(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

米軍兵士への米軍兵士による米軍兵士のための性暴力

アメリカの国防総省が米軍兵士による性暴力事件についての報告書をまとめたそうで。

この中身が大変香ばしい出来になっております。

米国内外での米兵によるレイプなど性暴力事件の発生件数は2688件で、ほぼ前年並み。このうち、被害者が名乗り出て刑事告発に踏み切ったのは2085件。被害者は、米兵が1511人、米兵以外が574人となっている。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080315-OYT1T00534.htm

刑事告発に踏み切った2,085件のうち、米兵の被害者は1,511人。……75%は軍内ですか。
調べてみたら性暴力事件のほとんどが軍内消費という事実。米軍兵士は米軍兵士とよろしくやっているようです。但し強引に。
いつもいつも大変香ばしいご報告、ありがとうございました。

大人のバカ話

いい大人がただバカ話をしてるっていいよね。

今日のゲストは映画評論家の町山智浩氏。えんえんとバカ話、エロ話、ヨタ話。

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共通の話題。メガネ、エロ、怪獣、映画、そしてサブカル……。友達っていいよね。年をとっても共通の話題で盛り上がれる仲間。
ちなみにこれ、19時からの番組なのですが、冒頭からいきなりクンニ話(笑)。みうらじゅん、テラフリーダム。

逮捕のBGMは「世情」

結局2人逮捕されたようですね。福岡県の中学生。

やむをえないですわね。遅きに失した感はあるけど。本当はこういう結末にならないうちに、きっちり教えなければならないんですが。多少ひっぱたいてもねえ。ダメなことはダメと教える。それが大人の仕事だし、親の責務だし、教師の職務だと思うのですが。
ま、オレ世代の人間は中学生がタイーホと聞くと金八を思い出してしまうわけで。中島みゆきの「世情」。


こんなきれいな話じゃねえか。

これが噂のエ○カ様か

発売中止になった噂の「エ○カ様」AVがニコニコに上がってたぞ。


似てる(笑)。というか、やり過ぎだ。金かけてそうだし。発売されないのが惜しいぞ。

本音ズバリ過ぎて恥ずかしい

脳内ブログメーカーをやってみた。

  • 2008年03月15日

あーあ、なんかすごいエッチなことしてーなおい。
エッチなことできるんだったら金に糸目は付けないっつーの。。
エッチなことしてくれる人出てこいや!
goo×うそこメーカー

リアルすぎてワロタ。

エッチなことしてくれる人出てこいや!

マジでお願いします。無料だとうれしいです。

グッドラック新社会人

そろそろ新入社員デビューの季節。セブン&アイなんかはもう入社式を済ませたようですが、それに伴って新人向けのありがたいエントリーも上がってきてますね。

折角なんでオレもやってみようっと。

出勤はラッシュを避けよう

とにかく早めに出勤する。会社で出来ることは会社でやるようにして、さっさと家を出よう。メシは会社で食べてもいいし、会社の近くで食べてもいい。ネクタイは会社の直前で結べばいいじゃないか。駅のトイレとか。まずは会社の近くまで移動しちゃおう。
すると通勤が楽だ。ちょっと早く家を出るだけで、通勤環境は劇的に改善する。試しに7時台の電車に乗っている人は、6時台の電車に乗ってみるといい。混雑の状況が全く違うはず。
こうなると体が楽だ。朝の体力消耗が少ない。ギュウギュウの満員電車に揺れなくてもいい。知らないおねーちゃんのヒールに足を踏まれて「アツーッ」の心配もない。それどころか、車内で新聞を広げるゆとりが生まれる。あるいは本を読んだり、音楽を聴いてリラックスしたり。ただの通勤に意味を持たせることができる。
人がいない時間に通勤してみよう。

朝メシは必ずとろう

バナナ1本でもいい。おにぎり1個、サンドイッチ1つでも構わない。とにかく何か食べる習慣をつけよう。やっぱり食とはエネルギー。昼までの活力が全然違う。食うと食わぬは大違い。
また、そういう時間がとれるような生活にすべきということでもある。食事もとるヒマがないというのは何かがおかしい。何故なら、新人は社内で最も仕事ができない人なわけで、最も仕事が楽な状態のはず。その状態でメシも食うヒマがないとしたら、その後は絶望的だ。そのうち昼もダメです、夜もダメです、寝る時間もありませんと追い込まれる一方になる。
新人のうちに、ヒマなうちに持続可能な生活習慣を身につけよう。

