナイダーの人生の物語にも綺麗な終止符が打たれていただろう。
 しかし現実にはシュナイダーは生き延び、イゼルローン共和政府と帝国の間には和平が成立した。生き延びてしまったのであれば、生きてゆくうえでの目的のようなものをシュナイダーは模索しなければならなかった。
 客将としてメルカッツとシュナイダーがヤン艦隊に合流してもう随分長く、数多くの戦いを共に戦ったとあって、メルカッツとシュナイダーが未だに帝国軍の軍服を着用していたとしても、彼らが仲間ではないと思う者はもはやヤン艦隊の一兵に至るまでいなかった。メルカッツとシュナイダーにしても、出自と立場の違いはあったにせよ、シンパシー的にはもはや民主共和主義者と言ってもいいほど、ヤン・ウェンリーが掲げた旗に慣れていた。
 このままヤン・ウェンリー党に留まり、新政府に参画するよう、キャゼルヌやスール、そしてフレデリカからも随分説得を受けたのだが、シュナイダーはやはり自らの生まれによる境遇を思えば、一線を引かざるを得ないのだった。今さら別に、帝国や専制政治に忠誠の念があるわけではない。しかしゴールデンバウム王朝に一度は忠誠を誓った身であり、もはや滅びた王朝ではあったが、それに殉じる愚か者がひとりくらいはいてもいいのではないかと思ったのである。
 ルドルフ大帝への嫌悪の念は、同盟で暮らすうちに、シュナイダーの胸のうちにも生まれたが、確かにゴールデンバウム王朝はルドルフが作ったものであるにしても、500年の歴史の中で何もかもが陰惨であったわけではない。そこには崇高なものもあれば、気高いものもあり、人々の生活があったのである。せめて自分一人くらいはそれに殉じてもいいのではないかと思った。
 メルカッツが軍務尚書職を務めた銀河帝国正統政府は既に瓦解していたが、正式に解散したわけでもなかった。シュナイダーの身分と立場がどのようなものになるにしても、シュナイダーはこれから先、たったひとりで銀河帝国正統政府をやり抜く覚悟であった。
 と言っても別にゴールデンバウム王朝の再興を計ろうとか、ゴールデンバウム王家の生き残りを擁立しようと言うのではない。ただ、大人たちの政争に巻き込んでしまった幼帝のゆくえを探し出して、その人生に対して大人として責任を負うべきだと考えていた。
 エルウィン・ヨーゼフ2世は皇帝に擁立された時が5歳であり、今は行方知れずであるが生きていれば10歳になるはずだった。狂態めいたその振る舞いを、シュナイダーは目撃したことがあるが、そもそもそれも彼を権力の駒としか扱わなかった周囲のへつらいの結果であり、精神的な虐待の結果であった。
 銀河帝国正統政府の一員としてその幼児を利用したシュナイダーにもまたその責任はある。彼にまともな人生を与えることこそが、シュナイダーに残された仕事であった。
 メルカッツは一切手を付けていなかったが、軍務尚書として正統政府の公金のいくばくかを預かっていた。改めてそれを清算して見れば、5000万帝国マルクにのぼり、国家予算としては微々たる額であったが、個人資産として見るならば莫大な額であった。
 シュナイダーはこれを利用して、幼帝探索を行うつもりであった。
 ユリアン・ミンツらに同道してハイネセンまで、シュナイダーは赴き、そこでユリアンらと別れることにした。ユリアンの斡旋で、ローエングラム朝がシュナイダーにかけていた反逆容疑は解除され、帝国軍も正式に除隊し、法的には完全に一個の市民となった。ヤン・ウェンリー一党から離れるシュナイダーに対して、ユリアン・ミンツはメルカッツへの慰労金を委ねるとともに、シュナイダーに対してもイゼルローン共和政府として相応の額の慰労金を支払おうとした。メルカッツへの慰労金は預かったものの、自身への慰労金は、「共和主義者でもない自分が大義のために死んだ者に先駆けて受け取るわけにはいかない」と言って一端は断ったが、ユリアンもこれについては頑なであり、「ヤン・ウェンリー亡き後、我が軍の事実上の総帥であったメルカッツ提督を支えたあなたが、慰労金も受け取らないならば、他の将兵はなおのこと受けとり難くなります。これを収めていただくのはあなたの義務です」と言ったので、ユリアンの立場と面子も尊重して受けとらないわけにはいかなくなった。
