(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

一般的な視点がなくなるとキモくなるの法則

ブログ主にご同情申し上げる次第。

サッカーでも野球でも、コアなファンがいるし、それはそれでいいことなんだけど、非ファンからすれば、時にキモいという自覚がないよね。マニアでもオタクでもなんでもそうなんだけど。ある世界に入りこむと、自分の世界ばっかりで、周りが見えなくなるって言うかね。このコメンツのやりとりはかなりキモい。
「浦和では」「サッカーでは」「海外では」みたいな「ではでは三大噺」みたいな展開になっとりますが、そういう「では」の世界がそもそもキモいわけでありまして。一般的にはまったく伝わらない話だよね。そんなの一部サッカー好きのローカルルールなわけで、普通にサッカー楽しむ人に強制されても。
世間一般では「サッカーって怖い」「見に行くのイヤだ」って印象しかないんだよな、今回の件。こういう一般的な感情よりも内部のルールを優先すると、行き着く先はジャンルの荒廃になるんだがね。それこそ、こういう出来事の行き着く先は「ヘイゼルの悲劇」だし。サッカー好きとしては、そっち方面に進むことを憂えるべきなような。現にイングランド冬の時代があったわけだからさあ。サポだなんだいったって、サッカーを楽しむ環境があっての話だからねえ。
それにこんなことが続けば、サッカーを見に来る人が減るよ。イメージは悪くなりこそすれ、良くはならない。それは果たして日本のサッカーにとっていいことなのかね。新規のサッカーファンを獲得できなくてもいいのかね。ただでさえ経営の芳しくないチームが多いっつーのにね。日本のサッカーにとっては百害あれど一理なしだと思うな。J以前を知っているだけに、余計にそう思うよ。ガラガラのスタンドを見てるから。あんな時代に戻りたいとは思わんもの。
また、少なくてもリンク元のブログ主は、二川のユニを着ていたとはいえ、アウェー側にいたわけだからさ。社会一般としてもアリだし、サッカーとしてもアリにせんとな。一般的には節度ある行動であるわけで、これをナシにされると、わけわからん。金払ってチケット買って、きちんとアウェー側で見とるんだから、全然アリでしょ。「埼スタだから」なんてのは理由にならんよ。だったら浦和サポ以外にチケット売らなければいいわけで。
「ガンバサポは見に来んな」とかはハードなサポ同士のやりとりではお約束みたいなもんだからいいけど、普通のファンに言われてもね。会場での応援合戦は見ものだし、盛り上がりの要素だけど、そのコアな部分の常識を一般的な世界に持ち込まれても……ねえ。まして、ブログ主にとってはバリバリのホームであるブログにまで乗り込んでコメンツするっつーのはねえ。キモい。キモすぎる。
サッカーに入れあげるのは結構なことだし、ご自由にされればいいわけだけど、少しは一般的な視点を気にした方がいいと思うよ。ややもすると自意識過剰でキモいだけ。好きになったら何もかも許されるわけじゃない。好きだからこそ、してはいけないこともある。これこそ真のサポの愛情だと思うがね。わしゃJ初期の弱い時代の浦和ファンだっただけに、余計にこう思うよ。日本一のサポと呼ばれて久しいんだから、見本になるようなサポであって欲しいな。
id:ArimaKeiさん、お疲れ様でした。

「自分の価値観は絶対」という香ばしさ

子どもに携帯電話持たすなって。政府の教育再生懇談会が。

子供を有害情報から守るため「小中学生に携帯電話を持たせるべきではない」とする内容を、6月にまとめる第1次報告に盛りこむことで一致した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080517/plc0805171316006-n1.htm

ほっとけよ。なんだよ「持たせるべきではない」って。いつからキミたちはそんなにエラくなったんだね。キミたちの「べきではない」って価値観を、日本全体が「へへー、その通りでごぜーやす」ってうやうやしく聞かなきゃならんのかね。

有害サイトを通じて犯罪に巻き込まれたりいじめが起きたりしていることや、子供が携帯電話を持つ必要はないとする福田康夫首相の持論を反映させることになった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080517/plc0805171316006-n1.htm

ほお。首相の意向ひとつで「子どもが携帯電話を持つべきでなはない」という価値観になるわけだ。ということは「子どもも携帯電話を持つべき」という価値観のヤツが首相になると、こうなるってことだな?

