(旧姓)タケルンバ卿日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-01-12

まずは定年制を止めてみないか?

お世話になった大学の先生が3月で退官する。定年退官。今年で70歳になるので、致し方のないことなんだけども、その先生自身はとてもお元気。70とは思えない元気さで現役バリバリ。長年教鞭をとった大学は去るものの、まだまだ研究を続けるそう。その分野では第一人者と言われる方なので、研究を続けられることは嬉しい。

でもさ、こういう話があちこちにあるとすると、なんだかもったいない話だよね。定年で泣く泣く仕事を辞める人は数多くいるんじゃない? って話だもん。たまたまこの先生は仕事を続けられるし、引き合いは山ほどあるけどもさ。だとすると、こういう「逆トコロテン式」の人事システムって意味があるんだろうか。

トコロテン式ってのはさ、何かを入れると、入れた分だけ押し出されて出て行く現象のことを言うでしょ。でも、大学教員の定年制というのは、それと正反対。教授ってのは一定の枠がある。枠があるので、基本的には辞めた分だけ教授に引き上げる。「出て行く分だけ入れる」というところが「逆トコロテン式」。

かしこの「出て行く」の基準が年齢しかないんだな。定年制度しかない。60歳で、65歳で、70歳で。年齢で一定のラインを決めて、そこであがり。お疲れ様と。ここに能力による判定が一切ない。現役でまだまだ行ける人が。年齢によって職を追われる。一方で能力的には現役でいられないレベルであっても、定年まで職を得られたり。能力とは一切関係のない定年という壁、線引きによって。

いや、これだけじゃないな。日本の人事制度って能力による価値判定がほとんどない。能力に対する値付けがないんだよね。「これができると○○万円」「あなたはこの仕事をしているから△△万円」とか。そういうのがないから年齢で線引きしたり、高卒とか大卒とかで給与に差が出る。同じ仕事をしていても、年齢が上だったり、正社員である方が多くもらえる。年齢が下であったり、パートアルバイトは損をする形。

また若い人の方が採用のときに有利というのもこの流れ。人をひとり雇うという話であれば、より安い=若い方が得だろうと。そして同じ給与を払うならば、より長期間勤務可能な人=若い方が得であろうと。だから転職活動になるときつい。若い人に比べハンデを背負う。能力以外の理由で。かつて女性就職が厳しかったのも同様だろうな*1結婚して辞める可能性があるから、それなら辞めない男を採ろうと。

これ、全部能力に対する値付けがないことから起きる現象。能力で値がつかず、値がつかないから能力比較できない。だからこそ年齢や最終学歴正社員かどうか、男性女性採用の優先順位が決まる。「70歳のAさんと、40歳のBさん」を比較するときに、現在能力値を比較できないから、とりあえずAさんを定年にする。「向こう5年間ではAさんの方が得だが、10年後を考えればBさんの方が得」みたいな判断があればまだいいんだけどね。そういう加齢に関する能力の割引率みたいなのがあればまだ合理的だけど、そういうものもない。それがこれまでの日本だし、同時に現状の姿。

この労働環境が続くことに、自分はとても危機感がある。このまま能力評価がない人事システムのままでいいんだろうか。それをベースとした労働慣行が守られていいのだろうか。能力に対する値付けがあったり、期待する業務内容に応じて求人条件が決まり、それに関わる能力によって採用者を選ぶ。そういう労働市場にならなくていいんだろうか。

自分自身が今後そういう競争にさらされやすい事務系の仕事をしており、同時にそういうシステムを構築・提案する側なため、非常に恐れている。恐れているからこそ、自分が関わる企業の人事システムに関しては、そういう能力価値基準を定めることに注力しているつもり。能力給与の関係の透明化というか。いわゆる「見える化」というか。「明日は我が身」だと思っているから、身の回りだけでも手をつけてる。

今日、私は、ある日系ベトナム企業採用面接の手伝いをした。ベトナムでもっとも優秀な大学を出て、コンピュータ技術管理能力に優れて、英語日本語ペラペラ若者たちが、6万円から9万円ほどの月給で働いていた。君たちの本当の競争相手は、こういう新興国で猛烈に勉強している若者たちだ。