 額は100万帝国マルクであったが、個人資産としてはそれなりのものであった。このカネが役に立ったのは、100万帝国マルクを口座化する時に、正統政府の公金5000万帝国マルクを一緒に潜り込ませて、そのカネを公然化することが出来たからであった。
 これでシュナイダーは自由に、なおかつ公然と資金を動かすことが可能になったのである。
 幼帝を最後まで保護していたと見られるランズベルク伯が逮捕されたのは惑星ハイネセンにおいてであり、彼が保持していた幼児の死体は皇帝とは別人のものと判明していたが、身分証明書もなく、航路を渡ってあちらこちらの惑星を転々とすることは難しかっただろうと推測できるゆえに、ランズベルク伯が皇帝とはぐれたのは惑星ハイネセンにおいてである可能性が最も強かった。
 かつてハイネセンに駐在していたワーレンも、その前任のロイエンタールも、そしてレンネンカンプも、幼帝のゆくえは追っていただけに、帝国憲兵のケスラーも含めて、彼らがその行方を突き止められなかったということは、幼帝は既に亡くなっていると考えるのが自然だった。生きているとしても、操作の網には全くひっかからないのだから、まともな市民活動を営んでいることはあり得ず、浮浪児のような生活をしているのではないかと思われた。
 ただ、いずれハイネセンに戻り、幼帝探索活動を開始するとしても、まずはやっておかなければならないことがシュナイダーにはあった。オーディーンへ戻り、メルカッツの残された妻子に、メルカッツの死を伝えること、そして慰労金や遺産を渡すことであった。
 ユリアンたち一行と別れて、シュナイダーはフェザーンへ向かい、そのままオーディーンへと向かった。

2012-09-02

Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(3)


 帝国軍総司令官ミッターマイヤー元帥と軍務尚書メックリンガー元帥は皇太后ヒルダにビジネスディナーに招かれたが、たまたまその曜日はヒルダが設定していた「アレクと夕食を共にする日」だったので、皇帝の付き添いのグリューネワルト大公妃アンネローゼも同席し、皇帝自身は乳母に抱かれて、ミルクをたらふく飲み干した。
 両元帥と皇太后、大公妃は会話と食事を楽しんだが、頃合いを見てアンネローゼは皇帝を伴って退席し、食卓にはチーズのアペタイザーが運ばれ、食後のワインが注がれた。ワインをグラス半分飲み干して、ヒルダは口火を切った。
「ミッターマイヤー元帥、わざわざお呼び立てしたのは実は軍にお願いしたいことがあるからなのです」
「伺いましょう」
「軍縮を財政的に進めていただきたいのです。今後2年以内に、平時予算で1割の削減をお願いしたいのです」
「陛下、臣の記憶が定かならば、これ以上の軍縮を進めないことを既定方針としたのはわずか3ヶ月前のことだと記憶しておりますが、急な方針変更にはいかなる理由があるのかお聞かせいただけるでしょうか」
「それについては小官からお話ししましょう。閣僚のひとりに関わる話なので、陛下にはなかなかお話し難いことでしょうから」
 そう言って、メックリンガーは発言の許可をヒルダとミッターマイヤー双方に得て、先日の閣議の内容をかいつまんで話した。
「なるほど、それについての経緯は理解した。軍務尚書が毅然と反論したのは正しい。別にそれでおしまいの話ではないのか」
「ところがそうはいかないのです。財務尚書は帝国の元勲であり、先帝陛下が崩御されて半年もたたないうちに、帝国政府の統一が危うくなれば、国家の信用にことは関わってくる話です」
「それはいささか奇異な話ではないか。複数の人間が集まる場所なのだから、意見の対立はあって当たり前だろう。それをいちいち辞職をたてにして自分が気に入らないことを潰そうとするような人物はそもそも要職に相応しくないのではないか。財務尚書が辞めるというならば、財政家が帝国全土に他にいないわけでもなし、辞めて貰えばいいではないか。それで秩序が動揺するならばその時こそ軍が任を果たすまでのこと。財務尚書が笛を吹いたからと言ってどうして我々がそれに付き合って踊らなければならんのか」
