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2007-09-08

[] id:はしごたんへ 02:02  id:はしごたんへ - 力士の小躍り を含むブックマーク  id:はしごたんへ - 力士の小躍り のブックマークコメント

  

桜井和寿と葛山信吾(誰?)に似ているというイケメソタッキーの画像UPしてよnanaちゃん。電話のとき、ネカマなのに声でバレないの?

「離れてても毎日話ができるから寂しくにゃいよ。」 毎日電話してるんだ… 何だか健気だな。つーか男と女でそこまで親密なら早く会えばいいのに。

http://b.hatena.ne.jp/hashigotan/20070902#bookmark-5751428

nanaさんはネカマなんじゃない?会ったら感想聞かせてほしいしリアルでnanaさんに会ってくれないか、あんたなら出来るだろ

早く現実に会ってどんなだったか報告してくれないかw メールでそこまで親密なら早く会えばいいじゃないか。レポート楽しみにしてるよ。

http://b.hatena.ne.jp/hashigotan/?url=http%3A%2F%2Fd.hatena.ne.jp%2Ftakisawa%2F

  

 nanaのネカマ疑惑と言うのは、ネタ的に残しておいたほうがnanaのキャラ的には面白いのかもしれないけど、普通に女の子だったよ。

 電話でもう数十時間も話しているけど、普通に女の子だねぇ。ネットよりも全然落ち着いてて、普通に話しているときにはむしろクールな感じの話し方だよ。甘えモードに入っているときには声がちょっと高くなるけど。

 ネットの話とか普通にしてるし、nanaしか知らないことも話してるから、nana本人で間違いないよ。

 お互いの家族の話とか、nanaの経営している仕事の話とか、nanaの宝物の話とか、仲良く楽しく話をしていて、確かにすごく親密だよ。超らぶらぶ。まぁ、たまにnanaの生活水準の高さに、自分の庶民性が嫌になるけどね。

 写真もね、リクエストした通りの写真を、ちゃんと同一人物で送ってくるから、写真に写ってるのも本人で間違いないし。やせてるのに胸の谷間が私よりもはるかにあるんだから、女だねぇ。たぶんみんなが可愛いと言われて想像するよりもずっと可愛かったよ。正直、驚いたもん。まぁ、こりゃ可愛いわ。自分でも可愛いって言うわ。

 ということで、ご希望とは違う結果で申し訳ないんだけど、nanaは無茶苦茶可愛い女の子、というのが正解でした。

 これでもまだネカマ疑惑を引っ張るなら「瀧澤達也=nana同一人物説」をとるしかないね。よし、新疑惑誕生。

  

 ただ、オフで会うのは、まだもうちょっと先になるっぽいね。意外と言ったら失礼なんだけど、えらいこと異常なまでに身持ちが堅くて、今までも、交際しても一年は身体を許さなかったりしてるんだって。これまでの交際経験とかも聞いたんだけど、男側もよく我慢していたね、という話だったよ。まぁ、あんだけ可愛ければたしかに待つかもな、という気はしたけど。

 だからネットで知り合った私と会うのは、とりあえず、最低でも半年から一年は私が他の女性を口説いたりしないかチェックが入るみたい。それからオフで会ってからも半年ぐらいは浮気したりしないか、ずっとおあずけさせられるようだね。私はエロくないし性的に淡白だから我慢できるけど。

 ということで、オフでリアルに会うには、最低でも半年以上はかかるみたい。だからすぐに会うのは無理なんじゃないかな。

 最初は、絶対に会わないし、写真も渡さない、電話も無しでネットだけ、と言うのを、口説いて口説いて口説きまくって得た譲歩だから、まぁこれ以上の譲歩は望めないかな。最初はnanaが「会いたい」とか言ってきたのに、こっちがその気になったら平気で断って「会いたいけど会わないよ。会わないけど、会いたいのは本当だから嘘吐いてないよ」とか言われるから女は信用できないよね。

 まぁ、ともあれ、私が浮気をすることはありませんが、美女の方も、私にアプローチしてこないようにご協力くださいね。私に口説かさせようとして、いたずらに言い寄って、揉めさせようとしないでくださいね。いいですか美女の方々。絶対に言い寄ってくるなよ。いいか、アプローチしてくるなよ。絶対アプローチするなよ。いいか、絶対するなよ。くるりんぱ。

