Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(6)

 メルカッツ夫妻には娘が一人いて、名をクロジンデと言ったが、年齢は22歳になっているはずだった。彼女もおそらくメルカッツ夫人と共にいるはずだったが、度重なる移転とその居住地のグレードが目に見えて低下しているのを見て、状況は楽観できないとシュナイダーは覚悟した。
 リップシュタット戦役後、門閥貴族連合軍に与した者たちの資産は没収されたが、ラインハルトはそれ以上の報復は行っていない。リヒテンラーデ公一族に対する処分は苛烈であったが、リヒテンラーデ公は門閥貴族連合に与したわけではなかった。
 ただし、これまで労働したこともなく、勤労者としては無能であった多くの旧貴族たちは、資産や特権を奪われるとたちまち貧窮化した。残されたわずかな資産も多くは金融業者のいいカモにされて巻き上げられた。生活保護の制度はあったが、彼らは身体に異常があったわけではないので、その対象ではなく、ひたすら没落するのを余儀なくされた。教育があった者は、教師などになり糊口をしのいだが、それはまだマシな方で、働かずとも食えると言うことは、「頑張って勉強する」行為を蔑むことにもなったから、数々の特権がありながら、きちんとした教育を身に着けている貴族は稀であった。
 上流貴族の精神は底辺労働者の精神に近似していると言われるゆえんであり、その刹那的なところ、享楽的なところ、努力を蔑むところ、努力もせずに他人を妬むところ、盲目的に全能感を抱いているところ、学問を軽蔑するところは両者に共通する性格であった。資産や特権を失えば、底辺労働者の精神に近似していた上流貴族たちが、そのまま底辺労働者に転落するのも理の当然であった。
 メルカッツ自身は貴族に生まれたと言っても、謹厳な性格から努力と自己鍛錬によって人格を鍛え上げていた。しかしそれも、家産の大部分を引き継がない貴族の三男坊という出自ゆえの、「逆境」ゆえの結果であって、彼の謹厳な性格ですら純粋な上流階級の人々から見れば「貧乏貴族が一生懸命に働いてお気の毒に」という蔑みの対象でしかなかったのである。
 ゴールデンバウム王朝銀河帝国に限らず、階級間の流動性が低い社会では、勤勉さが尊敬の対象になることは稀であった。
 メルカッツ夫人が夫の性格の影響を受けていたなら、そして二人の間の娘が父親の人格的影響を受けていたなら、早い段階でセルフヘルプの精神に転換して、転落を食い止めたかも知れなかったが、リップシュタット戦役後のメルカッツ家の歩みを見ていればどうもそれは期待できなさそうであった。
 メルカッツは自分には厳しい人だったが他者には寛容だった。それは人格的美質と言う点では責められるべきことではないが、威厳を徹底させると言う点で、「甘い」印象を他者に持たせた。門閥貴族連合軍ではメルカッツの指令に貴族たちが従わない局面がたびたびあったが、いかに利己的な貴族たちとは言えども、指揮する人が例えばミュッケンベルガー元帥であれば、その威に抗することは容易ではなかっただろう。非協力的な貴族に対してまで威厳を徹底させ得るかどうかの違いが、ミュッケンベルガーが元帥になり、宇宙艦隊司令長官にまでなったのに対して、メルカッツが上級大将にとどまり、宇宙艦隊司令長官の候補にはなりながらも結局、選任されなかった理由だった。
 門閥貴族連合軍に勧誘されて、当初、断ったのはメルカッツもミュッケンベルガーも同様であったが、メルカッツは家族を人質にとられて引き受けざるを得なかった。ミュッケンベルガーにも家族はいたが、それに対してブラウンシュヴァイク公は人質にとるようなことはしていない。両者の威厳の有無の違いが影響を及ぼしたのかも知れない。
 公務においてさえその才能に比して軽く扱われがちだったメルカッツが、家庭生活において厳格な夫、謹厳な父でいられるはずがなかった。妻に礼儀正しく、娘に優しかったであろうことは想像に難しくなく、それは表面上はどうであれ、本質的には家庭内においてメルカッツに対する「侮り」となったはずである。侮っている相手から人格的影響を及ぼされる人間などいない。
 事実を言えばメルカッツは妻子を防衛するため、あらゆる風雨からの壁となっていたはずであったが、中の人間に守られているという自覚が無ければ、自分も家族のために壁になろうとか、自立しようと言う意思が芽生えるはずが無かった。そういう状況で、メルカッツがいなくなり、世間の風当たりが強くなれば、生きるための技術を何一つ知らないまま荒野に放り出されたようなもので、メルカッツ家の女性たちは何一つ術を持たなかったはずである。
 メルカッツの優しさは結果として、家族から自立する足腰を奪ったわけで、意図はともかく、やったことの効果は悲惨な結果をもたらしているはずだった。
 メルカッツの家族の状況を誰も気にかけなかったわけではない。憲兵隊の報告書に目を通して、シュナイダーは亡きファーレンハイト提督が気にかけていたことを知った。赤貧の貧乏貴族から成り上がっただけに経済的な苦労を知っていたファーレンハイトは、メルカッツが同盟に亡命したことを知って直ぐにメルカッツ家の経済状況を調べさせている。ただし、リップシュタット戦役直後ということもあって、資産没収がその後にあったとしても、それなりの資産があるのを見て、ファーレンハイトは安心した。
 それからすぐに、メルカッツ夫人が資産運用の甘言に騙されて残された財産のほとんどを失ったのだが、ファーレンハイトはそのことは知らないままだった。ファーレンハイトが調査した時に、メルカッツ家が窮乏していれば、ファーレンハイトが助力したに相違ないが、ファーレンハイトもその後、オーディーンを離れたため、その後の変化には気づかなかったのである。

 報告書に記載されたメルカッツ家の最後の居住地には、メルカッツ夫人たちはすでにいなかったが、周辺に移転先を知っている者がいて、そのようにして何度か行き先をたどるうちに、現在の居住地と言う住所に辿りついた。
 住所と言っても、番地もないような大雑把なもので、それを教えた者はシュナイダーに対して、
「そりゃそうだろう、スラムだもの」
 と言った。
 オーディーンの郊外の更に郊外、既に田園と呼ばれるような場所にそれはあった。田園と言っても、かつては田園だったのだろうが、今は不法占拠によって建築されたあばら家が地平の彼方まで続き、電気も無ければガスも水道もない生活をそこの住民たちは送っていた。スラムであるがゆえに町の名などはなかったが、名がなければ不便ではあるので、誰かしらが言い出した名前が仮のものとしてその「町」にはつけられていた。
 その町の名はフェーゲフォイアー(Fegefeuer)、「煉獄」だった。