メシと新聞は会社で

具体的にはこういう作戦が有効。家でメシを食い、新聞を読むのではなくて、それを会社でやろう。朝起きてからすることの順番を少し入れ替えるのだ。
すると、全く同じ時間に起き、全く同じ時間をメシと新聞読みにあてたとしても、効率が違う。何故なら、移動を先にすることで出勤が楽になる。ラッシュに巻き込まれない。順番を入れ替えるだけで、体の負担は劇的に改善する。
特に一人暮らし、コンビニメシが主体の独身男は家でメシを食う意味があんまりない。どこで食っても一緒だ。会社で食おう。

人がしていないことをしよう

しばらく会社に通っていれば、そのうち「これ、誰もやってないなあ」というものに気付くはず。そういうものから積極的に手をつけよう。誰もしていないことをやろう。人と同じことをしていても違いは生まれない。人と違うことをすることで違いが生まれる。誰もやらないことをすることで、あなたしかできないものができるかもしれない。ま、これは大げさだけども、そういうつもりでやろう。どうせ新人。やることは少ないし。
但しその場合は「ホウレンソウ」を忘れずに。意図的にそれが放置してある場合がある。地雷である可能性もある。あらかじめ確認してから取り組むこと。そうすればさりげない自分アピールにもなる。「誰もやってないことに気付いてますよ」という主張になる。「こいつは気が利くなあ」と思ってもらえるかもしれない。積極的に動いてみよう。

わからないことはどんどん聞こう

じゃんじゃん聞きましょう。どんどん聞こう。じゃないといつまでもわからないままだ。わかろうとしないと、いつまでもわからない。そのためには聞かないといけない。自分が動かないといけない。自分から教えを乞いに行く。それによって次のステップに進める。
但しその際は、わからないことを明確にして聞こう。「何がわからないのかわからない」では教えようがない。どの点がクリアになればいいのか。どこを解決したいのかを特定する作業が必要。つまり、考えたこともない状態で、人に聞くことはできない。多少なりとも自分で考えないと、問題点の把握とか、それに対する自分の現状がつかめない。
人に聞くためには、聞くための準備が必要ということ。その準備をした上で、じゃんじゃん人に聞こう。

同じ失敗を二度はしないようにしよう

失敗は悪くないんです。失敗をすることで学ぶことは多いので。でも、二度同じ失敗をしてはいけないんです。二度やるってことは、一度目で何も学んでないってことなんです。失敗の無駄使いってことなんで。
そのために必要なことは各自考えましょう。メモをとってもいい。家でノートをつくってもいい。左手に書き込んでもいい。標語をつくって家のトイレに貼っておいてもいい。それぞれができることをやり、同じ失敗をすることを恐れましょう。「失敗を恐れるなかれ、但し同じ失敗の繰り返しは恐れよ」です。
とまあオレが今思うのはこの6項目かなあ。ま、あんまり人に言える立場じゃないんだけどね。何故って? 会社員生活が長続きしなかったヤツに言われてもねえ(苦笑)。
とにかく、社会人デビューおめでとう。ボン・ボヤージュ。あなたのこれからに幸多かれ。

嘆いてなんかいられない

自分は凡人であるし、普通のあんちゃんだと思っております。「自分はマッチョ」だなんて口が裂けても言えませんよ、はい。ただ「自分は弱いんです」なんて卑下するつもりもないんだよね。弱くもない。これがまさに凡人の凡人たるところと言うんですかね。普通以外のナニモノでもないというか。
ただ、こういう意見には非常に共感するのですよ。わしゃ強くもなんともないけども。

そろそろお気づきだろうか。こういった「宛名のない善意」というのは、自らそれを使わなければ何も起こらないということを。たとえ自分の目と鼻の先にそれがあっても、自分で手をのばさなければそれは存在しないも同様なのだ。
しかし、手をのばせば、確かにそれはある。
それが、私を救ったものの正体である。