 ミッターマイヤーが存外に険しい態度を示したので、メックリンガーはさらに踏み込むべきか、やはり軍の首座に対する遠慮があり、躊躇した。それを見てとったヒルダは言葉を引き取って、話し出した。
「ミッターマイヤー元帥。リヒター財務尚書は確かに狷介なところがありますが、その能力、識見、無私において帝国にとっては無くてはならない方です。この評は先帝陛下も私も同じくするところです。それに、財務省提出の資料では、財務尚書が言っていることもおおむね正しいのです。今日明日、この先一二年でどうなるという話ではありませんが、このまま行けば財政的な膠着状態に陥ることは確実に予想し得ることです。不測の事態に対処するためにも帝国にはある程度の財政的なフリーハンドが必要で、旧王朝ではその必要が生じる都度、大貴族を粛清し、資産を没収してその必要を満たしてきました。カストロプ公の事例はその最後の一例です。もちろん現王朝で使える手ではありません。財政硬直が常態化する前に、現王朝は早め早めに手を打つ必要があります。 軍は規模においても財政においても帝国最大の組織。ここに手をつけないわけにはいきません」
「お言葉ですが皇太后陛下、先の既定方針はいかがなりましょうか。取り消しと言うことでしょうか。あれは政府と軍との約定にも等しいもの。それを軽々しく足蹴にするようでは、将兵にいかにして信義の実を徹底させられましょうか。そもそも先の既定方針が決定されたのは軍がすでに実質的には大幅な軍縮を達成しているからであり、現場は悲鳴を上げています。ロイエンタールの叛乱以後、皇帝ラインハルト陛下のイゼルローン御親征もあって、多くの将兵が失われたにもかかわらず新兵が十分に補充されていません。通常の人事ルーチンが行えず、初年兵が二年も三年も初年兵のままという例も珍しくはありません。軍は既に痛みに耐えています。このうえ更に痛みを強いられるようでは、将兵の中に高まる不満を抑えきれなくなるかも知れません。臣は断固として、さらなる軍縮には反対する次第です」
 ミッターマイヤーは更に頑なな姿勢を取り、このままでは皇太后と正面衝突になるのを恐れたメックリンガーが、何とかときほぐそうと、ミッタマイヤーに対峙した。
「ミッターマイヤー元帥。陛下はそういう事情は十分に分かっていらっしゃるのです。お分かりだからこそ、一度は軍縮はこれ以上は進めないともおっしゃってくださった。しかしもはやそれでは済まない状況なのです。単に財務尚書ひとりが騒いでいるという問題ではありません。小官も軍務尚書として軍政を預かる身ですが、仔細に検討すればやはり財務尚書の言うことに理がある。好きか嫌いかで言えば小官は彼を嫌いだとここで申してもいいのですが、彼の人格を否定したところで言っている理がどうこうなるものではありません。元帥、どうぞ今少しだけ、さらなる広い視野でこの件をご覧になってはいただけませんか。かつて元帥がおっしゃったように、政府があってこそ軍があるのであり、軍が帝国そのものを食いつぶす前に、我々軍人が率先して身を切る必要があるのではないでしょうか」
「メックリンガー。軍人の本分は戦うことにあり、戦うための組織を維持することにある。卿はそのことを忘れたか。どう言葉を繕ったところで、力があってこそ正義は維持できるのだ。その力を差し出してきたのは官僚ではない、政府でもない、軍であり、前線で戦ってきた将兵たちだ。皇帝ラインハルト陛下はそのことをご存知であったから常に前線にご自身の身を置かれた。先帝陛下は将兵の歓呼の中で皇帝となられたのだ。帝国は正義に拠って立つ。正義は力に拠って立つ。力とは軍である。軍を弱体化せしめて、どうして帝国が安泰であり得ようか。こういうことは言いたくないが敢えて言わせてもらおう。卿はこの信念に立って、軍務尚書の職を果たすべきだ。内閣の一員として俺を説き伏せようとするのではなく、帝国の根幹が奈辺にあるかを示すために、そこにいるのだということを忘れて貰いたくない。むろん軍は政府を尊重すべきではある。しかしそれは隷従関係ではなく、敢えて力を暴走させぬためにそうするのであって、力そのものを弱めていいというわけではない。卿は軍務尚書であるが軍人である。すべての軍人はまず俺の部下であることを思い出して貰いたいものだな」