子供に緊急時の連絡源を持たせるため「小中学生に携帯電話を持たせるべきである」とする内容を、6月にまとめる第1次報告に盛りこむことで一致した。

これでもいいよな。問題ないよな。「小中学生に携帯電話を持たせるべきではない」という価値観で押すなら、「小中学生に携帯電話を持たせるべきである」って価値観で押してもいいよな。この両者に根本的な違いないもんね。国が、政府が統制しようって趣旨でしょ。あるひとつの価値観を国全体にあまねく広めることが主眼だべ。
大体においてこんなの人の勝手なんだよね。子どもの勝手だし、子どもが未成年であるうちは保護者の親の勝手。親がそれぞれ決めればいい。携帯電話を持たせようが、持たせまいが、そこは親の判断ひとつ。経済的な理由もあるだろうし、利便性もあるだろうし、教育効果もあるでしょ。親が決めればいいんだよ、んなもん。どうせ子どもに携帯電話を維持できる金なんかねえんだから。出元は親なんだからさあ。

再生懇の委員らは、保護者がフィルタリングを解除する恐れがあることを指摘。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080517/plc0805171316006-n1.htm

これも「ほっとけよ」。親の判断ひとつだろ。フィルタリングを解除して得られるメリットもある。デメリットばかりじゃないもんな。そういうのを総合的に判断して解除するのはアリでしょうよ。国がああだこうだ言うんじゃねえよ。まして日頃自由を謳歌している連中が言うんじゃねえよ。

なんかエラそうなメンバーだけど、キミたちの価値観がどれだけ絶対なのかね。正しいのかね。それぞれの親の勝手であると何故言えないのかね。君たちも自分の責任で日々行動しとるだろ。子どもに対しても同じじゃないかね。わしゃ不思議でたまらんよ。
ま、あれだな、この話の根っこには「親がそういう判断できねえ」みたいな諦観があるのかね。「バカ親増えてるし」って。でも、バカ親前提だと社会がおかしくなるよな。この国では20歳と成年とし、成年せある以上は判断能力のある一人前と扱うわけだから。
もちろん中にはヤバい人もいるけど、でも20歳で区切らないとどうにもならんよな。「判断できる」という前提にしないと、何もできない。親だってそうでしょ。現実にDQNはいるけど、基本的に親は子に対してのベターな行動を判断できるという前提じゃないと、この世の中どうにもならん。
あれはダメ、これはダメみたいな話であれこれを縛ってもロクなことにならんよ。まともな親の深い考えさえ規制されちゃう。

バカがルールをつくる。

これはオレがよく使う言葉で、バカによってルールがつくられ、バカに合わせてつくられたルールに一般人の行動は規制される傾向があるんだけど、携帯電話だって一部のデメリットが強調されてばかりで、メリットがなおざりにされとる。デメリットばかりなわけないのにな。大人も使ってる以上、メリットがあるわけだし。そのメリットを享受することの何が悪いのかね。

「メリットよりも大きな害があることをよく考えてほしい」

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080517/plc0805171316006-n1.htm

デメリットよりも大きな益があることをよく考えてほしい。
どっちが正しいか、どうすべきかは各家庭で考えることだし、親が考える話。子と相談したっていい。考え、相談し、話し合うことで答えが出るかもしれない。また、こういう過程を通して親だって学ぶところがあるかもしれない。
「べきではない」というカッチカチの先入観を捨てて、各々が考えればいいんだと思いますよ。どんなものでも悪く使うことができる。悪く使えるからといって、それを使ってはならぬというのは随分極端な物言い。良く使う方法を考える方が建設的だと思うんだけどねえ。……自分の価値観が絶対だと思ってるDQNには通じない話かな?

災い転じて福と為す

これは身につけておきたいアビリティ。

オチを引用すると面白くないので、内容はリンク先でご確認を。「災い転じて福と為す」のいい見本。無意識の行動とはいえ、なかなかの話。
ちなみにオレが真っ先に想像したのはこれ。「仮面ノリダー」のオープニングで改造手術受けてるところ。


1:13過ぎのシーン。オサーンは変なものばっか思い出す。困ったもんだ。