(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

見えない前提を疑う

大阪には勇者がいるね。

「高層ビルでは自由に窓を開けることができず、思うように換気できない。換気が悪くて鼻毛が伸びる」

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20091006/plt0910061221003-n1.htm

なんか凄い。凄すぎる。論理の飛躍見本市みたいな状態。ぐへへ、どこから突っ込んでいけばいいんだろう。
まあでも今回はそういうわかりやすい論理の飛躍については突かずに、意外と気づきにくい点について。

隠れた前提に気をつけよう

あらゆる論理には前提が必要で、その前提をもとに推論し、主張につなげるわけなんですが、その主張につながる前提が見えてないことがありまして、ええ。本来はその前提の確認というか、前提の共有という前段階があって、その次の段階に進み、それが正しいかどうか論争したりするわけなんですが、前提の確認をすっとばして、何故かそれが正しいという話になることがあるんですね。
この話では、こういう前提の議論がすっ飛ばされているんです。

鼻毛が伸びることの善悪

「換気が悪くて鼻毛が伸びる」
この主張に隠された前提は、「鼻毛が伸びることは悪である」なんですよ。鼻毛は伸びてはいけないものだから、鼻毛が伸びる理由となる換気の悪さが問題になるし、換気が悪い高層ビルはダメだと。そういう流れなんです。
なので、大本の前提である「鼻毛が伸びる」が善であると、「別に高層ビルでもいいじゃん」になっちまうんです。「別に鼻毛が伸びてもいいじゃん」「鼻毛が伸びる場所でもいいじゃん」と。
ディベート的には「ターンオーバー」と呼ばれる手法で、価値観を逆にしてしまう。「鼻毛が伸びることは悪い」というのが一般的な認識だからこそ、それをひっくり返してしまう。あえてその前提にのらず、前提から争う。「鼻毛が伸びることは良いことなんです!」と。前提を崩してしまえば、その前提の上につくった論理などないも同然なので、相手の主張を無効化できますしね。
こういう手法は、相手がその前提を「当たり前」と思い込んでいるときに有効。相手はその前提について争うことを想定してないことが多いので、準備不足だったりする。一方的なフルボッコゲーになることがあります。結果的に奇襲になるんよ。奇襲でもなんでもなく、前提を争っただけなんだけど、その前提が見えてない=当たり前=争う余地がないという思い込みがあるから有効なんだよな。
とはいえ、一般的な議論では、いちいち前提で争っては不毛な議論になるわけで、嫌われそうな行為ではあるんですけどね。だからこそ、しっかりと前提を確認し、それが共有できてから議論をしましょうという話にもなるんだけども。前提が共有されてない議論は、話がしっちゃかめっちゃかになるもんでさ。
ま、ときに議論では見えない前提を置き去りにして進むことがあるので、たまにこれを考慮に入れると話が深くなっていいと思いますね。思い込みって怖いものだし、そういうのを疑ってこそ科学的な進歩があったりするわけだからねえ。常識は疑うものですよ。