力士の小躍り このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-03-19

[] 差別をするなら覚悟ぐらい持て 00:56  差別をするなら覚悟ぐらい持てを含むブックマーク  差別をするなら覚悟ぐらい持てのブックマークコメント

  

 売春婦に対する差別の問題について、いくつものエントリが上がっていて、それを読むとかなり安易な姿勢で差別が語られていて驚きました。

 ある意味、語り易い分野であるし、興味がある分野でもあるということでしょう。

  

 http://d.hatena.ne.jp/macska/20070318/p2

 http://d.hatena.ne.jp/lowbooks/20070317

 http://tail.s68.xrea.com/blog/2007/03/post_75.html

 これらはある意味で「良識的」なのでしょう。であるからこそ、耳に触りも良く、賛同もつきやすい。率直に言って害悪だと思います。

  

この議論ではある行為(この場合は、売春者を侮辱すること)が「差別にあたるのかどうか」が論点となっているのであり、「理由があれば差別しても良いのかどうか」なんて誰も論じていない。

http://d.hatena.ne.jp/macska/20070318/p2

 無茶苦茶な話だよ。

 売春者を侮辱することが、差別かと問うならば! 問うならば! それは明らかに差別ですよねぇ?

 そう、明らかに差別でしょう。それを差別ではないと強弁したって、それは差別と言われるよ。実際に差別なんだから。

 売春者を侮辱することが差別ではないと言うのなら、それは何だと言うのでしょう?

 何故にこんなに議論の余地なく明白な「差別」に対して、差別にあたるのかどうかが論点に成り得るのかがわからない。

 論点も何も決定的に差別だよ。莫迦じゃなかろうか。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%B9%CA%CC&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%B7%AE%E5%88%A5&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=07426900

憲法14条では不合理な差別は禁止されていますが、合理的理由に基づく差別(差別という語に否定的ニュアンスがあるので以下区別という)は禁止されていません(中略)

差別はなくすべきだと思います。しかし、その過程には差別的発言も必要なのではないでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/lowbooks/20070317

 「差別」をわざわざ「区別」と言い換える必要がわからない。自分で差別的発言も必要と言うならば、堂々と「差別」だと言えばいい。自分が「差別」を「区別」と言い換えておいて言うセリフではない。

  

 よく聞く「差別と区別は違う」という偏差値があまりにも低い言説はどうにかならないものかと思う。

 「差別の中で、悪いものは差別と言い、悪くないものは区別と言う」などというのなら、最初から素直に「悪い差別」と「悪くない差別」と言えばいいじゃないか。

 ここにどんな心象が隠されているのかと言うと、差別とは、基本的には概ね後ろ暗い行為である。

 何かしらの後ろ暗さがあるが故に、敢えて「区別」という言い換えによって、その後ろめたさから逃れようとしている。

 そして、言い換えたところで、実態は同じである以上、他者から「差別だ」と言われ、それに対して「区別です」と言い逃れる。これは卑怯だ。

 正しいと思うのであれば堂々と「良い差別だ」とか「正しい差別だ」と言えばいいのだし、正当であると思うのであれば「正当な差別だ」と主張すればいい。

 後ろめたさから「区別」などと言い換えをしておいて、指摘されたら「差別とは違う」などと言い逃れようとするなど、なんとさもしい根性だろうか。

 差別をするなら差別をするで、それに伴う後ろめたさや後ろ暗さなどの不快感ぐらいちゃんと引き受けろよ。情けない。

  

 macskaさんはこうも言う。

>妥当な理由があるとした場合、それは定義上「差別」とは呼ばないのね。

>yuki さんが反論しているコメントの書き手はみんな「これ(売春者を侮辱すること)は差別の問題として語るべきではない」と言っているわけです。

>「yukiさんの言うそれは『差別』ではない」という人はいても、「理由があれば差別しても良い」と言う人はいないわけ。

 莫迦なことを言ってもらっては困る。

 まず、売春婦を侮辱する行為に妥当な理由がどうあったのかは別にして、妥当な理由があろうとも、「差別」はどこまでいっても「差別」である。言葉の言い換えなど意味はない。

 もし、売春婦を侮辱することをみんなが「差別」ではないと、本当に言っているのならば、それは、全員が莫迦だからである。

  

 私は、別の価値観を優先するがために差別をする場合、私は普通に差別するだろう。「理由があれば差別しても良い」と言うだろう。しかしそれを「差別ではない」などと嘘の強弁をするほど卑劣な真似はしない。

 私は自らを差別者と規定し、その上で多少の後ろめたさと付き合うだろう。

 そして、その私のした選択を「差別だ」と糾弾されるのであれば、私は、自分の選択した別の価値観をもってして、糾弾者の「差別」という価値観と争うだろう。

 怯むことなく、堂々と自分の価値観を主張すれば言いだけの話だ。その程度の覚悟は持っている。

  

 「差別」を「区別」と言い換える姑息な真似をしておいて、心病むことなく差別だけしようとする卑怯な心象は、差別者である私にとって、迷惑なことこの上ない。

  

 売春者を侮辱することが差別に当たるかどうか、という論点であれば、どう考えたところで、一方的にid:yuki_19762さんが正しい。それは差別だ。当たり前だろ、こんなの。

 私とyukiさんの衝突点は、これ以降の問題となる。が、私としては、yukiさんには、私との議論で消耗して欲しくないと思っている。

 少なくとも、今のyukiさんの状況は、その余裕はない。いつか、この大売春差別大会ともいえる売春エントリのオカスが去った後に、機会があればと思いますが。

Marco11Marco11 2007/03/19 02:05 その判断をyukiさんがどう思うかはわからないけど、タキちゃん、オマエ漢だ!

