(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ウマウマドアラ

ウッーウッーウマウマ(゜∀゜)」がJ-CASTどころかYahoo!のトピックスにまで上がっていてビックリ。

第2のマイアヒになりそうな展開ですね。某社の動きも気になるが。
個人的にはこのドアラバージョンがお気に入り。


ドアラはこれ以外にも実にいい味だしてるのです。
棒立ちするドアラ


出るきっかけがつかめないドアラ


踊りを覚えてないドアラ


自由だ、ドアラ

男のアップダウンクイズ

YKKって凄いのね。

気候条件の厳しい高山などで、ファスナーの具合が悪くなったりしたら、下手すると命に関わる。命に関わらないまでも、寒さにかじかんだ指先で調子の悪くなったファスナーを無理矢理に開閉するというのは、かなりのストレスだ。
あるいは、寝袋のファスナーを開閉するときに、生地を噛んでしまって動かなくなったりしたら、本当にもう泣きたくなってしまう。だから、アウトドアウェアや寝袋に YKK のファスナーが使ってあるというのは、それだけで信頼される製品ということになる。

YKK 神話: tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃)

それはそうだなあ。話はこと防寒具に限らず、寝袋やテントにもファスナーがある。雪山ではファスナーのトラブルが生死を分けることがあるのでねえ。当たり前に、いつもどおりに、何事もなく機能することが大事。そういう信頼性であり、ブランドなのね。
日本の服はダメだという論旨の方でも、YKKだけは褒めてます。

※でもジッパーだけはYKK。工業製品ならやはり日本。

http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20080308

あら、やっぱり凄いのね。やるなあ、YKK。
ところで、こっからは毎度おなじみ下世話な話になるわけですが、日本男子に問います。
「チムコをファスナーにもってかれたら、どうしてる?」
男なら一度は経験があることだと思うんですよ。特にガキの頃に。大人になってからはさすがにないけど、小さいときに1回や2回ははさんでいるとおもうんですよ。YKKにもってかれてると思うんですよ。肉なり皮なりを。
そういう場合、結構究極の選択なのよね。まずはジッパーを上げるか下げるか。「オレなりのアップダウンクイズ」がはじまるわけですよ。上げるべきか、上げざるべきか。「to up or not to up」というハムレットのセリフでおなじみの。そんなセリフねえよ。
まして力加減も大事な要素であります。一気にガツッとハードにソリッドにいくか。はてまたジワジワとソフトにマイルドにもってくか。これまた究極の選択なのです。「to hard or ……」あ、もういい? ハムレットはチムコで悩まない?
でも話は深刻なのですよ。何しろ自分の息子がYKKに人質にとられているのです。ジッパーのわずかな隙間ごしに、捕らえられた我が息子が見えるのです。「カムバック、マイサン」なんですよ。無事をただ祈るのみ。
ところが、最初にガキの頃にあるという前置きをしたように、この決断を下すのはガキなのです。実の親から見れば「帰って来い、息子の息子」なのです。「カムバック、マイサンオブマイサン」なのです。結局何も出来ず立ち尽くすばかりなのです。ああ、神は我に七難八苦を与え給うた!
自分の経験上はとりあえずジッパーを逆方向にガツッとやるのがいいとは思うんですが。ガキのときもこうしてたし。皆さんはどう解決してましたかね。それともこういうトラブルに悩んでいたのはオレだけですかね。
夏休みの水泳教室で、家で水着を履いて行き、替えのパンツを持って行くのを忘れたときによくあるトラブル。帰りノーパンは悲劇の一里塚。男のどうでもいいファイナルアンサーでした。

困ったちゃんに困った

この記事を新銀行東京に関連付けて書いたわけですが。

なんか自民党とか福田大首相が「困ったちゃん」になりつつあるんですが。

経営状態が改善しない企業を揶揄して「アクセルとブレーキを両方踏んづける」という表現をよく見掛ける。企業が苦境に陥っているとき、売り上げを伸ばすか、経費を削るかの二択で経営者は頭を思い悩ませるが、一部の経営者は何の矛盾も気付かずに「よし。お前ら明日から経費使うな。無駄な人間は全部解雇だ。営業所も閉じろ。で、来月の売り上げは2倍にしろ」とか無理を言う。

http://nvc.nikkeibp.co.jp/nveye/komata/20080306_001081.html

で、最近の動き。テレビの深夜放送とか、コンビニの24時間営業の自粛を求めるんだって。

政府の「地球温暖化問題に関する懇談会」で、深夜放送のほか、24時間営業のコンビニエンスストアなどの見直しについて議論していく考えを示した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2008030700401&j1

ということは、その分、経済活動は減るわけだよねえ。深夜放送がなくなる分、テレビ番組は制作されなくなるし、広告料も発生しない。コンビニの売上も減るしね。稼働時間が減るわけだから。
でも、給料は上げろって言ってるんですよ。福田大首相様は。