15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ - elm200 の日記

ここ数日、この記事が話題になっていたけど、海外に脱出すべきかはともかく、海外の優秀な若者競争相手になるのは現実的な話。

自分もこの記事で書いたように、今後優秀な人材競争するようになれば、日本人であるというだけでは日本で職を得られない。「コンピュータ技術管理能力に優れて、英語日本語ペラペラ若者たちが、6万円から9万円ほどの月給で」働くようになってしまえばどうなるだろうか。別に日本で働かなくても、アウトソーシングその他の方法はいくらでもあるわけだし。少なくても経理関係の処理はデータのやりとりでほぼ完結するしな。税務を除く財務会計・経理業務のほとんどは、アウトソーシングで何とかなってしまうし*2

まして能力に対して相場のない日本のこと。「6万円から9万円ほどの月給で」働く人がいるとなったらどうなるだろうか。値が一気にそのあたりの額に張り付く。正規の値付け、標準となる価格設定がないまま、いきなり海外賃金相場が持ち込まれる。現在相場があれば緩やかに値が下がることも考えられるけども、相場がないからこそ、一気に価格破壊された状態で相場が定まる。基準がないからこそ、暴落した基準が生まれるリスクがある。

例えるなら、今まで問屋から仕入れたものを、全て30%のマージンをのせて売ってた小売店の横に、いきなり巨大ディスカウントショップができる感じかね。小売店問屋から言い値で仕入れ、機械的に利益をのせて販売していた。自分がどういう価値の商品を売っているのかよくわからない。そこに激安の店ができる。小売店においてある商品よりも、もっと安く、もっと良いものがおいてある。しかも激安でありながら、きっちり利益が出ている。売れば売るほどそのディスカウントショップは儲かるし、買う客は低コストで高い品質の商品が手に入る。困る人はいない。ただ、そのそばにある小売店は除いては。

これで勝負になりますか? って話なんだ。価格がわからない状態のところに、思いっきり安い値で乗り込まれて戦えますか? って話なのよ。せめて価値基準をきっちりさせて、何をすればいくらになり、いくらになるためには何をできるようにしなきゃならないとかが明確にならないで大丈夫か? ってことなんだ。そこに凄い危惧がある。能力に対する価値判断がないからこそ、価格だけで判断する状態に企業が陥る可能性があると思っている。それを避けるためにも、少しでも業務の内容と価格に関連性を持たせたい。「彼らなら9万でやってくれるよ」という話になったときに、「じゃ自分はこれもやりますから」という逃げ道を用意しておきたい。現状はそういう逃げ道もなく、相見積もりをされたらフルボッコにされる状態だと認識しとるんですよ、俺は。

別に海外に出ればいいと思わないし、英語ができればいいとも思わない。ただ、海外を知っておくと有利なことはあるし、英語ができない人よりは、英語ができる人の方が選択肢が多い。そして日本以外ではそういう能力ひとつひとつに値がつく。「英語日本語ができ、日本向けの輸出業務ができる駐○○勤務の者 月△△万円」とか。そしてそこに年齢、最終学歴、性別はあまり勘案されない。その業務ができるかどうか。その一点で判断される。

そういう国々の人材とこれから否応もなく勝負させられてしまうわけで、個人的にはいち早く能力価値判断できる環境を整えたい。定年制なんてのはナンセンス能力があり、当人が望めば何歳までも働いてもらった方がいいし、逆にその企業にとって利益のない人材を、定年までつなぎとめておく必要もない。その分の仕事を他の人に振り分けた方がいい。

新卒採用問題点クローズアップされているけども、実は定年制も根は一緒。相変わらずの年功序列だから、新卒というだけで優遇されるし、ある年齢に達すると会社を去らねばならない。能力で判断できないから「新卒」「年齢」を重要視する。

新卒採用の見直しも大事だけど、定年制の見直しも進めなきゃいけないんじゃないだろうか。そして定年制の見直しに伴って、能力主義に少しでも切り替わっていけば、まだマシになっていくんじゃないだろうか。そんな期待をしつつ、日々活動しておるところ。誰のためでもなく、自分のために。とりあえずできることをコツコツと。

参考

*1:「今も厳しいよ」って現実はあるものの。

*2税理士法の絡みさえクリアすれば、税務だってアウトソーシングできちゃうんだけどさ。