(旧姓)タケルンバ卿日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2013-01-25

手をかけた記事が受けず、片手間に書いた記事が受ける問題

時間をかけて調べて、書いて、推敲してみたいな「渾身の一作」みたいなものに意外と反響がなく、出落ち上等、ネタ一発、勢いオンリー小ネタが大反響

これ、ブログをやっている人にとっては共通の経験じゃないかなあと。ブログ反響の大きさって、思い入れとか手間とかの大きさとは一致しないものなんですよね。

でも、それはしょうがない話で、それは読者レベルとかの問題ではないし、諦観するようなものでもない。記事の前提をわかるかどうかの差であり、その前提の認知度の差だと思うんです。

力をかけた記事と言うのは、力をかけただけあって、書いた本人には内容の流れがよくわかっているもの起承転結の流れとか論理構成とか、書いた本人だけによくわかっている。けれど読む側は書いた人ほどにはわからない。

特に難しいのは話の前提で、どんな話でも隠れた前提があったりするものだけれど、隠れているが故に伝わらない。伝わりきらない。

筆者は長年考えてきたことだから、その前提を踏まえた上での文章になっているのだけれど、読者にとってはその前提を共有できていない状態で、いきなり結論を読まさせられる。

それよりはタイトル一発のインパクトとか、写真一枚のわかりやすさが上で、雄弁に伝わりやすく、話題になりやすい。

思い入れがある方が、筆者と読者の前提の理解度に差が出やすく、そのために反響の大きさも反比例関係になってしまう。思い入れがあるがために筆者だけがわかっている前提が増え、難解になり、思い入れのない記事の方が誰が見てもわかりやすいものとなる。

力を入れた記事が読まれないのは、力み過ぎが問題だからで、ただ単に読みにくいとか、難解であるとか、構成が乱雑だ、という理由があるから。手をかけない記事が良いのではなく、わかりやすい記事が良いという当たり前のことなのだろうなあと感じる次第。

思い入れがある内容こそ噛み砕いて伝えたい。