憂鬱、そして緊張

私事で申し訳ありませんが、ちょっと書かせてください。実は今日夜に彼女から電話がありまして、両親に会ってほしいとのことでした。どうも親に電話するよう言われたらしいです。明日その彼女の両親に会ってお話をすることになりました。

彼女の両親とは全く面識がなく、私は初対面の人に対してはアガってしまい何も話すことができない小心者ですので、明日うまく話をする自信が正直ありません。なるべく彼女の両親に私のことを理解してもらえるよう努力するつもりではありますが、ひょっとしたら別れろということかもしれません。このことは私にとっては憂鬱であり、同時に緊張する場面でもあります。

そもそもすぐに結婚するわけでもないのに、両親が出てくるその意味が私にはどうにも分かりません。私と会って話をすることで彼女の彼氏を選別する意図があるのかと憤りすら感じます。普通に子の幸せを願う親であれば、自分の子が自分なりに選んできた彼氏なわけですから、まずはその選択と決定にかけがえのない価値を見出すのではないでしょうか。私の個人的な意見なのですが、これだと思った相手と付き合って、理想と現実とのギャップを知って、別れて、でもまた違う相手を見つけて、と試行錯誤を繰り返すことによって、本当の意味で他者を理解することができるようになると思うのですがどうでしょうか。

今回の結果については、またこのブログでお知らせします。今の私の心境は複雑です。彼女とはずっと一緒にいたいけど、でも両親がもし反対した場合、それでも彼女と付き合うことが彼女にとっての幸せなのか、私には答えが出せないからです。明日は大学入試の面接より緊張してしまいそうです。

全く話は変わるのですが、イギリスで大規模テロを未然に防止した旨の報道がなされています。このニュースは日本に関係のない遠い国のことだと思ってしまいがちですが、日本もこうしたテロがいつ起こるかわかりません。ですが、こうしたテロの危険の種をまいたのはほかならぬ日本です。アメリカに追随しいち早く戦争参加に賛成したおかげで、日本もテロの標的にされるようになっています。

では、テロと戦う覚悟が日本にあるのか。当然ですが、テロリストを根絶やしにすることは不可能です。暴力の連鎖がテロリストを生み出すという構造を変えない限り、日本に住んでいるうちはテロに遭遇することを覚悟しなくてはなりません。単にテロリストは暴力に訴えるから悪いやつらだと考えることは問題解決になりません。なぜテロリストとならなければならないのか。宗教の対立、低賃金と人種差別、一国警察主義と正義の意義など、横たわる様々な問題をこそ根本的に解決していかなければならないのです。