Struggles of the Empire 第8章(終章) 両雄の勅令(6)

 新帝国暦8年5月1日、シュナイダーは惑星テルヌーゼンの地方都市、アマルフィにいた。アマルフィは人口がわずか2万人であり、これという見るべき物も、語るべき産業も無かったが、その町外れに小さな養護施設があった。
 バーラト星系の養護施設はほとんどが公営であったが、ごく例外的に民間のものがあり、そのほとんどは宗教団体が運営していた。バーラト星系では宗教活動は決して活発ではなかったが、古代よりの宗教のいくつかが細々と存続していて、その養護施設は統一キリスト教会が運営していた。と言っても、宗教教育を施すのは固く禁じられていて、そういうところで育ったからと言って、ほとんどの子は信仰心を持たなかったが、日常的に宗教者と接していれば、影響を受ける子も稀にはいた。
 シュナイダーが面会を求めた少年もそのようであって、会ってみれば非常に穏やかな表情をした、優しそうな少年であった。
 学園長のシスターに同伴されて、面談室に現れたその少年は何人もの幼い子供たちにまとわりつかれながらも、迷惑がる風でもなく、優しく、
「お兄ちゃんはちょっと、お客さんとお話があるからね、あちらで遊んでおいで」
 と諭すのであった。
「まあまあ、子供たちが騒いでごめんなさいね。お客様が珍しいものだから。アーウィンは本当に優しい子で、よく下の子たちの面倒を見てくれているんですよ。できればここに残って、私たちの後を継いで欲しいくらいなんですが、この子には将来がありますからね。私たちの都合を押し付けるわけにはいきません」
「そうおっしゃっていただけるだけで僕は本当に幸せです。ここに来て、僕は初めて家族のぬくもりを知りました。園長先生は僕のお母さんだからなんでもお手伝いするのは当然です」
 アーウィンと呼ばれたその少年はにっこりと笑った。この子にはどこかしら人の心をつかむところがあり、それだけでシスターはとろけるような喜びを感じるのであった。
アーウィン君は、物心ついた時からこちらに?」
 シュナイダーは尋ねた。それについてはシスターが答えた。
「いえそうではないんですよ。あれは7年くらい前かしら。あの頃はあなたは痩せて小さかったわよね。叔父さんとおっしゃる方が、アーウィンを連れてきて、面倒をもうみられないから、頼むとおっしゃって。あなたはあれから半年くらいはほとんど口も利かないで、沈んでいたのよね」
「もうずいぶんむかしのことです。僕はあの頃は他人を信じられなかったんです。そんな僕をここの人たちは受け入れてくれて、次第に笑うことを覚えていったんです」
「失礼ですが差支えなければ君の社会保障証を見せてもらってもいいかな」
 アーウィンはそう言われるのを予想していたのかそれを持参していて、シュナイダーに差し出した。社会保障証は自由惑星同盟の時代からすべての同盟市民に配布される身分証明証で、そこにはアーウィン・シルヴァー、と書かれていた。
「ハイネセンの生まれなんだね」
「そうらしいんですが転々としていて、ハイネセンのことは正直記憶にありません」
「たぶん私はハイネセンで君とは何度か会っていると思うよ」
 シュナイダーがそう言うと、アーウィンは笑みをたやしはしなかったが、明らかに表情をこわばらせた。
「まあ、では、この子のおじさんのお知り合いですか」
「ええ、そうです。もうこの子のおじさんはいませんが、言伝のようなものがあります。園長先生、差支えなければ、アーウィン君としばらくふたりだけにさせていただいてもよろしいでしょうか」
「え、ええ、それは構いませんが、それでいいの?アーウィン
「はい。僕からもお願いします。我がままを言ってすいません」
「分かったわ。用があるならすぐに呼んでね。子供室にいますから」
 そう言って、シスターは立ち去った。シュナイダーは立ち上がり、窓の外の運動場を見ながら話し始めた。
