(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

JTとか生協が悪いんじゃね?

餃子。日に日に戦火は拡大しとるわけですが、心配なのは批判の方向が全然違うことね。気がつくと「国はなにやってる」みたいな話が広がってる気がするのですよ。「政府しっかりしろ」と。検疫とかの人員が足りないとか言い出すところも出てきてるし。何かおかしい。話が別な方向に行ってる。
話の根本は「毒入り餃子を売るんじゃねえ」なんですよ。そこが入口。でもって出口は「毒入り餃子を作るんじゃねえ」。で、この双方に国とか政府とか公の機関は本来関係ないわけ。全部民間の会社の話で、民間の会社が起こした問題。被害者も加害者もともに「民」で、「民−民」の問題。本来「公」は関係ねえ。
で、こういうところで国の関与を期待することで、国は肥大化するんですよ。「大きな政府」になってしまう。果たしてそれがいいことか、ここに議論の余地はある。何でもかんでも国にやってもらっていいんかね。それってかえって非効率にならんかね。食なんて「怪しいものは食わない」みたいな自己防衛の領域だし、危険を承知で安いものか、安全を優先して高いものかの選択でもある。人の手が入ったもの、すなわち加工品の方が素材そのものより製造者への依存度が増して、ハイリスクになるのは自明の理。1枚肉よりミンチの方が何入ってるかわからんし、それを餃子とかロールキャベツにされちゃますますわからんという話じゃないかね。
まあ古舘みたいなヤツは何でもかんでも国のせいにするのが楽だし、広告元を失うなどのリアルな損害もないので(JTの広告がなくなるリスクを考えりゃわかる)、マスコミはこういう方面に話を向けやすい。でもこういう話と、何でも国に期待する意識が日本の財政難につながってるんだよね。道路作って下さい。新幹線通して下さい。老後の暮らしを保障して下さい。医療を充実させて下さい。高い教育を子どもに与えて下さい。こういう願望をかなえると、国の仕事は増え、予算は大きくなり、それに携わる人員も増えると。そういう単純な話なんだよね。
そして重要なのは、国の関与が増えると民の自由度がなくなるんですよ。その典型例がマンションなどの建築確認。耐震偽装によって「国は何やってんだ」ということになり、それに応える形で公の関与が強まった。その結果何が起こっているかというと、建築確認が全然おりない。だから着工が進まない。こういうデメリットが現実化している。もちろん民に任せたところで、今回の問題のような不都合はあるんだけども、それはそれとして民の力で解決して、公はなるべく絡まさないようにするのが大人の知恵だし、市民社会だと思うのですがね。何でも国のせいにするのは間違いだし、何でも国に期待するのも間違い。
大体において悪いのはJTとかの販売元なんだから。国を叩く前にJT叩けばいいのよ。そうなりゃJTもより安全性を高めるだろうし、その過程でより良い中国とかの業者とか、よりよい素材を使おうとするはず。まして生協なんかはかなりの前科モンなわけで。ミートホープの事件でも彼奴らは絡んでたしな。コロッケとか売ってたし。国のあり方より、生協のあり方の方がよっぽど問題のような気がしますですよ。批判の順序を間違っちゃならねえ、天洋食品を電話攻めする前に、JTとか生協を電話攻めしては如何?