  

 まぁ、ただ、楽しくらぶらぶで話をしているんだけど、それでも一日に一回は「もうたっきーとやりとりしない。いなくなるもん」とか言われるんで、これで私は果たして半年も振られないでいられるのかが大いに疑問です。

 ということで、もし奇跡的にこのまま上手く行って一年以上後にnanaを相手に非童貞に成り下がるようなことがあれば、プレイの内容や感想等、詳細な報告をレポートしますので、ご期待ください。

sweet_nanasweet_nana 2007/09/07 19:20 たっちゃん、ありがと。大好き♪
でもね、「詳細な報告をレポート」これはしちゃだめ!二人だけのひみちゅね。

2007-04-14

[][] 「社会」が「宗教」を許さない  02:34  「社会」が「宗教」を許さない  - 力士の小躍り を含むブックマーク  「社会」が「宗教」を許さない  - 力士の小躍り のブックマークコメント

  

 神に選ばれしもののコメント欄、「『宗教』が『宗教』として振舞うことが許されなくなった」という話について。週末なので下敷きの内容で。

  

 日常生活の中において、宗教的な振る舞いというのはたくさん残っていて、むしろそれが生活のベースに密接であると思われたりします。

 例えば、葬式や墓参り、クリスマスや初詣、結婚式やお祭りなど、年中行事として、人生の節目のイベントとして、宗教は生活とは切り離せないような役割を担っていると思われています。

 私はそれを近代主義からのお目こぼしと書いたわけですが、それがどうオメコぼしであるのかというお話。

  

 例えば「近代科学」というのは、薬にしろなんにしろ、病気を治すのに有効性が高い場合が多い。

 逆に言えば、「科学的」な視点からの判断で、九割がた助かる見込みが無いと言われたときの患者の心のケアは科学に何が出来るのか? というと、何も出来ない。

 では宗教であれば何が出来るのかというと、多少は出来るのだけれども、日本の既存宗教にはほとんど力は無い。

 これは山折哲雄という人が指摘していることで、当然ながら私はその本を読んでいないわけだけれども、次のようなことを言っている。『さまよえる日本宗教』中公叢書より。

阪神大震災が起こったとき、家を焼かれたり壊されたりした人々に、向かって、『悲しんでいる人たちは幸いである。あなた方は慰められるであろう』と言うような聖書の言葉を持ち出すキリスト教徒がいただろうか。

震災で苦しんでいる人々に向かって、『人生は苦である、執着を絶ちなさい』という仏教徒はいなかったに違いない。

 宗教団体がやったこととは、オウム真理教を含めて、物理的な支援やボランティアであり、それをやったことを新たな信者獲得のために喧伝することだった。

 物資の支援やボランティアは、政治活動や、あるいは実務として行われることであって、宗教的な振る舞いではない。

 もしも山折が指摘するような「宗教」としての振る舞いをしたのであれば、その宗教家は袋叩きに遭うか、吊るし上げを喰らうであろう。

 「宗教」が「宗教」として振舞うことが許されなくなったというのは、こういう意味である。

  

 それから二ヶ月後、阪神大震災でボランティアをやったと自慢していたオウム真理教が、東京の地下鉄でサリンを撒いた。

 これを「あんなものは仏教ではない」と言うのも簡単であるし、あるいは「宗教ではなく犯罪者集団」と切って捨てるのも簡単であろう。

 それに対して「日本仏教の全ては仏教ではない」というのと同じであるし、「学生運動は犯罪者どもの吹き上がり」と切って捨てるのが簡単であるのと同じだ。

 少なくとも犯罪者集団の犯罪実行者が、信仰や妄信や狂信で犯罪を犯したことは間違いのないことであり、オウムが犯罪者集団であるからとの理由でオウムに入り犯罪を実行したものはおそらく皆無だろう。

 「近代国家」や「社会」は、自らの領域に侵犯してくる「宗教」に対して「狂信」を許すことなく排除し、殲滅しようとした。

  

