(旧姓)タケルンバ卿日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-09-05

「わかって欲しい」のメンタルヘルス

人は誰しも「自分のことをわかって欲しい」という気持ちがあります。

  • 認知して欲しい
  • 理解して欲しい
  • 存在を知って欲しい
  • 本当の自分を見て欲しい

そうした気持ちが一歩進むと、まず、自分の願望がかなえられないことに苛立ちを生じます。

  • なんで認知しないんだ
  • なんで理解しないんだ
  • なんで存在を知ろうとしないんだ
  • なんで本当の自分を見ようとしないんだ

「なんで」をつけたように、世間が疑問に思えてくる。「自分のことをわかって欲しい」という願望があるのに、それを満たさない世間。その間にギャップを感じるようになる。自分が世間から切り離され、世間を客観視する私となります。

気がつくとそれが攻撃性となる。認知しない世間、理解しない世間。それが自分に対する攻撃と感じる。意図的にそうしているのではないか。自分が嫌いだから。憎いから。ならばそういう世間が悪い。自分を認めない世間が悪い。排除しようとする世間が悪い。自分は悪くない。悪いのは世間だ。

かようにこうした精神状態というのは段階的で、大概はこういう変化を経るものなのですが、その変化をしている本人は意外とこの変化に気付かないもの。自分は変わっていない。世間が変わっている。しかし実際のところ変わっているのは自分。自分が変わっているから世間が変わっているように見える。相対的な変化という事実に気がつかない。

事実、最初のうちは自分と世間は一体なのです。世間の一員としての自分、世間に組み込まれている自分。そうした目線でわかって欲しいと思っている。世間からは分離されていない。世間という区分けも必要がない。一体化された世界

しかし疑問や攻撃性を身につける過程で、自分と世間が乖離していく。溝が生まれる。分かれていく。ある日、突然に世間は「他」となる。「わかってくれない」という考えを身につけた瞬間、世間は自分とは違う何かになってしまうわけです。自分を受け入れない何か。自分とは相容れない何かに。

こういうときは落ち着いて、あるいは諦めるとラクになります。

あなたを含めたものが世間です

いつしか世間は自分とは違う外の世界になってますが、元々は自分を含んだ世界。離れた世界ではありません。分かれていません。元々世間なんて実体がないものですし、単なる概念です。願望がかなわない自分の創作物と考えるといいでしょう。

世間に実体はありません

この世の中にいるのは、自分同様の人間であり、そうしたひとりひとりの人間がたくさんいるだけのこと。集団としてあなたに対して何かしようとは考えてはいません。自分が周りの誰かに「世間として」何かをしようと思わないように、世間もまたどうこうしようとは思ってはいません。実体がないから当たり前のことですね。あくまで個人としての振る舞いがあるだけで、世間としての集団の振る舞いはありません。

あなたは特別な存在ではありません

そもそも、あなたは何かをされるほど特別な存在ではありません。みんなと同じ、単なる人間。特別な何かではありませんし、特別な何かをする対象ではないのです。自分が思っているほどあなたは飛びぬけた存在ではありません。あなたはあなたの感情とともにあるから、自分自身と常に向き合っているから特別に感じているだけで、他の人間にとってはこの世に存在する中のひとり。普通人間なのです。

人は自分の経験に照らして理解する

人が他人を理解するときには、基本的には経験と照らし合わせます。そのため、経験がないことはわからない。わかろうとしても、わかるすべがない。わかるきっかけがないし、そうしたツールがない。

なので、他人があなたを完全に理解することは不可能なのです。わかっても一部。あなたと同じ道のり、感情、そして経験がない限り、あなたを完全に理解することなど不可能なのです。

しかし、それでいいじゃないか

でも、そういうものなのです。完全に理解することはできない。それは他人である以上は当然のこと。それに絶望することはありません。誰しもそういうことなのです。そんなものなのです。

しかしそれであっても人はわかりあえる。全部を理解しなくても付き合っていける。欠点があっても、気に入らないことがあっても、ムカつくことがあっても付き合える。それは、そうした点がその人のすべてではないからで、見えている点だけで人を判別できないということの何よりの証明なのです。

わかって欲しい。その願望は一部しかかなえられません。その一部で良しとする。一部であきらめる。限界を認めることでラクになります。どこまでも、どこまでもと求めることがあなたを追い込む。ラクになるためには限界を知ること。程よい諦めと、特別な感覚を忘れること。これに尽きます。

人を理解するということは、その人すべてを理解することじゃなくて、その人の部分理解であり、またコミュニケーションにおいては、部分理解を通じて「この人とは付き合える」と判断できれば十分なのです。「大丈夫だ」まででいいのです。多少気に入らないヤツでも、トータルで見て付き合えそうなら付き合った方がいいのです。それが一部と全部の違いなのです。

「わかって欲しい」を気楽にとらえ、メンタルヘルスに優しい生活をお送りください。