(旧姓)タケルンバ卿日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-10-30

被災地の今を訪ねる (3)

被災地の今を訪ねる (2) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。

福島原発事故による立入禁止区域を迂回し、南相馬に。

母親実家は、今は原町区となっている沿岸部の萱浜(かいはま)という場所にあった。海に向けてなだらかに下る平地の集落で、地形に起伏があまりない。そのために、津波の被害もまた大きくなってしまった。

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海沿いは今もなお瓦礫置き場に。

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瓦礫は分別され、山積みにされていた。このような山が無数にある。このあと、海伝いに東北を走ってわかったことだけれども、これでも南相馬瓦礫処理は進んでいる感じだった。このような場所東北には無数にあり、また分別にたどり着いていない場所だってある。

分別が進んでいない場所では、まだ土砂の山という状況のために、周囲が埃っぽい。埃っぽさがないだけ、南相馬震災の後片付けが進んでいた。あくまで「相対的に」ではあるけれど。

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驚くのはこうした車の山もあることだった。この地域だけで、これだけの車が津波に流された。

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それはもうすさまじいエネルギーというしかなく、また、こうした光景もこれから旅路において無数に見るものなのだった。

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砂浜はもう手付かずというか、放置されていた。海水浴場の砂浜ではないため、片付けの優先順位としては低いし、またそういう場所であるから手前に瓦礫置き場がある。

奥のテトラポットのところは、昔は海だった。昔は消波堤の役割果たしていたテトラポットが、海岸線役割果たしていた。これも後に繰り返しわかることなのだけれど、震災後、沿岸部では砂浜が広がり、港が浅くなり、また川面が高くなっている。

津波の影響、ことに引き波の影響で土砂が海に流れ、その分、浜が広がった。昔、遠くに見えたテトラポットが近くに見えるのは、こうした津波の影響。

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砂浜の内側にはこんな感じで海水が残っている。元々海だった場所であるから、水も引きにくい。元々遠浅の海ではあったが、それがさらに進んだ感じだ。

集落の奥、小高い丘にはお墓があった。自分のご先祖様にも手を合わせていこうと、記憶を頼りにお墓に向かったが、お墓がない。

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どうやらお墓があった丘全体が津波被害を受けたようだった。お墓の入口があった地点のガードレールでそれがわかったし、農道中央に新たな墓地ができているのがすべてを説明していた。

津波は心の拠り所まで壊してしまった。しかしそれでも地元の方は、そこから立ち直ろうとしている。

真新しいご先祖のお墓に手を合わせ、萱浜を後にした。

(つづく)

被災地の今を訪ねる

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