 「例外状況」の中から国家の本質が顕わになる。天災や内乱が起こるとき、その国家の本質が露骨に表れる。

 これはカール・シュミットという人が指摘していることで、当然ながら私はその本を読んでいないわけだけれども、そのようなことを言っている。

 国家とは暴力装置を背景にしており、当然それを独占しようとするものである。

 この暴力装置の前に首根っこを押さえられて、肉を喰らい女を抱き酒を飲む糞坊主どもは、まはや宗教者どころか宗教信者ですらなく、単なる世俗の民主主義者に成り下がっている。

 これはもう「共存」というよりは「支配」されているというべきである。普遍の真理から離れて、世俗という時代と寝る道を選んでいるわけだ。

 福田恆存が『一匹と九十九匹と』で言ったように、といっても当然ながら私はその本を読んでいないわけだけれども、迷える一匹を探さなくてはならない文学や宗教などの「物語」を説くものが、特に宗教は九十九匹の中に入り込み「道徳」として寄生し、迷える一匹の子羊のことなどは我関せずとなっている。

 「宗教」の側も「支配」されることをよしとして充足しているのが、現在の日本の「共存」だ。

  

 少なくとも、仏教者や耶蘇教者の信心の低さに比べれば、「人権」という神様を信仰している人たちの方が、よほど熱心に「狂信」していると言える。

 世界的に見ても、イスラームに対して果敢に宗教戦争をおっぱじめるほどには、凄まじい「狂信」をしていらっしゃるようです。

 この話をしだすと、話は尽きないわけですが、誰も喜ばないでしょうから、もうやめます。

  

 さて、ここからはnogaminさん宛て。

 病気の治癒だって、祈祷から抗生物質に取って代わって治る病が増えているという客観的事実は、宗教を信じている個人もみとめるものでしょう。と書かれていまして、私は認めるのですが、病気が治ればいいのか? という問題がありますよね。

 エホバの証人の輸血拒否がありますよね。輸血をすれば治る可能性が高くなる場合も少なくないのに、それでも拒否することがある。

 血清なんかは主に馬を病気にして苦しめて作ったりしますが、もしこれが牛だった場合などは、ヒンドゥーの多いインドでは、おそらく使われることはないまま死んでいくでしょう。

 例えば今も問題になっていますが、「脳死」体からの臓器移植もあります。

 さらに言えば、昭和天皇の崩御の際には「現人神の玉体にメスを入れるのか?」という國體主義の主張もありました。

 治癒率の高さをとってみても、他の「宗教」との衝突は起こるんですよね。

  

 あと、これは蛇足なんですが、「近代科学」というのは、そのパラダイム内の客観性を保証するわけですよね。

 「科学哲学」に対しては足元を揺るがされるにしても、「近代科学」イデオロギー内での経験科学というか科学方法論的な実証的科学の客観性については、特に「自然科学」には信頼性を持っているわけですよね。

 率直に言えば、私も持っています。

 ところがこれって、nogaminさんは、どこまで客観的事実として確認できているか考えたことありますか? たぶん、あると思いますが。

 もうね、科学がさ、一般人の手には届かないところまで来ているじゃない。「原子核」とかさ「ニュートリノ」なんて言われてもさ、私は見たこともないし、個人的には科学者と理論を「信頼」して「信じる」しかないんだよね。もはや、宗教と一緒だよ。

 「追試に耐え得ると複数の科学者が言っている」のを信じるしかない。

 実を言うと、天動説ですら確認するのが億劫だから、信じているだけなんですけどね。「個人的な客観」*1ならば、太陽や星のほうが回っているんですよ。

 さらに言えば、脳髄学や量子物理学などの最先端なんかは、最先端の数人で共同謀議してしまえば、世界中の誰もがもう手に負えないわけでしょ? ソウル大の遺伝子学の捏造問題でもすぐに追試で発覚したわけでもないようだし。

 もちろん私は、「近代科学」のその科学性や反証性は世間知として「信じて」いるわけですが、これは「客観的事実」と私が断言できるものではなく、飽くまでも「客観的事実」と信用できるという域を出ないんですよね。