CiboCibo 2007/03/19 09:24 余談ですが、「差別」というのは両者の違いを「区別」する行為であって、それを差別と呼ぼうが区別と呼ぼうが本質的には何も変わらないし、そこに理由の有無云々も関係ないと思うんですよね。

inumashinumash 2007/03/19 18:37 >そして、その私のした選択を「差別だ」と糾弾されるのであれば、私は、自分の選択した別の価値観をもってして、糾弾者の「差別」という価値観と争うだろう。

これを突き詰めると、

http://d.hatena.ne.jp/mo_hate/comment?date=20070316#c

この人みたいに、「彼女を差別するのは私個人の信仰である。故にその合理的理由を説明する必要はない」となりませんか?

「価値観」に本当に合理的な理由が存在するならいいのですが、そうでない場合、「合理的な理由も説明されないまま悪意を向けられる人々」にとってはただ不毛なだけだと思うのですが。

takisawatakisawa 2007/03/19 20:55 マルちゃん
半分はお前のためだよ。お前が役に立たないから代わりにやったんだ。

takisawatakisawa 2007/03/19 20:58 Ciboさん
それこそ「差別と区別は違う」という側の意識の問題になるわけですよね。

takisawatakisawa 2007/03/19 21:27 inumashさん
実を言うと、inumashさん向けのエントリを書いてあるんですが、それをあげることに戸惑いを感じております。
信仰者としてのinumashさんの分析になっているのですが、それをやる必要があるのか? と。
ただコメントを返すには、それを下敷きにせざるを得ない面もあり、コメントを返していませんでした。
とりあえずお蔵入りにしておきます。

>「彼女を差別するのは私個人の信仰である。故にその合理的理由を説明する必要はない」となりませんか?

何故に「価値観と争う」と「説明の必要がない」となるのかわかりませんが、平行線に終わる可能性は高いでしょうね。
まぁ、それは全ての信仰で起こり得ることですね。人権十字軍でも派遣しますか? ヴァンデ地方にも。

>合理的な理由

説明は必要でしょうが、合理にこだわる理由がありません。人間は合理だけで生きているわけではありませんから。

>でもこれを突き詰めると信仰になるのではないか。では信仰をベースにした差別は許されるのか。

信仰は「差別反対」ですがね。
許されるの意味がわかりかねますが、普通に糾弾されればいいんじゃないですか?

takisawatakisawa 2007/03/19 21:27 nogaminさん
>では差別をしてもいい「合理的理由」って、この場合何なのでしょう

価値観はいくらでも他にあるでしょう。
「差別」なんて、数十年から長くて二百年ですが、それこそ「家族愛」なんて人類誕生からかなり普遍に脈々と続いている「価値観」です。

mo_hateさん
>全く後めたさを持たずに差別をする人もいる。このエントリではそれを止められないからその点でちょっと片手落ちかも。

糾弾したい人が糾弾すればいいんじゃないですか?


takanofumioさん
>もしかしてこの人は、「うしろめたさをひきうける覚悟」があればある種の差別は仕方ない、とでも考えてるのかしら?

もちろん。書いてある如くで、当然そのように考えてますよ。

inumashinumash 2007/03/19 23:02 丁寧なご返答有難うございます。

「信仰者としてのinumashさんの分析」という視点は(内容見てませんけど)鋭いなと思いました。ちょっと見てみたいです。

個人的に考えているのは、「信仰」が個人でなく「集団」に備わっている場合、それを基に差別される人達は一切の合理的説明が果たされないまま抑圧されるわけで、どうにもこうにもそれを肯定しづらいな、というのが僕の立場です。

「信仰」を突き崩す自身が僕にはない、ということもありますが。

卑怯者として卑怯者として 2007/03/19 23:27 ロシアで春をひさいでいる女性がその収入で家族を養っているに、家の中で軽蔑されている番組を観たことがあります。
免罪を乞うのであれば職業として普通に接する(これも差別化?)のでしょうが、貶めることで罪を被ることになる。
人間が耐えるだけの生き物だとは思えないので、その憎しみの力は社会へ向かうのではないかと思えます。
だから社会の変革者は差別に怯むな覚悟を持て、といったところでしょうか。

takisawatakisawa 2007/03/20 01:19 私は、今の日本で貧困が理由で売春せざるを得ないと言うのは、なんとかせいや、と思うんですが。
何のための経済成長と社会福祉なんだ、と思ってしまうわけで、基本的には余剰資金が欲しい人がやる仕事という認識です。
売春婦の擁護で「親の借金の返済や生活がかかっていて売春をしている女性がいる」とか言われると、それは自己破産して生活保護受けて他の仕事しなさい、と思うわけです。
親の借金のために娘が嫌な売春するって、どこの国の話なんだ、と思ってしまう私は育ちが良すぎるのか?