「景気浮揚のためにも春闘に期待する」と賃金上げへの協力を求めた。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080307k0000m020115000c.html

……おお、困ったちゃん。売上減らすような自粛を求めておいて、給料は上げろと。そいつは無理だ、無理筋だ。
自粛は環境を理由にしているけど、環境の結果暮らし向きが悪くなったら何の意味もないのにねえ。いい暮らしのための環境なので。いつもよく書くことだけど「健康のためなら死んでもいい」みたいな話。「環境のためなら貧しくなってもいい」と。「でも給料は上げて欲しいんだよ、ちみい」と。……おお、わかりやすい矛盾。そりゃ不可能だべや。
結局今政府がやっていることって、こういうテンションの下がる規制の話ばっかなんだよね。あれはダメ、これはダメ。それはしてならぬ、これもしてならぬ。これはやめなさい、あれはやめなさい。でもそれだと経済活動は小さくなるんだよね。今までやってたことができなくなるし、新しいことはますますできない。
自転車の3人乗りなんて話もそうだよね。結局OKになったみたいだけど。でも一事が万事この調子。これだと何にもできない。かつての日本に逆戻りだし、あるいは昔より始末が悪い。それこそ「イギリス病」と言われた頃のイギリスそっくり。「失われた10年」どころか、20〜30年も前のイギリスかよ。そのうち「失われた半世紀」になるんじゃね?
こういう反省があるから規制緩和って流れができたんだけどねえ。すっかりその流れが止まり、逆流開始。物事は全て内向きに、縮小縮小の方向に向かってる。それでいて給料上げろ、景気良くせいと言うヤツがいる。この論理矛盾に気付かない困ったちゃんが政治家に多いって困ったもんだよねえ。しかも首相だったりするし。困ったちゃんに困ったもんだ。

本日のニコニコ動画 朝からオサーンはむせび泣く

せっかくニコニコも貼れるようになったので、積極的に貼っていきますか。ま、たまたま朝っぱらからオレの琴線に響きまくる曲を聞いちゃったからなんだけどね。はしだのりひことクライマックスの名曲「花嫁」。


結婚式に聞くと感涙間違いなし。藤沢ミエの歌声も渋い。
……あ、YouTubeにもあるでやんの。というか、YouTubeから移したのか。


再生しやすい方でお聞き下さい。

自由すぎますか?

やるようになってから知ったんだけど、セルフブックマークって良くないことらしいね。

売名行為の一環と受け取られかねない恐れもあるので、使い方には注意が必要。

セルフブックマークとは - はてなキーワード

わお、そんな大ごとなんだ。くわばら、くわばら。
でも、こういうネット界の常識とかルールみたいなことをオレはよく知らんのですよ。わかって行動しているわけじゃねえんです。このあたり適当なんですよ。
一応オレだってネット界では古参の部類には入るはずなんですよ。零細ながら、個人でサイトを10年以上やってるし、はてなにブログを構えてかれこれ4年なんで。無名だけど、キャリアはそこそこある。ド素人でもないし、ド新人でもない。至って普通のユーザーですよ。どこにでもいる一般人。
で、こういう一般人にとっては、こういうネット界のルールなんてどうでもいいことなんですよ。そもそも、そういうルールの存在を知らないんで。指摘されたり、何かのきっかけでそういうことになっていることを知って「へ?そうなの?」ってなもんで。
またルールがあったところで「だからどうした」でもあります。「それで何なの?」と。そもそも一般化されてないルールを守ってもしょうがないしねえ。そういうことがあることすら知らないんだから。こういうことを書くと「ググレカス」と言われちゃうんだけど、わざわざググらなきゃいけないってことは、一般化されてないっていう裏返しなんですよ。一般生活の中で出てこない、非一般的なルール。
で、こういうことがあまりにも多いような気がしまして。一部の一部による一部のためのルール。なんか勝手に「ここではこうだから」っていう感じの。ムラのしきたりっていうのかな。そういうおもむきのローカルルール。
例えるならば、燃えるゴミの日が月・金だと。そこで月・金に燃えるゴミを出していたとする。ある日、近所のオバちゃんがやってくる。「この集積場では燃えるゴミは月曜だけでお願いします」と。そういうことになったんだと。
ところが役所に聞くと「月・金で変わりないですよ」と。「月曜だけにしてませんよ」と。どうやら近所のオバちゃんが勝手に決めたらしい。ところがそのオバちゃんは近所全員にそれを触れ回り、金曜にゴミ出ししようものなら怒り出す。そのうちその地域は金曜に燃えるゴミを出さなくなった……。こういう話に近いような気がしまして。金曜に出しても問題ないのに、勝手に規制し、いつの日かそれが決まりみたいになった。こういうことじゃね?
でもそんなルール持ち出されても困るんだよね。そのルール形成に参加したわけじゃないし、認めたわけでもない。まして、そのルールが正しいということになってない。対立意見が結構あるもの。議論に決着がついてない。結論が出ていない。
セルフブックマークにしても、それで自分のエントリーを分類できる意義もあるしさ。コメント欄でやりとりすることもできるんだし。別にいいじゃない。そういう使い方もあるでしょ。そういう使い方がダメとは言えない気がしますな。
この手の常識とかルールとかはすべからず疑ってみてもいいような。巷間言われている以外の使い方が機能的だったりするしね。で、そういうことが新発見につながるわけだし。誰かの常識に従うと、何も新しいことは生まれない。新たな試みをしてみる。その試みの結果、何らかの結論を得る。そして次の新たな行動に移す。この繰り返しであらゆることは進歩するので。あんまり常識に縛られるのもどうかねえ。
そういう意味で、コアな世界にどっぷり漬かるのも考え物。既存の常識やイメージから抜けられない。「2ちゃんねらー」とか「はてな村」とか「VIPPER」とか、そういう属性や世界観みたいなものはたくさんあるけど、そういう属性・世界観を他に押し付けるのはつまらん。ネタにするのは面白いけどさあ。「またVIPPERのしわざか」とか。そういうのはいいんだけど、権威みたいにしてもしょうがないでしょ。自由だから面白いわけで。「はてな村は議論好き」って言うのも、ネタならいいけど、それを議論押し付けの口実にされちゃ困る。それにはてな利用者だからって、勝手にはてな村の住人扱いされても困るし。別にそこまで考えてはてなを使っているわけじゃないんでねえ。そういう人って多いと思うぞ。
既成概念や既存のルールや常識やイメージとかけ離れたところに、ネットの自由さとか意義があると思う今日この頃。もちろん犯罪とかは困るし、守るべき最低のラインはあるけど。それさえ守っていれば、各々自由に好き勝手にやればいいんじゃないかねえ。ワタクシ、自由すぎるでしょうか?