 当然ながら普段は「客観的事実」であると言いますけどね。

*1:もちろんシャレですよ

nogaminnogamin 2007/04/16 12:18 >takisawaさん
>エホバの証人の輸血拒否がありますよね。輸血をすれば治る可能性が高くなる場合も少なくないのに、それでも拒否することがある。

これらの事例は、それこそ彼らが信じている彼らの宗教的な身体にさえ科学の力が客観的に「及んでしまう」ことを彼ら自身「認めている」からこその拒否だと思われます。信じていようがいまいが科学の力は彼らの上にも及ぶのです。それを客観的事実とよんで科学の合理性を宗教自身がもっている合理性と区別することは可能ではないですか。

>「原子核」とかさ「ニュートリノ」なんて言われてもさ、私は見たこともないし、個人的には科学者と理論を「信頼」して「信じる」しかないんだよね。もはや、宗教と一緒だよ。
これはよく言われていることですが、量子力学や相対性理論など(基本的には)自然世界からの観測をもとに記述する手続きが難しい物理学に関しては、個人的な実感として感じることは難しいでしょう。しかし古典的なニュートン物理学の法則は比較的確認しやすいと思います。野球のボールを投げ上げる角度と落ちる位置とか。(もちろん色々な法則が複合的に働いているわけですが)。ウサギが月で餅つきをしてるわけでもないことはすでに人間がそこに行って確認しています。
そうした古典物理学の世界をも信仰と同じだとしてしまったら、物理学の法則を利用して綿密な計算の上飛んでいる飛行機などはどうなるのでしょう。

統計的事実も、例えば正規分布ではないとき私たちの「主観」や「実感」としては「ずれている」という感覚が起こるといわれます。(よく言われるのが各世帯の貯金額平均)
でもそれら貯蓄額の分布が一定の客観性を示した意味のあるデータであるということは否めないでしょう。

>飽くまでも「客観的事実」と信用できるという域を出ないんですよね。
おっしゃるとおり、もちろん完全な「信じる」という表現よりあくまで「信頼」する、という表現の方が正しいと思います。

nogaminnogamin 2007/04/16 16:08 追記です。ちなみに「治ればいい」ってもんじゃないという考え方があるのは同意します。
しかし、何教を信じている身体であろうと、科学医療に基づいてうっかり投薬されたら治ってしまうという事実についての話だと付け加えておきます。

sho_tasho_ta 2007/04/16 17:04 ううむ、まだこの件にこだわりますか。正直意外です。
で、まあ横ヤリみたいなもんですが、一言申し上げれば「治る」とか「健康」という概念が(それが「近代科学的にいいことだ」ということも含めて)、すでにしてnogaminさんを近代合理科学主義の虜囚たらしめておるわけです。いやまあ虜囚で全然構わないんですけれども。「病気」という身体の状態が、どういうものを指すのか? ということ自体、近代科学が定めたものでしょう。
ここらへんはフーコー(ブラジル人じゃないほう)というオッサンが『臨床医学の誕生』という本で詳しく書いてますです。わー、我ながら権威主義だなー。

nogaminnogamin 2007/04/16 18:14 >sho_taさん
「「治る」とか「健康」という概念」これは東洋医学にもあると思いますけど。

sho_tasho_ta 2007/04/16 18:26 ああ、これは私の言葉たらずでしたね。失礼しました。
「(nogaminさんが使われている)治るとか健康という概念(が、すでに近代合理科学主義の虜囚)」に置き換えてくださいまし。ちなみに「身体」という概念もそうです。

bluesy-kbluesy-k 2007/04/16 20:20 >すでに人間がそこに行って確認しています。
は個人的経験ではなく信頼で信じなくてはならないほうではありませんか。

大野大野 2007/04/16 21:01 「我々が科学と呼んでることも、客観的事実として信用しているという域を出ないものだよね」という懐疑的な瀧澤さんのスタンスそのものが、近代人のある意味神経症的なあり方というものを体現しているということも言えますね。

相対化ということ自体、近代の病だと思います。で、一旦相対化を経ることは必然であっても、それに人がいつまでも耐えられるかというと、また難しいように思います。じゃあそこからいかにして躍り出るか、みたいなことになっていくと思うんですけど、それは個別の問題なんでしょうかね。

nogaminnogamin 2007/04/16 21:02 >sho_taさん
ええと、おおむね虜囚で結構です。私が現代医学によって治療可能な何らかの病気にかかったら、医療機関にかかって早く治りたいと思うでしょうし、家族や友達が病気で入院したら、「早くよく(健康に)なってね」と思うし言うと思います。