takisawatakisawa 2007/03/20 01:23 inumashさんに、かなり失礼な内容なんです。
とても見せられた内容ではないので、それでやめました。

takisawatakisawa 2007/03/20 12:16 nogaminさん
>うーん、「差別も一つの価値観」っていうことですか?なんだかなー。なぜそこまでして差別をしたいのか、する必要があるのかわかりません。

「したい」とかではなくて、してしまうんですよ。
私から見れば、大切な家族よりも赤の他人の他者の差別を優先せねばならないという感覚のほうが不思議なんです。
nogaminさんが私にする「なんで差別をするんだ?」という疑問と、私のする「なんで家族が大事じゃないんだ?」という疑問。
私は、私の疑問のほうが健全であると思うわけです。
ただし、どちらも「価値観」の違いだと認識している私は、敢えてnogaminさんに対して「なんだかなー、なんでnogaminさんは大切な家族すら大事に出来ない人なのか」という言い方をしないわけです。
差別は、かなり新興の価値観です。家族愛は長いよ。

nogaminnogamin 2007/03/20 14:57 takisawaさん、お答えいただいて、ありがとうございます。
素朴な疑問ですが、江戸時代に口減らしとして農家から吉原に売られた女児は、では家族愛に基づいて、差別意識や偏見のない両親と本人の意志により堂々と売られていたんでしょうか。
どうも、それは考えにくい気がしますね。

>差別は、かなり新興の価値観です。家族愛は長いよ。
この事実認識はどうでしょう。逆じゃないですか。日本においては、家族は伝統的家族形態による経済的単位という意味合いが大きく、「家族愛」の歴史は少なくとも明治以降だったと記憶してます。
女性蔑視や売春婦差別はそれより前からあったはず。

私は差別意識が制度的に裏付けられたものだと思っているので(子供の頃はそんな意識がないし、誰もが生まれつき売春婦を差別してるわけじゃないですよね)、差別意識はむしろ制度的な感性そのものと思っています。それを理性による合理的な検討なしに受け入れることは、私はあまりしたくありませんが、「差別をしてしまう」という意識そのものが自分で選んだものでなく、制度的に構築されているものではないかという可能性は感じられないのでしょうか。
あるジェンダー論の学者が「売春が悪である合理的な理由は(性感染症とか労働環境とかのリスクの問題を除いて)論理的に見つからない」と言っていて、私もそのとおりだと考えています。

売春をしたくない、させたくないという判断は、別に差別意識に基づくものでなくても、個別の事情やリスク回避として、してもおかしくない判断だと思います。自分は売春をしないけども、売春をする人を差別しないという姿勢はありうると私は考えています。

takisawatakisawa 2007/03/20 18:24 nogaminさん
まず、私の言っている、ここ数十年の「差別」という価値観とは、よくある「差別はしてはいけない」とか「差別は絶対悪である」という概念についてです。

>素朴な疑問ですが、江戸時代に口減らしとして農家から吉原に売られた女児は、では家族愛に基づいて、差別意識や偏見のない両親と本人の意志により堂々と売られていたんでしょうか。

これは世界の切り取り方の問題であって、もちろん今で言う「差別意識」とは別の、蔑視や軽侮や尊敬や憐憫の心を持っていたと思いますよ。
そもそも貧困で売られる場合は、蔑視や偏見があろうとも、あるいは「差別意識」があってさえ、「生きていく」という価値観を選択するんじゃないですか?

>この事実認識はどうでしょう。逆じゃないですか。日本においては、家族は伝統的家族形態による経済的単位という意味合いが大きく、「家族愛」の歴史は少なくとも明治以降だったと記憶してます。

人類は有史からずっと子育てを、ほぼ普遍的に行っていています。
それと「家族愛」は一つの例に過ぎず、それこそ「愛執」だろうが「エゴ」だろうが、価値観はどれでもいいんですよ。
ただ、子供を守るとかは、他の動物にすら見られる、かなり原初的な「価値観」であるとは思いますが。
ニュートンが万有引力の概念を発見するまで、重力がなかったというわけではありません。ちょっと例が違うけどさ。

>女性蔑視や売春婦差別はそれより前からあったはず。

そう。今、切り取るとするならば、「差別」と思うものはあった。蔑視はあった。
「士農工商」も、非常に安定して何百年も続いた。それだけのことです。

>それを理性による合理的な検討なしに受け入れることは、私はあまりしたくありませんが、「差別をしてしまう」という意識そのものが自分で選んだものでなく、制度的に構築されているものではないかという可能性は感じられないのでしょうか。

