(旧姓)タケルンバ卿日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2013-11-17

続・被災地の今を訪ねる(4)

続・被災地の今を訪ねる(3) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。

海岸線の状況を見た後は、昨年同様に常磐線の今を確認しに行く。


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南相馬陸の孤島状態から変わっていない。

2011年3月11日より運転見合わせ ‥‥ 大船渡線気仙沼〜盛間)、山田線釜石〜宮古間)、石巻線浦宿〜女川間)、気仙沼線柳津気仙沼間)、仙石線高城町〜陸前小野間)、常磐線広野原ノ町間・相馬浜吉田間)

東北エリアの運行情報:JR東日本

常磐線福島原発を境に原ノ町より南の区間が。そして沿岸部津波被害の影響で、相馬より北が相変わらず閉ざされている。

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これは浜吉田駅で撮影した料金表。

原ノ町から相馬の4駅分の区間が、南からも北からも隔絶された様子がよくわかる。本来は常磐線沿いに東京にも仙台にも出ることができたのに。

常磐線も復旧しようとはしているが、南側の不通区間が狭まるだけで、南相馬にとっては隔絶された状況は何も変わらない。原ノ町相馬の間を運行するだけでは、本格的な復旧とは言えない。南か北か。どちらかに抜けることができてこそ、常磐線の復旧と言える。

昨年と同じく磐城太田駅の南側に足を向けた。

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不通区間ながら明らかに手の入った跡があった。雑草などが刈り取られている。

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こちらは昨年のもの。明らかに手が入っていない。

将来の復旧に向けて、少しずつ整備が進んでいるんだろう。不通状態であることは昨年と変わっていないが、保線の様子がうかがえるだけ、変化が見えてきている。

続いて国道6号線浪江方面に南下する。昨年は立ち入り禁止になっており、入れなかった場所だ。

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道路沿いにはこのような標識ができていた。

同じような標識三陸地方などでもあったが、違うのは、これはあくまで「東日本大震災」の津波浸水区間の表示であって、三陸地方でのそれは「過去の」とある通り、東日本大震災に限らないということ。「はじめて」かどうかの違いがある。

母方の実家は昨年も書いたとおり、南相馬市の萱浜という海岸線に程近い場所にあったが、正直、今まで津波があったという話を聞いたことがなかった。大昔にはあったかもしれないし、まったくのゼロではないかもしれないが、少なくても津波意識されたことは今までになかったし、その記録や言い伝えを見たり聞いたりしたことがない。

そういう意味で、この標識が持つ意味は大きい。この地に津波があった。その紛れもない事実の記録として。

(つづく) 続・被災地の今を訪ねる(5) - (旧姓)タケルンバ卿日記

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