>blusy-kさん
はい。たしかに、そのように書くべき所でした。

sho_tasho_ta 2007/04/16 21:38 >nogaminさん
(私と同じ教義の)信徒として大変潔い態度だと思います。横ヤリ失礼いたしました。

>大野さん
 弥勒菩薩が登場すればすぐ「躍り出る」ことができるんでしょうけどね。
 大野さんのおっしゃる「(近代人の神経症的な)病に耐えられない人」というのは、たいてい狂人とか変人とか言われて排除されているので、滅多に可視化されないのではないでしょうか(ニーチェとかアルチュセールとか)。おおむねの人は、そういう病を抱えつつのんびり生きていくでしょう。「原理的思考に則って生きる」ということが常人には難しいし大変だし周囲も迷惑なのは、いかなるイデオロギーでも同じですよね。

bluesy-kbluesy-k 2007/04/16 21:44 >物理学の法則を利用して綿密な計算の上飛んでいる飛行機などはどうなるのでしょう。
落ちる確率は非常に低いと信頼しているということでいい気がします。

宗教と科学の違いって何でしょうね。宗教を信じる場合は経典を信じるのであり、科学を信じる場合は。。。少なくとも科学者が科学を信じるという場合は自己更新もいとわない態度、実験との関連性を信じているのですが、そういうことを考えない人はなにを信じてるのでしょうね。宗教と同じ信じ方をしてるのではないでしょうか。

takisawatakisawa 2007/04/16 22:26 nogaminさん
>しかし古典的なニュートン物理学の法則は比較的確認しやすいと思います。野球のボールを投げ上げる角度と落ちる位置とか。

それって現象ですよね? その現象は「科学」によらなくても起こり得ることではないですか?
「科学」においては、運動法則と「重力」によって落下しているという、世界の切り取り方で了解しています。
nogaminさんは、重力を如何なる方法で確認することが出来るのでしょうか?
私がジャンプして地面に戻るのは、「万有引力」によって地球に引っ張られているのか、地面の下で神様が引っ張っているのか、どうやって確認しているのですか?
私は、科学者が「仮説として今のところ否定されていない」というものを「信頼」して「信じる」以外にないのですけれども。

>物理学の法則を利用して綿密な計算の上飛んでいる飛行機などはどうなるのでしょう。

秋になるとトンボが飛んでいますよね。
トンボが何故に飛べるかが、物理学の法則でわからなかった場合、トンボは急に飛べなくなりますか? トンボが飛んでいるのは現象ですよね。
私は、科学者が「仮説として今のところ否定されていない」というものを「信頼」して「信じる」以外にないのですけれども。

nogaminさんが、「科学は他の宗教とは別でしょ?」というのは、「私の神は他の神と別でしょ?」というのと、どれだけの違いがあるのか、ということです。
「相対主義」とは斯くの如しなのです。
私は「科学哲学」の足元は揺らいでいるけれども、とりあえず「科学」という宗教を信じますよ。

>私が現代医学によって治療可能な何らかの病気にかかったら、医療機関にかかって早く治りたいと思うでしょうし、家族や友達が病気で入院したら、「早くよく(健康に)なってね」と思うし言うと思います。

それはnogaminさんが「科学」の信奉者だからですよ。
例えば、輸血によって狐憑きになるという宗教の人だったら、輸血治療に「よくなってよかったね」とは言わないと思いますよ。たぶん。
で、私は「科学哲学」の足元は揺らいでいるけれども、とりあえず「科学」という宗教を信じていますけど。


大野さん
>懐疑的な瀧澤さんのスタンスそのものが、近代人のある意味神経症的なあり方というものを体現しているということも言えますね。

私のスタンスは関係なくないですか?
私は事実の指摘をしているつもりなんですけど。
私以外の人間なら、事実が変わるのならば、私のスタンスは関係あるかもしれませんが。