いや、私は「差別(忌避)」の概念は知っていますから。
概念を知っていても、場合によってはそれを選択しないのです。
「制度」というか、私は「文化」という言い方をしますが、それで「差別」が起こることは認識していて、そこでも私は「文化」を選択します。
そのうえで言うと、
私は合理で考えてますよ。「合理的」で考えたうえで判断することもあれば、「合理的」に考えたうえで、敢えて不合理を選択することもある。
そして、「合理」で考えたからと言って、根拠が不合理である「人類平等」という「価値観」を選ぶとは限らないんです。

>あるジェンダー論の学者が「売春が悪である合理的な理由は論理的に見つからない」と言っていて、私もそのとおりだと考えています。

私には信仰告白にしか思えませんが、それほど害のあるものでもないのでいいのではないでしょうか。

>売春をしたくない、させたくないという判断は、別に差別意識に基づくものでなくても、個別の事情やリスク回避として、してもおかしくない判断だと思います。自分は売春をしないけども、売春をする人を差別しないという姿勢はありうると私は考えています。

すればいいじゃないですか、売春。自分はしないなどと言わずに。自由売春で病気に気をつけてやればいいのに。
どうしてしないのか、売春しない個別の事情とやらがわかりませんが。
「差別しないという姿勢は有り得る」とは思いますが、そのことが既に、差別に加担しているというのは事実としてある、というのが私の主張です。
因みに、買い捲ってる男に対しても、差別はないんですかね?

inumashinumash 2007/03/20 18:25 了解しました。

あ、あと最後になりますが、上のエントリの内容には同意致します。

nogaminnogamin 2007/03/20 20:27 家族愛と(戦後的)差別意識についてはわかりました。そのあたりは「歴史認識が違う」とのことで納得しました。
>>では差別をしてもいい「合理的理由」って、この場合何なのでしょう
>価値観はいくらでも他にあるでしょう。
売春婦差別をしてもいい合理的理由についてのお答えはなく、売春婦差別をすることがtakisawaさんの信条であり、その信条は相対主義的価値観の元に他と平等だと受け取りました。
私は、差別意識は信仰などではなく、制度(法律とは違う意味です)に裏付けられた感情だと考えているので、takisawaさんが差別感情を持っていらっしゃっても不思議には思いません。
ただ、それは本当に完全に個人的な信仰なのだろうか、という疑問が残ります。単に、既存の制度的な差別言説におけるバリア集団・および女性差別言説に同調しているだけではないでしょうか。そうではなく、本当に自分の持つべき(持ちたい)価値観として検討の上受け入れ、それゆえの「信仰」なのか、またなにゆえの「差別したい」個人的感情なのかが興味があるので、よろしければその理由をお聞かせいただきたいです。
私が「売春婦差別」をするべきでない、という価値観を持っているのは、(学問的にその人たちが差別される合理的な理由はない、と私が信じているのに加えて)もし自分がその立場の人であったら、合理的な理由のない不当な差別をされたくないと考えるからであって、全ての人は法の下に平等という、民主主義社会の人権尊重の理念とほぼ同じ考えを持っているからです。また、売春という行為自体は違法ですが、違法だからといって差別されるべきではないと考えていることもお伝えしておきます。(ちなみに買春をする人も差別されるべきではないと考えます)
法に触れるという意味では同じく、たとえ一般的な犯罪(加害)者でも、人権の保護の元、平等に裁かれるべきと考えていますし、犯罪者とか前科者というだけの理由でその法的な扱いや権利において制限されるべきでないと考えています。

>すればいいじゃないですか、売春。自分はしないなどと言わずに。自由売春で病気に気をつけてやればいいのに。
takisawaさんの上記の言説は、この場合の、犯罪者一般を差別しないというんならあなたも犯罪者になれば?というのと同じですが、一般的な犯罪者の人権の尊重に対して持つ価値観(なり政治的な立場)を表明するためには、言説があれば十分であり、「犯罪者になる」という実践が伴う必要はありません。民主主義社会で個人の価値観や政治的立場を表明するには、そのような言説を公にすること、あるいは投票・立候補などでの政治行動が、そのような表明の手立てとしてあります。なので、ホームページなどでのヘイト・スピーチなり差別に反対する言説なりは、政治的な行動に十分なりうると考えます。(個人名が特定できなければその限りではありませんが、匿名で発言をする権利もあるはずです)
なので、私(あなた)が、家族を大事に思っていて(家族愛)、身近な人や自分が売春に従事したくない、しない、させたくない(たとえば個別の事情やリスク回避のため)、と思っていることと、「売春婦一般を差別すべきでない」と考えていることは両立しうると思われます。(少なくとも、「実践が伴っていないから表明にならない」とは言えない)
また、差別をするべきでない、という言説の中でバリア集団に言及するのは必要で、それを差別的言説以外の文脈で可視化させる効果もあると考えますので、差別するべきでない、という言説が必ずしも差別に値するとは私は考えていません(事実認識が十分でなく、意図せず偏見が含まれた表現になっていれば、訂正でき、また訂正の余地もあると思います)。以上です。

takisawatakisawa 2007/03/20 22:17 nogaminさん
>売春婦差別をすることがtakisawaさんの信条であり

いや、ですからね、nogaminさんがそういう言い方をするのであれば、nogaminさんは、家族も大切な人のことも、なんとも思わない人だと私が言うようなものです。
しかし、私はそんなことは言わない。
わざわざ家族に酷いことをするのがnogaminさんの信条ではないでしょ? ならば、なんで私の方にはそういうものの見方をしないのでしょう?
私がnogaminさんに「家族も大事に出来ない人」と敢えて言わないのは、そういう理由です。
あ、ところで、私は相対主義者ではないですよ。もちろん現代を生きていますから、影響は受けてますけど。相対主義という宗教は信仰していません。