404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

そうなんだよねえ。あるんだよ、そこに。現実に。宛名のない善意は存在している。手をのばせば届く。それだけ。
オレはそれを「気付き」という感覚と考えています。気付きの材料はある。みんな同じものを見ている。あとはそこからどんな気付きを得るか。
あるものを見ても何も思わない人がいる。一方、同じものを見て何かを得る人がいる。これは気付きの差。小飼弾氏の表現で言えば「料理の存在に気付き、取りに行く」力。刺激に対する感覚の問題。
もうひとつは機会の問題。どれだけ刺激を受ける回数を増やすか。1回で気付かなくても、2回、3回とやれば気付くかもしれない。感覚と機会は気付きの質と量を決める要素。
で、刺激に対する感覚の問題。気付くかどうかに関しては個人差があるから仕方ない部分があるとして、機会の問題はいくらでもあると思うんだよね。いくらでも解決可能。少なくても本は蓄積される一方で、増えることはあっても減ることはない。図書館の蔵書数は増える一方ということは刺激も増える一方。またネットによって得られる情報も格段に増えている。ということは気付きの機会はいくらでもあるんだよね。

食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか。

404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

まさにこういうことで。とにかくまずは手をのばさなくてはいけない。結果はともかく、とにかく食っとく。腹いっぱい食っとく。それで何か気付くこともある。あるいは何も気付かないこともある。ただ、その結果に一喜一憂してはいけない。また食べる。とにかく食べる。そうしているうちに鈍い感覚も少しずつ鋭くなるかもしれない。あるいは食える量が増えるかもしれない。気付きの感度が上がるかもしれない。気付きのチャンスが増えるかもしれない。その繰り返しでしか人はより良くなれないんじゃないかなあ。嘆くより動けですよ。
それに色んなものを詰め込んでいけば、忘れた頃に何か気付くかもしれんし。

とりあえず頭の中に入れとけば、今は役立たなくても、そのうち何かと結びつく。また結びつきを見つけることで、価値が出てくる。

知識はネットワーク - (旧姓)タケルンバ卿日記

こういうもんじゃないですかね。食べ物もそうでしょ。食べた直後に直接的な体の変化はないけども、現在の体はまさしく過去の食の結果であるわけで。役に立たないと思っていた一口一口が血となり骨となり肉となっている。現在とはまさに過去の集積によって成り立つわけで。
となれば嘆いてなんかいられない。とにかく動くべし。何でもいいから動くべし。現在が過去の集積ならば、未来は現在の結果だ。未来を変えるには、現在を変えるしかない。そのためにはとにかく動く。何でもいいから動く。とにかく食べる。食べ続ける。気付きがなくても諦めない。結果がすぐ出るとは限らない。ただ何かをした分だけ未来の自分は変わるはず。現状に不満があれば尚更動くべき。

自己責任(self responsibility)なんて大げさなものはいらない。必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。

404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

自分を変えられるのは自分だけ。難しいことじゃない。何かをしよう。何かをすれば、何かが変わるさ。

まだこういうレッテル貼りをやってるのか

こういう煽りとか、レッテル貼りは関心しねえな。

この出来事の女性職員だわね。

こういう発言をした。けしからんとしても、根拠のよくわからん「中核派」というレッテルをつけていいもんかね。わしゃ非常に疑問ですよ。発言は発言。意見は意見。主張は主張。それとこの人の人格と何の関わりがあるというんでしょうかね。不思議でたまらん。

  • 人格攻撃は御法度

主張はいくら攻めてもいい。間違った主張に対し、間違っていると主張するのは議論として正しい。但し人格は別。如何なる理由があっても、人格は攻めてはいけない。間違っているのは主張であって、その主張をした人間自体じゃない。ここは分けて考えるべき。議論の対象は主張であり論証。氏育ち、家庭環境、民族、人種といった一切は関係なし。

議論のマナー - (旧姓)タケルンバ卿日記

前にこう書いたように、実りのある議論をするためには、人格攻撃はご法度なのですよ。議論の場は論証を検討する場であって、論証をした人間の人格を検討する場ではない。それは議論とは全くもって関係のない不毛な話。

  • 名前・肩書き関係なし

有名人の発言とか、肩書きの立派な人間の言うことが正しいとは限らんのです。議論に名前・肩書きは無用の長物。どんな無名の人間でも、その主張が論理的で実証的であるならば、その主張は正しいのです。逆に肩書きが立派でも、論理も証拠もないのなら、その主張は聞くに値しないわけです。議論の全ては主張にあり、論証にあるわけですな。