「君のおじさんには苦労させられた。二重に罠を仕込んでいたんだからね。ランズベルク伯は、銀河帝国正統政府の崩壊の直前に、短期間、ハイネセンを離れている。そして混乱の中、ハイネセンに戻り、気が狂ったふりをして、遺体安置所から少年の遺体を盗み出して、その少年が彼がハイネセンからテルヌーゼンに連れ去った少年であるかのように扱い、手記を残した。最初に罠があることは帝国憲兵も気づいたがそれが二重構造になっていることにまでは分からなかったようだ。大した役者だよ、君のおじさんは。残念ながら彼は先年、収監されていた精神病院で亡くなったそうだ。最後まで演じきったってわけだ」
「彼だけが結局、僕のためを思ってくれたわけです。ああいう形で関わった人ですが、今はご冥福を祈りたいと思います」
「ところで私のことは記憶にあるかい?メルカッツ提督の副官としてお会いしたのだが」
「すいません。あの頃のことは本当にぼんやりとしか覚えていないんです。生まれてからずっと、長い悪夢を見ていたようで。メルカッツ提督のことはかすかに覚えています。優しそうな人だった。僕のことを心配してくれているような。でもあの人も亡くなったのですよね」
「私は彼の遺志でここに来たんだ。君が幸福かどうかを確かめて欲しいと」
「僕のことを気にかけてくれていた人がいたんですね。それだけで僕は十分にしあわせです」
「君はここで十分にしあわせそうだね」
「ええ、とてもよくしてもらっています。僕の一族の人たちもこういうところで育てられたらあんな風にはならなかったでしょう。それが残念でなりません」
「君は元の立場に戻る意思はあるのかい?」
「それだけはごめんこうむります。今の皇帝にも僕は同情しているんです。彼の父親は好き好んでその立場になったんだからそれでいいでしょう。けれども子供にまで重荷を負わせるのは、負わされる身のことを考えれば気の毒としかいいようがありません」
「そうだね、私もそう思う」
 シュナイダーは右手を差し出した。アーウィンは不思議そうにその手をとると、シュナイダーはアーウィンの手を強く握った。
「しあわせになってくれてありがとう。あの混乱の中では多くの人たちが不幸になってしまった。そんな中で、年端もいかない子供だった君のことがずっと気にかかっていた。君が今、しあわせでいてくれて、報われた思いがする」
「そうおっしゃっていただけると、僕も嬉しいです。本当は、僕の立場だったらしあわせになってはいけないんでしょうけれど。僕の一族は多くの人たちを不幸にしましたから」
「だからと言って、君がそれを背負う必要はない。君は君だ。君の人生は君だけのものだ。そうだろう?」
「そう思ってもいいんでしょうか」
「君の人生はまだ始まったばかりじゃないか。ここはとてもいいところだけれど、そう遠くない日に君はここを出ていかなければならないだろう。違うかい?」
「ええ。シスターたちは残って欲しいようですが、いずれはそうなるとしても、その前に世界を見てみたいんです。僕がいなくなってしまったことで、世界がどうなってしまったのか。それが義務のような気がして」
「君が負う義務なんてないんだよ。でもそういう気持ちがあるなら、私と一緒に旅をしてみないか。そう、君さえよければ、私の息子として」
「僕が、シュナイダーさんの息子に?」
「そうすれば君は少なくとも私をしあわせに出来ると思うよ。まずはそこから始めてみてはどうだい?」
 シュナイダーはにっこりと笑った。
 アーウィンは数秒とまどっていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。
「嬉しいです。僕にお父さんが出来るなんて」
「君はこれからもっともっとたくさんのしあわせを知るだろう。そしてそのしあわせをいつか他の誰かにも与えられるようになったらいいね」
 アーウィンは強くうなづいた。
 シュナイダーの旅はこうして終わった。シュナイダーは結局、「エルウィン・ヨーゼフ2世」を見つけることは出来なかった。しかし、代わりに息子、アーウィン・フォン・シュナイダーを見つけた。
 シュナイダーの旅は終わり、シュナイダーとその息子の旅が始まる。

                                               (完結)