>私は、差別意識は信仰などではなく

これは「平等」について、不合理で信仰告白といったことを指してでしょうか?
「平等」という概念は、形而上学的なものであり、それは宗教もしくはイデオロギーであって、それ自体論証不可能なものですよ。

>それは本当に完全に個人的な信仰なのだろうか、という疑問が残ります。

いやですから、私は「文化」と言っていますが、人類誕生以来脈々とある「我が子可愛さ」やあるいは「身内意識」や「愛執」などなど、他にも価値観のある「文化」に生きているから、その中で持った「信仰」だと思いますよ。
私がイスラム圏で生きていれば、おそらくイスラムの価値観を持っていたことでしょうね。
私はそこまで「個人」なんて信奉してませんから。

>またなにゆえの「差別したい」個人的感情なのかが興味があるので、よろしければその理由をお聞かせいただきたいです。

ですから、他に大事なものがあれば、それを優先すれば、必然的に他方を差別することは起こり得る、ということですよ。
極端な話をすれば「誰かを差別した発言をしなければ、お前の大切な人を殺す」と言われれば、私は誰かを差別する発言をするでしょう。
そこで私は「反差別」=「平等」という価値観よりも、「自分の大切な人の生命」という価値観を選択したことになります。
そしてそれは、私にとって、当たり前のことです。
「自分の大切な人の生命」を捨ててまで、赤の他人の「平等」など、優先しようとは思わない、ということです。
わかりやすくするために、敢えて極端な例を出しましたので、極端であることは承知の上で。

>私が「売春婦差別」をするべきでない、という価値観を持っているのは、(学問的にその人たちが差別される合理的な理由はない、と私が信じているのに加えて)もし自分がその立場の人であったら、合理的な理由のない不当な差別をされたくないと考えるからであって、全ての人は法の下に平等という、民主主義社会の人権尊重の理念とほぼ同じ考えを持っているからです。

私には、民主主義も人権思想も、一つの価値基準であり、信仰の対象ではありません。考え方や制度のひとつという認識です。

>売春という行為自体は違法ですが、違法だからといって差別されるべきではないと考えていることもお伝えしておきます。

違法ですけど、犯罪ではないし、3条でしたっけ? 禁止の文言もなくていいと思います。

>法に触れるという意味では同じく、たとえ一般的な犯罪(加害)者でも、人権の保護の元、平等に裁かれるべきと考えていますし、犯罪者とか前科者というだけの理由でその法的な扱いや権利において制限されるべきでないと考えています。

法的な扱いに関しては、特に私は問題にしていませんが。
私はむしろ「池袋事件」の例まで出して、
>「お前、司法の場で世間知を優先するなや」と純粋に思いますし、公的な差別というのはあってはならないと思いますが、個人の差別にしては違法でない限り、ある程度の蔑視はありうるということです。個人的に罵るのは違法ですよ。
http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070317#1174057491
と書いておりますが。

>takisawaさんの上記の言説は、この場合の、犯罪者一般を差別しないというんならあなたも犯罪者になれば?というのと同じですが、一般的な犯罪者の人権の尊重に対して持つ価値観(なり政治的な立場)を表明するためには、言説があれば十分であり、「犯罪者になる」という実践が伴う必要はありません。

同じじゃないでしょう。
だって「犯罪者を罰するな」という話ではないんでしょ?
売春は犯罪と違って、被害者はいないし、正当に金は入るし、やらない理由がないからいってるんですよ。
犯罪者は被害者が出るんですよ? 売春者は相手を喜ばせるんですよ? それが一緒なんですか?
私はnogaminさんに「売春者を犯罪者と一緒にするのか」とは言いませんが、同じだと言われれば否定します。
しない理由がないならば、すればいいといっただけで、犯罪はしない理由があるでしょ。
売春は、どんなしない理由があるのかわからないから、もしないならすればいいのにと言っただけですよ。
まさか「愛のあるセックスがしたくない」とかの理由ではないですよね?
ならば、しない理由がないのに、と思うわけです。