議論のマナー - (旧姓)タケルンバ卿日記

同時にこれ。どんな主張でも、それが論理的であり実証的であれば有益。あの女性職員が日頃どういう行動をとっていようと、あの主張に正当性があれば問題はない。逆に知事であろうと、非論理的で非実証的な主張は叩かれるべき。ただ、叩く対象はあくまで主張について。知事個人を叩いてはいけない。「その主張はおかしいです」と言っていいが「その主張をするあなたはおかしい」と言ってはいけない。それが議論のマナーなんだよね。
なのに「あいつは中核派だ」なんてレッテルを貼ったら、議論も何もない。「お前は何も言うな」に等しい。「中核派のお前は意見を言うな」みたいなもんだからね。全く持って不毛。
ま、こういうレッテル貼りはよく見るんだけどね。何かと言えば「在日は」とか「チョンは」とかの差別用語が出てくる。別に在日の方でも中国の人でもいいんだよ。その主張に聞くべきところがあれば聞いた方がいい。それだけのことであって、その人の氏素性・属性は一切関係のない話なんだがねえ。「右翼」でも「左翼」でも何でもいいよ、別に。問題はいい意見かどうかじゃんか。良いか悪いかだけじゃんか。それを何故できんのか不思議でたまらん。理解不能
大事なことは議論をして何かを得ること。そのためには自由に主張できる環境がなければどうにもならん。それを封殺するような雰囲気があることに疑問を感じますですよ。自由は自由を守ろうとする努力がないとなくなってしまうものなのでねえ。ネットで「中核派だ」と言える言論の自由を行使することで、自らの言論の自由を縛る可能性があることを知っておくべき。自分が何か言ってもそう言われちゃうからね。「お前、中核派だろ」って。
報いは必ず返ってくる。因果応報なり。

まことちゃんハウス完成

デザイン変更訴訟とかでもめていた「まことちゃんハウス」が完成したらしい。

どう見てもレゴブロック製です。本当にありがとうございました。
(おまけ)レゴでつくったホーキング博士

チベットがえらいことになっている

どうも中国がキナ臭いことになってきましたな。直接の関係はないものの、ビョークチベット連呼以来、どうもキナ臭い。

最後の曲「ディクレア・インディペンデンス」(独立を宣言しよう)の終盤に「チベットチベット」と叫んだ。

http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200803040019.html

「ディクレア〜」は世界各地の分離独立運動を念頭に書かれた楽曲。

http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200803040019.html

これがあったのは2日。そしてこれに呼応するかのような事件が起こる。まずはウイグル族。7日に航空機爆破未遂事件が発生。その犯人はウイグル族イスラム教徒。

この事件は、北京五輪を控え、政府に異議を唱えるイスラムウイグル族に対する取り締まりが行われている最中に発生した。

中国航空機テロ未遂、19歳のウイグル族女性が計画か 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

10日のインドでのデモはインド当局に阻止されたが。

その頃中国では武力鎮圧の動き。

11日にはデモを実施した僧侶が拘束。

12日、デモ隊に催涙ガス使用との報。

13日はインドにて、亡命チベット人が100人以上拘束される。

そして昨日14日。人民解放軍が僧院を包囲。

暴動は激化。

さすがの朝日新聞も報道する事態。

気がつくとすっかり大暴動。

政権に衝撃。

オリンピックどころじゃねえだろと。

そんな流れになっております。元々中国嫌いで台湾好きの産経グループのみならず、朝日や毎日まで報道を加速させているあたり、事態は深刻っぽいね。
個人的にはこの記事が気になっております。

■15日はポタラ宮近くのRamucheという修道院のリノベーションという特別な日らしい。何かがおこるのか?事態は深刻を極めています。

http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/511887/

そして15日は今日。

胡錦濤国家主席は、すぐダライ・ラマ14世に事態の収拾を助けてもらうよう、丁重に頼むべきです。でないと、血の気の多いチベット族の若い僧侶は抑えられない。

http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/511887/

そして同じくらい現地の共産党幹部の血の気は多い。彼らにとって鎮圧こそが出世の切符なので。どうなることか。大ごとにならねばよいが……無理だろうなあ。
(追記)2008/03/15 19:15

そして同じくらい現地の共産党幹部の血の気は多い。彼らにとって鎮圧こそが出世の切符なので。

この部分がピンと来ない方々にヒント。今回の暴動は1989年以来と言われている。そのとき、戒厳令を出し、チベット自治区の総責任者だった人物の名は……胡錦濤。そう、現在の国家主席。彼はこの成果をきっかけに1992年、中国共産党中央政治局の常務委員に任命される。
チベットの鎮圧は共産党幹部にとっては実績になるということがポイントだ。血は流れても、暴動を抑えたヤツが偉くなる。悲しいことだなあ。

