(旧姓)タケルンバ卿日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-03-26

たかがシャーペン、されどシャーペン

小学校には何かとローカルルールがある。例えば「シャープペンシル使用禁止」。小学校ではシャーペンを使いことはまかりならぬと。小学生の分際でシャーペンは早いと。中学生になってから来やがれって話で、「ロケット鉛筆禁止」とか「レインボー鉛筆自重」とか、何かと筆記具制限があった。要するに「鉛筆以外使ってはならぬ」という規制

でも「使うな」と言われると使いたくなるのが人情鉛筆削りは面倒だし、何よりシャーペンを使うのがスタイリッシュ勘違いするのが小学生であり、高学年の勘違い。そういう葛藤の中で中学生になる前のひとときを過ごすわけである。

で、そういう経験をした我々世代も親となり、今度は我が子を小学校に送り出すことになる。そこで親として再び「シャーペン禁止」に触れることになる。「お子さんにはシャーペンを使わせないでください」的なお触れ。これに対し、自分が子どもだったときに反発していた向きは、親になってもやっぱり反発する。「へ? 別にいいんじゃないの?」と。

「どう思う?」

たまたま酒席で4月から小学生になる子を持つ知り合いに聞かれた。

「別に何使ってもいいじゃんか。どうせ大人になったらシャーペン使うわけだし。今どき鉛筆使わねえだろ」

うむむ。それはそうだな。何使ってもいいよな。自由社会だし、オレも自由主義者だからよくわかるよ。合理的じゃない話だしなあ。シャーペンのほうが便利だし、鉛筆を強制する理由に乏しい。でもだなあ……。

だが、それがいい

理不尽だからいい

いつもの自由主義的姿勢から、相手はすっかり「そうだよなあ。何使ってもいいよなあ」的な積極的賛意を期待していたようなのだけども、オレはそこまでは思わない。もちろん自由主義者だから「勝手にさせてくれよ」と思ってはいるんだけども、鉛筆を強制することにも意義があると思うんだよね。

「え? 理不尽じゃない?」

こうも言われたんだけどさ。確かに理不尽。でも理不尽だからいい。根拠や理由が明確じゃないからいい。それなのに強制するからいい。そういう側面もあると思うわけですよ。理不尽性にこそ意義がある。

世の中は理不尽ですからね。必ずしも合理性でまわっているとは限らない。よくわからんルールがあるし、思い通りにならないことが多い。それに対する対応訓練になりうるといいますかね。「思い通りにはならないんだぞ」と。「理があってもダメなものはダメなんだぞ」と。それを肌感覚で教え込む効果はあるのかなあと。

シャーペン規制反対派が考える、シャーペン規制問題点そのものが、この規制メリット。理がない、合理性がない、押し付け、強制、めんどうくさい、手間がかかる……だが、それがいい。それを小学生のうちに教え込むことに意義はあるね。理不尽だからこそいい。

不便だからいい

それに不便だからいいんだよね。あえて不便な思いをさせるところに意義がある。鉛筆は削らないと書けないわけですが、そういう不便なところがあるから、シャーペンのありがたみがわかるといいますかね。いきなりシャーペンじゃ、このありがたみがわからない。6年間みっちり面倒くさい思いをしてもらうことで、シャーペンに対するありがたみを感じてもらうと。テクノロジーイノベーションアイディアに対するありがたみとかね。

筆記具にしても、本当は歴史がありますからね。

最初は黒鉛をじかに持って書いていた。手は思いっきり汚れた。

鉛筆発明された。鉛筆ができたことで、手を汚さずにものを書けるようになった。

シャーペン発明された。シャーペンができたことで、鉛筆削りの手間もなく書けるようになった。

単純に考えてもこういう経緯があるわけでねえ。そういう筆記具の歴史に思いを馳せ、技術進化に対する感謝の思いを持ってもらう。同時に利便性を高めることが、如何に社会に貢献するのかを知ってもらう。そういう具体的な経験になるんじゃないかなあ。

段階的だからいい

極端な話、オレは最初は鉛筆削りさえ使わせない方法もアリかなあと。ナイフ1本与えて「これで削れや」と。それでいいとさえ思ってますよ。シャーペン以前の問題として。

だって、元々はそういうもんだからね。昔は鉛筆削りもなかった。ナイフで鉛筆を削っていた。その後に鉛筆削りが登場した。電動のものもできた。そういう流れ。であるならば、最初のナイフで削っていたところから体験させてもいいんじゃねえかと。それはそれで貴重な経験じゃないか? こう思っているわけです。

で、こういうことを書くと「危ない」とか「ケガしたらどうすんだ」という反論をいただくかと思いますが、それに対しても前田慶次ですよ。

だが、それがいい

危ないからいいんです。ケガするからいいんです。早いところ危ない経験させたほうがいいんですよ。危ないと思うから、刃物の扱いが慎重になる。ケガしないように気をつける。危ないからこそメリット足りうる。ケガするかもしれないからダメなのではなくて、ケガするかもしれないからいい。そういう考え方もある。

ただ、大ケガをしないようにコントロールする必要はありますけどね。最初のうちは目の前でやらせる。あまり大きい刃物を与えない。手本をきちんと見せてやる。こうしたことは必要だけど、少々のケガはさせても構わないのではないか。痛い思いをすれば、痛くないように次はするもんだし。ちょっとの傷ならすぐ元通りになるわけで問題ない。元通りにならないケガをさせないようにする必要はあるし、それを管理する役目が親にあるとは思うけど、元通りになるならケガしてもOK。貴重な経験ですよ。まさに血となり骨となる経験。

  • 小1 親がカッターで削ってやる。目の前で削ってやる。
  • 小2 子どもカッターを与えて、子どもにやらせる。目の前でやらせる。
  • 小3 自分で勝手にやらせる。一人でやらせる。
  • 小4 小型の鉛筆削りを与える。
  • 小5 大き目の鉛筆削りを与える。学校の教室に置いてあるような大き目のヤツ。
  • 小6 電動の鉛筆削りを与える。
  • 中1 筆記具規制撤廃。何使っても良し

こんな感じで段階的にやらせてもいいのでは。こうすることで鉛筆削りのありがたみがわかりますしねえ。道具の進化歴史というか。これはいきなりシャーペンじゃわからんし。こういう風な教育効果を狙ってシャーペンを禁止するのは一定の意義がありますよ。

4月になり、新年度になって「新小学生」が誕生するわけですが、同時に「新小学生の親」も誕生するわけでもあります。そうなると、こうしたシャーペン規制問題にも親として遭遇する機会も出てくる。そしてこういう件は、規制側にも自由側にも理がある。あとは親としての哲学が試される話。たかがシャーペン、されどシャーペンでありますよ。

あなたはどうお考えですか?

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