>差別するべきでない、という言説が必ずしも差別に値するとは私は考えていません

これは「自分は売春をしないけども、売春をする人を差別しないという姿勢」が、差別を強固にすることに加担しているという意味です。

nogaminnogamin 2007/03/21 00:19 丁寧なお答えをありがとうございました。では文化に基づく価値観であり信仰だということですね。
>いやですから、私は「文化」と言っていますが、人類誕生以来脈々とある「我が子可愛さ」やあるいは「身内意識」や「愛執」などなど、他にも価値観のある「文化」に生きているから、その中で持った「信仰」だと思いますよ。
人類誕生以来脈々とあるわが子かわいさの文化と、吉原へ女児を売り飛ばす文化は過去にも共存可能でしたから、そのような愛情があったとして、それが子どもに売春をさせない理由には全くならなかったと思われます。また、現在風俗や売春の仕事をしている人が家族愛に恵まれていないことにはなりませんし、家族愛のためにそのようなことをやっている女性もいる可能性は十分考えられます。(母子家庭で、子どもに高等教育を受けさせたくても、そうした支出に対する十分な受け皿はないのが現状です)だから、両立はしないと考えていらっしゃるようですが、両立する可能性は現在の社会状況では十分にあります。
売春をさせないとしたら、社会的な差別の視線を避けるため、あるいは、社会的な差別を受けるのを織り込み済みで、するかどうかの個別判断(リスク判断等)が関わってくるのであって、自分が差別をしているか、家族を愛しているかとかそのような感情が必ずしも売春をするしないを分けているわけではないと考えます。母子家庭などで、貧困のため、そして子どもに高等教育を受けさせたいという親心からという理由であるとすると、家族愛と売春は両立しているわけですが、そのような事例はどうお考えでしょうか。その場合も差別をすべきとお考えですか?(その場合、理由によっては差別しない事由もあるにもかかわらず、売春一般は差別するということでよろしいですか?)
また、自分で職業に従事していながらも、社会的な視線を内面化して、自分の職業を軽蔑することはありうるのですから、差別意識があることがその職業を避ける要因になっているわけではないことのを示しています。それでも職業になる(または身近な人がなる)ことを避けるために、差別意識が必要なのでしょうか。

>売春は犯罪と違って、被害者はいないし、正当に金は入るし、やらない理由がないからいってるんですよ。
>ならば、しない理由がないのに、と思うわけです。
やらない理由は、現に被差別的な立場におかれていることもそうですが、労働環境の問題、不特定多数の人間との肉体的接触を伴う労働で、性感染症や傷病や疾病などのリスクがあること、で人によっては十分だと思います。正当に対価が入るかは必ずしも保証されていないかもしれませんし、雇用者側に不当に搾取されても労働者としての権利を主張できないなど、さまざまな問題があると考えられます。
また、私が売春すべきかは私が考えることで、あなたが判断するべきことではないです。しない理由があるかどうかも個人によって違うはずです。また自分が売春婦をするかどうかかという判断と、売春婦一般の人権や立場についての考えを表明するのは何度も言いますが別です。

「自分だけが身奇麗であること」が差別の加担になるというのは、差別をする側のせりふとしてはマッチポンプみたいなものですね。なぜなら自分で柵の中に石を投げつつ、柵の中に入れと言うようなものですから。誰が一体、差別の正当性を否定することを目的でそんな役に立たない判断をするのでしょうか。あなたが石を投げている限り、またそれが差別言説としてまかり通っているかぎり、売春をする判断も、しない判断も、その時点で売春に対する差別的状況を変えることはできません。なので私は差別に反対するために自分が売春婦を実践する必要はないと考えます。
むしろ、差別言説(ヘイト・スピーチ)を繰り返すことで特定の人びとを差別する規範を維持し続けることが差別を積極的に作り出しているものと思います。
また、法律で産業自体がグレーソーンにあることで、それに従事する人の人権や労働環境の保護がなされていない状況が、そこで働くことを「リスクがあり、労働環境として問題がある」状態にしていることと、まさにそのような差別の視線が現実に負のサンクションとして機能していることが、あわせてそこで働くべきでないという判断を生み出していると思います。

平等こそが信仰であると言われるようですので、平等という概念はとりあえず置いておきます。(それがなければ対等な議論の可能性とかもない気がしますが)逆に差別をすることが合理的でなく、するだけ損だと思う理由を申し上げておきます。それは、職業とか性別とか、人間の属性の一つだけを根拠に相手に下した判断は、妥当ではなくなる可能性が多いことです。(その属性に対する偏見がまかり通っていればいるほど)以上です。長々と失礼しました。

takisawatakisawa 2007/03/21 01:14 nogaminさん
>人類誕生以来脈々とあるわが子かわいさの文化と、吉原へ女児を売り飛ばす文化は過去にも共存可能でしたから、そのような愛情があったとして、それが子どもに売春をさせない理由には全くならなかったと思われます。

その点に関しては如何に書いてあります。
http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070319#c1174382654
そもそも貧困で売られる場合は、蔑視や偏見があろうとも、あるいは「差別意識」があってさえ、「生きていく」という価値観を選択するんじゃないですか?
「家族愛」があっても、あるいは、「家族愛」があるからこそ、「生きていく」という価値観を選ぶことは、私には想像可能な事柄ですが。