見えないものは信じない

「悪貨は良貨を駆逐する」ですね。

仮に良心的な生産者がいて安全性の高い食品や医薬品を生産していても、買い手は市場にあるのは安全性の低い食品や医薬品ばかりだと考えますから、その生産者を信用せずに低い価格をつけるでしょう。安全性の高い食品や医薬品は生産コストも高いですから、高い価格で買ってもらえない良心的な生産者は利益を得られず、市場で負けてしまうことになります。

そういう面はあります。またそう考えているので、すべからず信用してません。どんな美辞麗句があろうと、どんな会社がつくっていようと、同じ扱い。どれも一緒だと考えているので、自然と同じ値になる。いくらちゃんとつくっていても同じなので、つくりかたも一緒になる。こういう負のスパイラルは確かにありますわね。国内にブランドがない。ブランドが成立し得ない。それが中国の現状。
ただここに付け加えさせてもらうと、中国の国民性も影響しているんだよね。唯物論的な側面。彼らは目に見えるものしか信用しない。自分で見たものしか信用しない。リアルなものが全て。見てないもの、バーチャルなものは一切信用しない性質がある。
これは市場に行けばわかるんだけど、市場には加工食品がほとんどない。魚は魚のまま、肉は肉のまま、野菜は野菜のまま置いてある。そして魚の切り身が欲しい場合は、目の前でぶつ切りにしてもらう。豪快に中華包丁でダンダンダンと。肉も野菜もそう。切り身の状態では置いてない。生のまま、丸のままが普通。理由は簡単で、切っているのを見ないと信用できないから。魚であったものを目の前で切り身にしないと、それが魚の切り身であると思わない。そのくらい疑っているし、信用していない。
つまり彼らはブランドみたいなものを信じていない。付加価値を信用してないんです。大事なことは、それが本当に魚であるか、肉であるか、野菜であるか。唯物論的であり、本質論的なんですよ。伝聞情報は意味をなさない。目の前で見たものだけがリアル。見えないものは信用しない。
ちなみにそんな彼らでも日本産のものは信用してます。何故なら、日本のものは生食でも大丈夫だということを知ったから。これは寿司の効果で、寿司を通して彼らは日本産のものを生で食べるようになった。その結果、日本産のものは大丈夫だと理解したので信用してます。あくまで実体験というリアルを通して判断するのは彼ららしい。
とはいえ、完全には信用してないんだけど。せっかく買ってきた松阪牛を、彼らは水洗いしてから食べてたりします。食材用の洗剤で洗ったり、食材用のオゾン洗浄機みたいなヤツを使ったりしてます。彼らにとっては肉は洗ってから食うものなのでね。このあたりも洗わずに食べてみて大丈夫だとなりゃ変わるところなんでしょうけど。「肉を洗う」というのは日本人から見ると革命的な行動に見えて面白い。

本日の香港ダメ資料館 安全だといいね

これは香港の結婚式。日本のゴンドラとはちょっと違う。

天井吊り下げ型。モノレール方式と言うんですかね。設備に金かけすぎだろ。


新郎新婦、メッチャ笑顔。「安全第一 特色設計」であるけど、安全だといいね。グッドラック。幸せになれよ。