(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

論理性と年配

こう見えてもタケルンバは論理的思考をするよう心がけているのである。中でも大事なのは「手段と結論を混同しない」ことであり、「前提・手段・結論をセットで考える」こと。ここをしっかりするだけでも十分に論理的になるし、大概の矛盾は解消されるし、一番大きいのは自分にで答えを出せるようになるんですよ。
例えば電車内のマナーの問題。携帯電話の話をしましょうか。電車内では携帯電話を使わないというのがマナーということになっております。この話、こういう前提・手段・結論の関係になっております。

  • 前提1 公共の場所では人に迷惑をかけてはいけない
  • 前提2 電車内は公共の場である
  • 前提3 携帯電話の喋り声は他人にとっては不快だ
  • 手段  電車内では携帯電話で話さない
  • 結論  電車内のみんなが快適

ではこれを考慮に入れて以降の点を考えてみましょうね。

小声で話すのもダメ?

OKです。何故ならば、前提3にあるように電話の話し声が他人にとっては不快だから携帯NGなわけですから、他人にとって不快にならない程度の小さな話し声ならOKなはずです。迷惑防止のためのマナーなわけなんで、迷惑でも何でもないんならOKです。

携帯で話さねえよ。じゃ、友達と直で大声トークすっから

NGです。前提1にあるように、人に迷惑をかけるかどうかが大事なわけで、そこがOKとNGの境界線。携帯かどうかじゃないのよ、この判別は。極端な話、静かに携帯で話す女子高生と、ベチャクチャ大声で話すオバちゃんを比べたら、オバちゃんの方がダメなわけです。

小声だろうが何だろうが、携帯はペースメーカーを狂わせるので困る

こうなるとOKでもNGでもありません。何故なら前提が変わるから。

  • 前提1 電車の乗客には心臓にペースメーカーを着けている人がいる
  • 前提2 携帯電話はペースメーカーを狂わせることがある
  • 手段  電車内では携帯電話を使わない

とまあこうなるわけです。前提が変われば理由が変わり手段も変わる。話すのだけではなく、使うこともならぬ。そういうことになるわけですな。また「携帯はペースメーカーに悪影響を及ぼさない」となりゃまた話が変わります。悪影響がないなら当然に使用OKです。論理的に考えると、実はこういう柔軟な視点も生まれるのですよ。
で、最近思うのは、こういう理由付けで考える人が少ないなあと。ルールだとかマナーの字面にとらわれすぎというか。さっきの携帯電話の例なんか正にそうですが、ルールの文面は忠実に守るくせに、文面にない残念なことをする輩が多いなあと。さっきの例でいうオバちゃんの話ね。で、こういう偏屈なのは年配に多い。若いヤツの方が意外と本質がわかっているし、何故ダメなのか理由を説明すると納得する。年配ほど「そんなルール書いてねえぞ」的な残念ギレするんだよね。ま、もっとも年配までわかんねえできたから、今更直す余地もねえんだけど。
オレが「最近の若いヤツは」的な話に懐疑的なのは正にこういうところで、「最近の年配は」という事例があまりに多すぎていかんと思うのだ。……ま、最も根源的な話すると、批判対象の若いヤツとやらの親は年配だから、若いヤツがダメということは、年配の親の教育具合がボンクラだったわけですけどね。ダメな親からダメな若いヤツが誕生したという単なるブーメランなわけで。「オメエが悪い」の一言を捧げる次第。日本の未来はそんなに暗くありませんよ。