大野大野 2007/04/16 23:42 >sho_taさん

ものを考え出すと、多かれ少なかれ神経症的になるのは避けられないと思うので、それにさえならずにのんびり生きていける人がうらやましいです。「躍り出る」ということでイメージしていたのは、原理主義ではなく分裂症的に生きるというあり方ですが、これこそ狂人と紙一重なんでしょうね。ポストモダンは難しい。

>瀧澤さん

瀧澤さんは何のために「事実の指摘している」のでしょうか。モダニストのnogaminさんに取りついた近代の呪いを解くためですか。いや冗談ですけど。
瀧澤さんの言われる「事実」とは、誰しも何らかの不可知論の中にあるのだという、「事実認識」だと理解しております。それは優れて近代的な懐疑のあり方で、瀧澤さんのスタンスが特異なものだと言っているのではないです。

宗教を信じるのは教祖の言っていることを信じるに等しいし、科学を信じるのは科学者の言っていることを信じるに等しいということになりますよね。つまり両者は、「権威を信じる」という意味では同じものです。お父さんの言うことだから間違いないだろう、です。
権威は権威であるという理由だけで信じられるのであって、権威は責任を取ってくれないとか、権威であっても信じられないと言い出すと、永遠の決定不能性の中に投げ出されるわけです。そのことを別の言い方で「相対主義」と言うんでしょうね。私の興味のあるのはその後なんですが、論点がずれていくのでこれにて。

takisawatakisawa 2007/04/17 14:31 >瀧澤さんは何のために「事実の指摘している」のでしょうか。

そんなこと、自分のウェブログでは書けませんよ。
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20070416#c1176783467

私は、あるイデオロギーに充足している人間を羨ましいと思いますもん。
それは民主主義に限らず、相対主義に充足している人間も羨ましいですもん。
「知る者」と「信じる者」の強さの違いによる嫉妬ですね。
大野さんには言うまでもありませんが「信じる者」が強いわけですが。

>nogaminさんに取りついた近代の呪いを解くためですか。

そうそう。ヴァンデの悲劇をまた繰り返さないためにね。
で、新たな呪いをかけるためです。犠牲者は増やさないと。

>私の興味のあるのはその後なんですが、論点がずれていくのでこれにて。

生きている間に次のパラダイムは見られそうにありませんね。
処方箋としては、宮台の言うように「繋ぎの期間を生きる作法」を身につけるしかないでしょう。
といっても当然ながら私は宮台の本を読んでいないわけで、そんなことを言っているのかどうか知りませんが。

nogaminnogamin 2007/04/17 16:11 >takisawaさん

>>nogaminさんに取りついた近代の呪いを解くためですか。
>そうそう。ヴァンデの悲劇をまた繰り返さないためにね。
>で、新たな呪いをかけるためです。犠牲者は増やさないと。

これも啓蒙主義に見えるんですけど。

takisawatakisawa 2007/04/17 16:16 私に剃毛の趣味はありませんよ。

だって、私は啓蒙主義者ですから。

2007-04-08

[][] 目の前の高い壁は意外に低いぞ 00:21  目の前の高い壁は意外に低いぞ - 力士の小躍り を含むブックマーク  目の前の高い壁は意外に低いぞ - 力士の小躍り のブックマークコメント

  

 これは、童貞の人向けにのみ書かれる内容であって、女性や非童貞の方には用はありません。二軍落ち(読まなくてもいい)です。いや、むしろ読まないでください。(女子力の低い女性には多少は役に立つかも)

 また、あまりにもヤバ目のルックスの童貞の人には、副作用がありますので、服用しないでください。

 ヤバくはないけど、童貞という人向けです。具体的に言おう。インドのイケメン、君だ*1

  

 当たり前の話ですが、私は今まで一度もナンパをしたことがありません。そりゃそうだ。ナニソレ? みんなそうだよな。なっ。

 なので、リアルで食事に誘ったりするというのは、既に面識がある人にしかしないわけです。当たり前です。

 で、リアルにはっきり断られたことなど、一度だけです。

 ここで誤解しないでください。

 実質的に断られることは何度もあります。ええ、そりゃもう何度も。何度でも。

 でも、リアルにはっきりと「行きません」と言われたことは、今まで一度だけです。

 しかもそれは、エホバの証人の信者の人で「異性の人と二人きりで遊びに行ってはダメ」という戒律の理由によるものでした。

 もう一度言いますが、誤解しないでください。実質的には何度も何度も断られているのです。

 リアルに「行かない」と断られることは、滅多にない、ということです。

  