 ミッターマイヤーは軍人としては「物分りがいい」方である。単に戦術家として優れているにとどまらず、マリーンドルフ伯が国務尚書の後任にかつて推したことがあるように、政治的な識見も豊富に持っている。しかし根本においてはやはり軍人であって、軍を守るためであれば獅子にも狼にもなれる人であった。
「ミッターマイヤー元帥、メックリンガー元帥は軍務尚書として常に閣議にあっては強いプレッシャーに晒されているのです。今日のことも嬉々としておっしゃっておられるわけでは決してありません。どうぞ、そのことは分かってあげてください。帝国軍総司令官のおっしゃることもごもっともです。それを否定する気はありません。私もこのような立場でなければ、敬愛するミッターマイヤー元帥といささかでも道を違えるような真似は決してしないでしょう。しかし現実には私は摂政皇太后の立場にあり、帝国軍のみならず、帝国国民、全人類に対して責任を負う人間です。そういう人間としては、単に敬愛する人から嫌われたくないという理由から、自分が考え抜いて妥当だと思った方策を曲げるわけにはいきません。敢えて無理を申し上げます。これによって軍が血を流すことも、末端の兵に多大な犠牲を強いることも知ったうえでのお願いです。ミッターマイヤー元帥、どうか私にお力をお貸しください」
 ヒルダは立ち上がり、額が足につくほどに深々と礼をした。その姿勢を見たメックリンガーもただちに立ち上がり、ミッターマイヤーに対して同じく深々と腰を曲げて礼をした。
 ミッターマイヤーは困惑した。ひどく当惑した。とりあえずミッターマイヤーも立ち上がったが、礼の姿勢を一向に崩さないヒルダとメックリンガーを見ても、それでいてなお、うんとは言えなかった。ミッタマイヤーが抱えたものも、彼個人の情で処理してしまえるような、軽いものではなかったからである。
 しかし長い沈黙のうちに、
「どうぞ、お顔をお上げください。皇太后陛下。いえ、今日は敢えてフロイライン・マリーンドルフとお呼びしますか」
 と絞り出すようにしてミッターマイヤーが言った。
 ヒルダは顔をゆっくりと上げた。
「あなたがご自分のお立場ゆえに譲れぬことがおありのように、私にもそのようなものはあります。今なお、私は軍縮には反対ですし、それが帝国の将来を揺るがしかねないとも思っています。しかしこの先がどのような未来であろうとも、このウォルフガング・ミッターマイヤー、たとえ最後の一人となってもあなたの傍らにありたいと思います。仰せの件、とにかく努力を尽くしましょう。決して楽な道ではないと思いますが、今日メックリンガーがやったようなことを、他の将兵に対して私がいたしましょう」
「ありがとうございます、ミッターマイヤー元帥」
 ヒルダはそう言ってもう一度礼をした。
「しかし楽ではないと言うのは本当のことです。この話を聞けば、早々にまずはミュラーやビッテンフェルトあたりがどうこう言ってくるでしょう。もちろん話せば矛をおさめてはくれるでしょうが。まずは元帥たちを説得する必要があるでしょう。ケスラーとワーレンも良い顔はしてくれんでしょうな。もっとも、アイゼナッハが苦情の一つでも言うと言うなら、ぜひ、聞いてみたいものだが」
 そう言ってミッターマイヤーは笑った。すべてを流して受け止めてくれるその笑顔は、帝国軍総司令官、疾風ウォルフがともあれヒルダの政策を支持してくれると言う確約であった。

2012-09-01

Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(2)


「陛下は帝国財政を破綻させるおつもりか!」
 閣議で、ヒルダがアルターラントの旧農民の疲弊した生活を指摘し、当座しのぎとしてフードスタンプなどの直接支援が必要だと提議するなり、オイゲン・リヒターは激昂した。