>家族愛のためにそのようなことをやっている女性もいる可能性は十分考えられます。(母子家庭で、子どもに高等教育を受けさせたくても、そうした支出に対する十分な受け皿はないのが現状です)だから、両立はしないと考えていらっしゃるようですが、両立する可能性は現在の社会状況では十分にあります。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070319#c1174321154
子供に高等教育を受けさせるなど「余剰資金が欲しい」という認識でいますけど。
で、そのうえで、nogaminさんの書いていることが、私の書いていることと、どう矛盾しているのかがわからないのですが。
私は、物事の判断は複合的に行われることであり、それは「差別だから絶対ダメ」という基準は取らない、と言っているわけです。
「差別をしない」という選択もあれば、「差別をする」という選択もある。
繰り返しますが、私は「家族愛」以外の価値観を持っていないわけではないですよ。複数を比較して判断しているんです。
なにかが対立したときに、ようやく片方が切り捨てられるんです。

>その場合も差別をすべきとお考えですか?(その場合、理由によっては差別しない事由もあるにもかかわらず、売春一般は差別するということでよろしいですか?)

ですから、この「差別をすべき」という、「すべき」ってなんなのでしょう? 誰がそんな話をしているんですか?
それは差別する場合もあれば、尊敬する場合もあれば、憐憫する場合もあるでしょう。

>また、自分で職業に従事していながらも、社会的な視線を内面化して、自分の職業を軽蔑することはありうるのですから、差別意識があることがその職業を避ける要因になっているわけではないことのを示しています。それでも職業になる(または身近な人がなる)ことを避けるために、差別意識が必要なのでしょうか。

ごめんなさい。よくわからないのですが、もしかして私が「積極的に売春婦を差別せよ」と書いていると思ってませんか?
差別意識が、その職業を避けるようにしたり仕向けたりすることは、普通に起こることだと思っていますけど。
ちょっと文意を掴みきれないので、推察しながら答えたので、ズレてたらすみません。

>やらない理由は、現に被差別的な立場におかれていることもそうですが

私の言っていることは、そのことが差別の再生産につながっているから、故に「差別に加担している」と言っているわけです。

>正当に対価が入るかは必ずしも保証されていないかもしれませんし、雇用者側に不当に搾取されても労働者としての権利を主張できないなど、さまざまな問題があると考えられます。

ですから私は、↓自由売春をオススメしているわけですが。
http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070319#c1174382654

>私が売春すべきかは私が考えることで、あなたが判断するべきことではないです。

私は「売春せよ」とは言ってませんよ。すればいいのに、と言っているのです。

>自分が売春婦をするかどうかかという判断と、売春婦一般の人権や立場についての考えを表明するのは何度も言いますが別です。

これも直接私には関係のない話だとは思うのですが。

>「自分だけが身奇麗であること」が差別の加担になるというのは、差別をする側のせりふとしてはマッチポンプみたいなものですね。

そんなことは言ってませんよ。自分が売春していたって、売春婦の差別に加担することはありますよ。普通に。

>私は差別に反対するために自分が売春婦を実践する必要はないと考えます。

すみません。しない理由がわからなかったので質問しただけです。
ただ「あの職業は差別を受けているから、止めなさい、やりたくない」というのは、やはり、差別の再生産に加担していると思いません? 普通に考えて。

>むしろ、差別言説(ヘイト・スピーチ)を繰り返すことで特定の人びとを差別する規範を維持し続けることが差別を積極的に作り出しているものと思います。

よくわからないのですが、何故にこれが私宛になるのでしょうか?
もしかして私が「積極的に売春婦を差別せよ」と書いていると思ってませんか?

>また、法律で産業自体がグレーソーンにあることで、それに従事する人の人権や労働環境の保護がなされていない状況が、そこで働くことを「リスクがあり、労働環境として問題がある」状態にしていることと、まさにそのような差別の視線が現実に負のサンクションとして機能していることが、あわせてそこで働くべきでないという判断を生み出していると思います。

ですので、私は自由売春賛成派なんですってば。まぁ、国家関与の、ですが。

>職業とか性別とか、人間の属性の一つだけを根拠に相手に下した判断は、妥当ではなくなる可能性が多いことです。

私は逆に、世間知としてある程度は有用だと思いますけど。さすがに「一つだけ」ではないでしょうけど。属性は判断基準になりますよ。
違ったら訂正すればいいだけで、使わない手はないと思ってますけど。恋愛対象はやはり「女性」と判断下しますしね。