 普通に面識のある女性の場合、向こうも人間ですから、露骨な拒否反応は遠慮します。さすがに。特に会社関係などは。

 で、相手の女性も、それなりの女子力さえ持っていれば、上手い断り方ぐらいできるんですよ。

 「今度、メシでも食べに行こうよ」

 「うん、いいね。今度行こうね」

 かなり女子力低くても、これぐらいの断り方はしてくれます。

 「今度、メシでも食べに行こうよ」

 「嫌です。行きません」

 これはちょっと考えにくい。よっぽどですよ、これは。言われるほうと言うほうの双方に何らかの重大な問題があると思われます。

 よほど女子力が低いか、舐めきった莫迦女かどっちかです。そんなんもう、ほっとけ。

 普通は社交辞令として、断るにしても「うん、また今度行こうよ」と言って、絶対に具体的に期日はもうけない、という技があるわけです。

  

 で、この「うん、また今度行こうよ」にも二種類あって、「絶対無理」に近い「また今度ね」と、何とかなるかもしれない「また今度」があります。

 「また今度ね」が、三回続いたら、諦めれば良いんですよ。三回断られても、大丈夫そうなら、四回目誘ってみればいいんですよ。

  

 「断られるに決まってる」ってのは、何を指していっているのか?

 「相手が嫌そうな顔をする」とか「相手が何を思うかを想像するのが嫌だ」とか、先取りでのことだよな。

 普通に軽やかに「今度、メシでも食べに行こうよ」と言って、「行かない」と断られたことがあるか?

 あるなら、謝る。

 でも、相手の気持ちの先取りで言っているだけならば、それは大きく間違っている。

  

 たとえば、すんごいブサイクな女性から「食事に行きませんか?」と言われて、どうよ? どう思うよ? どう言うよ?

 面倒臭い、と思いつつ「今度ね」と言うし、悪い気はしないはずだ。

 女性だって同じなんだよ。

  

 ぶさいくな女に「食事に行きませんか?」と言われて「断る」と言うというならば、そんな奴はもう恋愛の場に上がってきてはいけない*2。自ら退場しよう。

 好意を受けることに慣れてないと、熱心な好意を受けると戸惑ってしまうんだけど、戸惑いながらも、悪い気はしないんですよ。

  

 結局、相手の気持ちを先取りするというのは、相手への思いやりではなくて、自己防御だけなんですよ。

 「うん、また今度行こうよ」という断りですら、確かに傷付きますよ。あー、実質、断られたな、と。

 でもね、そこまで傷付きたくないですか?

 そりゃね、確かに凹むよ。凹むけどさ、返事は「そうだね、また今度行こうよ」じゃん。そんなには痛くない。まぁ、いやんなるけどさ。

 「俺なんかが誘って、キモいと思われただろうな」なんて思うのなら、本当にキモいと思われているなら、誘わなくたってキモいと思われるんだから一緒だよ。

 確かに、優しく断られたって嫌になるんだけど、行けるときにはあっさりあっけなく行けたりするんだから。割りはあわないけど、そんなに分が悪いわけでもないよ。

 リハビリは厳しくて、疲れたりするけど、疲れるのが嫌だったり、傷付きたくなかったり、そんなに自分のことばかり大事にしていたら、愛している人に愛されたいなんて、むしが良すぎるよ。

  

 それとね、面識ある人なら、関係性が人質となって、なかなか断り辛いもんだよ。それが迷惑だとか汚い話だと考えちゃうんだけどね。でも、そんなに悪いことじゃないよ。メシ喰いに行くだけじゃんね。

 メシを喰いに行く以上のステップについては、私にも未知の世界だから知らない。

  

 インドのイケメンくん。BRICsも成長著しい。これからはインドだ。これから君の時代が来るよ。頑張ってくれ。

 日本を印度に!

*1:名乗らんでええぞ

*2:リンク先、ぶさいくではなかったけどね