「リヒター、そう頭ごなしに否定するではない。第一に陛下に対して無礼であろう。第二に民衆の福祉の向上はそもそも卿の宿願ではないか。幸い財政の余裕もあるようだし、陛下のおっしゃることはしごくもっともではないか」
 リヒターの友人でもあるカール・ブラッケ民政尚書が、とりなそうとしたが、リヒターは一歩も引かなかった。
「財政に余裕があるだと?とんでもない。財政支出は加速度的に上昇していて、一方、帝国政府は減税の上、福祉を拡充させると言う無理難題を敢えて推し進めることで、民衆の忠義を買っている。これは比喩ではないぞ。帝国によって征服されたばかりのフェザーンやノイエラントの民衆が大人しくしてくれているとすれば、それは文字通り彼らの忠義を我々が買っているからだ。平和のためには、この支出は削れん」
「しかし幸い全体として経済は順調に伸びている。税収の増大も期待できよう」
 ラインハルトが最後の親征に赴く直前に新設された産業省を統括する産業尚書のライヘナウが言った。
「ライヘナウ。私はたった今、帝国は減税を行っていると言ったばかりだが。経済規模が拡大してもそれを上回って減税を行えば、税収は増えん。帝国の財政構造は明らかに小さな政府を志向しているのに、民政省や産業省、工部省は大きなことばかりやって、財政のことなど欠片も気にしておらん。まったくもってけしからん」
「リヒター。そもそも新王朝の理念から言えば、民生の向上に尽くすのは当たり前ではないか。卿とても、窮乏する農民を放置しておいていいとは思っておらんだろうに」
「ブラッケ。財政が破綻すると言うことは政府が破綻すると言うことであり、そうなれば未曽有の混乱と悲劇が人類を覆うだろう。このままゆけば、数年以内で赤字国債を発行せねばならなくなり、その規模はひたすら拡大してゆくであろう。皇太后陛下に申し上げる。確かに帝国財政はリップシュタット戦役の後、一時的に改善されましたが、いつまでもそれに頼っていていい状況ではありません。貧窮する農民を救済なされるのはよろしいでしょう。では、都市の貧困層はどうするのか。農民のみを優遇するならば、不平等の極み、遺恨の種をばらまくことになりかねませんぞ」
「もちろん、都市の貧困層にも相応の手当ては必要でしょう。それはそれで別途に行うとして、辺境星系の人々を流民化させないためにも、治安問題としても農民対策は必要です」
「もちろん、おっしゃることはごもっともです。しかしごもっともだからと言って、やれることとやれないことがあるのはお分かりでしょうな。せめて財政的な裏付けをはっきりとさせていただきたいものです」
 このところ、リヒターは財政の鬼と化していた。創建の時代なれば、誰もがあれもこれもと多くを望み、リヒターのようににらみがきく者が財政番を務めなければ帝国財政はひたすら流動化してしまう懸念が強まっていたからである。政府部門すべてが何をやるにしても財政出動は必要になるわけで、リヒターはすべての尚書たちに噛みついていた。ゴールデンバウム王朝下の最も暗い時代の頃から、彼が節を通して民衆のために尽くし戦ってきた事実が無ければ、けんもほろろにはねつけられる者たちはリヒターを民衆無視のごうつくばりと非難したかも知れない。いや、社会改革の闘士としての実績があってなお、リヒターをシャイロック呼ばわりする者は各省庁の高官たちの中にもいた。
 財政均衡への徹底した信念ゆえの攻撃は、今まさにそうであるように、皇太后に対してさえ向けられたのである。
「財務尚書はやや視点が偏り過ぎているように見える。農民を救済すると言えばただひたすら国庫を食いつぶすかのようにしか見ておられない。彼らが自立をすれば人材になり、いずれは国富を増大させることを踏まえればこれはむしろ投資と見るべきではないのか」
 先ほど噛みつかれたライヘナウ産業尚書が滔々と述べた。
「あてにもならん投資話をするとは、産業尚書は老婆の資産を狙ってフィナンシャルプランナーにでもなった方がいいのではないか。夢見話に付き合う気はない」
