(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

戦わずして勝つために逃げろ

そもそも戦う必要がないよね。戦いを避けることを逃げると言うのなら、逃げるに如かず。

いじめの問題ってあちこちにあるんだけど、要は戦いなんだよね。一方的で勝手な戦い。ある意味それは虐殺行為に近いものがありましてね。集団での残虐な行為ですよ。その行為に加担している個人個人にその意識はなくてもね。
ただ、その攻撃を受けてる方がたまらんわけですよ。恐怖ですよ。先の見えない恐怖。一方的に攻撃を仕掛けられ、一方的な暴力を受ける。理が通じない、話し合いの余地もない、誰が味方かわからない。そういう果てしない暴力。であれば「とりあえず逃げとけ」は正解だとオレも思うわけです。同感。まずは攻撃が届かない安全地帯に逃げる。これ優先。

こういう時、よく「ここでがんばらないと、他のところでも同じことだよ」と言われる。

reponの日記 - 逃げ方、避け方、守り方

この論理はあくまで武器を持って戦う人の論理。攻撃に対し攻撃で応じる考え方。もちろんこの方法が正解であることもありますよ。立ち上がったときに、その人が実は強者であった。あるいは仲間が出現した。この場合、この戦いの勢力図は変わる。一方的な攻撃が逆転し、反転攻勢を仕掛ける局面になるかも知れない。
但しリスクがある。戦うということは、被害を受ける可能性があるということ。かえって被害を大きくするかもしれない。深手を負うかもしれない。武器をとることにはそういうリスクがある。余計ひどい結果になることがある。

座して死を待つより、戦いに出でて死なん

ま、こういう考え方もありますよ。いじめられっぱなしになるくらいなら、一発勝負に出ろと。やってやれと。「ここでがんばらないと、他のところでも同じことだよ」ってのはこういう考え方だよね。
しかし冷静に考えてみると、戦う必要なんてない。別に背水の陣をしいているわけじゃない。逃げ場所はいくらでもある。学校を変えれば、職場を変えれば、環境を変えればいい。一か八かの戦いをする必要なんてないんですよ。少なくても、今、いじめに加担している人間がまったくいない環境に行けば、いじめからは解放される。安全になる。そういう確実な方法があるんなら、それを選んだ方がいい。傷を負わない安全な方法と、一か八かで戦う方法。どっちを選んだ方がいいか。答えは明らかじゃありませんか。

最も難しいのは、現実を変えること。次に難しいのは、自分を変えること。そして最も簡単なのは、逃げること。

404 Blog Not Found:逃げ上手は生き上手

ごくごくシンプルに安全確実な方法をとればいい。簡単だしね。リスクがない。世の中のいじめ評論家の中には「戦え!」と言う人もいますが、それを言えるのはたまたま勝った人だけ。広く万人に勧められる方法じゃないのですよ。その裏には賭けに敗れた人もいるわけで。人生はバクチのようなものですが、やらなくていいバクチもあるわけでねえ。
それに孫子の兵法でもこう言ってますよ。

戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり

戦わずして勝つ。これが上策であると。であるならば、いじめに関しては逃げるのが最上の策。何故なら、いじめは逃げれば受けなくなるから。いじめをなくすのが勝利だとするなら、いじめのないところに逃げればいい。これぞ戦わずして勝つじゃないですか。無理して戦う必要ないです。空手を学ぶ必要もなければ、柔道をやる必要もない。逃げればいい。それだけのことです。
ま、どうしても戦い人には、孫子はこうも言ってます。

彼を知り己を知れば百戦して殆うからず

自分と相手を比較して、勝てそうならやってみな。ダメそうなら逃げちゃえ。相手が強いとわかっているのに、戦う必要はない。負けることがわかっている戦いを、自分が仕掛ける必要はまったくない。
世界一の富豪となったウォーレン・バフェットは、「ボビー・フィッシャー*1に勝つにはどうしたらよいと思いますか」と聞かれ、こう答えたそうです。

チェス以外のゲームで挑戦すればいいわけですよ
マネーマスターズ列伝―大投資家たちはこうして生まれた(p51)

相手が強い土俵では戦わない。いじめという暴力に、暴力で戦う必要はない。逃げるが勝ち。そして逃げるが上策。逃げることを恐れるより、これ以上傷つくことを恐れたほうがいいよ。いじめのない場所なんていくらでもあるからね。まずは逃げ出せ、走り出せ!

*1:伝説的なチェスの名手