みそ汁バカ一代

確かにみそ汁が苦手って外国人は見たことないな。外国人のみそ汁トーク

比較的シンプルなヤツが人気ですな。そういやオレもシンプルなものがいい。具は多くても3種類。それ以上入れると味が濁る。それはそれでうまいんだけど、具の味がぼやけるんですよね。みそ汁のうまさとは、みそのうまみ、ダシのうまみ、具のうまみ。この3つの取り合わせがいいわけで、具の種類が多いと具のうまみが強調されすぎてバランスが悪い。豆腐だったらワカメとかナメコ。他に足してもネギとか三つ葉が限度。
あと具の量も問題。汁の量に対し、あんまり具が多くてもバランスが悪い。みそ味のついた具もうまいけども、具の味が溶け込んだ汁を味わうのもみそ汁の醍醐味。汁は汁として飲みたい。
目安としては、みそ汁をお椀によそう際、汁だけを足すことなく、具と汁のバランスが決まる感じ。これであればかなり理想的なバランス。おたまでのよそり方にもよるが、最後に汁だけを足すことになる場合は、大抵具が多すぎる。具が多いからこそ、お椀に具が多めに入ってしまうのですよ。それで汁っ気が見た目に足りなくなり、最後に追加で汁だけ足すと。そういうことになる。「ちょっと具が少ないかな?」と思うくらいでいい。
個人的に好きなのはこういうみそ汁。

大根と油揚げ

千六本に切った大根と、刻んだ油揚げのみそ汁。大根は透明になるまで火をきちんと通し、油揚げは遅めに入れる。大根だけではやや味が淡白だが、油揚げが入ることでコクが出て、それに伴って大根のうまさが増す。大根の甘さとみその甘さの対比を楽しみたい。
尚、これをつくるときは一人暮らしでも大根一本買い推奨。大根は日持ちがするし、半分のを買うより割安。また大根の葉っぱもついてくる。この葉っぱをみそ汁に入れてもいいし、菜飯にしてもいい。
菜飯の作り方は、まず葉をみじん切りにし、塩を振りかけて軽く手もみする。ちょっと握って、水分を出しておくといい。
ご飯は炊いた後、軽く上下をひっくり返すように混ぜ、ご飯全体を外気に触れさせる。しばらく炊飯器のフタを開けっ放しにして、蒸気や水分を飛ばしておくのも有効。
そのご飯をボールかなんかにうつし、大根の葉を合わせ、混ぜる。これだけでおいしい菜飯のできあがり。ゴマを混ぜてもうまいぞ。

茄子

茄子のみそ汁というのはシンプルだが、存外にうまい。人によっては青臭いというが、茄子をしっかり煮ると、クッタクタになる。そのクッタクタの茄子と汁のハーモニーはなかなか格別なものがある。
茄子は縦に切っても横に切ってもいいが、とにかくしっかり煮ること。煮崩れ歓迎。内側のタネ部分が崩壊している感じの方がかえってうまい。皮はとらなくていい。ただ切って、ただ煮るべし。

宴会のシメ

罰当たり一族でおなじみのタケルンバ家では、お盆とか法事で一族が集まった夜は宴会となる。

その宴会の最後はオレのつくったみそ汁で締めることになっていた。
どういうことかというと、宴会の際には刺身や寿司が出る。で、余るともったいないし、かといって生ものなので、次の日に食べれるものでもない。それにずっと外気に触れているので、マグロなんかも色が悪くなっている。鮮度的に難がある。
ところが、みそ汁に使う分には問題ない。火を通すので鮮度の問題はない。また酒の締めにはもってこい。みそ汁は体に優しいのだ。炭水化物や脂質も少ないので、中年の体にも優しい。ラーメンで締めることを考えれば、よっぽどヘルシー。それで試しにつくったら好評となり、定着したと。そういう経緯。
作り方は簡単。寿司なら上のネタだけ全部とる。余った刺身はそれはそれで確保。そして鍋にお湯をはり、お酒をちょっと入れる。お酒はお銚子にちょっと残った日本酒でOK。それを拝借する。その後、そこに寿司のネタと刺身を投下する。しばらくすれば、それはそれはいいダシが出てくる。
全体に火が通ったらみそを入れ、ネギをちょっと足せば出来上がり。宴会の余りものみそ汁の完成。余りもの以外で使用したものはみそとネギのみ。これで最高のみそ汁ができる。余りものとはいえ、ついさっきまで生で食べられていた魚がメイン材料なので、味は抜群だ。
冠婚葬祭で寿司・刺身が余ったら是非お試し下さい。手軽でうまいぞ。