「卿の言はいささか無礼ではあろうが、いつものことだ、ここで腹を立ててもしょうがない。ところで卿はひょっとしたらご存知ないかもしれないが、財務尚書職は内閣の首班でもなければ独裁者でもない。閣議は多数決を以て決せられる。これ以上の徒労に付き合う気はないのは私も同じだ。国務尚書、決を採って決着をつけるべきだろう」
 腕組みをしたまま考え込んでいたマリーンドルフ国務尚書に閣僚たちの視線が集まった。このまま決を採れば、リヒターは確実に負けるだろう。仮に閣議でリヒターの反対案が通ったとしても、皇太后は独断でそれを実行するかも知れない。このところ強まっている財務尚書への反発を思えば、内閣の首座としてはここで路線対立が明白になることは避けたいところであった。
「どうでしょう。皇太后陛下の提議された政策案はむろん有意義なものとは思いますが、財務尚書がおっしゃるのも一理があるように私には思えます。いずれにせよ、現状でははっきりしないことが多いので、決を下すのは尚早だと考えます。費用対効果の見積もりを、産業省と財務省で検討したうえで、後日それを踏まえて閣議で再討議したいと思いますがいかがでしょうか」
 皇太后とほとんどの閣僚たちは頷いた。しかしリヒターはそれでは納得しなかった。
「このままゆけば、おそらくその政策は実施されるのだろうが、並行して更なる行政改革を進めることを諸兄らに求めたい。この1年間で財務省は経費を1割削減したが、他省庁はすべて経費が増加している。なかんずく軍は、2割近く支出が増えている。軍は一体どう対処するつもりなのかこの際、軍務尚書にお考えを伺いたい」
 突然、矛先を向けられてメックリンガーが内心、驚いたが、そのそぶりは見せずに滔々と返答した。
「その支出は幾つかの大規模な軍事作戦に伴うものであり、たまたまそうした時期の数字を抽出する意図にははなはだ遺憾であります。また、そうした純軍令的な支出を除けば、増加している支出は死傷者や退役者への補償や慰労金であって、決して軍が財政的に弛緩しているわけではありません。ご存知の通り、軍が管轄する地理的な規模は約2倍になっているのに対して、艦船や戦闘要員の規模自体はむしろ縮小しています。実際には軍ほど行政改革において成果を挙げている政府部門は他にはないのは明白でしょう」
「甘い。既に大きな外敵は無く、帝国の治安は軍によってではなく、財政負担を民衆に求めないことによって維持されている。これからも軍に存在意義が無いとまでは言わないが、そのプレゼンスを縮小させる必要があるのは言うまでもない。現状ではまだまだ不十分である。この程度のことで満足して貰っては困る」
「お言葉ですが、それはいささかご無体なおっしゃりようではありませんか。今日の平和は自らの血肉を流して戦った者によって築かれたものであり、今後の平和維持もまた同じことでありましょう。財政家によって新王朝樹立がなされたのではないことを指摘しなければならないのでしょうか。平時において乱を忘れれば、この平和もまた一時の夢で終わりましょう。帝国の礎は軍であり、軍を軽視すれば土台が揺らぐことをお忘れなく」
「別に軍の功績を否定しているのではない。しかし過去に功績があったからと言って、不可触の領域を作るならばそれは世襲貴族たちの支配となんら変わらないではないか。ともあれ、尚書諸兄に、特に軍務尚書には言っておく。行政改革において目に見えた成果を挙げないようならば、閣議の決定がどうであれ、私は農民に対する財政支援には断固と反対するばかりか、今後の大規模な財政支出には徹底して反対するつもりである。むろんそれが不服ならば、皇太后陛下には人事権がおありになる。しかし在野の人間となっても、私は政府批判の手綱を緩めるつもりはない」
 ローエングラム王朝の功臣といえば軍においてはミッターマイヤー、オーベルシュタインであり、文官においてはリヒター、ブラッケ、シルヴァーベルヒであった。リヒターはただの財務尚書ではなく、帝国の元勲のひとりであり、彼が多数派とたもとをわかてば帝国政府の分裂は白日のもとに晒される。
 そのおのれの立場の重さを十分にわきまえたうえでの、リヒターが突き付けた匕首であった。