nogaminnogamin 2007/03/21 15:45 takisawaさん
お答えありがとうございます。
私の勘違いで、takisawaさんは売春婦一般への差別について一貫して差別する立場を表明していらっしゃると思っていましたが、そうではなかったのですね。勘違いして一連の書き込みをしてしまい、失礼いたしました。「信仰は「差別反対」ですがね。」というのを読んだつもりで頭に入っていませんでした。
前提が間違ってましたので、不適切な質問があり、せっかくお答えいただいたのに、申し訳ないです。ご回答内容には納得いたしました。
差別の基準を採用するとき、しないとき、という基準があるようですが、複数の価値観によってその時々に変わるということであれば客観的に検討可能ではなさそうですので、その基準についてこれ以上の議論は諦めます。
私個人の判断について補足します。もし、売春婦が被差別的な地位におかれていなくても、売春を「私」がしない理由として被差別的立場におかれていること以外の状況だけでも十分な理由があると判断しますので、私は売春をしません。また、家族が売春をすると考えても、私は差別があることを理由にその人が売春をするかどうかの判断を押し付けることはしません。そのことが差別的言説に積極的に加担しているとは考えにくいと思います。
ところで言及された、「自分」が売春をするかどうかというケースは、お互いの性別や立場がもともと違うので(提示されたとしても)単純に比較できませんね。また、差別しないと身近な人が殺されるといったような極端なケースについては、どのような主義主張を取ってもそれを捻じ曲げることが要求される可能性があるので、そのとおり極端なケースと書かれていましたが、そのとき差別することを選択することが、差別主義をとるということ、また反差別的な立場を常にとることの反証としての根拠にはあたらない気がします。
ともあれ大変参考になりました。ありがとうございました。

takisawatakisawa 2007/03/22 16:16 >売春を「私」がしない理由として被差別的立場におかれていること以外の状況だけでも十分な理由があると判断しますので、私は売春をしません。

はい。売るなら買おうかと思っただけですので、お気になさらず。

>そのことが差別的言説に積極的に加担しているとは考えにくいと思います。

はい。積極的には加担してませんが、再生産に加担することは充分にあると思います。

>また反差別的な立場を常にとることの反証としての根拠にはあたらない気がします。

おっしゃる通り、常には取らないです。
「差別は絶対悪」だから、差別をしないということは、有り得ないわけです。
場面場面で差別者にならざるを得ない、ということです。

私はパタリロぐらいしか知らない人間なんで、入っていけませんでした。
無愛想で申し訳ない。

nogaminnogamin 2007/03/22 23:43 とんでもないです、議論に付き合っていただきましてありがとうございました。
すみません、最後に一つ個人的な興味からお聞きしたいのですが、もしtakisawaさんが女性だったら、売春をしますか?
はい、か、いいえで結構です。

takisawatakisawa 2007/03/23 01:06 いいえ。
処女のまま死ぬと思います。

nogaminさんが書いているのを読んでると、そのマンガも読みたくなるんだけど、それはじめるといくらお金があっても足りなくなるんだよね。

nogaminnogamin 2007/03/23 02:07 お答え頂きまして、ありがとうございました。
>いいえ。
>処女のまま死ぬと思います。
了解です(笑)。処女の道もなかなかに厳しそうですよ。
>そのマンガも読みたくなるんだけど
わぁ、そ、それは光栄です!
お時間があれば漫画喫茶やブックオフで読まれのがオススメですが。。。小学館のフラワーコミックスなんかは390円(+税)とかですので、タアモなどは、お手軽かもしれないです。パタリロもいいですよね〜。では、失礼します。

takisawatakisawa 2007/03/23 22:42 >処女の道もなかなかに厳しそうですよ。

童貞でかなり慣れていると思うんですが、処女のほうがきついのかなぁ?

そういえばキャンディキャンディは読みました。泣きまくりんぐ。ちびまるこちゃんは少女漫画とも言いがたいな。
ガラスの仮面は、家にあるんですが読んでません。
下手にハマると怖いんで、読まないようにします。

nogaminnogamin 2007/03/24 00:59 処女のまま結婚もせずに子どもも生まずに歳をとるというのが多分すごいプレッシャーでしょうね。売れ残りとか行かず後家とか色々軽蔑の言葉はあります(笑)。
キャンディキャンディとは王道ですね。ベルサイユのばら(オススメ)もガラスの仮面も王道にハズレなし、かもしれません。ちびまるこちゃんは、あまりに異色で連載初回の記憶が忘れられません。ちびまるこちゃんとお父さんは心配性というりぼんらしからぬ天才ギャグ漫画を発掘したのは同じ担当編集者で(のちにさくらももこと結婚して離婚した)その編集者の天才っぷりは当時のりぼんの勢いとともに語り草になっていると聞きます。。。
あう、りぼん好きなのでつい余計な話をしてしまいました・・・すみません。

takisawatakisawa 2007/03/24 15:16 nogaminさん
>処女のまま結婚もせずに子どもも生まずに歳をとるというのが多分すごいプレッシャーでしょうね。売れ残りとか行かず後家とか色々軽蔑の言葉はあります(笑)。

あー、男の場合は非モテの童貞でも「独身貴族」と言い張ればいいですからね。
女性の場合はどれだけ美人でも、四十路を過ぎると綺麗でも「行き遅れ」ですわなぁ。もう出家しちゃうしかないか。

>その編集者の天才っぷりは当時のりぼんの勢いとともに語り草になっていると聞きます

あー、完全な門外漢でも、りぼんが凄かったのは印象に残ってますね。ただ、何がどう凄いのかがわからなかっただけで。

>りぼん好きなのでつい余計な話をしてしまいました・・・すみません

いえ、私もnogaminさんが好きなので何の問題もありません。

ベルばらかー。つーか、ロベスピエールが出てくるのか。すげーな。読むしかねーかな。